切っ掛けってこんなモン
今朝のエビスは鷽月新聞の暴漢アニキとは思えない。
「BGは姉さんのアパートだろ。ゴツイ兄ちゃんと一緒に」
アタシは無言。
「いいんや、隠さなんでもわかる。俺、エビスやからな」
エビスも缶コーヒーを飲む。
「姉さん。俺の事なんて聞いた? 」
「エブリバディ・ハッピー・プレゼント・サービスの社員で、ダミー会社“鷽月新聞社”勧誘員」
「他には? 」
「無い」
少し間が空いた。その間も駅に中には人が入り、また出てきた。
「BGの事、どのくらい知ってん? 」
「エブリバディ・ハッピー・プレゼント・サービスの元社員。会社から逃げだした貧乏人。昨日、パチンコで大勝ちしたから今は貧乏でない」
「他には? 」
「無い」
「そうか」
エビスは缶を捨てた。自販機の脇に小さなゴミ箱がある。
「EHPSを知ってるか? 」
「知らない」
「BGは話さなかったか? 」
「バランスが云々っていたけどネ」
「信じたか? 」
「鷽月新聞を信じるの? バカバカしい」
「そうやろなあ」
そう言って、エビスは駅に流れ込む人を眺めた。通勤時間帯の駅には人の波が絶えない。
「姉さん。あの人たちを見てどう思う? 自分より優れている。幸せだと思う? 」
「何で、そんなこと聞くの? 」
「じゃあなんであの人たち見ていた? ド突いたろとか思ってたん? 」
「違うけど」
「まあいいや。ちょっと黙って聞いていてな。人間は腹いっぱいになる量はひとりひとり違うねん。胃袋のデカさが違うんからな。それは分かるやろ」
「うん」
「人はひとりひとり違うねん。生き方、育ち方、考え方、その他なんでも」
「そんなの知ってるよ」
「知ってるんか! すごいな~。昔の坊さん達はエラク修業したんやで。この事を知るまでになあ」
エビスはじっと人波を見つめる。
「違うモノを計るのに同じ物差しを使うから誤解が出るんや。不公平とか不平等とか当たり前やん。使う物差しが間違っているからな」
伊達眼鏡を通してエビスがアタシを覗きこむ。
「姉さん。成り上がるって何?」
アタシは少し動揺した。
「何でアタシの野望を知っているの? 」
「俺、エビスやからな。それよりどうゆう事か教えてくれ」
「他人から指図されないで、毎日を楽しく暮らす事」
「わからん。具体的に言ってくれ」
「アタシは馬鹿にされたりしないで楽しく人生を過ごしたいの。その為にはお金が必要でしょ。お金があったら馬鹿にされたりしないもん」
「姉さん。他人の評価なんてその日の天気みたいなもんや、コロコロ変わる。そこには金の有無は関係無いと思うで」
「………」
「楽しい人生って、楽しく生きる事やろ? 毎日が楽しくて、生きることが好きな奴はやりたい事を知っている奴や。面白くてたまらん事をやっている人間は、鼻毛が出ていようが気にする事無い。そう思わん? 」
「そうかも」
「普通な、好きな事をやっていると『馬鹿にされた』なんて思わない。芸人が笑われて『馬鹿にすんな! 』なんて思うか? 奴らは笑われて、馬鹿にされてますます輝くモンなんや。そう思わん? 」
「アタシの『馬鹿にされた』はそれと少し意味が違うの。自分自身を卑下されたとか、そんな感じの意味」
「つまりは他人からの評価やな。だからそれは天気と同じやって言ったやん。滅多に洗濯もせんでそんなに天気が気になるんか」
「………」
エビスに痛い所を突かれた。
「まあ、不公平とか成り上がるとか馬鹿にされたとか、こんなの気にしている奴の人生は間違いなくつまらん物だな」
言葉に対して、エビスの黒い瞳は優しい。
「ねえ、『エブリバディ・ハッピー・プレゼント・サービス』って何? 」
「うん? だから社会のバランスを取るための組織や」
「じゃあ、何でBGを捕まえるの? 」
「アイツには役割があるのや。それを放棄したらイカン」
「どんな? 」
「うーん、まあ他人の為に頑張って貰うって事かなあ」
エビスは目をそらす。
「世界が存在する為には対極の物が必要って知っているか? 」
「ナニ? わかんない」
「“自分と異なる物があって、自分が存在できる”って事や。簡単に説明すると、全てが白色の世界だったらそこには色は存在しない。白色自身ですら存在できない事になる。白色で無い色の存在があって初めて白色という色の認識ができる事になるんや。分るか? 」
分かるけれど、なんだかしっくりこない説明だ。アタシは白だけでなく、黒もつけたがる人間なのだ。
「つまりなんだちゅーの? 」
「つまりな、“比較できる物があって認識できる。認識できる事によって存在できる”ってこっちゃな。だから全て同じとか、同一とかあり得ない。姉さんの言葉を借りるけど、“不公平”って状況が世界の存在には当然なんやな」
「うーっつ。ズルイ」
「そうでもないで。完璧な神さんがそんなイジワルをするかいな。姉さん達が言う“不公平”は自分にないモノ、備わっていない物を求めているからや。違うか? 」
「違わない」
「自分にないって、どうやって知った? 」
「うーん。誰かと比較したり、自分を客観的にみてかな」
「姉さん。自分の体毛の数や、黒子が体中にいくつあるか知ってるか? 」
「知らない」
「そやろ、それと同じや。ほとんどの物が自分に備わっていることを知らんのや。だから周囲に合わせて右往左往する。ええか、大切な事の根底にあるのは“何が好きか”や。人間が本当に望む物はそれぞれバラバラなはずや。そして必要な物、欲しい物も同じであるはずが無い。分からんなら一度、全てを手放してみい。カップラーメン無くした姉さんが焼肉食えた様に一転するで。不人気台でもアレだけ爆発すれば、次の日から大人気台へ変わる。焼肉屋に味噌汁あったってイイやん。味噌味のタレが売れまくっているのを考えればな。BGが現れると人生の転機っていうキッカケになる。奴はな、神さんにそんな役割、押し付けられたんやな。ま、俺がBG捕まえるのも押し付けられたからやけどな………。さあ、長々としたがBGを捕まえに行くかなあ」
そう言ってエビスは歩き出す。途中、コンビニでお弁当とカップのみそ汁を買った。
「これ、奴の好物やったな」
エビスが示したのはなめこ汁。
アタシは思わずニヤリとしてしまった。ところが、部屋に着くとBGの姿が無い。
「スグル、起きて。BGは何処? 」
化粧の崩れたスグルを揺さぶる。
「うー知らない。その辺にいるでしょ。」
「逃げたな。さすがや。」
エビスの声に振り替えるスグル。素早くアタシが止めに入った。
「まった! スグル、だめだめ」
「兄さん、ナイスなラリアットやった。骨の髄までしびれたで。これ食って励んでや」
コンビニ袋をスグルに預け、外へ向かうエビス。
「まって、エビス」
アタシは呼び止めた。まだ。聞きたいことがある。
そんなアタシの心情に気が付いたのだろう。エビスは階段の途中で振り返った。
「姉さん、俺らとは機会があったらまた会えるで。チャンス、キッカケは一瞬だが、一度やない。何度でも訪れるもんなんや」
そう言ってエビスは階段を駆け下り、BGを追いかけ消えた。
あれから、3年経った。アタシは今日、このおんぼろアパートを出る。
「BEN、準備OK? 」
外から女らしくなったスグルが呼ぶ。
スグルはブートザキャンプのほかにダイエットを始め、めちゃくちゃにスリムになった。
ミスターレディコンテストの準グランプリに選ばれて、銀座のクラブからスカウトが来たのは昨年の事だ。
アタシも驚くほど綺麗になったスグルは、すぐにジュリアスという彼氏を見つけてこの部屋を出て行ってしまった。
でも、相棒としての絆は続いている。
一方、賄食存続の奮闘をしていたアタシはバイト先で『賄いリーダー』なるものに任命された。
アタシの考案した賄い食は大好評で、店の正式なメニューになった。さらに、そのメニューがチェーン店の看板メニューになったのだ。
この結果をお偉いさんが認めてくれたのは、幸運としか思えない。だが、その幸運も必然だったように思えるのは、アタシの自惚れだろうか。
とにかく、アタシはフリーターから正社員と転身した。
店長、エリア長を駆け上がり、メニュー開発担当責任者として重要なポストを任されるに到った。そして、次は新店舗開発のプロジェクトに参加する。
アタシは思う。
― アタシは美味しいものを食べる事が大好き。
カンカンと音を響かせ、階段を下ると、ジャージ姿のスグルがいた。
ジャージの色は勿論“ピンク”である。
「お待たせ」
「じゃあ、行こうか」
アタシはトラックの助手席に乗りこんだ。運転席にはスグルがいる。
― 今日が、最後かも。
そんな予感がした。だが、それでも構わない。離れていてもスグルはスグルだし、どんなに年月が経とうとも、このアパートでの生活は忘れられる筈が無い。
「レッツ、ゴー」
アタシは声を上げた。スグルがアクセルを踏み込み、トラックがゆっくりと進みだす。
目の前には夕日があった。
そして、ピンク色のジャージを着たアタシ達は、その夕陽に包まれている。
了