無知で無力な村娘の決意 1
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それから少しだけ月日が進み――グランシェス家から迎えの馬車がやって来た。そして最後に少しだけ時間をもらえるということで、リアナは家族に別れを告げることにした。
まずは――と、アリアが眠っている部屋を訪ねた。小さな部屋の片隅。アリアは質素なベッドで眠っていた。起こすのは可哀想だと、リアナはその寝顔を眺める。
そんなリアナの気配を感じたのか、アリアがゆっくりと目を開いた。
「……お姉ちゃん?」
「アリア、調子はどう?」
「うん……今日は少し調子が良いみたい」
「そっか……良かった」
リアナはベッドサイドに膝をつき、色白なアリアの頬を撫でる。儚くて、強く触れたら壊れてしまいそう。そんな大切なアリアを、自分が護ったのだと少しだけ誇らしい気持ちになる。
「お姉ちゃん、どうかしたの? なんだか、寂しそうだよ?」
「ん、そうかな。実は、アリアにお別れを言いに来たの」
「……もしかして、このあいだ言ってたこと?」
「うん。今日お迎えが来たの」
「そっか、頑張ってきてね」
どこか誇らしげにリアナのことを見上げている。そんなアリアは本当のことを知らない。
自分の身代わりになったなんて知れば、アリアは絶対に自分を責める。そう思ったから、領主様のもとで、メイドとして働くことになったと嘘をついたのだ。
「たまには……戻ってくるよね?」
「そうだね。お休みがもらえたら、アリアに会いに来るよ。だから、それまで元気でね」
このまま話していたら、泣き出してしまいそうだ。そう思ったリアナは、必死になんでもない風を装って、アリアに最後のお別れを告げた。
アリアの部屋を後にして玄関に行くと、リアナの父と母が待っていた。
「……お父さん、お母さん。あたしを育ててくれてありがとう」
リアナは自分を育ててくれた両親に今生の別れを告げる。慰み者として召し上げられる自分に自由は、もう……ない。
もしなんらかの奇跡が起きて、お休みをいただけるようなことがあったとしても、お屋敷を離れて村まで旅をするなんて出来るはずがない。
だから、自分を愛してくれた両親の顔を、絶対に忘れないように脳裏に焼き付けた。
「リアナ……強く生きるのよ」
母親であるルーシェが、リアナを泣きそうな顔で見つめている。だから、リアナは心配を掛けないようにと、精一杯の笑顔を浮かべてみせた。
「大丈夫だよ、お母さん。あたしは絶対に負けない。リオン様に取り入って、この村にたくさん支援をしてもらうからねっ」
「まぁ……リアナったら」
ルーシェは泣き笑いのような顔を浮かべ、リアナをぎゅっと抱きしめた。
「……お母さん?」
「貴方は優しい子ね。だけど……もう十分よ。貴方を差し出した私達のことなんて気にしないで、これからは自分のことを考えて生きなさい」
「……お母さん、ありがとう」
でも……あたしは妹やお母さんお父さん、それにみんなのことが大好きだから。だから、これからもあたしは、レジック村のことを考えて生きるよ。――と心の中でだけ呟いた。
口に出してしまえば、お母さんは心配すると、そんな風に思ったからだ。
名残惜しく思いつつもルーシェの抱擁から離れた後、リアナはカイルへと向き直った。
「お父さんも、元気でね」
「……リアナ。すまない」
カイルは拳をぎゅっと握りしめ、苦渋に満ちた表情を浮かべている。だからリアナは、「もう、そんなんじゃダメだよ」と、叱りつける。
「お父さんがそんなだと、アリアが心配しちゃうでしょ。アリアのこと、任せるからね?」
「あぁ……分かっている」
「絶対、だよ。絶対、アリアの面倒を見てね」
「ああ、大丈夫だ。だから、お前はなにも心配しなくて良い」
「絶対の絶対の絶対だよ。二人でちゃんとアリアの面倒を見るんだよ! ……だから、お父さんもお母さんも、病気とかしちゃダメなんだからね?」
泣きそうな顔で微笑む。そんなリアナを見てルーシェが泣き崩れた。そして、そんなルーシェを支えたカイルが、リアナをまっすぐに見た。
「分かった。わしも、ルーシェもしっかりアリアの面倒を見る。だから、お前も風邪を引いたりしないように気をつけるんだぞ」
「……うん。お父さん、あたしのわがままを聞いてくれて、ありがとうね」
アリアは病弱であまり働くことが出来ない。対して、リアナはよく働いている。だから本当なら、アリアを差し出す方が順当だった。
それなのに、父は自分のわがままを聞いてくれた――と、リアナは感謝しているのだ。だけど、そうして微笑むリアナに、カイルはついにボロボロと泣き始めてしまった。
だけど、自分が泣いてしまえば、二人はもっと心配する。
だから――
「大好きだよ、お父さん、お母さん」
どこまでも澄み渡る空の下、リアナは透明な笑顔で今生の別れを告げた。
馬車に揺られること二日と少し。たどり着いたのは、村で育ったリアナは見たこともないほど発展した街。リアナはまるで別の世界に来たような錯覚を抱いた。
街の規模に人の数、全てがレジック村とは桁が違う。そのすさまじさに圧倒されていると、馬車は大きなお屋敷の前へと止まった。
「ここだ。屋敷の入り口まで案内してやるからついてこい」
馬車の護衛――あるいは、リアナが逃げないように見張っていた騎士が扉を開けて、馬車から降りるように促してくる。
リアナは馬車から降り立ち、騎士の案内に従ってお屋敷へと向かった。
「……凄い、こんなに大きな建物があるなんて」
連れてこられた屋敷のエントランスホール。リアナはただただ圧倒されていた。そんなリアナの前で、騎士が屋敷にいたメイドの一人に声を掛ける。
「リオン様がご所望の娘を連れてきた。引き継ぎを頼む」
「かしこまりました」
「では、俺は失礼する。嬢ちゃん、頑張れよ」
ここまで案内してくれた騎士はそう言って、屋敷から立ち去っていった。
騎士が味方だったかと問われると微妙なところだが……自分を召し上げたグランシェス家のメイドと一対一の状況に不安を抱く。
「……それでは、貴方、お名前はなんというのですか?」
「あ、あたしはリアナ。レジック村のリアナです」
「そうですか。ではリアナさん。私はマリーと申します。案内するのでついてきてください」
マリーと名乗ったメイドはこちらの返事も待たずに歩き始める。外見は整っていて綺麗だが、愛想がないメイドさんだと思いつつ、リアナは慌ててその後を追いかけた。
そうして連れてこられたのは、見たこともないほど大きくて豪華な一室だった。
「……あの、ここは?」
「ここは応接間です。後で呼びに来るので、この部屋で待っていてください」
マリーはそれだけを告げると、足早に立ち去っていった。
「……もう少し教えてくれても良いのに」
そんな風に呟き、何気なく部屋を見回す。そして初めて、部屋には自分と同じか少し年下の女の子が五人ほどいることに気がついた。
女の子達は自分と同じ境遇なのだろう。その顔は一様に暗く沈んでいる。
だけど……そんな中、リアナのことをじっと見る女の子がいた。リアナよりも明らかに年下、恐らくは妹と同じくらいの女の子。
ふわふわの金髪に、赤い瞳。物凄く綺麗だけど、どこかおどおどしている女の子は、リアナの視線に気付くと慌てて顔を伏せた。
けれど、リアナはむしろ積極的な性格で――「ねぇねぇ」とその娘の隣に移動する。
「……ソ、ソフィアになにかご用?」
不安そうな目で、リアナを見つめてくる。
「そんなに怖がらないで、少し聞きたいことがあるだけだから」
「……聞きたいこと?」
「うんうん。その前に……あたしはリアナ。レジック村のリアナだよ。貴方の名前は……って、いまソフィアって名乗ってたよね」
「……うん。ソフィアは……ソフィアだよ」
クスッと笑われてしまった。そんなに笑われるようなことを言ったかなと思ったけれど、ソフィアと名乗った女の子が緊張を解く切っ掛けになったようなので良しとする。
「それで……リアナお姉ちゃん、聞きたいことって言うのは?」
「……リアナお姉ちゃん」
村に残してきた妹のことを思い出す。アリアもソフィアと同じように弱々しい感じで、歳もちょうど同じくらい。それなのに村に残してきて……もう会えないんだと思って唇を噛んだ。
「ごめんなさい。ダメだった……?」
ソフィアが不安げに赤い瞳を揺らす。自分の態度が良くない誤解をさせてしまったと気付いたリアナは慌てて、ダメじゃないよ両手を振った。
「ちょっと、村に残してきた妹のことを思い出しただけだから」
「……妹?」
「うん。ソフィアちゃんには、兄弟はいないの?」
「えっと……お兄ちゃんとお姉ちゃんがたくさんいるよ」
「そう、なんだ……」
とても身なりが良いから、自分とは違う境遇かもとリアナは思っていたのだが……兄や姉がたくさんいて、一番下の女の子がここにいる。
やはり、口減らしに売られてきたのだろう。
もしくは……もっと込み入った事情があるのか。分からないけれど、聞いても楽しい話にならないのは確実だろう――と、リアナは話を変えることにした。
とはいえ、自分と同じ境遇の女の子では、自分と同じくなにも知らない可能性は高い。それとも、既に説明されていたりするのだろうか?
なんてことを考えていると、メイドのマリーが戻ってきてしまった。
「お待たせいたしました――と、もしかして、彼女とお話していたのですか?」
彼女――と、マリーが視線を向けたのはソフィア。
「そうですけど……なにか問題がありましたか?」
まさか、勝手におしゃべりをするなと怒られるのだろうかと不安になる。けれど、マリーはそんなリアナには応えず、ソフィアへと視線を向けた。
「……かまいませんか?」
ソフィアに問いかける。それがどういう意味なのかは分からなかったけれど、ソフィアはコクコクと頷いた。それを確認すると、マリーは再びリアナへと視線を向ける。
「それでは、ついてきてください」
「えっと……はい」
説明を求めても無駄だろうと思って、マリーに従って部屋を出る。その寸前、振り返るとソフィアがこちらを見ていたので、軽く手を振ってみる。
それに気付いたソフィアは驚いた顔をして、ばっと顔を逸らしてしまった。けれど、リアナはそんなソフィアを見て、可愛いなぁ……と少しだけ幸せな気持ちになった。
「どうかしましたか?」
「いえ、その……彼女、可愛いですよね」
思わず思っていたことを口にする。それは何気ない一言だったのだけど――
「あぁ、ソフィア様ですか」
「……ソフィア、様?」
ソフィア様。やっぱり、お金持ちの子供かなにかななのかなと考える。そんなリアナに対して、マリーは無表情を貫いた。
「なんでもありません、リアナ様」
「いやいや、あたしのこと、リアナ様なんて呼んでませんでしたよね?」
「いまちょっと、そういう気分なだけなのでお気になさらず」
「えぇ……」
どう考えてもおかしいけれど、きっと聞いちゃいけないことなんだろうと追及を諦めた。というか、マリーが足早に歩き始めたので、慌ててその後を追う。
そうして案内されたのは、小さな個室。鏡と棚だけがある良く分からない部屋だった。
「えっと……あの、ここは?」
「ここは脱衣所です。奥がお風呂になっているので、身体を清めてください」
「それって、あの……」
そういう意味なのだろうかとリアナは不安になったのだが、躊躇っているとマリーにジロリと睨まれてしまった。
「後がつかえているので早くしてください。それとも、お召し物を脱がすのを手伝わなければいけませんか?」
「い、いえ、一人で大丈夫です!」
村の子供は、男女関係なく川で水浴びをする。
リアナもそんな環境で育ったが、服を脱がされるのはそれとは訳が違う。ましてや、相手が綺麗なメイドさんともなれば、恥ずかしさは比べものにならない。
そんなリアナの内心が通じたのか否か……幸いなことに、マリーは「では、外で待っているので、上がったら出てきてください」と退出した。
それを見届けたリアナはホッと一息。思い切って服を脱ぎ捨て、お風呂場へと突入した。
「ふわぁ……凄い。凄すぎるよぉ……」
リアナの暮らしていた家の一室くらいある浴室に、脚を伸ばして入れるほどの浴槽がある。
お風呂という言葉は知っていたが、実際に見るのは初めてだ。レジック村では、川で水浴びか、桶に入った水とタオルを使って身体を拭くのがせいぜいだった。
だから、リアナは浴槽から立ち上る湯気に感動すら覚えた。
だけど、浮かれたのは一瞬だけ。
屋敷に到着して早々に、お風呂で身体を清めるように言われたのは、“そういうこと”なのだろうかと暗い気分になった。
ここでちゃんと洗わなければ、汚い娘として夜伽に選ばれなかったりするかな……? リアナはお湯に映る自分を見つめ、そんなことを考える。
だけど――リアナはぶんぶんと首を横に振った。
リアナがここに来たのは妹の幸せを願ったから。そして、身代わりになっただけじゃ、身体の弱い妹を幸せにすることは出来ない。
レジック村を豊かにして初めて、妹は幸せに暮らすことが出来る。
リアナ自身の手で、レジック村を豊かにすることはもう出来ないけれど……リオンに気に入られて、レジック村に支援するようにお願いすることは出来る。
だから、自分に出来ることを精一杯するために、リアナは身体をゴシゴシと洗い始めた。