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The / Last / Command  作者: Clown
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第三章 Replicant Truth

僕は、まだ世界について無知だった。

 そして、自分自身についてさえも。

「お母様、次はこの本を読んでも良い?」

「ええ、良いですよ」

 僕の他愛ないリクエストに、母はいつもやわらかな笑顔で応えてくれた。

 書庫にため込まれた膨大な蔵書達。それが、僕の一番の友人だった。

 国王である父とは、滅多に会うことが出来ない。弟は物静かすぎて、遊び相手には物足りない。

 ご機嫌伺いに終始する大臣達や必要以上に恭しい侍女達は、僕にとっては鬱陶しい存在でしか無かった。

 ただ、本だけは、僕をありのまま受け入れてくれる。僕の知識欲に、素直に応えてくれる。そして何より、本は僕を裏切らない。

「アルシドは本当に本が好きね」

「うん。いつかここの本を全部読んで、もっともっとたくさんの本を集めるんだ!」

「あらあら、書庫がいくつあっても足りないわね」

 母は冗談だと思ったかも知れないが、実際に僕は数年を掛けて書庫の本の大半を読み終えてしまった。詩編、随筆、小説から歴史、戦記、数多の専門書まで、読み飛ばす物は何一つ無かった。難解で読み解くのに時間のかかる物も多かったが、出来る限り自力で読み進めた。

 中でも、僕が最も興味をそそられたのが、歴史だった。様々な国の成り立ちや苦難、栄光、そして没落まで、全てが僕の情感に訴えかけてくる。追体験と言っても良いのかも知れない。誰かの手によって書かれた、誰かの目で見てきた歴史。ページをめくるひととき、僕はその誰かとともに時間のうねりの中に放り込まれたように感じるのだ。

 ただ、一つを除いて。

「あら、またその本を読むの?」

「うん……ちょっとね」

 ファスタラント建国史。

 もう何度読み返したか分からない、自国の歴史。それは、僕の血統をなぞる行為でもある。それなのに、何度紐解いても違和感がつきまとう。そこに書かれている内容に矛盾は無いはずなのに、何故かそれが今に結びつく気がしない。

 まるで何処かのページが抜けてしまっているかのような、そんな感覚。

 その正体が知りたくて、僕は何度もそれを読んだ。内容はおよそ記憶しているし、何処にどんな内容が書かれているかも把握しているけれど、それでもまだ何か見落としている気がして、繰り返し目を通した。その時代に関連する歴史書もある程度は読んでみた。まだ全部は読めてないけれど、そこにも新たな発見は無かった。

 欠け落ちたピースなど、最初から無いのかも知れない。十五の年を迎えたとき、僕は漠然とそう思い始めていた。この頃には、最早書庫内の蔵書はあらかた読み尽くしてしまっていた。ここまで来て新たな事実が無い以上、例え抜け落ちた欠片があるとしても、それを拾い上げることは不可能だろう。

 来年には僕も王位継承者として施政の一部を担わなければならない。正式に王位に就くための、いわば適性試験のようなものだ。王位には特段興味の無い僕だったが、慣習に逆らうわけにはいかない。そうなれば、読書に割ける時間は極端に少なくなる。ちょうど、潮時なのかも知れない。

 そんなことを考え始めていたとき、僕は彼女に出会った。

















第3章

Replicant Truth








「君は、一体何者なんだい?」

「…………」

 まるで言葉が通じないかのように、じっと押し黙っている彼女を見て、僕は何度目かのため息をついた。城から持ち出したパンと山羊のミルクを彼女の前に置くと、彼女は躊躇いがちに手を伸ばし、こちらの様子を窺ってからようやく少し口に含む。

 薄汚れたローブに身を包んではいるが、どことなく高貴な身分の人間では無いかと思わせるような雰囲気を纏った少女だった。放逐された貴族の娘とかかも知れない。ファスタラントではあまりないことだが、他国ではたまに没落貴族が一家離散して散り散りに他国に亡命することがある。事業の失敗や政争での敗北など原因は様々だが、亡命先で無事に保護されることは滅多に無く、大概は無残な結末をたどるという。

 彼女がいたのは、王庭(おうてい)の淵という森の中だった。古くは王族・貴族が狩りを楽しむための森だったが、野生動物の減少と魔物の増加の関係が言われ始めてからは次第に使われなくなったらしい。立ち入り自体が禁止されているわけでは無いから、僕は時々馬に乗って森に分け入っていた。澄んだ空気を吸い込むと、心が軽くなるような気がする。書庫の埃っぽい空気も嫌いでは無かったけど、たまには肺を洗ってやるのも悪くない。

 その日も、僕は森の中で走り回るリスの姿を追いかけたりしながら、森の空気を堪能していた。少し奥に進むと、清浄なはずの空気にいつの間にか鉄錆のようなにおいが混じっているのに気付いた。風を頼りににおいをたどっていくと、ボロ布に包まれた何かが落ちていて、近づくともぞもぞと動いた。驚いて飛び上がりそうになるのをぐっと堪え、布を取ってみると、そこに彼女がうずくまっていたのだ。

 そこまで裸足で歩いていたのか、擦り傷だらけでぼろぼろになった足を無防備に晒していた少女は、僕の顔を見るとそのまま気を失ってしまった。そのままにしておく訳にもいかず、僕は彼女を馬に乗せて森の入り口付近にある物見小屋まで連れて行き、ベッドに寝かせておいた。いったん城に戻り、水と食料を持って引き返したときには、既に意識を取り戻しており、後はさっきの通りだ。

 ローブのフードから除く銀色の髪が、パンを食むたびにさらさらと揺れる。室内にも関わらず、彼女はかたくなに目元までかぶったフードを取ろうとしなかった。視界が制限されるし、何より汚れたままのそれを着ている理由は無いと思うのだが、彼女は全く意に介した様子は無い。

「……仕方ない。明日女中にでも服を用意させるか……」

 いつまでもここにとどめておく訳にはいかないし、例え他国の放浪貴族だとしても一応国の法に則って滞在許可を取ってもらわないといけない。いずれにせよ、城に連れて帰る必要がある。あの父のことだ、出自に関わらず許可を出さないことは無いだろう。

 いつの間にかパンを食べ終え、一息ついたらしい様子の少女を、僕は改めて観察した。年の頃は僕と同じか少し下だろうか。フード付きのローブをかぶっているため全体像は分からないけれど、綺麗な銀の髪は全体に薄汚れた風貌の中にあってもくすんでおらず、幻想的ですらある。

 手足には擦り傷があったが、肌は白く美しかった。これも彼女が貴族や皇族などの高い身分にいたのでは無いかと思わせる。労働をあまり経験したことの無い手足だ。

 僕の視線に気付いたのか、少女が顔を上げてこちらを見た。初めて彼女と目が合う。黒曜石のような、吸い込まれそうなほど黒い瞳。まだあどけなさを残したような顔立ちだが、何故かそれ以上に落ち着いた感じもある、不思議な相貌だった。

 何となく気恥ずかしくなって視線をそらしたが、彼女はまだこちらを見ているようだった。食事を取って少しは警戒心を解いてくれているのなら良いのだけど、そういうわけでもなさそうだ。どうやら今度はこちらが観察される番らしい。

 しばらく沈黙が続いたが、不意にそれが破られた。

「……食事、ありがとう」

 ささやくような、声。虚を突かれた僕は、少し動揺して「あ、うん」としか応えられなかった。少し訛りがあるようにも感じたが、透き通るような響きは今まで聞いたことの無いような美しい声だった。

 言葉が通じるとなると、もう少し情報を仕入れておきたい。少なくとも、彼女が何者であるのかを少しでも明らかにしておきたい。そう思った矢先、彼女の方から問いかけがあった。

「ここは、何処?」

「ここはファスタラント王国の北東、王庭の淵という名の森の中だよ」

「ファスタラント……。そう、ここが……」

 彼女の声に、ほんの少し憂うような色が帯びた。少なくとも、この国の出身で無いことは今の言葉で分かる。よほど遠いところからやってきたのだろうか。

「君は、何処からここまで来たんだい?」

「…………」

 こちらからの問いかけには、困ったような顔をするだけで答えてはくれない。質問の仕方が悪いのだろうか。それとも、答えられない事情があるのだろうか。そこまで考えて、まだお互い名乗ってすらいないことに気付いた。

「じゃあ、君の名前は? 僕はアルシド。アルシド・ブランシェ」

 王子を名乗ると色々と厄介なことも多いため、初対面の相手には架空の姓であるブランシェを名乗ることにしている。一度暗殺計画の話も出たからだ。流石に国内の人間には通用しないけど、国外の人間ならたいていは誤魔化せる。

 彼女も特に疑問を抱いた様子は無かったが、なかなか名乗ってはくれない。これもダメか……そう思いかけたとき、ぽそりとつぶやきが漏れた。

「……オクタヴィア」

「オクタヴィア……良い響きだね」

 あまり聞いたことの無い名前だったが、素直な感想を述べる。姓があれば出身地がある程度絞れたのだけど、そこまでは明かしてはくれなかった。やはり何か訳ありなのだろう。

 少女・オクタヴィアは山羊のミルクをすすりながら、ぼんやりと虚空を見ている。これ以上いても、有益な情報は得られそうにない。そう判断して、僕はひとまず城へ帰ることにした。

「もう少しここで休んでいると良いよ。僕はいったん家に戻って、人を呼んでくる。そしたら一緒にお城に行って入国手続きをしよう」

 そう言って立ち去ろうとすると、オクタヴィアは慌てたように立ち上がり、先ほどまでとは打って変わった力強い声で言った。

「ダメ……! 誰も呼ばないで……!」

「え……」

 その急変ぶりに、僕は思わず振り返った。その視界いっぱいに彼女の狼狽した表情が映り込み、次の瞬間途切れたように真っ暗になった。宙に投げ出されるような浮遊感の後、臀部から腰にかけて強い衝撃が走る。

 鈍い痛みがやってきて、僕の意識を何とかその場につなぎ止めた。どうやら彼女から体当たりをもらったらしい。それらしい重みが今も胸の上にある。

 かすむ目を開けると、彼女も体を起こそうとしているところらしかった。きっと引き留める程度のつもりだったのだろう。自分が倒れていることを認識して驚いたような表情をしている。

 そして、多分僕も今同じ表情をしている。

 僕の表情と視線を見て、オクタヴィアは慌てて立ち上がると、めくれていたフードを再び深くかぶり直した。そのまま飛びすさるように後ろへ下がると、小屋の隅で膝を抱え、怯えたような視線をこちらに向けてくる。

 僕は思考を整理することがなかなか出来ず、何とか今目にした事実のみを口に出した。

「額に……角……?」

 彼女の体が、びくりと震える。どうやら、見間違えでは無かったらしい。

 フードが外れた、彼女の額。銀色の流れの中に立つ、純白の角。それは、僕が今まで繰り返し読み続けてきた本の中に何度も登場した、ある種族の特徴。

 レックス・サタニカ。悪魔の王。魔人。

 ファスタラント王国建国の祖であるゼロス・ディス・ファスタラントは、度重なる魔人達の暴虐を見かね、彼らを殲滅して大陸に安寧をもたらしたとされる。建国の礎ともなったこの戦いは、ファスタラント建国史の別添としてバトラ・レックス・サタニカと題された戦記にまとめられていた。

 この戦記では、レックス・サタニカの生き残りはいないとされている。当然、世界中くまなく探した訳では無いだろうから、生き残りがいたとしてもおかしくは無い。だけど、そんなことはどうだって良い。

 本当に、これが、悪魔の王なのか?

 戦記によれば、レックス・サタニカと呼ばれる種族は非常に暴力的であり、人間を襲っては捕らえて奴隷として使役し、時には人間を食糧とする事もあるという。それゆえ人は彼らを恐れ、討伐に至ったのだと。

 目の前の彼女は、今も震えながらこちらを窺う彼女には、そんなイメージなどおよそ結びつきもしない。勿論、額に角を有し、人語を解する人型の魔物は他にもいるのかも知れない。魔人の中でも、性別によって性格が違うのかも知れない。もしかしたら、彼女のみが特殊な個体なのかも知れない。可能性は無数にある。だけど、僕の中で急速に頭をもたげるものが、そこにはあった。

 あの、建国史に感じた、違和感。

 そのために、確かめなければならないことがある。彼女の正体が不明である以上、怖くはあったが、僕はぐっと両手に力を込めて彼女に一歩近づいた。それだけで折れてしまいそうなほど身を縮こませる彼女に向け、小細工無しに問う。

「オクタヴィア。君は、レックス・サタニカの生き残りかい?」

「…………」

 彼女は、答えない。身を震わせたまま、こちらを凝視している。よく考えれば、レックス・サタニカとは人間が勝手に付けた種族名のはずだ。僕は改めて問いかけた。

「およそ三百年前、君の種族は人間によって滅ぼされた。違うかい?」

「……!!」

 今度の反応は明確だった。彼女の瞳に、怯えとは違う感情が宿ったのが分かる。憎悪、憤怒、嫌悪。そういった、激しい負の感情だ。僕はなるべくそれ以上刺激しないよう、その場にとどまった。

 確信する。彼女はレックス・サタニカの数少ない生き残りで、そして恐らくは僕の知らない歴史、僕の違和感の正体を知っている数少ない証人の一人だ。

 僕は彼女に目を合わせるよう、その場にかがみ込んだ。敵意の垣間見える視線を正面から受け止め、ゆっくりと言葉を選ぶ。

「僕は君を傷つけない。約束する。ただ、教えて欲しいだけなんだ」

「…………」

「君たちの歴史。僕たち人間が、何故君たちを滅ぼしてしまうに至ったのか」

 オクタヴィアはぐっと口を引き結び、何かに耐えるようにじっと黙っている。僕は急かすこと無く、彼女の口から次の言葉が出てくるのを待つ。長い沈黙が続き、ようやく彼女の唇が動いた。

「……私たちは、弱いから滅んだ。それだけ……」

 悔しそうな表情。僕の中で、違和感が少しずつ再構築されていく。

「僕たちの歴史には、君たちは強い種族だったと書かれているんだ。だから人間は戦ったんだと」

「……勝利者はあなたたちよ。好きに書けば良い」

 少しずつ、欠けたピースが埋まっていく。

「違うんだね。実際は何か他の理由で君たちを滅ぼしたんだ」

「…………」

 僕が感じていた違和感の正体。それは、彼らの生態描写について、あまりに偏りすぎていたことにあった。バトラ・レックス・サタニカに書かれていた残忍で暴力的な悪魔の姿を、他の文献で見た覚えが無い。正確には、彼らの事について書かれた文献を、僕は他にほとんど見たことが無い。

 彼らが本当にそれほど暴力的な存在なのだとしたら、その恐怖を記した文献がもっと存在しても良いはずなのに、それが無い。建国史の一別添資料にのみ存在するなんて、いかにも不自然だ。それが、僕に違和感を覚えさせていたのだろう。建国の礎になったはずの戦いの、敵に対する情報量の圧倒的な少なさ。それこそが、失われた欠片。

 建国の裏に埋葬された、歴史の欠片。

 知らない方が良いのかも知れない。それを掘り起こす事で、国の基礎を危うくするかも知れない。けれど、それをそのままにしておいて本当に良いのか。目の前で怯えと憎しみで震える異種族の少女を、見ぬふりするのと同じでは無いのか。

 僕は、どうするべきか。

 彼女の目をもう一度見て、僕は決断した。歴史は、葬るべきでは無い。どこまで迫れるかは分からないけれど、彼女の協力があれば糸口を掴むことは出来るはずだ。僕らの、人間の口からは語られない、もう一方からの史実。そのためには、彼女を無事に城まで連れ帰らなければならない。

 勿論、彼女の協力がすんなり受けられるとは思っていない。むしろ、僕の身分を明かせばより態度は硬化するかも知れない。だけど、正体を隠したまま彼女に協力してもらうことは出来ない。ずっと隠し通すのは難しいし、何より協力者に対する態度としては失礼だ。

「……僕は、君の協力が欲しい。本当の歴史を知るために」

「……本当の歴史……?」

「僕の本当の名は、アルシド・ディス・ファスタラント。ファスタラント王国第一皇子だ」

「!!」

 オクタヴィアの表情が固くなる。当然だ。こちらの史実通りなら、僕は彼女たちを駆逐した大敵の子孫になる。場合によってはそのまま襲われても不思議では無い。

 けどそれも一瞬のことで、彼女は先程よりも僅かに緊張感のとれた表情で、ふぅっと長い息をついた。警戒はしているものの、さっきのような怯えるような色は無い。

「……真摯なのね。身の危険を顧みないほどに」

「どうかな。僕は君を侮っているだけかも知れない」

「相手は、あなたたちの言う『悪魔の王』なのに?」

 うわべだけの言葉は、どうやら簡単に見透かされてしまうようだ。やはり身分を明らかにしたことは正解らしい。苦笑する僕を見て、彼女はほんの少し口元を緩める。僕の中でもわだかまっていた緊張が若干薄れた気がした。

 問題はここからだ。彼女をここから連れ出し、城まで連れて行くのは流石に無理がある。そもそも城に連れて行ったところで、誰にも会わせるわけにはいかない。かといって、彼女をここに長く留めておく訳にもいかない。それに、彼女がここまで辿り着いた理由も気になる。着衣はほとんどぼろきれ同様のローブ一着で、荷物もほとんど持っていない。何らかのトラブルを抱えているのは明らかだ。

 いずれにせよ、今できることは少ない。彼女も口には出さないが、衰弱しているのは明らかだ。この物見小屋には滅多に人が来ない。しばらくはここにいて休んでいてもらった方が良い。

「僕は一度、城に戻る。明日、改めて一人でここに来るよ。ここは他に使う人もいないから、自由に使ってくれて良い」

「……信用できると思うの」

「信用できなければ、黙ってここから出て行ってくれて構わない。鍵は、ここにかけておくよ」

 そう言って、僕は小屋の鍵を扉の横にあるフックに引っかけた。彼女はそれ以上何も言わず、じっと小屋の隅に座っている。僕も何も言わずに、そのまま小屋を出た。明日再びここへ来たとき、彼女がいるという保証は今のところ無い。かつて自分たちを滅ぼそうとした人間の子孫の言うことを、そう易々と信用してくれるとも思っていない。

 ただ、何故か彼女はここに残ってくれるのでは無いかと言う予感はあった。逃げても状況が好転しないだろうというある種の打算めいたものもあったけれど、少なくとも彼女は僕をいきなり攻撃しようとはしなかった。信用とはほど遠いかも知れないけれど、僕を利用しようとはしてくれているのだと思う。今はそれで構わない。

 城に戻り、保存食などを倉庫から失敬したあと、僕は翌日の早朝を待って小屋に向かった。一抹の不安はあったが、扉を開くと昨日よりは落ち着きと元気を取り戻した様子のオクタヴィアがベッドに座って待っていた。相変わらず角を隠すためにフードをかぶってはいたが、目元は見えるように浅めにかぶっている。

 僕は彼女に食糧と、倉庫にあった衣服を渡した。男性用ではあるが、フードもついているし、何より今の汚れた着衣よりはマシだろう。僕が外に出ている間に着替えを済ませてもらい、次に本題となる歴史の解明に入る。

「これが、僕の……ファスタラント家に保存されている建国史の一部だ。君たちの一族との戦争記録がここにある」

「……私に、どうしろというの」

「君たちの知る歴史と照らし合わせたい。年号から、ある程度どの時期か推測できる?」

「……貸して」

 オクタヴィアは僕の手から本を受け取ると、ぱらぱらとめくっていく。所々読めない箇所があるようだが、およその意味は分かるらしい。最初の方のページで手を止めると、いきなり訂正が入った。

「私たちの住んでいた地域はエンドリオン一帯じゃ無いわ。元々はそれよりも北、オールドバレーよ。人間の侵攻から逃れるために山を越えてエンドリオンに移住したの」

「……最初からか」

 バトラ・レックス・サタニカはゼロス王率いる軍とレックス・サタニカとの戦いがメインではあるが、実際の話はそれよりも更に数十年遡って描かれている。その時点でレックス・サタニカはエンドリオンからやってくると書かれているが、どうやらそこから既に違うらしい。

「と言う事は、純粋に領土拡大のために侵攻したと言う事かな」

「理由は私にもはっきりとは分からない。ただ、とても激しい戦闘になった。命を落とした者はそう多くは無かったけど、街は放棄せざるを得なかったわ」

 ここまで来て、僕はまた違った違和感を覚えた。何故、彼女の話はこうも断定的なんだろう。

「まるで、見てきたように話すんだね」

「……見てきたのよ。この目で」

「……? ……あ!」

 僕は思わず声をあげてしまった。彼女の姿と最初の印象から、僕は酷い勘違いをしていた。レックス・サタニカは非常に長命で、千年の時を生きるという。それも、人間で言えば最盛期の肉体年齢……つまり十五~二十五歳程度を維持する期間が長い。

 魔物といえど、女性に年齢を聞くのは憚られる気がしたが、思い切って尋ねてみる。

「……何歳?」

「今年で四百歳よ」

「……うん。ごめんなさい」

 よく分からない謝罪の仕方に、妙な顔をするオクタヴィア。多分、彼女たちには年齢を気にするような慣習は無いのだろう。咳払いをすると、僕は改めて他の訂正箇所がないかを尋ねる。考えようによっては、彼女は本の中でしか分からない歴史の、文字通り生き証人だ。より正確な情報が手に入る可能性が高い。

 こうして、何度かのやりとりを行った後、僕はまた城へと引き上げた。あまり城を留守にするのも良くない。ただでさえ、十六歳を前にして宰相達が僕の行動を注目し始めている時期だ。目立ってここを探られるのはまずい。外出は短時間に留め、何とか彼女を城へかくまう算段を取らなければ。

 そうこうしているうちに、三日が経過した。相変わらず彼女は小屋住まいだが、特に不満を漏らしたりはしない。人間と違い、最低限の食事があれば住まいなどにはこだわりが無いらしい。

「あなたも物好きね。こんなところで私みたいな魔物の相手をするなんて」

「こんなところって、それ君が言うんだ……。それに、物好きはお互い様だろ? 君だって、未だに逃げずに僕みたいな人間の相手をしてる」

「私は機を窺っているだけよ。体力が回復したら、すぐにでも出て行くわ」

「じゃあ、僕はそれまで勝手に通い詰めることにするよ」

 でも、出来るなら場所はそろそろ城に移した方が良い。たびたび外出する僕を、宰相が怪しみ始めている節がある。使われていない離れの小屋か、最悪空いている倉庫にかくまえば何とかなるかも知れない。もちろん、彼女が黙ってついてきてくれれば、の話だけれど……。

 そんなことを考えていると、オクタヴィアがふと顔を上げた。何かを探るように辺りを見渡し、耳を澄ますような仕草をしている。僕が何事か尋ねようとすると、彼女は人差し指を唇の前に立てて「静かに」と囁くように言った。

 しばらくして、彼女はフードを出会ったときのように目深にかぶると、僕の持ってきていた保存食の袋を懐に入れて立ち上がった。僕も慌てて立ち上がり、彼女が扉の方に向かうのを引き留る。

「いきなりどうしたの? いったい何処へ……」

「馬が来るわ。それもたくさん」

「馬……まさか……!」

 悪い予感しかしない。僕はすぐさま脱いでいたコートを掴み、彼女に隠れているよう指示して扉を開いた。じっと身を潜めるという選択もあったけれど、小屋の裏手には僕の馬が止めてある。素通りはして貰えないだろう。

 外へ出ると、既に目視できる範囲にまで馬の影が迫っている。全部で十騎程度だろうか。先頭の三騎はファスタラントの旗を掲げているが、後ろの数騎は何故か隣国セカンダの旗を掲げている。合同訓練の予定などは無かったはずだ。だとすれば、あれは……。

 オクタヴィアの存在を気取られぬように、僕はすぐ扉を閉めた。平静を装って軍馬の群を迎え入れる。

 先頭はファスタラント宰相補のラヴェル。初老の男ではあるが、文武に秀で、宰相の仕事を文字通り補う実力者だ。両脇には、彼の弟子達でもある近衛兵がそれぞれついている。その後ろには、セカンダの騎馬隊が七騎。鎧の形状からは恐らく討伐隊と呼ばれる魔物専門の駆逐部隊だろう。

 背筋に冷たいものが走る。隣国の討伐隊が、こちらの宰相補に率いられて堂々と領内を歩き回るなど、異例の事態だ。その異例の事態を引き起こすほどの事が、この国で起こっているとしたら。

 宰相補は片手を揚げて全体の動きを制すると、そのまま馬を下りて僕の目の前までやって来た。王城でするように左手を胸に当てて恭しく一礼をすると、わかりやすい作り笑いで常套句を吐いた。

「これはこれは、アルシド第一皇子。ご機嫌麗しう」

「お勤めご苦労だね、ラヴェル宰相補。何やら物騒な様子だけど、何かあったのかい?」

 努めて冷静に、僕は正面から探りを入れた。回りくどいやりとりは時間を浪費させるだけだ。素早く事を済ませ、彼らをここから立ち去らせなければ。

「おお、これは失礼。第一皇子の耳には届いておりませなんだか」

「そうだね。説明してくれるかい?」

「数日前、セカンダ国王から依頼がありましてな。脱走した魔物を捉えて欲しいと」

「それは大変だね」

 脱走した魔物。最早、ほぼ確定だろう。

「ついては討伐隊の入国許可を求められましてな。手続きに時間がかかりまして、本日こうしてご案内差し上げているところでございます」

「なるほど。早く見つかると良いね」

 当たり障りの無い返答。手にはじっとりと汗をかき始めているけど、あくまで表面上は相手を気遣う振りをする。このまま馬に戻って、そのまま案内でも何でもしてくれれば良い。そう思いながら、じっと宰相補と相対する。

 だけど、次の言葉は不意打ちだった。

「いえいえ、それがもう探す必要は無いのでございますれば」

「……どういうことだい?」

 表情を変えず、僕はそれだけ返す。探す必要が無い、とはどういうことだ? 頭の中を、その言葉がぐるぐると回り始める。結論は、想像できていた。ただ、そこに辿り着きたくなかっただけで。

「第一皇子、お手柄でしたな」

「!!」

 一斉に、馬からセカンダの討伐隊が下りる。こちらが反応する間もなく小屋を取り囲み、一人が窓を打ち破って中へと侵入した。細い悲鳴が聞こえ、間もなく扉を蹴破るようにして近衛兵が出てくる。その手に、引きずるようにオクタヴィアを携えて。

 僕は思わず飛び出しそうになるのをぐっと堪え、ラヴェルを睨み付けた。

「これはどういうことだい、ラヴェル宰相補。彼女は僕の客人だ。無礼ではないか」

「おやおや、第一皇子はこの者の正体をご存じないと?」

「知っているとも。貴重な歴史の証人だ」

「ほ、歴史の証人! 上手いことを言いなさる。確かに長い歴史をその身に刻んでおりましょう」

 全く笑っていない顔で皮肉を言うラヴェル。僕はいよいよ我慢できず、彼に詰め寄った。

「彼女を解放しろ。いかに宰相補と言えど、僕の命に逆らうなら国政から降りてもらう」

「残念ですが、その命をお聞きすることは出来ませぬ。なにぶん、これは勅命であります故」

「父がこのような一方的な暴虐を許すと?」

「どのような形であれ、魔物の討伐は国益故」

 最早話を聞く気も無いらしい。僕は彼に背を向けると、オクタヴィアを拘束したままのセカンダ兵に近づいた。僕をこの国の皇子と知った兵士はやや気後れしたようだったが、流石に訓練された討伐隊が任務を放棄するようなことは無い。僕の敵意の眼差しを受けてなお、彼はオクタヴィアから手を離すどころか、その首筋に刃を突きつけこちらに対峙する。

「このような形で相見えることになった事をお許し下さい、アルシド・ディス・ファスタラント第一皇子。しかし、これも我らが特務であります。何卒ご容赦頂きますよう」

「彼女は僕の客人だ、と言ったよ。例え魔物であれ、皇子である僕が招き、もてなした客人を、他国の一介の兵士がこのように扱うのであれば、覚悟は出来ているだろうね」

 僕の言葉に、兵士は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。彼にとって魔物は魔物でしか無いだろうし、その討伐に些かの疑問も持っていないだろう。魔物が客人など、一般的に見ても狂気の沙汰に映るに違いない。しかし、それが他国の皇子となれば話は別だ。隣国の王族に無礼を働いたとなれば、彼の行く末は目に見えている。

 だけど、彼は選んだ。

「……是非もございません」

「……! やめろ!!」

 その時初めて、オクタヴィアと目があった。

 彼女は、ほんの少し、ほんの少しだけ、寂しそうに、笑った。

 彼女の言葉が、響く。

 ほら、弱いから、滅ぶのよ。

 視界が朱に染まり、鉄錆のような味が口中に広がる。

 誰かの叫び声が聞こえた。

 それが自分のものだと気付くまでに、時間がかかった。

 懐のナイフを握りしめたところで、視界が反転する。

 振動が背中から全身に伝わり、一瞬息が詰まった。

 馬のいななきが聞こえ、次々と足音が遠ざかっていく。

 最後に残った馬の上から、声が降り注いだ。

 先程の行為は不問とします。これからは無茶な行動はお控え下さいますよう。

 そして、最後の馬が、去った。

 静寂を取り戻した森の中で、僕はバラバラになりそうな体を起き上がらせる。半身を他人の血で染め上げた僕は、それを拭うこともせず、その血の持ち主の元へフラフラと歩く。跪き、彼女の体を抱える。ほんの少し軽くなった、彼女を抱える。

 もう、語ってくれる首の無い、彼女を。


「──────────────────!!」


 そして、僕は。



「……お……お逃げ下さい……王妃……ごふッ」

「…………」

 血の海に沈んだ近衛兵を睥睨し、僕は剣に付着した血を払った。ゼロス王が所持していたとされる、聖剣エクリプス。『蝕』を意味するこの剣は、皮肉にも今の僕がこれから成す出来事を体現しているようだ。

 ファスタラント王国。この、死体の山の上に築き上げられた虚飾の王国の、蝕。

「おやめなさい、アルシド! 自分が何をしているのか、分かっているの?」

「……分かっているよ、母様。僕は、十分に理解している」

 開放された窓から月明かりが差し込み、窓際に立つ母の困惑に満ちた表情を照らしている。父が執務室にいるこの時間は、母のいる寝室が最も手薄になる。身重の母に薬を運んできた近衛兵が内部にいたことは予想外だったけれど、彼もまさか僕に襲われるとは予想だにしていなかっただろう。

 銀に輝く細身の剣を携え、僕はゆっくりと母に近づいた。

「僕たちは、罰を受けなければならない。自らの繁栄のために他を殺め、潰し、その事実さえ隠匿してのうのうと生きる資格は、僕たちには無い」

 オクタヴィアのメモ。彼女が小屋にいる間、僕のために書き綴ってくれていた、数十枚に及ぶ文献の注釈。僕は改めて王城の書庫、そして王立図書館の奥底に眠る本を引きずり出し、寝食も惜しんで読みあさった。そして、それらの文献と彼女のメモを照らし合わせたとき、浮かび上がったのは想像を絶する暗黒の歴史だった。

 魔人族と呼ばれていた額に角を有する魔物達。長命だが数の少ない彼らは、種を絶やさぬ必要最低限の繁殖と、膨大な魔力に裏打ちされた強固な戦闘力をもって領土を守っていた。そんな彼らの領地に偶然迷い込んだ一人の人間が、彼らによって捕縛された事から事態は急変する。

 当時小国が乱立して紛争の絶えなかったファスタラント大陸で、一際大きな勢力を持っていたナイン王国のゼロス王は、自国民が魔人族に捕縛されたことを理由に魔人族の領土へと攻勢に出た。彼らは人間よりも体格が大きく、底知れぬ魔力を駆使した魔法戦を得意としたため、最初のうちは敗戦の一方だった。しかし、ゼロス王はそれを利用した。

 敗走しながらも彼らに攻撃を仕掛け、領外へ彼らをおびき出して最も近い人間の村まで誘導し、あたかも魔人族が人間の領土を侵してきたように周囲の国々を錯覚させたのだ。

 これにより、魔人族を人間の脅威とみなした国々がゼロス王の下に集い、反魔人族戦線が拡大した。さらにゼロス王は彼らをレックス・サタニカ、つまり悪魔の王と称することで残虐性を強調し、自分たちの侵攻の正当性を高めて彼らを蹂躙した。

 そして、追い詰めた福音の終焉の大地(エンドリオン)で、ついに彼らを滅ぼす事に成功する。

 ゼロス王は人間の勝利を、人間族の団結の勝利を演出し、それを持って大陸の覇者となった。彼らが流した血の上に、新たな王国を打ち立てた。

 それが、真実。

「いったい何を言っているの? あなたは、何を知っているというの?」

「真実だよ、母様。この国の始祖が、版図拡大のために罪も無い魔人族を謀り、虐殺してきた歴史。それを都合良くねじ曲げ、真実を隠すためにまた、罪の無い命が一つ消えた」

「……建国史ね。あなたは、その間違いを見つけた。そうね?」

「『間違い』? 全然違うよ、母様」

 僕は失笑した。あぁ、この程度なんだ。自分たちの基礎が、根源が、何処にあるかなんて事は、最早遠い歴史の果ての、他人事でしか無い。時は断絶していると錯覚し、それが今日まで続く連続した事象であると、母様ですら理解できていない。

 だから、繰り返す。愚行を。悲劇を。道理無き殺戮を。

 ならば、本当に断絶させてやれば良い。 

「これは『改竄』だ。歴史に、そして彼らに対する冒涜だよ。今更それを修正することは出来ない。だから……償いに、僕らの血を、ここで絶やしてしまおう」

 美しく閃く刃を、母の頭上に翳す。母は血族では無いが、母の中には次の血族が宿っている。このまま振り下ろせば、芽を摘み、土壌を絶やすことが出来る。次は何も知らず眠っているはずの弟、次は執務室にこもりきりの父、そして、僕自身。これで、ゼロス王の血統は完全に絶える。


「本当に、それで良いのね?」


 振り下ろそうと力を入れた腕が、止まる。今まさに殺されようとしているというのに、母の目には先程のような困惑は見られない。真っ直ぐ、力強い瞳でこちらを射貫いてくる。

「私たちが絶えても、過去は変わらないわ。でも、未来は変わる。私たちがいなくなった後、この国はどうなるの? 指導者を失った国が、まともな国でいられると思う?」

「詭弁だよ。もともと、こんな国は成り立つはずが無かったんだ」

「でも、今は存在するわ。アルシド、あなたにそれを壊す覚悟はある?」

 心の中で、何かが叫ぶ。早くしろ、これ以上時間を掛ければ、計画に支障が出る。なのに、僕の腕が動こうとしない。母の視線に射すくめられたように。

 母の言う通りかも知れない、と、別の何かが囁く。例え過ちの上に積み上げられた物だとしても、それを壊すことで未来に禍根を残すなら、それは結局今までの繰り返しになるのでは無いか。

 せめぎ合う二つの意志が、僕を縛る。だけど、僕は答えを出さなければならない。

 断ち切るための、刃。

 僕は────




→たちきる(Replicant Truth Gへ)


→ためらう(Replicant Truth Hへ)

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