切っ掛けってこんなモン
「ズル~イ。アタシばっかり損していると思う」
「そうだよな。俺もそう思う。だから俺はEHPSから逃げた」
「なんで? 」
「俺も“損している”と感じたからだ」
「無責任男の仕事放棄? 救えないわ」
「出世競争に負けたのよ」
「EHPSの内状について詳しい説明は難しいが、俺みたいな特別な男を手放す会社では無い事を教えておく」
アタシ達は再びうなずいた。
私達だって、社会に適合できない人間の存在を、理解できるくらいの年齢にはなったのだ。
「BG。ジャージあげるからここらで別れましょう。アンタ、迷惑だよ」
勝手に拾ってきたが、拾い主のアタシが捨てるのだから文句はないはずだ。
「ここで? 」
「そう此処で。バイバイ」
「す、捨てないで下さい! 」
しかしアタシ達は手を振る。
「バーイ」
BGはピンクのチューペットみたいに固まってしまった。この時、アタシは周囲の通行人に気がついた。
通勤、通学ピークの真っただ中。駅へ、職場へと向かう奴らの視線が槍のように突き刺さる。
黒いスーツの中では赤いスイミー位に目立つアタシ達。にょろにょろみたいに動き出したBGがいっそう視線を集めた。
「スグル、どうしよう? 」
パジャマで注目は流石にハズい。アタシは乙女だぜ。
「アパートに戻るの。戻って、奴にBGを渡すのよ」
そう言われて気がついた。
ロクデナシと言われようがアタシ達にはこれからの人生がある。
「BG! 」
振り返るBGの額に手にしていた得物を打ち込む。狙いはBGの額の赤いぼっち。ガツンとした手応えがアタシの腕に伝わる。快心の一撃だ。
「マカセロ! 」
さらに、後頭部から掬い上げるようにスグルのラリアットが決まる。その瞬間、にょろにょろの動きが止まった。
「変な会社を選んでしまったのはBGの不備。やはりブラックな会社だったわね」
スグルの腕に倒れこんだBGは何も答えない。
アタシ達はBGを引きずり歩き出す。機関銃のように降り注ぐ視線にアタシ達はバズーカのごとく吠えた。社会は本当に不公平だ。
アパートの傍まで来ると叫びが聞こえた。
「やっぱり、まだいるね」
少しばっかり、様子を窺うアタシ達の前にパトカーが止まる。ドアが開き、のっそり現れる2人の警察官。
数分後、エビスはパトカーに乗せられた。
「俺様を誰だと思ってやがる! 」
水戸黄門のようなセリフを残しエビスは去った。遠ざかるサイレント共に、物陰の目が一つ一つと消えていく。
手話ニュースが終る頃、アタシ達は物陰からアパートに駆け出した。
BGを玄関脇に放り投げ自室に戻る。オカマのスグルはそれらしいカッコになり、アタシは普通の女の子になった。
ダイニングに戻ると正座をしたBGがアタシ達を迎えた。目の前には冷えた麦茶が並んでいる。気が利くのも良いが、図々しい奴だ。
「で、どうする? 」
「どうするって、変更は無いわよ」
「そうか。世話になったな。アバヨ」
エビスが消えて、態度が一転したBGは、“カンカン”と音を立てて階段を下る。その音が消えると何事も過去となった。
「スグル、今夜もバイトなの? 」
「今日は休み」
「そう。それじゃあ、あとでね」
自室に向かうスグルを見送る。すると、お伽話が終わった時のようにさびしい気持ちになった。何故だろう。
「BEN、久しぶりに行く? 」
スグルはぴちぴちのTシャツに厚い胸板と乳首を浮き上がらせている。アタシ達は貧しい。その為、様々な物を利用し生きていかなくてはならない。
「じゃあ、着替えるか」
そして、その準備にも抜からないのが(貧乏の)プロだ。
数分後、いつもより寄せて上げて目立ったアタシとスグルは、駅前の“パーラーちちんじゃら会館”へ向かった。
庶民の娯楽の王様パチンコ。
パチンコの歴史は古く、売れない時分に厄介になった作家、芸能人も多い。彼らもパチンコで生を繋いだ。
“ちちんじゃら会館”は超老舗で、老朽化した建物が過ぎた時代の面影を残していた。アタシ達はドアを手で押し店内に入る。未だ自動ドアで無いパチンコ店は全国で此処ぐらいだろう。
店内はエアコンが利いていたが、充満するタバコの煙と茶色くこびりついたヤニ、ノリノリのマイクパフォーマンスと派手な電子音。そして、銀玉のジャラジャラ音に熱くなったパチンコジャンキー達の熱気でムンムンしている。
「BEN、あたしはあっちに行くわ」
「うん。後でネ」
アタシは周囲を見渡しカモを探す。そして、マリンちゃんコーナーの端台に一匹見つけた。
オヤジカモは10箱ほどのドル箱を積んでいる。現在もフィーバー中で沖縄風電子音がけたたましい。
アタシはスススとオヤジの隣に座った。
「あーん。この台打ち方分からなーい」
アタシはワザとらしく声を出す。オヤジカモはすぐ捕れた。
周囲に見られないようにジャラジャラとアタシの上皿に球を盛る。
― 鼻毛、キッタネー。
上目で伸びた鼻下を見るだけで、遊技台の上皿はちまちまな魔法のランプと化する。
とにかく、こうしてアタシはフィーバーを当てた。
こうなっちまえば、オヤジカモは用無しだ。
きっちりと谷間を隠したアタシは、フィーバー終了と同時に計量機へ向かった。出てきたレシートを引き千切りスグルを探す。
― ん?
見渡すと珍しく不人気台に人が群がっていた。
― イベントかな。
近づくとスグルがいた。驚いた事に、背後にかなりのドル箱を積み上げている。しかも、隣には見覚えのあるピンクジャージがいた。
ピンクの背後はもはや壁だ。
ムクムクと増える建設途中の壁際で店長らしき人物が「止めろ、止めろ!」と叫んでいる。だが、その叫びは二人に届かない。
突然、店内放送が入った。
「ピンポーン。エー本日はご来店まことにありがとうございます。ちちんじゃら会館ただいまをもちまして閉店させていただきます。ご来店ありがとうございましたぁ………」
時間違いな蛍の光があわただしく流れ店員が追い出しにかかった。当然、すさまじいブーイングと怒声が店内に響く。
危険を感じたアタシはカウンターに走った。
間一発で景品を手にしたアタシが振り返ったとき、銀玉溢れる壁陰に崩れ落ちる人物が見えた。
それから2時間程してスグルとBGが出てきた。
蒸し暑い中、店の前で待たされたアタシは汗まみれだった。
「結構、良心的な対応だったな」
「そうね」
そんな二人の会話にかなりイラつく。
「何やってたの? ずいぶん待たせるじゃない! 」
「ごめーんBEN。でも今夜はごちそうよ」
スグルの手には諭吉の札束。ちょっと見たことのない厚さだ。
「すっげーっつ、すっげーっつ」
「でも、BGはもっとすごいの! このかばんの中には諭吉がぎっしりよ! 」
朝は王子でも金持でもなかったのに、コイツは想定外だ。
「BGあんた何者? 」
「おう、俺はBGだ。昨夜の礼だ。飯おごってやる! 」
輝くピンクがお星さまの様にアタシ達をひきつける。アタシ達はそのピンク色に向かって駆けた。
そのまま焼肉屋に駆け込み、汗ばんだ身体を生ビールで冷やす。眼の前には夢にも現れなくなった上カルビがズラリと並び、アタシは久しぶりの焼き肉に狂喜した。
焼肉屋は夜が華。
お店の中は大繁盛。
日付が変わり、商店街は寝静まり、キャバクラも終わったこの時間、窓の外には仕事帰りのお嬢がぽくぽくと歩いている。
現代風の化粧をしているお嬢に自分の姿が重なる。
あなたは何のため働くの? 楽しく生きている?
でも、その答えは見つからない。
今のアタシはビールやカルビ、ロースで膨れた腹を杏仁豆腐で締めていた。BGは老酒を煽りながらロレツの回らない舌で同じ注文を繰り返していた。
酒に弱いスグルはとっくに客用ソファーにのびている。
「いい加減にして下さい! 」
ついに店員がキレた。
「味噌汁定食なんてありません! 」
「何だと! 」
BGは逆ギレだ。
「無ければ作れ! いいか、ご飯とみそ汁とシャケだ! 納豆をねぎ入りでだぞ! 味噌汁はなめこだ。なめこ汁しか認めんからな! 」
「お客様。他のお客様のご迷惑になりますので、御騒ぎになりますと警察を呼ぶことになりますが………」
助太刀に現れた店長の顔には派手な傷跡があり、発する空気は三国志の豪傑みたい。
「BG。お腹いっぱいだし、スグルも寝ちゃったからもう帰ろうよ」
非はこちらにある。何より、揉め事はめんどくさい。
アタシが綺麗にまとめようとしたその時、叫び声が店内に響いた。
「見つけたどー」
仁王立ちのエビスは店内中の視線を受け止めた。BGの顔色も変わる。アタシはスグルにとびかかり、巨体を揺さぶる。
「スグル! 逃げるよ! 」
ヘタレが復活し、BGは「静かに、黙って! 」ってぶるぶる震え出した。
― 進歩が無い男だなぁ。
ところが、世間にヘタレは多く、豪傑店長はエビスの狂乱ぶりに固まってしまった。
「アチョーチョー、アチョー! 」
相応しい程の奇声を発すエビスの背後に閉まる自動ドアが見えた。ああ、アタシの人生はここで終わってしまうの? そんなの不公平すぎるわ!
「ケンカぱーんち! 」
諦めるのは早かった。
眼を覚ましたスグルが叫ぶ。しかも、勢いよく伸ばしたダイヤモンドの右拳が火を噴いた。
「ピー」
金剛石の拳は焼肉屋の店長を捉えた。頭から吹っ飛ぶかつら。
目の当たりにしたエビスは、この時ばかりは動揺したようだった。
「チャンスだ! 」
デカイ声を出し駆け出すBG。アタシ達も飛び出した。
「待ちやがれ~。うおー」
叫び声に振り向いたアタシが見たものは、エビスを抑えつける店員の陰にクタリと転がった店長の禿げ頭だった。
翌朝は涼しく、夏の終わりを感じさせた。
アタシは早朝から、駅前のベンチで人の流れを眺めている。
「何してん? 」
振り替えるとエビスがいた。細身のスーツ姿には昨夜の痕跡はない。
「やば。逃げます! 」
「まてまて、何もせえへんがな。俺の相手はBGや。姉さんじゃあ無い」
「嘘だね」
「嘘なんか、吐かんわぃ。俺はエビスやで」
逃げ出すアタシを呼び止め、自販機にコインを入れた。ゴトリ、ゴトリとコーヒーが落ちる。
「これやるな。飲んでな」
投げてよこしたコーヒーとエビスを見比べる。キャッチした缶の冷たい感触が気持ちいい。なんだか不思議な安心感に包まれたアタシは、カコンとプルタブを開ける。
苦手だったけれど、アタシは貰ったコーヒーを飲んだ。甘くはないが冷たくて優しい味がする。
「ありがと」
アタシは素直にお礼を言った。