53 勇者の嫁は別れを告げ、そして未来へ歩き出す
荊のつるがはらりと落ちる。
―――あっけない終わりだったな。
初めにそんなふうに思った。
あたしが死と引き換えにしても終わらせられなかったことが、こんなあっさり片付くなんて。
自嘲すら浮かんでくる。
それも道理かな。あの時のあたしは全部一人でやろうとした。できると思ってた。そんなわけないのにね。
独りじゃなく、みんなと力を合わせてれば。誰も犠牲になることなくハッピーエンドで完結してた。
それこそが正解だっただろうに。
お妃様―――伯母様は誰もいなくなった空間を眺めながらつぶやいた。
「……消えたわ」
ただ、その一言。
あたしは短く答えた。
「ええ。たぶん、この世界から永遠に」
それは確信があった。
「重い……重いものを自らに課したんでしょう。どこへ行ったか分からないけれど」
伯母様はゆっくりあたしを振り返る。
「……あれは魂すら完全消滅させる魔法ではなかったわ。ということは、あなたたちが来た……元の世界へ帰ったということかしら?」
「おそらく違います」
否定したのはクラウスだ。
「あれは転移魔法じゃありません」
使えるクラウスが言うならやっぱりそうなんだろう。
「そう……。なら、さらに別の世界へ行ったということかしら? そんなの、ていのいい逃亡じゃない……!」
伯母様はこぶしを握り締め、憎しみをこめて言い放った。
…………。
「でも自ら幕を引いたということは、ようやく罪を自覚して悔いたのかしら?」
「だったらいいんですけどね」
あたしは皮肉気に、
「なにしろすでに一度後悔しながら、結局繰り返してるんで。前科があるだけに信じられないのが悲しいとこですね」
残念ながらあたしはどうしても信じられない。
……我ながら悲しいなぁ。
伯母様はハッとしたように、
「そうだったわね……ごめんね」
「いえ、別に。とはいえ、これまで反抗したことのなかったママがパパに抵抗したのは大きな変化ですよ。今さら遅い気もしますが。あの二人が出会うことも未来永劫ないでしょうしね」
なんとなく分かる。
「あの二人がどこへ行ったか、これからどうなるのか。知りようもないし知りたくもない。なんにせよ―――……もういいんです」
あたしが手を下していたら、きっと心にしこりが残っただろう。覚悟の上でも。
ネオ―――クラウスにもやらせるわけにはいかなかった。
たぶんそれに気付いて、ママはDVという恐怖で押さえつけられていたものからようやく脱し、重い腰を上げたんだろう。せめてもの償いにと。
パパが最後どこか安堵して受け入れたのも……。
あたしは首を振った。
……信じてもまた裏切られるだけかもしれないよ。
ただ、こういう結末を迎えたことで安堵してるのも事実だった。
クラウスが言う。
「方法は分からないが、二度と繰り返さないよう何らかの措置を講じたんだろ。例えば転生しても今度は初めから全部の記憶を持ってるとか」
一部記憶を残したために、地球で習った知識を自分でゼロから生み出したと勘違いし増長した。ならば最初からそうでないと分かっているように、ってことね。
複数の人生の記憶を持ってる。それはかなりの負担だ。アイデンティティも混乱するだろう。
「そもそも人間でないかもしれない。強い生物だと繰り返す恐れがあるから、弱い生物とかな」
人間という強い種の記憶を持ちながら、しかも失敗経験を覚えていながら、弱い生き物として生きなければならない? ずいぶん重い罰だ。
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。まぁ……分からないままでいいよ」
あたしはそっけないともとれる声で言った。
伯母様は再び残った荊の残骸に目を向ける。
「なぜ……完全に消滅することを選ばなかったの」
唇をかみしめ、声を絞り出す。
「二度と繰り返さないためなら、そうするのが確実だわ。それを。結局自分が消えるのが恐かったんじゃない」
「かもしれませんね。でもそれを自覚してたからこそか……それとも、生きて罪を償い続けるほうが重いと悟ったか。完全消滅だって一つの逃亡でしょう。何もなくなるということは、何もしなくていいともいえます」
「……あ! そうね、そういう考え方もできるわね。自分の存在がなくなる代わりに、苦しむこともなく、罪を償うために何かする必要もなくなる。そんなの許せない。ずっとずっと苦しみ続ければいい……!」
邪気を発しそうになる伯母様を止めようと、冷静に続けた。
「それで呪詛まがいのものを自らに施したんでしょう」
「―――え? 呪詛?」
「ええ。あれは呪詛の域ですね。自分たちでも己を信用せず、そこまでの防止措置を取ったなんて空しいですよね」
未来永劫出会うことがないように。二度と驕って暴走しないように自らを呪っていた。
永遠に幸せになれないよう刻み付けているみたいだった。
会わないようにする対象にあたしも入ってるため、二人がどこへ行ったのか知ることはできない。知りたいとも思わない。
「彼らは結局本当の意味で改心することはなかったのか、あるいは口走ってたように分かっていても止めることができなかったのか。……後者だとしても、たくさんの人の命を奪い、傷つけたことは許されません。罪は償わねばならない」
ここにいる死霊たちも納得しないだろう。罪を犯して罰せられないでおくわけにはいかない。
伯母様は不思議そうにきいた。
「カレンちゃん。あなたはこの結末で納得してるの?」
…………。
あたしは沈黙した。
してるわけがない。完全には。
でもよかったと思うのも本心。あたしたちの誰かじゃなく自分たちで幕を引いてくれたことで、重荷を降ろせたような感じもする。
正直に答えた。
「納得はしてません。言いたいことはたくさんあるし、まだまだ足りない。これであたしが過去受けたことが消えるわけでもない。けど、これで一つのケリがついたことも確かで―――……。……もう、終わりにしましょう」
終わりにしたい。
それが望みだ。
彼らがいた空間へ向けて別れを告げた。
「さよなら。パパ、ママ」
この呼び方をするのもこれで最後。
さようなら。
☆
伯母様はしばし沈黙し、やがてうなずいた。
「……最大の犠牲者であるあなたが決めたなら従うわ。……残るはこの子ね」
ゆっくりと娘を振り返る。
「ひいっ」
『招かれざる魔女』はべそをかいて震えた。
「や、やだよぉ、おかあさま。わたしはなにもわるくないもんっ」
「……悪いことをしたのだという自覚すらないのね。善悪の区別がつかないからって、多くの人を苦しめても罪に問われないわけじゃないのよ。―――母として、今度こそ私が片を付ける」
『招かれざる魔女』は子どものように泣きじゃくった。
「うわあああん! こわいようやだよう、ごめんなさい!」
伯母様もカッとなって叫んだ。
「泣けば許されると思ってるの? あなたはそれだけのことをしたのよ。私はあなたを生んだ直後に殺され、正しいことを教えてやれなかった。それはあの男に騙されたからだわ。私も悪かったの。よって、責任を取らなきゃ」
「なぐらないでごめんなさい、いい子にします、がんばります、だからゆるしてください!」
地に伏せて哀願するさまはいっそ哀れだ。
過去のあたしを思い出す。
あたしは手を挙げた。
「伯母様。あたしに任せてくれませんか」
「いいえ! 私は親として、やらねばならないの」
「あたしが元・実の親にやろうとしてたら止めてたじゃないですか」
伯母様はつまった。
「それは、その……」
やっぱりお腹を痛めて生んだ子に引導を渡したくはなかったんだろう。迷った挙句にうなずいた。
「……分かったわ」
それでいい。
あたしは異母妹に向き直った。
「神名」
今更ながら知ることができた名を呼ぶ。
親の野望と妄執でつけられた名前。……子供の名前は親の玩具じゃないのにね。
「無罪放免てわけにはいかないよ。そう仕向けたり命じたのは父親でも、実行したのはあなただから」
教唆した人物だけでなく実行犯も罪に問われるのは当然だ。
荊に縛られたままのカンナの目から一筋の涙がこぼれた。
「わた……わたしは、パパに愛されたかったの……」
「―――分かるよ」
静かに答える。
あたしもかつてはそうだった。
異母妹はしゃくりあげながら話す。
「ママ、は、わたしが生まれてすぐにこ、殺され、て、吸収された。最初は知らなか、た。知ったのは、パパが得意げ、にしゃべったから。そんなパパに恐、くなったの。わ、わたしも言うこときかなかったら殺、されるって……!」
「だろうね。あたしって前例がある」
さらっと肯定した。
「実の子でも容赦しないでしょ。というかまぁあなたは、誕生直後にすでに禁術で魔族に作りかえられててとっくに死んでるんだけどね。機嫌損ねたら吸収されるか乗っ取られるってほうが正しいんじゃないかな。自分の身を守るために言うなりになったことは責められないけど……あたしもそうだったから」
異母妹は初めて気づいたらしい。
「……あんたも?」
「むしろ気づいてなかったほうがびっくりだね。ただしあたしは手先となって人に迷惑かけるんじゃなく、ひっそり消えることを選んだって違いはある。あなたは他者を犠牲にしても親の望みをかなえ続けようと協力し、被害を拡大させた」
「だ、だって……! そうでなきゃ、わたしがやられるんだもん!」
「でもさ、自分が助かりたいために人を殺しちゃいけないよ」
ごく当たり前のことを教える。
こんなことすら、この子には教えてくれる人がいなかった。
異母妹は逆上して叫んだ。
「なによ、じゃああんたのしたことのほうが正しかったっていうの? わたしにも死ねばよかったっていうの?!」
「……ううん。あたしの選択も間違ってた」
冷静に認めるあたしに、異母妹はたじろいだ。
自分の失敗を認めるのは悔しいよね、恐いよね。自分を否定された気になるよね。だけど過ちを認めなければ何も始まらない。
「できる限りの手段で何度も外部に助けを求めたのに誰も助けてくれず絶望してたとはいえ、それでも死を選ぶべきじゃなかった。そんなあたしの気持ちがきっと病気を呼び寄せたんだと思う」
今でも思い出すだけで苦しい。
「……ともかく、あなたのしたことは許されない。だけどそもそも何が悪かったのか、自覚すらないでしょ? まず良いことと悪いことをきちんと学ぶべきよ。でなければ反省もやり直すこともできない」
あたしはクラウスに合図した。
「お願い」
「ああ」
すでにMP全回復済みのクラウスが魔法を発動させた。
次の瞬間、あたしたち三人は病室にいた。
現代地球の医療機器が眼に入る。白い病室に寝かされた少女に管がつながれていた。
時折ピッピッとドラマでお馴染みの心電図の音がする。
「?! ここは?!」
見慣れない光景に慌てるカンナに教える。
「ここは地球よ。つまり異世界……あたしやかつての両親は、元々ここから来たの」
ベッドで眠る少女を見やる。あまりにもよく知った姿。
懐かしい。
自分のものだった肉体にそっと触れる。
「そしてこれが前世のあたし」
「……は? 転生したなら死んでるんでしょ? なんで生きて……生きてるのこれ?」
「魂は抜けてるし、紛れもなく死んでるよ。機械で体を維持してるだけ」
このままでは永遠に目覚めることのない眠り姫。
カンナを振り返った。
「あなたをこの器に入れることにしたの。それがあなたに与える罰よ」
「はっ?!」
素っ頓狂な声をあげる異母妹。
「な……え? これはあんたのなんでしょ。あんたが戻りなさいよ」
あたしは首を振った。
「ううん……戻れない。『同じ人間は同じ時空に同時に存在できない』。今のあたしがここにいられることこそ、その証明なのよ」
もし戻れるなら、その法則に則って魂だけ離れ、こっちの肉体に移動するはず。それか、そもそもあたしが来れない。何らかの力によって弾かれるだろう。
そうならないということは、やっぱりあたしは死を迎え、別人に生まれ変わったということだ。
「それに、あたしはあの世界でこの人と生きることを選んだ」
愛する人の手を握りしめ、微笑む。彼もまた微笑み返してくれた。
「カンナ、あなたはここで新しい人生を歩みなさい。一からやり直すの」
別の家族のもとで。いわば養子縁組ね。
「本当は赤ちゃんからやり直すのが一番いいんだけど、地球で赤ん坊から転生させる方法なんて分からない。それに本来生まれるはずだった人間を消してしまうことになるかもしれないし、影響がどう出るやら。それが原因で地球のバランスまで崩すわけにはいかないから」
あの世界でも特定の転生をさせる魔法は存在しない。自動的にランダムなんだ。
たぶんそれができてしまったら大変なことになるんで、これは決してできないんだろう。
「空いてる器で知ってるのはこれしかない。……もしかしたら、こうするためにあたしはもう一度地球に生まれ、死んだのかもしれないね」
これが運命なのかもしれない。
「念のため言っとくけど、向こうの世界の知識で神様気取って君臨することはできないよ。地球に魔法は存在しないし、そもそもあなたは魔法が使えないでしょ」
「っ!」
カンナは唇をかんだ。
この子は生まれつき魔力を持たない。魔法使いの子も魔法使いとは限らず、逆もまたしかり。
魔法が使えてたのは『至高の魔法使い』が憑りついてたからだ。分離し消滅した今、『招かれざる魔女』はもはや魔女ではない。
「まぁ魔法について何か言っても、漫画とか小説の話か妄想と思われるだけじゃない?」
「う、うるさい! あんたの体に入るなんてお断りよ!」
「っつっても、他にアテないよ。これならこの頃の両親も娘が生き返ったと思って喜ぶし。性格違うなおかしいなと思っても、長年意識不明だった後遺症と思うでしょ」
この頃の両親には悪いことをしたなと思う。あたしのせいで近隣住民につけこまれ攻撃され、児相まで呼ばれてノイローゼになり、引っ越しを余儀なくされるわ金銭的に苦しくなるわ、果ては娘が意識不明になった。
だけどあたしは帰れない。なら、せめて代わりの、新しい子供を愛してあげてと託すのは間違いだろうか?
どうか。家族の愛情を知らないこの子に、ごく平凡な愛情あふれる人生を。
正面から異母妹を見る。
「あなたにとって、大嫌いなあたしの人生を引き継ぐこと。誰も知らない何も分からない環境に送り込むこと。そして永久の追放と、最初からやり直すこと。これを罰とすると決めたの」
ぐいと異母妹の腕を引っ張った。眠る体に押しつける。
すうっと入り込み、融合が始まった。
「まっ、待って!」
「安心しなよ、あたしたちが会いに来ることはない。いや、二度とあたしは地球へ来れないと思う。なんとなく分かるんだ。きっとそれは、向こうの家族を選んだ代償。それは払わなきゃならない」
異母妹が目をむく。
もう会うことのない妹へ、あたしは最後の言葉をかけた。
「この時代のあたしの名前はね、花菜っていったんだよ。―――カナとカンナ。似てるでしょ? やっぱり、初めからあなたが引き継ぐものだったんじゃないかな―――」
きっとこうなる予定だった。
「……さよなら。どうか、幸せに」
カンナの姿が消え失せた。肉体が目覚める。
同時にドアの外で声がした。
「今、声がしなかった?」
「ああ、確かに。もしかして目が覚めたのか?!」
過去の両親のものだった。だけどあたしは会うことができない。
それを示すかのように、何かに引っ張られた。
「―――!」
景色が変わる。
―――花の咲き乱れる庭園の前にあたしとクラウスはいた。
☆
「……弾き出された、みたいね」
ぽつりとつぶやく。
隣にいたクラウスが答えた。
「そうだな。俺は何もしてない。たぶん、世界の何か強大な力が働いて……飛ばされたんだろ」
―――代償、か。
寂しい笑みが浮かぶ。
今の家族を選んだあたしは過去の家族ともう会うことはできないってわけだ。
人間が一人別の世界に行って、何の影響も出ないわけがない。必ず何かしらの歪みが発生する。
これはあたしが選んだ道。それゆえ受け入れねばならない。
「リューファ。大丈夫か?」
「うん。会えないのは何となく分かってたし。それよりここはいつでどこだろ? まだ地球だと思うんだけど」
少なくとも『花菜』が生きてた期間じゃないな。
けっこう暑いから季節は夏だと思う。空が夕焼け色に染まってるとこみると、時刻は夕方。
逢魔が時ってやつだ。
「あ、その前に変装しといたほうがいいかも。地球でこの外見はまずい」
急いで周りに人がいないのを確認し、クラウスに幻術かけてごく一般的な地球人の格好に変化させた。瞳の色も黒にしておく。
おう。Tシャツにジーンズってシンプルな格好でもかっこいいなぁ。イケメンは得ですな。
つい見惚れてしまった。
「へえ、こうやって怪盗に変装してたのか」
「う。今はツッコむのなしにしようよ。あたしもかけて……っと。とりあえずこれで他に人がいてもOK」
「これが地球人のよくある格好か。ずいぶん軽装なんだな。これで防御力大丈夫か?」
「日本は平和だから、服装に防御力求めてないよ。純粋にファッションだよ。クラウスの場合破壊力はあるけど」
「破壊力?」
聞き返したクラウスはなぜか固まった。
んん? どした?
目の前ではたはた手を振る。
「クラウスー? 意識ある?」
「ある。ばっちりあるから見えたというか。り、リューファ、その格好」
格好?
髪と瞳の色を黒にして、服はシンプルなうすピンクのフリル付きワンピにパンプス。
「スタンダードにシンプル、ありがちな目立たないコーデだけど何か」
「そ、そういうのがこっちじゃよくある服なのか」
「そうだよ?」
逆に何がおかしいのか分からない。
首傾げてたら、我慢の限界とばかりに抱きつかれた。
ぎゃあああああああ!
「ななななにすんのー!」
「かわいいっ! 確かに破壊力抜群だな。ほんと花の妖精みたいだ。こういう丈短いのこっちでも流行らせよう。うん、俺の嫁最高。まず手始めに百着くらい急いで作らせないとな。過去リューファがこの世界で着てた服全部念写してくれ。あと着たいので覚えてるのも」
「ちょっと待って?! また単位おかしい!」
絶対念写するもんか。
ていうか何でここまでテンション高いの。
と考え、浴衣ドレス着てみせた時のこと思い出した。……そういやそうだった。あの世界じゃドレスが基本。だから短い丈の服は珍しいんだ。
やばいと本能が危険信号を発した。
「い、急いでロングスカートに変えるっ」
「絶対駄目。黒髪だとカレンに戻ったみたいだし、これもいいな。好きだよ」
「往来でやめんか!」
失敗した! クラウスはネオの時みたいに金髪にしとくんだった。そうすりゃもし人に見られても「外国の人だから愛情表現がオープンなんだな」って思ってもらえたのに。
「はーなーしー……あっ、あそこに新聞落ちてる!」
口実に抜け出し、近づいて日付を確認した。
「どうやら可憐の死後~花菜の誕生までの間みたいね。これ今日の日付じゃないかもしれないけど、そんなに汚れてないとこみると最近のものだと思う」
「なるほど。『可憐』と『花菜』が生きてる時間にリューファは存在できないしな」
「そういうこと。大体の時代は分かったとして、場所は……」
辺りを見回し、この景色は知ってると気づいた。
あれ?
「ここって、もしかして……ちょっと来て」
誰もいない庭園の奥へ続く道を行く。ほどなくして墓地と書かれた標識が見えた。
「やっぱり」
「知ってる場所か?」
「うん。ここ、可憐時代の母方の先祖代々の墓がある場所だよ。何回かお参り行ったことある」
世間体を気にする両親はきちんとお彼岸に先祖の墓参りしてた。母方は大手製薬会社の創業者一族であり、父親も先祖を大切にしてるとアピールするメリットが十分にあったわけ。
一番奥まった一角に母方の名字が書かれた先祖代々の墓はあった。古いけれど定期的にきちんと手入れされている墓石。華美ではなく、昔ながらの荘厳なもの。
最も新しく埋葬された者の名には『可憐』と刻まれていた。
享年七歳。
「…………」
何ともいえない思いでその文字を眺める。
「昔の自分の墓……か」
クラウスが気づかわしげに肩を抱く。
「うーん、セルフ墓参りって何だかねー。微妙」
わざと軽い調子で言った。
……今でも覚えてる。
絶望の中、終わりを迎えた幼い自分。
あの苦しみと悲しみは決して消えるもんじゃない。
そっと刻まれた文字をなぞった。
哀れだった過去を思い、意識せず顔が歪んでたらしい。
ふいにクラウスの腕に力がこもった。
誰か来た?
振り向けば、老夫婦がこっちに歩いてくるところだった。
それが誰か分からないわけがない。
「……おじいちゃん、おばあちゃん……」
かすれた声でつぶやく。
クラウスがハッとして二人を見た。
向こうもあたしたちに気付き、けげんそうにしながらも近づいてくる。
「こんにちは。あのう、失礼ですがどちらさまで?」
「……可憐、の、知り合いです」
あたしは辛うじてそう答えた。
嘘ではない。よく知ってる。本人だもん。
母方祖母はうれしそうに、
「ああ、今も年に何回か小学校時代のお友達が来てくれてるのよね。あなたたちもそうなの」
「……はい」
小学校時代の友達?
誰それ。聞き返したかった。両親に抑圧され管理されてたあたしは同級生と遊ぶこともできず、友達といえる相手なんていなかった。
あたしが死んでも誰も悲しまなかったに違いない。何年か経っても墓参りに来てくれる子なんているわけが。
「あきらかにおかしかったのに気付いてあげられなかった、助けてあげられなかったって、皆お葬式の時泣いてたっけ……。もういいんですよ。あなたたちのせいではないのだから」
「……いえ……」
葬式やったのか。むしろそこをツッコミたい。
何となく葬式すらやってないと思ってた。あの両親が捨てた子供が死んだからってやるわけが……あ、そっか。養子縁組で法律上おじいちゃんおばあちゃんの子供になってたんだっけ。保護者は両親じゃなかったか。
祖父も悲しそうに微笑んで、
「でもたまにこうやってお友達が来てくれるのはうれしいですよ。きっと可憐も喜ぶでしょう」
いや、うれしいんだか悲しいんだか分かんないんだけど……。
「お盆だから来てくれたんですねぇ、ありがとう」
「いえ、そんな。ああすみません、邪魔ですね」
クラウスがあたしを引っ張って一歩下がった。おじいちゃんおばあちゃんは花をいけ、線香をあげる。
「……本当にね。あなたたちのせいじゃないんですよ。悪かったのは私達だ。あんな男としらずに娘を見合いさせて結婚させてしまい、その後も気付かなかった。お互い仕事で忙しくてあまり可憐に会えなくてもおかしいと思わなかったし、連絡がないのは元気でやってるものだと思い込んでいた。あの男が新しい治療方法を発見しただの、論文を発表しただの、そういうことはよく聞いていたしね。公私ともに充実しているものだと」
「ほんとに外面はよかったですよ」
「おや、あの男のことも知ってるのかい」
「ええ、まぁ」
クラウスは言葉を濁した。
「でも、違ったんだなぁ……。可憐は鬱屈したあの男のはけ口にされていた。絶対的な弱者である幼い子供を支配するなどとても許されない。なのに娘も一緒になって可憐を虐待していた」
「……DVを受け続けると、思考も麻痺しますから。自分を守るために相手に隷従したんでしょう」
あたしは目を伏せる。
母親の夫またはパートナーがDVをやってるケースではよくあることだ。子供がやられてる間は自分がやられずに済むと考える。いわば生贄だ。
始終否定され暴力をふるわれ続けてれば心も折れ、何でも相手の言うことに従ってしまう。
「間違っていると親としてはっきり拒絶し、可憐を連れて逃げるべきだったんだ。そうでなくとも、せめて私達に助けを求めてくれてれば」
「それが無理だったのよね……。お見合いさせたのは私達だし、言えなかったのかも。結局、気づいた時にはもう手遅れで……」
おばあちゃんはハンカチで目を押さえた。
「…………」
「ごめんなさいね、みっともないとこ見せちゃって。今ね、せめて私達ができることをしようと、DVを受けてる女性を助ける活動や児童虐待防止運動をしてるの。それが孫を救えなかった私達にできることだと思うのよ」
おじいちゃんおばあちゃんは気丈にも涙の浮かんだ目で必死に笑っていた。
「…………」
小学校時代の友達と勘違いされてるってことは、死後十年くらい経ってるはず。十年もの間、この二人はこんな思いを抱き続けてたのか。
―――あたしはそんなこと望んでなかった。
顔を上げ、自分にかけてた幻術を解いた。
二人とも仰天する。もちろんクラウスも驚いてた。
「おじいちゃん、おばあちゃん」
昔のように呼びかける。
もう姿形も声も違う。分かってくれるかどうか分からない。
「あたしのほうこそごめんね。死んだ後こんなふうに苦しめたいわけじゃなかった。おじいちゃんおばあちゃんは本当にあたしを愛してくれてた……短くとも、親の分まで。だからね、泣かないで。あたしはそんなこと望んでない。笑って、生きて」
二人の表情に何か理解したような色が浮かぶ。
「……可憐? 可憐なのか?」
「顔は違うけど、可憐なの?」
はっきりうなずく。
そして理解した。なぜあたしがここに飛ばされたのか。
「うん。あたしがここに来たのはきっとこのためだったんだね。……今、あたしは幸せだよ」
安心させるように微笑んだ。
あたしは親からの愛情を受けられなかった。それゆえ今も人から受ける愛情に鈍く、あからさまなくらいはっきりしてないと気づけない。
でも愛情そのものを否定せずに、自分も持てたことは彼らが最期愛してくれてたからだ。
二人の目から涙があふれる。
「……可憐……ごめん、ごめんな。助けられなくて」
「ごめんね、ごめんね」
「謝らなくていいんだよ」
ああ……たぶんもう時間だな。
言われずとも理解した。たぶんそろそろ時間切れ。
最後にめいっぱい腕を伸ばし、二人を抱きしめた。
「最後にこれだけ言わせて。―――ありがとう」
その言葉を口にした瞬間、ぬくもりが遠ざかった。
帰っていく。引き戻されると言ったほうが正しいかもしれない。
―――帰る。そうだね、帰ろう。
あたしが生きる場所へ。
☆
あたしはクラウスにしがみつき、黙って顔を隠した。
彼は何も言わずに抱きしめてくれていた。
……やっと、終わった。
ほっとすべきなのかもしれない。でも何だろう。うれしいわけでも悲しいわけでもない。けれど涙は出てこない。
ぽん、と頭に大きな手が置かれた気がした。ジーク兄様だ。
ああ、やっぱりクラウスがしゃべってから前世の記憶取り戻してるな。
目で分かった。でもお互いそのことには触れなかった。
ジーク兄様はクラウスに問う。
「『招かれざる魔女』は」
「むこうの世界に行った」
伯母様が眉をひそめる。
「奴は魔法が使えず、こっちへ戻る手段はない。永遠に会うことはないさ」
「流刑っつーか永久国外追放ってことか。……お前はそれでいいのか?」
「いいわけないだろ」
クラウスがいらだたしげに言う。
あ、本気で怒ってる。
「それで許せると思うか? カレンを殺したのは紛れもなく奴自身の意思なんだぞ。吐血したカレンを見て師匠が『しまった』って顔してたのに対し、奴ははっきり笑ってたんだ!」
ギリッと奥歯をかみしめる音が聞こえる。
……そうだったね。実の娘が実の娘を傷つけたのを見て初めて『至高の魔法使い』も自分が一体何をしたか自覚したんだと思う。
「どんな罰を与えたって足りない。この手で消してやりたいくらいだ。……けど、リューファが決めたことだ。だから我慢してる」
優しい人。
ありがとうと言う代わりに抱きしめ返す。
ジーク兄様はしばし考え、肩をすくめた。
「そうか。じゃあオレもそれにならうよ」
ジーク兄様の後方にいたテオもうなずき、ゆっくり消え始めた。
伯父様や『眠り姫』たちも納得したように消えていく。みんなどこか安堵したような、詫びるような顔をしていた。
―――みんな。
ありがとう……。
伯母様だけはなおも何か言いたそうだった。あたしは無言で見返す。
「…………」
何も言わなくても分かってくれたんだろう。伯母様もどこか苦し気に、それでいて安心したように目を閉じた。
役目を終えた過去からの伝言は消えた。
……伯母様も、今度生まれ変わる時はどうか幸せになってください。
そう祈った。
ずっとあたしの頭をなでてたジーク兄様の手をランス兄様が外す。
「ほらほら、兄さん。リューファの髪が崩れちゃうよ」
ササッと直してくれる。いつもながら慣れてるな。
「あ、悪い。でもな、ちょっとくらい髪崩れててもうちの妹はかわいいぞ!」
「それは当然だよ」
「当たり前だろ」
「いや当たり前じゃないよ」
何言ってんだそこの男三人。
「ああ、もちろんシューリもどんな姿でも美人だからな」
さりげなく奥さん褒め言葉ぶっこむ兄。血筋か?
ふっとばされるぞー。
と思ったら、意外にもシューリは能面みたいな顔つきになってた。
「あれ、無反応?」
珍しいね。
「もはや一周回って冷静になってきた」
「あ、そういうこと。よかったね」
「ここで照れたり恥ずかしがって、リューファみたくやられたら嫌だし。ジークとクラウス様似たもの兄弟だもの、ああいうのやられたらマジで死ねるわ」
「反面教師?! ていうか嫌なの分かってくれるなら止めるの手伝って?!」
嫁同士共同戦線張ろう!って提案はあっさり却下された。
「無理。私もコレで手一杯よ」
「そんなこと言わずっ。ってクラウス、やめんかーっ!」
さりげなく顔近づけてくる夫の顎を両手で押し返す。1ミリたりとも後退しない。
全力でやってんだけど?
ムダと知りつつ振り返り、
「誰か加勢し……何泣いてんの父様」
年甲斐もなく号泣してる父を母がテキトーになでてあしらってる。
「この人、ガタイに似合わず小心者でしょ。あなたがやっぱり元父は倒せないとか、前の家族を選んだらどうしようとか心配してたのよ。愛娘を取られたくなかったのね」
「……えええ?」
「だってかわいいかわいい娘のことじゃないかぁあああああ」
あー、ハイハイ、泣くなうっとうしい。
そういや生まれた時もこんな泣いてたなこの父は。愛情表現が豊かすぎるのも問題だ。
あたしはため息ついた。
「ありえないよ。あれだけやられて、それでもあっちを選ぶと思う? あたしの家族は今の家族で、生きる場所もここだよ」
きっぱり断言すれば、涙の量が倍加した。川ができそうだ。
「ほら、言ったでしょ。まったくもう、しょうがない人」
やれやれと母がハンカチでふいてやったら、イイ顔してた。
脳筋な上に妻バカな父。前の父親とはえらい違いである。
これもどうかと思うけど、まぁいいか。平和ってことで。
それよりこの嫁に対する溺愛ぶりと執着はどう考えても誰かさんが基よね。直系子孫じゃないっつーのに。いらんDNA。
諸悪の根源をねめつける。
「ん? どうしたリューファ、見つめてくれるなんてうれしいな」
「睨んでるんだけど。理由は言わなくても分かるでしょうが」
「分かってて言ってる」
知ってるよ、そういう性格だってのは。
天を仰いだ。
「……ったく、実はちょっと心配してたのもどうでもよくなってくるわ」
「何が?」
「クラウス様が色ボケして政務ほっぽらかすとかじゃないですか」
「フォーラ、そんなことするわけがないだろ。愛する妻に愛想つかされるじゃないか」
「なるほど理解しました。絶対ないですね」
「どういう理由で納得してんの?!」
そこは国民のためとかじゃないんか一応皇太子!
「そりゃ人々のためでもあるけど、一番大事なのは自分の嫁」
後ろでわずかにジュリアス王が首を動かした。
うなずいたのかな、あれ? 類友……。
クラウスは何やら不穏な笑みを浮かべ、
「で、何が心配なんだ? 障害物があるなら俺が全力で排除しておく」
「排除ってそれ跡形もなく消し去るって意味でしょ。なんでそう極端なのよ」
前々から思ってたけど、どうしてこう、ほどほどってのがないの。嫌われたくないあまり極度の無口無表情になるわ、やめたらやめたでメーター振り切れてるどころかぶっ壊れてる溺愛ぶり。
本来は『ラスボス』になるはずだったんじゃないかっての納得。極端に走らない性格ならそもそも善であれ悪であれ随一にはならない。
「そうじゃなくて、本来この世界にいないはずのあたしが居続けることによって、何らかの歪みを生んでしまわないかってことよ」
クラウスは目をしばたいた。
「別世界から誰かが来て、何の影響も出ないはずがないでしょ。実際カレンのあたし親子が現れたことでひどい歪みが発生した。だから……」
「心配しなくていいと思うぞ」
答えたのはジーク兄様だ。
「影響だの歪みだのって言うけど、出るのは悪影響だけとは限らないだろ。良い意味での変革を生むこともある。現にそうなってんじゃんか」
クラウスを指す。
「ん?」
「前に言っただろ、ほんとはこいつのほうが『魔王』の素質あるって。もしお前が初めから存在しなかったらどうなってたと思う?」
「あたしが……カレンが存在しなかったら?」
想像してみた。
『至高の魔法使い』がおらず、カレンもいなければ。ネオは娘婿候補として弟子入りすることもなく、貧しいままに死んでいただろう。
おそらくは、世界を憎み恨んで。
ネオの持つ魔力量はとてつもないものだった。それが爆発したとすれば……。
クラウスが頭をかく。
「……あー、なるほど。ずっと貧乏なままで、そのうち父親も死んで一人になって、世界そのものを恨んでろくでもない方向に行ってたかもな」
「なことになったら、『招かれざる魔女』なんか目じゃないヤバイ事態だぞ」
「確信持ってるね」
「当たり前だっ。オレはこいつがおかし……危険極まりない時代を知ってるんだよ!」
青くなって震えあがるジーク兄様。
今、おかしくなってるって言いかけたな。カレンのあたしの死後って意味で、さすがに言葉濁したのね。
「そんなヤバかったか?」
ご本人軽い調子できく。
「やっぱ自覚なかったか」
「んー、あんまり覚えてないんだよな。その頃のことは」
「ねえ、一体何やらかしてたの?」
ジーク兄様はサッと顔背けてガクブルしてた。
…………。ちょ、マジで何やったオイ。
「いいい言いたくない、つーか思い出したくない忘れてたかった」
「うんゴメン、聞かない」
元弟・現兄の精神のために追及はやめた。
たぶん知らないほうがいいやつだこれ。
「ともかくだ! リューファはその未来を回避するために『呼ばれた』んじゃないかってオレは思ってる」
「呼ばれた……」
誰に?
前も言ってた推測を再考し、一つの仮定を出す。
もしかしたら……それが現実になってしまった世界の人々?
つまりはパラレルワールド。異世界が存在するんだ、並行世界もあるだろう。
最悪の未来が現実となり、悲しみと絶望に終末を迎えたたくさんの命の祈りだったとしたら?
もし、もしも過去が変えられるならと―――。
「コイツが暴れないようにするのに必要なのは好きな子だ。嫁さんさえいれば現にこの通り大人しい」
「大人しいのこれ?」
妹のツッコミを兄はスルーした。
「全エネルギーが妻への愛情に変換されてるわけだね。うんうん、平和だ」
「ランス兄様、それ一身に受けるあたしの平穏は?!」
そんなどえらいもん、一人じゃ支えきれません!
抗議もスルーされた。
「運命っつーか、宿命っつーか、それだけ大きな流れを変えるには普通のやり方じゃダメだったってことだろ。別の世界から人を連れてくるくらいしないと変革は起こせなかった」
「分からないでもないな」
クラウスがジュリアス王と絵梨さんを見やる。
確かに。
絵梨さんはおっとりと、
「そうねぇ。私も同じ地球から来た人間。だけど『歪み』は起きてないわ。私が大丈夫なんだから、リューファちゃんも平気じゃない? 強いて言えば、『変わった』のはジュリアスが恐がられにくくなったってとこね」
恐がられなくなったとは言わないんですね。
「ええ。だから絵梨さんたち実際見て安心したんです。あたしだけじゃないから。それで心配『してた』って過去形なんですよ」
もうあたしがこの世界に来てしまったせいで、と思い詰めなくていいんだとホッとしたんだ。
あたしはクラウスを見上げた。
こことは別にさらに他の世界があって、そこではこの人が発端となり、世界が終末へ向かった。たくさんの人の願いが力となり、「違う未来」ができた。この世界がその別ルートだって仮定が正しいとして。
一つだけ断言できることがある。これは決して『成功したルート』ではない。
なぜならば、本当に成功してたらカレンのあたしは死なず、あの頃に全部片付いてたはずだ。千年も問題を持ち越したはずはない。
ネオ=クラウスが決して暴走しないよう、いわば打ち込まれた楔があたしだ。
確実なものとするべく、一度叶わず死んだのか?
……成就せずひどいやり方で断ち切られれば、想いはより強固となる。絶対に封印の要たるあたし以外に意識がいかないよう仕組まれた?
だとしてもひどすぎる。誰かを殺してでも自分の望みを叶えようとするなんて『至高の魔法使い』と一緒じゃない。人を道具としか思ってない。
そんなの間違ってる。
あたしをこの人と会わせてくれたことは感謝するけど、もっと他にやりようがあったはずだ。誰かを犠牲にせず、皆が笑っていられる成功ルート―――『ハッピーエンド』が。
―――もしもあたしを召喚した『誰か』に届くなら言いたい。死を前提にするのではなく、皆幸せになる方法で、できるならもう一度もう一つの世界をハッピーエンドにしてほしい。パラレルワールドはきっと一つだけじゃない。
過去はやり直しがきかない。この世界は修正することができない。ならせめて、この失敗を糧に、最初から辛いことなど一つもなく幸せに生きてる自分と同じ存在がどこかにいてくれるなら……少しは救われる。
クラウスが視線に気付いた。
「ん? どうしたリューファ」
「ううん、別に」
「ちょっと暗い顔してる。愛情表現足りなかったか? ごめん、がんば……」
「がんばらなくていいー!」
必死で抵抗する。
「がんばる方向違う!」
つまるところこんなんにならないようにしてくれって言いたいのよ! 召喚した誰かさんには!
真っ赤になって押し返そうとする妹と、いい笑顔で迫る義理の兄弟にジーク兄様は嘆息した。
「それそれ。同じさ。変革はクラウスの言動だよ。つまり、『改変の代償』はこいつの溺愛ぶりと執着なんだろ」
「……あ」
納得した。
ものすごく腑に落ちましたよオニイサマ。
思わず腕の力抜けそうになり、慌ててもっぺん力入れた。
「うっわー、ずいぶんキモイ形の影響」
フォーラ、仮にも主君に手厳しい。
あ、国王夫妻が同意してる。
「つーわけで心配いらねーよ。むしろこれで済んでよかった」
「あたしはよくないよ?!」
これでほんとにいいと思う?!
「夫婦なんだから問題ないだろ? 愛してるよ、リューファ」
無駄にキラキラしたイケメン王子*くどいようだが本物スマイル攻撃至近距離きた。
ひぁおぅ。←謎の奇声
くっ……卑怯な。あたしが弱いの分かっててやるとか、的確な戦術選択だくそぅ。
「うう……っこ、これが『影響』だってことなら耐えなきゃ……っ」
色んな意味で震えながらも死ぬ気で踏ん張る。
改変の代償―――あたしが存在することにより引き起こされた『歪み』なら、あたしが負わねばならない。
ってもやっぱ言わせて! 世界を滅ぼせるレベルのエネルギーを一人が一身に受けるのってどうなのよ!? 愛情ったって重いわ!
「うんうん、ずっと傍にいろよ」
「……つくづく真面目だよね、リューファ。だからクラウス様につけこまれるんだと思う」
「ランス、余計なこと言うなよ」
「殺気はらまないでください。ほらリューファ、さっそくクラウス様押さえて」
「えええ? どうやって」
とりあえず腕をクラウスの背に回し、がっちりつかんでみた。
「こんな感じ?」
「完璧なまでに天然だね妹よ」
「は?」
何か間違えた?
「ランス兄様、どういう意味?」
「いや、これでいい。むしろこれがいい」
なぜかご機嫌な夫に抱きしめられた。ちょ、苦しい。
「あー、かわいい。嫁がかわいすぎて死にそう」
国王夫妻がぼそっとつぶやいた。
「うちの息子、バカなのは知ってたけどめちゃくちゃチョロいな」
「ほんとに好きな子さえ手に入ってれば落ち着くのね。残念すぎる子だわー」
「二人とも、息子に対してひどくないですか」
「事実を言ってるまでだろうが」
うん、残念なイケメンなのは否定しない。
「ま、俺のことはどう言われても気にしませんが。プライドなんかより大切なものがある」
「羞恥心と常識も大切だよ。ちょっと取り戻しに行って来て」
「無理。今は嫁を堪能したい。自分から抱きついてきてくれるなんて、カレンはよくやってくれてたけどリューファはあんまりしてくれないからな」
「……ん?」
眉をひそめた。
誰が何やってますと?
そこで気づいた。
これ、取り押さえるんじゃなくて抱きつく形か!
「うわあああああ! そんなつもりな……っ、離してえええ!」
飛びのいて逃げたつもりが、一歩も後退してなかった。檻が頑丈。
「嫌だ。せっかくのチャンスだし」
「あと聞き捨てならないこと聞こえた! 昔はよくやってたって何?! やってないよ!」
思い返してみても該当する記憶はない!
「やってたやってた。無自覚でいまだに気づいてないだけだ」
「嘘ぉ!?」
あたしそんなことしてた?!
恥ずかしすぎていっそ倒れたい。
「こ、子供の無邪気さって恐い」
「違うと思うよ」
シューリがぼそっと、
「私はああならないよう気をつけよ……」
「あなたは別の意味ですごいわよ。総括するとどっちも好きなだけいちゃついてなさい。それが平和だわ」
「おかしくない?! ねえそれほんとに平和?!」
いくら代償ったって限度があるわけで、やっぱ逃げようか。
察したかのように拘束する腕の力が増した。
あ、捕まった。
色んな意味で。
「逃げるなよ」
うわぁ~、笑顔で圧がすごい。
冷や汗が流れる。
「に、逃げないよ。いやあのね、ちょっと拘束緩めてほしいなーって」
ね?
精一杯かわいい感じで言ってみた。
「駄目」
速攻拒否られた。
「カレンが……リューファがいないと俺おかしくなる」
あたしにしか聞こえない小さな声。……かすかにどこか不安そうな色が見えた。
ああ、そうか。
これは怒ってるんじゃなく、不安なだけだ。
こんなこと前もあったなと思い出した。
仕方ないなぁ。
まったくもう、しょうがないなぁ。でもだからこそ、あたしはこの人を選んだのかもね。
「―――大丈夫よ」
そっと彼の頬に触れる。
かつてあたしはこの場所で死を選んだ。
傲慢にも全て一人でできると信じ、何もかも背負って。
それがどれだけ愚かなことか、残された人たちがどうなるか考えもしなかった。
その結果が今のこの人なら、どれだけの歳月かけても傷を癒そう。ずっと傍にいる。
「あたしはあなたと生きると決めたの」
今度は、孤独と絶望の死でなく、愛する人と家族と生きることを選ぼう。
幼い可憐はどうしても包丁を取れず自殺できなかった。あの選択は誤りじゃなかったと今なら断言できる。あの時願ったことこそ本当の望みで、捨ててはならない思いだったんだ。
苦しくて折れそうな時もある。こんな苦しみが続くならいっそ死んでもう何も考えたくないと絶望することもある。
助けを求められない? 何度助けを求めても誰も助けてくれなかった? 分かるよ。それでも。
かつて死を選んだ経験者として言おう。「死なないで」、と。
……そう。いつの時も本当に願っていたのは。
―――生きたい。
どうか、いつの日かあの時死を選ばずによかったと思える日のために。大切な人と、幸せを見つけられる未来を探して。
生きよう。
「……ああ」
夫がようやくホッとしたように力を抜いた。
不自然に強張っていた筋肉が緩むのが分かる。
どれだけ恐かったんだこの人は。
「……ほんとに、どうしようもない人」
「悪かったな。俺はそんなたいした人間じゃない」
「それでいいの。そんなあなたが好きなんだから」
みんなそうだよ。人間だもん、欠点ばっかりだ。だからこそお互い補い合って生きていく。
彼の顔が泣きそうに歪んだ。思わず笑ってしまう。
当然のように抱き上げられたんで、彼の肩に腕を回してつかまった。
あの時はつかめなかった温かさがここにある。幸せだな、と思った。
「帰ろうか」
「うん」




