最終章 face to face
「平和じゃのぅ……」
「まぁ、何とか平和って言う感じもしないでも無いが……」
隣に座る魔王フレイアが呑気にあくびなどする中、俺はセカンダ地方を偵察していた魔物からの報告書を読んでため息をついた。他の国はかなり懐柔したが、このセカンダだけはなかなか魔物討伐の軍を解体しようとしない。大規模な討伐遠征こそ行わなくなったが、今でも山岳地域に住む狼蒼族や森林地帯の複数の魔物を治安維持のためと称して狩っているらしい。
ファスタラントに次ぐ大国だけに、下手にこちらから手を出すとそれだけで緊張が高まる可能性がある。現国王であるクランバッハ遊撃王は歴代セカンダ王に勝るとも劣らぬ好戦的な王で、白鳳王アヴァロンが俺たちとの会談で魔物の討伐隊を解散した時に軟弱者と罵ったこともある。
「相変わらず、セカンダは矛を収めようとしないし、便乗してサーディアも何かと騒がしいし、何とかならないもんかな……」
「そうじゃのぅ。セカンダは妾が知る限りずっとあんな感じじゃから今更どうしようもないかも知れぬが、狼蒼族への虐殺について獣王ズーディアが怒り心頭じゃというのが気がかりじゃ。いつか戦争を仕掛けるつもりじゃな、アレは」
「そんな呑気な感想で良いのか……」
茶を啜りながら言うフレイアに、取り敢えずツッコミを入れておく。獣王とは一度しか会ったことがないが、あちらもクランバッハ王に負けず劣らず好戦的だ。俺が勇者をしていた時代に、よくファスタラントに戦争を仕掛けてこなかったものだ。
「去年に新興国として旗揚げしたアハト公国ってのも気になる。王を立てない国って何気に初めてだし、何を考えてるか分からないからなぁ」
「分からんのじゃが、王無くしてどうやって国として成り立っておるのじゃ?」
「一人の王では無くて、国民が決めた数人の代表が国をとりまとめるらしい。一応その中でもトップがいるらしいんだけど、人物像が全く分からない」
これまでも何度か報告があって偵察の魔物を送り込んでいるが、どうしても掴めないのがそのトップと言われる人物だった。何処かの王家の血筋を引いている、という事らしいが、少なくとも既存の国家の何処の王家にも、出奔して新しい国を旗揚げしそうな人物は見当たらない。
さらには、国の領内に人間と魔物が入り交じった場所が複数あるというのも気になる。ジーヴァの南にる未統治領に興った小国がアハトだが、元々は魔物が多く住んでいた場所でもあり、それ故未統治領となっていたはずだ。いかにして人間が入り込み、国を興すに至ったのか、疑問点は尽きない。
「特に動きはないのじゃろ? 様子見でいいんじゃないかのぅ」
「そりゃそうなんだが」
こんな風に山積する問題の上に取りあえず成り立っているといった平和だが、確かに一時に比べればずいぶん穏やかになったものだ。未だ人間の魔物に対する恐怖を払拭するには至っていないし、セカンダでなくてもちょっとした人と魔物の小競り合いは後を絶たない。それでも互いの領域に対する不可侵はある程度守られているし、わずかではあるが理解も進んでいると思う。もしかしたらアハトも、そういった世界の流れの上に出来上がった国なのかも知れない。
「……ま、少しでも平和なことは良いことだ」
「そうじゃのぅ」
結局、積極的に動く理由が無い以上、やることは無い。今は少しでもこの平和な状況を謳歌するのが一番良いのかもしれない。
そう思っている時ほど、厄介ごとが起こるのが常なのだが。
【城門前に来客一名。通しますか、通しませんか】
「うへ、言ってるそばから厄介ごとのにおいが」
かつては難攻不落と呼ばれたエンドリオンの地理的条件はかつてと大して変わってはいない。それでも中にはこうしてふらりとここまで辿り着いてしまう人間もいる。とは言え、大抵の人間は魔物狩りをしているうちに迷い込んだり、腕試しにやって来たりと、厄介ごとの塊みたいな連中なのだが。
「来客とは珍しいのぅ。通して良いぞ」
【かしこまり】
「またそうやって簡単に通す……」
メダイヲンと言う遠距離通信に長けた魔物が扉を開けさせる指令を発したのを見て、俺はため息をついた。フレイアはこうして簡単に珍客を通してしまう。いそいそとお茶の準備を側近に指示するなど、実に楽しそうにしている。多分、俺がかつてここを最初に訪れた時もこんな感じだったのだろう。例え敵対する人間だろうと、彼女はまず対話から始めようとする。彼女の目指すべきものがそこだったからと言えばそれまでだが、なかなか出来ることでは無い。
そうこうするうちに、メダイヲンが来客の到来を告げた。重々しく門扉が開き、玉座の間を改装した俺と魔王の執務室に外気が入り込む。そこに現れた人影を見て、フレイアが息を呑む音が聞こえた。
「……と、とうさま……?」
「……え?」
そこに立っていたのは、一人の男だった。軽装の鎧に何処にでもありそうな剣を提げただけの、およそここまで辿り着くには心許ない装備しか身につけていない。しかも無傷で立っているだけでも信じられないことだが、フレイアから飛び出た言葉が更に謎を深める。
父様、とフレイアは言った。それはかつてファスタラント王として先代の魔王を下した勇者王ロマノフ・ディス・ファスタラントの事だが、当然故人だ。幽霊でも無ければこんなところに存在するわけがない。
男が近づくにつれて、容姿がはっきりとしてくる。大体ここまで来る人間は目つきの鋭い肉体派が多いのだが、彼はどちらかというと学者風の優しい目つきをしている。口髭を生やしてはいるが全体に若そうで、三十代くらいだろうか。多分俺とそう変わらないだろう。赤みがかった髪の感じは確かにフレイアに近い。何より、近くで見て俺も驚いたが、昔ちらっと見たことのあるロマノフ王の肖像に、確かに似ている。
「突然の訪問にも関わらず、迎え入れて頂き恐縮です。アハト公国代表、アーノルド・ブランシェと申します」
片膝をつき、頭を垂れる男。噂をすれば影というやつか、目の前の彼が新興国であるアハト公国の代表であるらしい。今まで存在の不明瞭だった相手が急に具体的な形で現れると、かえって本物かどうか訝ってしまうが、まずは話してみないことには始まらない。
「ようこそ、アーノルド公。俺はエンドリオン副領主のアレス。こっちが領主のフレイアだ」
「よ、ようこそなのじゃ、アーノルド公。遠路はるばるご苦労である」
父の面影のある男を前に緊張しているのか、言葉の固いフレイア。それきり言葉が出てこないので、仕方なく俺が用件を聞くことにする。その前に例のお茶くみ魔物がお茶を持ってやってきたが、アーノルドは面食らうこと無く笑顔でそのお茶を受け取った。魔物に接することになれている。俺は何となく話の方向性を絞った。
「さっそく用件をお聞きしよう。ここまで来たと言うことは、それなりの覚悟があってのことだろうから」
「そうですね。では、単刀直入にお話しします」
アーノルドは真剣な顔でこちらを見た。見た目は優男に見えるのに、瞳には一切揺るぎの無い強い意思が感じられる。いっそ老成していると言っても良いかも知れない。どんな人生を歩めばこんな光を宿すのかと思えるほどに。
そして、彼は意外な言葉を紡いだ。
「私たちのアハト公国と、親善国家となっていただきたいのです」
「親善国家?」
「アハトはまだ出来て間もない小さな国家です。後ろ盾とは言いませんが、エンドリオンとの友好がなれば、周辺国に対して私たちの存在をアピールできると考えています」
しっかりとした口調で言うアーノルドだが、俺にとってその提案は今ひとつ理解できないものだった。人間の国家同士で友好関係を結ぶのなら分かるが、基本的に魔物しかいないこのエンドリオンと友好関係を結ぶメリットが、アハトにあるのだろうか。
さりげなく話を誘導してみる。
「何故、魔物の国であるエンドリオンを選んだ? 隣には人間の国もあるだろうに」
「何故かと言われると、難しいですね。敢えて言うなら、その魔物の国の領主が人間だから、でしょうか」
そういう彼の目に挑発めいた色が浮かんだのは、恐らく勘違いでは無いだろう。彼はこちらの事情を知って、その上でここまで来た。それが意味するところは、多分それほど俺の予想と外れてはいないだろう。
「人間と魔物の共存する多種族国家同士の友好、という事でいいかな?」
「ご慧眼に感服します。私たちアハトは、人と魔物の共栄を目指す国家として成立しました。私も代表を名乗ってはいますが、数いる代表の一人です。十名いる代表のうち、人間は私も含めて三名のみ。後は叢精族、鬼人族、妖鳥族などの、所謂魔物の代表です」
「なるほど。現在国を形成していない種族が集まって、単一の国家を作っているのか」
彼が挙げた種族は、いずれも国を形成するほど数のいない魔物達だ。彼らが寄り集まって一つの国を形成する事で、他種族の国家と拮抗しようと言うことか。そして恐らく、それを成し遂げた立役者は、このアーノルドだ。
俺は、その根源を問いただすことにした。
「何故、アハトを作ろうと思った?」
「それは、お二方の尽力を知って、少しでもあやかろうと」
「嘘だな。俺たちが活動を初めて十数年。特に成果が出たのはここ数年の話だ。その短期間で、それだけの他種族をまとめ上げることが出来るとはとうてい思えない。立ち上げは、少なくとももっと以前からだったはずだ。違うか?」
そう言うと、アーノルドはにやりと笑った。何処か悪戯っぽくもある表情は、今までの老成した顔と違い、まるで少年のそれだった。
その奇妙なギャップを、俺は経験したことがある。
「まさか……」
俺のつぶやきに呼応するように、彼は立ち上がってゆっくりとこちらにやってくる。俺では無く、フレイアの方に向かってやってきたので、彼女は座ったまま身を固くしてこっちにすり寄ってきた。魔王や領主の威厳も何もあったものじゃない。
アーノルドはフレイアの前に立つと、じっとその目を見ている。ほとんど怯えた猫みたいな顔になっているフレイアに、彼は優しく、本当に優しく笑いかけた。
「……目元は、母様にそっくりだね」
「……え?」
唐突な言葉に、フレイアは目を白黒させた。その言葉で、俺の中にも確信が生まれる。ロマノフ王に似た男。アハトの代表が何処かの王族だという噂。そして、フレイアを母にそっくりだと言える人物。
歴史から葬り去られた男が、実際にこの世から葬り去られた確証は無い。
「……アルシド・ディス・ファスタラント」
「それは、愚かな母殺しの名前です。どうかお捨て置きください」
そう言って、彼は寂しそうな顔をした。否定の言葉は無い。つまりは、そういうことなのだろう。フレイアと同じように、彼もまた何らかの理由で魔人族の血を取り入れた。そして、百年以上の時をかけて、人と魔物が共存できる国を作り上げるまでになった。
道を分けた兄妹が、それぞれの地で、それぞれの想いを胸に、同じ道を歩んでいたのだ。
狼狽えていたフレイアだったが、ここに来て冷静さを取り戻したようだ。言葉を選んでいるようだったが、口ごもっては黙り込み、ようやく一言だけ、彼に問うた。
「……母様は、優しかったかのぅ」
彼が初めて、困惑の表情を浮かべる。ややあって、彼は再び優しい笑顔で答えた。
「とても優しい方でしたよ、あなたのお母様は」
それは、せめてもの抵抗なのかも知れない。彼が直接彼らの母に手を下したかどうかは分からないが、多分彼に関わることで死なせてしまったのは間違いないのだろう。彼がフレイアに兄だと名乗らないのは、そしてわざわざ『あなたのお母様』などと回りくどい表現を使うのは、それに対して責任を感じているからだ。
俺は側近の魔物を呼びつけ、二つの書面を作らせると、それをアーノルドに手渡した。アハト公国との友好を受け入れる旨と、もう一つ。通商および越境に対する相互の許可証だ。
「人と魔物が、いや、全ての種族が、やがて手を取り合える日が来ると俺も思っている。俺たちも全面的に協力しよう」
「恩に着ます」
書面を受け取ると、アーノルドは一礼し、そのまま踵を返した。振り返らず、そのまま執務室を出て行こうとする。扉がゆっくりと閉じ、彼の姿が見えなくなりそうになったとき、フレイアは立ち上がって叫んだ。
「兄様!」
その声に、アーノルドは止まって少しだけ振り返る。表情は見えないが、フレイアは構わず続けた。
「……今度、妾とゆっくりお話しして欲しいのじゃ。今までのこと、これからのこと」
閉じゆく扉の向こう側で、彼がゆっくりと首肯するのが見えた。フレイアはそれを、笑顔で見送った。
これから先、どんな未来が待っているのかは、俺にも分からない。でも、この兄妹が成し遂げた事は、これからの世界の方向性を大きく変えていくだろう。人間と魔物、その融和に向けて、大きく。
「……次は、こっちからアハトに乗り込むとするか」
「……! そうじゃ、そうじゃな!」
そのために、俺たちは、進み続ける。
これからも、ずっと。
了




