第三章 Replicant Truth H
→ためらう
「僕は……僕は……ッ!!」
剣を握る腕が震える。母の言葉は、僕の心を強く揺さぶった。
ゼロス王は、魔人族の歴史を叩き潰した。だからこそ、僕らが今ここにいる。ここにいて、僕は王の罪を精算しようとしている。けれど、じゃあ僕がそれを成したとして、この先は? 僕が王の血統を叩き潰したことでこの国が滅んだとして、その先に紡がれる歴史はどうなる?
亡国への怨嗟を孕んだ人々が、また虐殺の歴史を繰り返すかも知れない。王の血が絶たれようとも、歴史は途切れない。時は連続している。そう、僕が一番良く知っていたはずじゃ無いか。
「……僕は」
腕が、力なく垂れた。聖剣は辛うじて握ったままだが、最早それを振るう気力は無い。僕は愚かだ。間違った歴史を、自分一人で修正できると思っていた。だけど実際には、間違った歴史を、別の方向にねじ曲げるだけの、自己満足にしか過ぎない行為だ。
オクタヴィアは、抗わなかった。それはきっと諦念だけではなく、繰り返される悲劇を何度も見てきた故の選択だったのだろう。自分が途切れても、間断なく続く時の流れに波が立たないことを選んだ。僕は、それを台無しにするところだった。
「過ちを知りながら、僕はどうすることも出来ないのか」
「そんなことはないわ」
失意の僕に、母は優しく語りかける。
「あなたは、過ちを知った。それは、未来に生かすことが出来るわ。知識は、力になる。いつかあなたは、大きな何かを成すことが出来る。私は、そう思う」
過ちを、未来に生かす。僕にはそんなこと、思いつきもしなかった。繰り返す過ちの連鎖を断ち切るために、僕は現在を切り離そうとした。その先の事など考えもせずに。それこそが、繰り返す歴史の発端になるのかも知れない。過去から学ぶことで、それを回避できるのだとしたら。
僕はきっと、母の言う通り大きな力を得たのだろう。
「そのためには、僕も罪を償わないといけないね」
息絶えた近衛兵を見て、僕はいたたまれない気持ちになった。自分がしたこととは言え、彼は僕の目的には無関係な人間だ。それだけでも既に、僕は怨恨にいたる種を蒔いてしまっている。それを無かったことには出来ない。
母も頷いて、僕を促した。自国の兵を無碍に殺害したとなれば、王位継承権は剥奪されるだろう。でも、それで良いのかもしれない。王になれば、様々なものに縛られて自由に動くことは出来ないだろう。それ以外の立場から、じっくりと歴史の向かう先を変えることが出来れば。
剣を鞘に戻し、僕は母に一礼した。母のおかげで、僕はこれ以上道を誤らずに済みそうだ。そんな思いで、母に背を向けようとした時。
母の右胸に、穴が開いた。
「……え?」
僕の呟きに、ノイズがかかる。引き延ばされたような時間の中、母の体がゆっくりと頽れていく。
「か、母様……!」
反射的に伸ばした腕が、何とか母の背をとらえた。穴の開いた胸からは血が吹き出し、肺に流れ込んだ分は口腔から吐き出される。母の背後の壁には、一本の太い鉄の矢が突き刺さっていた。その軌道を追うと、部屋の入り口には見慣れた男の姿が。
「……ラヴェル宰相補……!」
「夜遊びは感心しませんな、アルシド第一皇子」
朦朧とした意識で不安定な呼吸を繰り返す母を横たえ、僕はラヴェルを睨み付けた。かつて近衛兵長を務めていた時代に着用していた深い紅の鎧に身を包んだ彼の後ろには、五人の近衛兵が弩をつがえてこちらを見ている。
まさか、彼が指示して母を撃ったのか。
「どういうつもりだ、ラヴェル宰相補!! 何故母様を撃った!!」
「私が動く目的は一つ。国益を守ることでございます、第一皇子」
「国益……!?」
ラヴェルの言葉が、理解できない。母を殺害することが、何故国益に繋がるのか。この国の王妃である母を殺す理由たり得るほどの、守るべき国益とは。
「第一皇子はこの国の封じられた歴史を解いてしまわれた」
「封じられた歴史……ゼロス王が版図拡大のために魔人族を滅ぼしたことを、お前達も知っていたのか!!」
「左様でございます。我ら近衛兵の重要な役割の一つ故」
「なん……だと……」
知らなかった。いや、意図して隠されていたのだから、知るはずもない。恐らくはゼロス王の命で、一部の人間を除いてずっと秘匿されてきたのだろう。自らの血族にすら隠し通してきた歴史。ゼロス王自身も分かっていたのだ。自らの行いが露呈した時、どれほどの非難が湧き上がるか。
「その歴史は、我が国を傾ける芽となりましょう。故に、我らはその芽を摘まねばなりませぬ。それは例え皇后様であっても……第一皇子であっても」
ラヴェルはそう言うと、後ろの近衛兵に合図をした。それを受けて、五門の弩がこちらを向く。例え王族相手であろうとも、彼らは容赦しないと言うことか。いや、最初から彼らはファスタラント王家ではなく、ゼロス王唯一人のための近衛兵なのだろう。彼のために組織され、彼のために隠蔽し、彼のために、その子孫すら弑する。
僕はもう一度鞘から剣を抜き払った。熟練した近衛兵の弩から逃げ切れるとは思えないけれど、やらないわけにはいかない。僕がいなくなれば、この歴史を知るものは彼ら以外にいなくなる。暴虐の歴史が、また闇に葬られてしまう。
それは、未来を閉ざすことだ。永遠に繰り返す愚行の歴史の中に。
僕はもう一度は母を見た。もうまともに呼吸も出来ていない母の苦悶に満ちた表情が、不意に和らぐ。そして、ほとんど動かない唇で、言葉が紡がれた。
「……いきなさい。信じた道を」
僕は、弾かれたように近衛兵とは別の方向に走り、開け放たれた窓から踊り出た。虚を突かれた近衛兵が一斉にこちらに向けて弩を撃つが、照準のぶれた矢は僕に届くこと無く壁に穴を穿つのみ。
虚空に飛び出した僕は浮遊魔法を駆使して何とか地面に軟着陸し、そのまま城を後にした。もう、ここにはいられない。いる意味も無い。僕は探し続ける。真実の歴史を、有効に使える術を。そのために世界を渡り、世界を知ろう。この世界には、きっとまだまだ知らないことがたくさんある。もしかしたら、オクタヴィアのように生き残った魔人族もいるかも知れない。
僕は、探し続ける。
いつの日か、真実の歴史を共有し、それを元に皆が手を取り合える世界を形作ることの出来る、そんな未来の道標を。
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