成績優秀者を目指す無力な女の子 1
ミューレ学園の奥にある理事長室。そのふわっふわのソファに飲み込まれそうになりながら、リアナは必死に背筋を伸ばして、正面から浴びせられる視線を受け止めていた。
三角形になったエメラルドの瞳を向けてくるのは、ウェーブの掛かった銀髪の少女。リオンの姉であるクレアリディルである。
どうやら、彼女がこの学園の管理者――理事長の座についているらしい。
リオンに対しては、甘々な態度を見せていたクレアリディルだが、いまは無言でリアナを見つめている。その空気に耐えかねたリアナは「申し訳ありませんでした」と謝った。
「そうね、思いっきりやらかしてくれたわね」
許してあげるわ――なんて言われることを期待していた訳ではないのだけれど、思いっきり罪を肯定されてしまってへこむ。
そんなリアナに対して「本当にやらかしたわね」とクレアリディルは繰り返した。
「すみません。どんな罰でも受けますから、どうか退学だけは許してください」
リアナは心から、自分のおこないを反省している。たとえ相手が横暴だったとしても関係ない。ただの平民が貴族に対して暴言を吐くばかりか、灰まで投げつけたのだ。どんな罰を受けても文句は言えない――と、冷静になったリアナは理解している。
だけど、妹を幸せにするためには、レジック村を豊かにする必要がある。自分が学校に通えなくなってしまったら、村に様々な知識を届ける者が居なくなってしまう。
だから、パトリックと同じ処分だけは許して欲しいと、リアナは必死に頭を下げる。
「……リアナ。貴方は自分がなにをしたのか分かっていないようね。貴方のおこないは、自分だけじゃないわ。グランシェス家を危険にさらしているのよ」
「グ、グランシェス家を、ですか?」
そんなことは予想もしていなくて、リアナはアメジストの瞳を揺らした。
「やっぱり理解していないようね。……まず、うちが当主不在なのは知っているわね?」
「……はい。詳しくは知りませんが、当主様とその跡継ぎであるご長男が何者かに殺され、いまはリオン様とクレアリディル様が代理で管理している、と」
「その通りよ。詳しい説明は省くけど、父や兄が殺されたのは権力争いが原因なの」
「それって……貴族同士のって、ことですか?」
「そういうことになるわね」
驚きだった。リアナの暮らすレジック村でも病や事故で人が死ぬことはあった。けれど、争いによる殺人事件なんて、リアナが生まれてから一度も起きたことがない。
権力を争って人が争って殺し合うなんて、リアナにとっては想像の及ばない世界だった。
「もしかして、ロードウェル子爵家が……?」
「いいえ、そうじゃないわ。ただ……当主代理の地位に転がり込んだ弟くんを疑う声もあるし、なによりうちは当主不在で、利権やらなにやらが無防備な状態だと思われている。よその貴族につけいらせる訳には行かないのよ」
「もしかして、今回の一件がよその貴族につけいらせる切っ掛けになると言うことですか?」
「そういうことになるわね」
「そんな……」
自分のおこないが、リオン様に迷惑を掛けている。そんな風に理解して、リアナは目の前が真っ暗になるような錯覚を覚えた。
「で、でも、パトリックさんは、学生として逸脱した行為をおこなったから、退学処分になったんですよね?」
「……そうね。でも、彼が逸脱した行為に走った原因はなにかしら?」
「パトリックさんの性格の問題……じゃないですか?」
「――いいえ、違うわ。原因は、貴方と口論になったから、よ」
「それは……えっと、はい」
否定をすることは出来なかった。
「そもそも貴方は平民で、相手は貴族。しかも口論をしたのは紛れもない事実で、先に貴方が灰を投げつけたのよね?」
「……その通りです」
やはり否定することは出来なかった。リアナ自身、平民の身でありながら、貴族に対して暴挙をおこなったという自覚があるからだ。
「……もちろん、そもそもの原因が彼にあるのは分かっているわよ。でも、パトリックだけを退学にして、貴方にはお咎めなしとするのがどれだけ問題を生むか……分かるわね?」
「……はい」
もはや頷くことしか出来なかった。リオンが現れなければ、リアナは無礼討ちにされていても文句は言えなかった。なのにリアナは救われ、パトリックは退学になった。
貴族社会において異常な結果であることは明らかであるとリアナも理解した。
せめて退学だけは……と願っていたが、退学どころの話ではないかもしれない。そんな風に理解して、リアナはきゅっと唇を噛んだ。
「あたしが罰を受ければ、リオン様に迷惑を掛けずに済むんですか?」
「そこまで上手くはいかないでしょうね。だけど、貴方にパトリックよりも重い罰を与えれば、少なくとも彼を退学にしたことに対して言い訳が立つわ」
「あたしは……どうなるんですか?」
「――貴方の命を差し出してもらうわ」
リアナは息を呑んだ。
もちろん、退学よりも重い罪という時点である程度の予想はしていた。運が悪ければ奴隷として鉱山送り。数年以内には使い潰されるだろう――と。
そして、リアナに拒否権はない。ここに連れてこられたのだって、奴隷同然だと思っていた。実際にはそうじゃなかったけれど、立場的には変わらない。
だけど、それでも……
「ゆる、して……許してください」
リアナはテーブルに額を付けるほどに頭を下げた。
「……弟くんには命を差し出せないと、そういうこと?」
リアナはそうですとも、違いますとも答えられなかった。その代わり、頭を下げたまま、自分の胸の内を打ち明ける。
「あたしは……無知で無力な村娘です。だから、妹やお父さんお母さん、村のみんなを幸せに出来るのなら、自分はどうなっても良いって、そう思っていました」
だから、リアナはここに来た。
だけど――
「ミューレ学園に来て気付いたんです。無知で無力な村娘でも、ここで学べば変われる。なんの力もなかったあたしでも、妹やみんなを救うことが出来るんだって」
無知で無力な村娘に、誰かを救うことは出来ない。だからせめて、自分の身を犠牲にして、妹たちを救ってくれる人に願いを託そうと思ってここに来た。
だけど、ミューレ学園で学べば、様々な知識を身に付けることが出来る。無知で無力な村娘でしかなかった自分でも、妹が暮らすレジック村を救うことが出来るかもしれない。
それを知ってしまったから――
「だから、あたしは死にたくない。みんなのために、出来ることを頑張りたいんです。だから、どうか、許してください! あたしをこれからも学園に通わせてください!」
頭を下げて、クレアリディルの許しを請う。そうして一分、二分と、クレアリディルが許してくれるのを待ち続ける。
どれほどそうしていただろう。ようやく、クレアリディルが「頭を上げなさい」と呟いた、
その言葉に従い、リアナはおずおずと頭を上げる。そうして正面を見ると、エメラルドグリーンの瞳がリアナをじっと見つめていた。
「リアナ。最初に言っておくけど、ミューレ学園に通う生徒が貴方である必要はない。だけど、処分を受ける生徒は貴方でなくてはいけない。それは分かっているわね?」
「……はい」
「貴方を罰しないと言うことは、最低限の体裁も取り繕わない。ロードウェル子爵家に対して、喧嘩を売るにも等しい行為だわ」
「……分かっているつもりです」
「ふぅん。分かっていてそんなことを言うなんてね。貴方は自分に、それだけの価値があると思っているのかしら?」
「それは……」
リアナはミューレ学園で学び初めてまだ数週間。
リアナの首はパトリックに差し出して、あらたな生徒に勉強を教える。それがもっとも効率の良いやり方であることは想像に難くない。
ここで説得できなければ、リアナは処罰されてしまうだろう。
だから――
「いまのあたしに価値はないと思います。だけど、もしこれからもミューレ学園に通うことを許してくれるのなら、文字通り命を賭けて努力します。『あのときリアナを殺さなくて良かった』と、そう思っていただけるだけの結果を出して見せます!」
「……ただの平民である貴方が、それだけの結果を出すというの?」
クレアリディルの碧眼が、リアナをまっすぐに捕らえている。リアナは自分の心が見透かされているような錯覚を抱き、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
だけど、ここで目をそらしたら負けだと、まっすぐにクレアリディルの瞳を見つめ返す。
「ただの平民にも可能性はある。あたしは、ミューレ学園でそれを学びました!」
リアナがどれだけ努力しても結果を得られなかったのは、なんの知識もなく、結果を出す方法を知らなかったから。だけど、ミューレ学園に通っているいまは違う。
ミューレ学園で頑張れば、自分の手で村を救うことだって出来ると信じている。そして、それ以上のことだって、きっと……
「だから、お願いします。あたしにどうか、もう一度だけ機会を与えてください!」
今度は頭を下げるのではなく、挑むようにクレアリディルを見つめる。そうして、自分の意志が本物であることをクレアリディルに示した。
クレアリディルの翡翠の瞳と、リアナの紫水晶の瞳が交差する。
十秒、二十秒と沈黙が続き、ほどなく――
「……はぁ。仕方ないわね」
クレアリディルはため息をつき、ウェーブの掛かった銀髪を指で掻き上げた。その瞬間、理事長室に張り詰めていた空気が霧散してしまう。
「あの、クレアリディル様?」
「クレアお姉ちゃんで良いわよ、リアナ」
「……はい?」
いきなりすぎて意味が分からない。そもそも聞いた話だと、クレアリディルの方が一つ年下。あたしの方がお姉ちゃんですが――なんて言えるはずもなく、リアナは困惑した。
そんなリアナに対して、クレアリディルはクスクスと笑った。
「冗談よ。……今のところは、クレアで良いわ」
「いえ、あの、そんなことより」
「そんなことじゃないわ、重要なことよ」
「ええっと……では、その、クレア様。あたしの処遇はどうなるんですか?」
態度が軟化したことを考えれば、最悪の事態は免れたはずだ。けれど、クレアリディルの口から聞かなければ安心できないと視線で訴えかける。
「貴方は横暴な貴族に絡まれた被害者。だから、貴方にお咎めはないわ」
「……それは、良いんですか?」
「言いもなにも、貴方がお願いしてきたのでしょう?」
「それは……そうなんですけど」
一時は命を差し出せとまで言われたのだ。それが一転して、お咎めなしになるなんて思っていなくて反応に困る。
「ホントのことを言うと、弟くんからの指示なのよ」
「弟くんというと……リオン様、ですよね?」
「ええ。あたしの可愛い可愛い弟くんが、貴族の勝手な都合で、平民である貴方を切り捨ててはならない、ってね」
「リオン様がそんなことを」
やっぱりリオン様は優しいんだなと、颯爽と助けてくれたリオンを思い出した。
「本当は、領地を経営するには、優しいだけじゃダメなんだけど……でも、弟くんは、それも覚悟の上で、貴方のことを信じてるみたいよ」
「……どういうことですか?」
平民にも対等に接してくれる。これほど素晴らしい領主はいないとリアナは思っているのに、クレアリディルはそれだけじゃダメだと言った。
リオンを溺愛するクレアリディルの言葉とは思えなくて困惑する。
「目の前で困っている人に、迷わず手を差し伸べる弟くんは優しいわ。でも、領主にとって、その判断が正しいとは限らない。より多くの人を救うために、目の前で困ってる人を切り捨てる冷酷さだって必要なのよ」
「……それは、なんとなく分かります」
リアナとて村長の娘だ。村全体を救うために、苦悩にまみれながらも、一部を切り捨てる判断を下す父の背中を見ている。
「だから、領主としては間違ってるはず、なんだけどね。あたしもそんな弟くんに救われた身だし、弟くんとアリスは信じられないような方法で、あれこれ切り抜けちゃうから」
「ええっと……」
なんのことか分からなくて首を傾げる。
「あ――っと、ごめんなさい。貴方を助けた理由だったわね。弟くんには、貴方を罰したことにして村に帰すという選択肢もあったの。だけど、そうはしなかった。貴方はそうやって助けるだけの価値があるって、そう信じてるみたいよ」
「……リオン様が、そんな風にあたしのことを?」
「ええ。弟くんは貴方に期待してる。だけど、あたしは半信半疑。弟くんは優しいから、誰かが冷酷にならなきゃいけない。もし貴方が助けるだけの価値がないと思ったら……」
再び、クレアリディルの意志を秘めた瞳がリアナを射貫く。
その続きは聞くまでもなかった。もしリアナが結果を出さなかったら、そのときこそ迷わず切り捨てられるだろう。
そう思うには十分な圧力があった。
「……期待は裏切りません。全力でリオン様のお役に立てるように頑張ります」
「良いわ。ひとまずは……そうね。全科目の基準を達成して、成績優秀者になりなさい。そうすれば、少なくとも貴方が本気だと言うことは認めてあげる」
パトリックの件があったりと、成績はわりとギリギリのライン。だけど、リアナはもとより、成績優秀者を目指していた。だからリアナは「分かりました」と力強く頷く。
「頑張りなさい。もし弟くんの期待を裏切るようなことをしたら、パトリックに差し出すくらいはするから、心しておきなさい」
「はい、絶対に裏切りません」
決意を持って頷く。それを見たクレアリディルが、ほんの少しだけ微笑んだ。
「良い子ね。あたしからの話は以上だけど……なにか聞きたいことはあるかしら?」
「えっと……それじゃ一つだけ。パトリックさんの件は、どうなるんですか? これでもう解決、なんてことはないですよね?」
「一方的にパトリックが悪いと言う形で退学に追い込んだのだから、当然反発はしているでしょうね。そして、バックにいる侯爵家も間違いなくちょっかいを出してくるわ」
「それじゃ、あの……グランシェス伯爵家は、ピンチなんじゃないですか?」
「そうね。いますぐ全面戦争なんてことにはならないでしょうけど、ネチネチ嫌がらせをされる可能性は十分にある。誰かさんのせいで大ピンチね」
「ご、ごごっごめんなさい!」
やぶ蛇だったとペコペコと頭を下げる。そんなリアナに対して、クレアリディルが穏やかな顔で「冗談よ。本当は、貴方に感謝しているのよ。だから、謝らなくて良いわ」と言った。
「……あたしに感謝、ですか?」
「聞いたわよ。弟くんの不利になる証言をしろって言われて怒り狂ったんでしょ?」
「え、あ、その……はい」
「貴方がお金に目がくらんでパトリックに従っていたら、とても面倒なことになっていた。だから、貴方には感謝しているの。ありがとうね、リアナ」
クレアリディルがぺこりと頭を下げた。それを見てリアナはびっくりしてしまう。
「あ、頭を上げてください、クレア様。あたしはただ、リオン様があたし達のためを考えてくれているって分かったから。だから、当然のことをしただけです」
「……そう。弟くんの貴方達に対する行動が、弟くんを救ったという訳ね。だとすれば、弟くんの考えが正しかったってこと、なのかしらね」
どこか誇らしげに微笑む。
その表情から、どれだけリオンのことを大切にしているかが良く分かる。妹を大切にしているリアナは、クレアリディルに対して共感を覚えた。
「クレア様、あたし、頑張ります! 頑張って、レジック村を豊かにして、そしてリオン様やクレア様、みんなのお役に立てるようになって見せます!」
「ええ。楽しみにしているわね、リアナ」
「――はいっ!」
こうしてパトリックとのいざこざに対する処罰を免れたリアナは、自分を庇ってくれたリオンが正しかったのだと証明するために、成績優秀者を目指すこととなった。
しばらくは一日一回のペースで投稿していきます。





