プロローグ
「嘘、だよね……」
否定して欲しい一心で、リアナは縋るように問いかける。
けれど、父であるカイルは静かに首を横に振った。先ほど聞かされたことが逃れようのない事実なのだと理解させられ、リアナは膝からくずおれた。
そうして、どうしてこんなことになってしまったのだろう――と空を見上げる。雲一つない空はまるで、なにも知らずに生きてきたリアナをあざ笑っているかのようだった。
リアナが暮らしているのは、王都の南に位置するグランシェス伯爵領。その片隅にあるレジック村という小さな村だ。
特産品などはないが、戦争も長らく起きていない。穏やかで平和な土地。村長の娘であるリアナは、大切な妹や両親、それに家族同然の村人達とともに静かな生活を送っていた。
そして、いつかは村の誰かをお婿さんにもらって、家族みんなで村を盛り立てていくのだと、そんな風に思っていた。
だけど――
ある日、深刻な顔をした父親に呼び出され、不意に告げられたのだ。「次の収穫も不作なら、アリアを口減らしに売らなくてはいけない」――と。
アリアとは、リアナの大切な妹。そんなアリアが口減らしに売られるなんてあってはならない。だから「嘘、だよね……」と問いかけたのだが――
「残念だが事実だ。年々収穫量が減っていたところへの、伝染病による働き手の減少。いまは村全体で助け合っているが……それも限界に近い」
「じゃ、じゃあ、領主様に助けを求めるとか!」
伝染病の対処法を授けてくれた領主。もし領主のおふれがなければ、リアナは恐ろしい伝染病のキャリアとして殺されるところだった。
そして、その対処法を発見したのが、領主の跡継ぎである長男。
リアナにとっては命の恩人で憧れの存在。そんな領主様方に頼めば、きっとなんとかしてくれるはずだと期待したのだが、カイルは力なく頭を振った。
「リアナには言っていなかったな。領主様と跡継ぎである長男は何者かに殺されたのだ」
「……え、なにそれ。悪い冗談、だよね?」
「残念だが、事実だそうだ」
「なら、いまのグランシェス伯爵領は誰が治めているの?」
「分からん。領主様のお手つきになったメイドの子が頑張っているとの噂もあるが……リアナと同じくらいの年齢のはずだ。とても支援を期待することは出来ないだろう」
「そんな。それじゃ……本当に?」
「残念だが……次の収穫で実りが改善されなければ、な。リアナにはすまないと思うが……いまのうちに覚悟を決めておいてくれ」
覚悟――つまりは、妹が売り飛ばすのを受け入れろと言うこと。
小さい頃から身体が弱くて、リアナがずっと面倒を見続けていた。それこそ、目に入れても痛くないほどに可愛い妹。
父が苦渋の決断をしたことは理解しているが、到底受け入れられるはずがなかった。
「……ねぇ、お父さん。次の収穫で改善されなかったら……ってことは、次の収穫が豊作になれば、アリアは売られなくて済むんだよね?」
「気持ちは分かるが……収穫量が下がりはじめたのはいまに始まったことではない。だから、都合良く、次の収穫が豊作になるなどと考えない方が良い」
「――それでも、改善されれば、アリアを助けられるんでしょ?」
父のセリフを遮り、重要なことなのだと確認をする。それに対してリアナの父――カイルは渋面に満ちた顔をした。
「もちろん、その通りだ。……だが、いままでに誰もそれを考えなかったと思うのか? わしも、どうやればこの状況を改善できるか何度も考えた。だが……結果は見ての通りだ」
「いままでは、たまたまダメだっただけ。もう一度頑張れば、なんとか出来るかもしれないじゃない! やってみないと分からないよ!」
「気持ちは分かるが……リアナ、お前もしょせんはただの村娘。どれだけ頑張ろうと、世の流れに逆らうことは出来ない。……辛い思いをするだけかもしれんぞ?」
カイルは辛そうな顔をしている。
恐らくは、そうして辛い思いをしたのはカイル自身ということなのだろう。だから、娘のリアナにはそんな思いをさせたくないという親心。
リアナはそんな父親の気持ちに気付いてはいたが、それでも諦めようとは思わなかった。
「お願いだから、あたしにやらせて。やらずに諦めるなんて出来ないから」
「……しかし、対応が後手に回れば、それだけ状況が悪化するかもしれん。そのときは……」
「そのときは、あたしを口減らしに売ってくれてかまわないよ!」
妹を見捨てるよりはずっとマシだと、リアナは叫んだ。それに対してカイルはとても悲しそうな顔をした。
「……お前は、わしに娘を二人とも失えというのか?」
「そうならないために頑張るんだよ」
無言で視線を交わす。やがて、カイルが深いため息をついた。
「……分かった。お前がそこまで言うのなら、次の収穫までは意地でもなんとかしよう。お前も、普段の農作業はちゃんとするんだぞ?」
「うん、分かってる。ありがとうお父さん。必ず、アリアを救ってみせるから!」
奇跡は待っていても訪れない。
だったら、自分の手で奇跡を掴み取ってみせると決意した。村長の娘として幸せな日々を過ごしていたリアナは、頑張れば出来ないことはないのだと信じていたから。
だけど……
――月日は巡り、実りの季節。
リアナは、自分が無知で無力な村娘でしかなく、世の中には努力だけじゃどうにもならないことがたくさんあるのだと思い知らされていた。
どれだけ頑張っても状況は改善されず、不作の原因も分からなかったのだ。
「……リアナ、もう十分だろう。お前は、十分に頑張った」
例年と変わらない。いや、もしかしたら例年よりも落ち込んでいる。そんな小麦畑を前で茫然自失となっていたリアナに、父のカイルが話しかけてきた。
「おとう、さん……あたし、悔しいよ」
リアナはポロポロと涙をこぼした。
この数ヶ月、リアナは凄く頑張った。凄く凄く頑張った。誰よりも農作業をこなして、寝る間も惜しんで、作物の育ちが良くなる方法を探し続けた。
この数ヶ月は、他の誰にも負けないほどに頑張ったと胸を張って言える。
なのに……希望の兆しを見いだすことすら出来なかった。それどころか、家族と過ごす時間まで削って、身体の弱い妹に寂しい思いをさせてしまった。
あたしはなにをしていたんだろう――と、リアナは空を見上げた。決意をしたあの日と変わらぬ青空は、無知で無力なリアナをあざ笑っているかのように見えた。
「……リアナに、言わなくてはならないことがある」
「――っ」
リアナはびくりと身を震わせた。妹を口減らしに売る話だと思ったからだ。そしてそれは正しく――だけど、少しだけ違っていた。
「実は領主様のご息女であるクレアリディル様が頑張ってくださっているようでな。貧困に喘いでいる村々に食糧を支援してくださるそうだ」
「え、それじゃ――っ」
アリアは売られなくて済むのねと、続けることは出来なかった。リアナを見る父の顔に浮かぶのが、あの日と変わらぬ苦渋に満ちた表情だったからだ。
「……どうしてそんな顔をするの? 食糧を支援してもらえるのなら、口減らしをする必要がなくなるはずでしょ?」
「そうだ。口減らしをする必要はなくなった。ただ……食糧支援と同時に、同じ年頃の子供を差し出すようにとお達しがあったのだ」
「え、それって、どういう……」
酷く嫌な予感がする。そして、こんなときのリアナの予感は良く当たる。だから、聞きたくないと後ずさったが……カイルはそんなリアナに向かって続きを口にしてしまう。
「クレアリディル様は、弟のリオン様を溺愛しているそうだ。そしてそのリオン様が、自分と同じ年頃の子供を集めたいと言い出したそうだ」
「その、リオン様というのは……どんな人なの?」
「正直……あまり良い噂を聞かない。むしろ悪い噂ばかり聞く。だから、恐らくはリアナが考えているとおり、リオン様の慰み者にするために、娘を差し出せと言っているのだろう」
「……そんな。なんとか、なんとか出来ないの?」
「強制ではないそうだが……普通に考えて、断れば食糧支援は得られないだろう。そして食糧支援がなければ、多くの子供を口減らしに売ることになる」
つまりは、領主の子息の慰み者に差し出すか、奴隷として売り払うか。領主の子息に差し出せば慰み者にされるのは確実だが、少なくとも食うには困らないだろう。
一方、奴隷は引き取る相手によって大きく変わってくる。
「……どっちが、マシなのかな」
「考えるまでもない。口減らしをしても食糧難は変わらんが、支援を受ければ多くの者が助かるのだからな」
「じゃあ……お父さんは支援を受けるつもりなの?」
「うむ。差し出す子供は一人でも良いとのことだし、選択の余地はないだろう」
「……一人だけ?」
リアナはわずかな希望を抱いてカイルを見上げる。
「分かっているとは思うが、わしは村長として……」
「うん、それは分かってるよ」
カイルはとても正義感の強い人間だ。村の代表として、誰か一人が犠牲にならなければいけないというのなら、まずは自分を犠牲にするような人間だ。だから、村の娘を差し出せと言われれば、カイルは涙を呑んで、自分の娘を最初に差し出すのは分かっていた。
寂しいと思うと同時に、正義感の強い父のことを誇りに思っていた。リアナはカイルの娘で、しっかりと正義感の強さ引き継いでいる。
だから――
「あたしが行くよ」
大切な妹や村のみんなを守るために、リアナは自らの意志で名乗りを上げた。
それは、無知で無力な村娘の自己犠牲。
けれど、リアナはたしかに、自分の意志でなにかを変えようとした。せめて自分に出来ることを――と、自らの意志で動いたのだ。
そうして待ち受けるのは、領主の慰み者になるという未来。無知で無力な村娘がどれだけ抗おうと、世界はなにも変わらない――と、このときは誰もが思っていた。
――しかし、リアナは後にグランシェス家の養子となり、世界に革命をもたらした賢者の一人として数えられることとなる。
彼女がその地位にまで成り上がったのは運が良かったから。運良くリオンに拾われたから、賢者と呼ばれるに至ったのだという者もいる。
――けれど、後の歴史家はこう語る。
彼女が、歴史に名を残すまでに至ったのは、ただ運が良かったからではない。彼女は自分が無知で無力な村娘であることを認め、それでも足掻き続けた。
だからこそ、リアナは賢者と呼ばれるまでに至ったのだ――と。
真実は定かではない。
けれど、一つだけ分かっていることもある。それは、リアナが自らの意志で前に進んだという事実。リアナの成り上がりの物語は、いまこの瞬間より始まったのだ。
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