無知で無力な生徒は、授業で苦戦する 5
お茶会の翌日。教室は騒然となっていた。
朝のホームルームの席で、ミリィ先生の口から、二週間ほどしたらパトリック――つまりは貴族の息子が編入すると聞かされたからだ。
いくらリオン達が優しくても、それは例外中の例外。貴族が本来横暴であるという認識は消えていない。だから、生徒達が抱いたのは不安。
とはいえ、衣食住すべての面倒を見てもらっている子供達に、嫌だなんて言う資格は――あるいはあるのかもしれないが、口にすることの出来た者は一人もいない。表面上、パトリックの編入は問題なく決定し、それまでのあいだに生徒達の礼儀作法を優先することが決まった。
――そして、あっという間に二週間が過ぎ、朝のホームルーム。ミリィ先生の横に、パトリック。そしてその更に横には見知らぬ男が控えていた。
「俺はパトリック様の従者であるベイルだ。これより、お前達下賤な平民に、パトリック様がありがたいお言葉をくださる。心して聞くように」
「ふん。……俺がパトリック。パトリック・ロードウェルだ。今日から無知なお前達に、あれこれ教えてやるから感謝するように」
いきなり意味が分からなかった。同じ生徒として編入してきたはずなのに、教えてやるとは一体どういうことなのか。
戸惑っているのはリアナだけではなく、教室全体がざわめいている。
そんな反応が気に入らなかったのか、パトリックの顔が不機嫌な色を帯びる。だけど、彼が口を開く寸前、パンパンと手を叩く音が響いた。
「皆さん静かにしなさい。いまはホームルームの時間ですよ」
ミリィが一喝、教室に静寂が戻った。それに対し、パトリックが満足げな顔をした。そんなパトリックに対し、ミリィが微笑みを向ける。
見る者を魅了するような優しげな微笑み。ミリィは生徒達に、パトリックを決して怒らせてはいけませんと、口を酸っぱくして言っていた。
だから、ここでも取りなすのだと、誰もが思ったのだが――
「貴方も貴方です。貴方はここに勉強に来たのなら、さっきの挨拶はおかしいでしょう。よろしくお願いしますと言うべきではないですか、パトリックさん」
笑顔なミリィの口から発せられた言葉は、どう考えても取りなしていない。いや、それどころか、パトリックに喧嘩を売っていると言っても過言ではない。
生徒達はぎょっとした顔をして、パトリックは顔を引きつらせた。
「貴様……誰に向かってそのような口を利いている!」
激昂したパトリックが、ミリィの胸もとを掴んだ。それを見たリアナ達は悲鳴を上げたのだが、ミリィは涼しい顔で平然としている。
「貴方こそ、先生に向かってそのような態度、許されると思っているのですか? 貴方はこの学校内においては貴族ではなく、ただの生徒でしかありませんよ」
「なんだと!?」
「取り決めにあったはずです。それとも、その程度のことも忘れてしまったのですか?」
「貴様……っ」
ミリィの胸もとを締め上げるパトリックの手が怒りで震えている。どうしよう、どうしたら良いんだろうと、リアナはパニックになった。
だけど――
「心配しなくて大丈夫だよ。もしものときは助けに入るから」
リアナの隣の席に座っていた女の子がぽつりと呟いた。その声を聞いて隣の席に視線を向けたリアナはぎょっとした。横に座っているのが制服姿のアリスティアだったからだ。
「ア、アリス先生が――」
どうしてと口にするより先に、大きな声を出さないでとジェスチャーで遮られてしまった。それを見たリアナは慌てて声のトーンを落とす。
「……アリス先生、なにをしてるんですか?」
「もしものとき飛び出せるように見張ってるんだよ」
「それだったら、早く止めてください……っ!」
いまも教卓の横では、ミリィとパトリックのにらみ合いが続いている。状況は緊迫していて、いつ殴られるか分からないと小声で訴えかける。
精霊魔術の使い手で、剣術の先生でもある、アリスティアなら止められると思っての判断。だが、アリスティアはミリィ達に視線を向けながらも、首を横に振った。
「彼が入学の際に結んだ契約に、生徒としての領分を守るというものがあるの。学校の関係者に手を出せば、退学にすることが出来る。逆に言えば、それを破らないと対応できない」
「……まさか、そのために?」
いまにして思えば、ミリィの対応はらしくなかった。でも、それがパトリックを怒らせて、自分に暴力を振るわせるためだとしたら納得がいく。
――と、そこまで考えたリアナは、一つの推論に至った。
「リオン様の指示……なんですか?」
自分とあまり歳の変わらない女の子に、殴られるように仕向けさせた。
領民達を護ると言いながら、自分のメイドに犠牲を強いる。それがリオンのやり方なのかと、リアナは少しだけ嫌な気持ちになった。
けれど――
「リオンは優しすぎるからね。良くも悪くも、そういう決断はしないよ。だから、今回のことを言い出したのは彼女自身なの。生徒に被害が及ぶ前に……って」
「そんな……っ」
リアナは驚いて、パトリックに詰め寄られているミリィを見る。
貴族に詰め寄られて凄く恐いはずなのに、ミリィは視線を逸らすことなく視線を受け止めている。その行動は、リアナ達生徒を護るためだという。
リアナの目には、ミリィが凄くかっこよく見えた。
「……でも、パトリックもさすがにそこまで馬鹿じゃない……もしくは、従者が手綱を握ってるのかな。今回は失敗、みたいだね」
アリスティアが呟く。それとほぼ同時、パトリックがミリィから手を放した。どうやら、怒りにまかせて殴るほど直情的ではなかったらしい。
――そうして、パトリックがクラスメイトに加わった。
パトリックとその従者は、下手に手を出せば学園から追い出されると理解しているのだろう。編入して数日、横暴な口を利くことはあっても、誰かに暴力を振るうことはなかった。
けれど、それなら問題ないと言うこともなく――リアナはほとほと弱り果てていた。
切っ掛けは、ソフィアが言い寄られて困っているのを助けたこと。そのときに「む? お前は、あのときのかわ――生意気な娘だな!」とロックオンされてしまったのだ。
リアナがソフィアを庇っているうちに、ソフィアが話しかけられる機会は極端に減った。けれど、その代償として――
「ふっ、リアナは歴史が苦手なようだな。どれ、分からないことがあれば俺が教えてやろう」
歴史の授業。生徒はどの席に座るのも自由なのだが――パトリックはなぜかリアナの隣に座り、授業中だというのにあれこれ因縁を付けてくる。
リアナはそんな嫌がらせを全力で無視した。
「む、なぜ答えない。俺がせっかく教えてやると言っているのだぞ?」
「すみませんが、ノートを取っているので」
あたしは真面目に勉強するんだから邪魔しないで! そう叫びたい衝動に駆られながらも、先生が黒板に書いたことを黙々とノートに書き写していく。
「なにを言う。授業の内容などより、俺の話の方が――」
「そこ、私語は慎みなさい」
歴史の先生であるライリーが助け船を出してくれる。教師とことを構えるのはよろしくない。パトリックはそう思っているようで、その場は大人しくなる。
けれど――
「ふん、リアナ。お前はさっきの授業、ほとんど理解できなかったのだろう? どうだ、お前がお願いしますというのなら、この俺が親切にも教えてやっても良いぞ」
なんて嫌味から始まり――
「おい、そこのお前! 貴族である俺の前を横切るなど礼儀を知らぬのか! 普通なら、無礼討ちにされてもおかしくはないぞ! ……どうだ、リアナ。俺は優しいだろう?」
などなど、リアナの前で、自分が特権階級であることをひけらかしてくる。
パトリックにまとわりつかれているせいで勉強ははかどらず、それに対してパトリックがあれこれ口を出してくる。そんな悪循環。
リアナが集中攻撃を受けているおかげで、今のところソフィアに被害はない。その点だけは不幸中の幸いと言えるが……リアナのストレスは限界に達しようとしていた。
そんなある日の放課後、リアナが学生寮の足湯でぐったりとしていた。
同席しているのはソフィアとティナ。学生寮は女子寮という訳ではないそうなのだが、パトリックはグランシェス家の旧お屋敷に滞在しており、学生寮にまではやってこない。
放課後だけが、リアナにとって安らげる時間だった。
「リアナお姉ちゃん……大丈夫?」
隣に座っているソフィアが、おずおずと問いかけてきた。
「ソフィアちゃん……えっと、大丈夫、だよ」
嘘だ。ソフィアに責任を感じさせたくなくて、反射的にそんな風に答えただけだ。けれど、テーブルに突っ伏しながらでは説得力がなかったのだろう。
「ごめんね。ソフィアのせいで。本当は、ソフィアがなんとかしなくちゃいけないって、分かってるんだけど……ごめんなさい」
ソフィアがいまにも泣きそうな声を零す。それに気付き、リアナは飛び起きた。
「ソフィアちゃん、そんな顔をしなくて良いんだよ。悪いのはパトリックさんで、ソフィアちゃんじゃないんだから」
「でも……パトリックさんが来たのは、ソフィアのせいだから……」
ソフィアの紅い瞳が潤んでいく。リアナは「ホントのホントにソフィアちゃんは悪くないよ。ね、そうだよね!」とティナに助けを求めた。
「うん、そうだね。私もそう思うよ」
「だよね!」
相づちを打って、だからソフィアちゃんは悪くないんだよ! と、リアナはソフィアを元気づけようとしたのだが、それよりはやく、ティナが「それに――」と続けた。
「あの人、最近はリアナのことを狙ってるみたいだし」
「……上手いこと言わないで、シャレになってないから」
リアナは思わずため息をこぼす。
パトリックがソフィアを狙っているのは婚約者として。だけど、リアナを狙っているのは、生意気な小娘に嫌がらせをするためだ。
狙うという意味では同じだけれど、根本的な意味がまるで違う――という意味で、さきほどの反応となったのだが、ティナは不思議そうに首を傾げた。
「上手いことって……どういうこと?」
「え、だから……」
自分の解釈を語って聞かせると、思いっきり呆れた顔で見られてしまった。ティナの黒い瞳が、なにやら三角形になっている。
「……えっと、なに、その顔は」
「呆れたって顔だよ?」
「それじゃ見たまんまだよ……」
実際に呆れられていると確定したけれど、なぜ呆れられているかが分からない。なにか呆れられるようなことを言ったかなぁと、リアナは頬に指を当てた。
「自覚なかったんだね。パトリックさん、どう考えてもリアナに気があるよ」
「…………………………はい?」
たっぷり十秒くらい考えてから、なにを言われているか理解して「そんな訳ないじゃない。あたしが、いつも嫌がらせされてるの知ってるでしょ?」とため息をついた。
「嫌がらせって言うか……村のいじめっ子が、好きな子に嫌がらせしちゃう感覚だと思うよ」
「さすがにそれは、パトリックさんのこと馬鹿にしすぎじゃないかなぁ。そもそも、あの人は、ソフィアちゃんをお嫁さんにするために来たんでしょ?」
「なにも、リアナは正妻にしようとしてるとは言ってないよ。ただ、お妾さんとか、愛人とか、色々あるじゃない?」
「……それはまぁ、そうかもしれないけど」
リアナの村にも、好きな子にイジワルしちゃうような男の子はいた。
けれど、パトリックは仮にも子爵家の息子だ。いくらなんでも、村のイジワルな男の子と同じ発想なんてありえないと呆れる。
わりと鈍感なリアナであった。
「……あの、ソフィアも、ティナお姉ちゃんと、同意見、だよ?」
「ソフィアちゃんまで……ティナが相手だったらまだ分かるけど。あたしだよ? あたしみたいな野暮ったい女の子をわざわざ妾にしようだなんてあるはずないよ」
リアナはきっぱりと言い切って話を終わらせようとする。だけど、ティナとソフィアは顔を見合わせて、やっぱり呆れた表情を浮かべる。
「リアナ、気付いてなかったんだね」
「……気付いてないって、なにが?」
「いまのリアナ、すっごく綺麗だよ?」
「うんうん、ソフィアもそう思う」
ミューレ学園の美少女代表と言っても過言ではない。そんな二人に褒められ、リアナは思わず目をジト目になる。
「二人に言われると、嫌味にしか聞こえないんだけど……」
「嫌味じゃないよ。と言うか、ライリー先生にも気に入られてるじゃない」
「あの先生は熱血なだけだと思うけど……」
「あはは、ホントに気付いてないんだね。後で、鏡を見ると良いよ。私の言ってること、分かると思うから」
リアナは理解できないと首を傾げる。
けれど、これに関してはティナの言い分が正しい。リアナは村にいた頃から周囲の男の子にも好かれていた。リアナの気さくな性格は、周囲の男を惹きつけるのだ。
ただ、たしかにここに来たときのリアナは、ソフィアやティナより格段に劣っていたのも事実だ。けどそれは下地が問題なのではない。髪や肌の艶。それに雰囲気や装いが原因。
ようするに、学生寮にはまだ開発されたばかりのシャンプーやリンス。それに石鹸があり、シンプルながらも洗練されたデザインの洋服がある。そんな学生寮で暮らすリアナは、この世界でもトップクラスの垢抜けた女の子になりつつある。
もっとも――
「もぅ、二人ともそんな風にからかって。パトリックさんに絡まれるの、ホントに迷惑してるんだからね?」
ちょっとふくれっ面のリアナは可愛い――ではなく、まったく自覚がないようだ。それを指摘するかどうか、ティナ達は迷ったようだが、結局その機会は失われてしまった。
「そうですか、迷惑でしたか」
リアナの真後ろに、いつの間にかミリィが立っていたからだ。
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