~入学と地獄の始まり~ side A
「産まれながらの英雄など存在しない!!」
冒険騎士養成学校入学の式典。冒険者ギルドの練兵場に設けられた壇上に、筋骨隆々の大男が登ると開口一発、練兵場に響き渡る大声でそう言い放つ。
「夢と希望に胸を膨らませ、頭の中お花畑のまま故郷を出てきた若造ども。貴様らが自分に英雄の素質が有ると勘違いしているのならば、そんなゴミ屑にも劣る妄想など、今すぐここで捨ててしまえ!!」
男は宿屋の親父さんに勝るとも劣らない、凄まじい体格をしている……ただ、親父さんは髪も髭もフサフサなのに対して、壇上の大男は頭に毛の一本も無い。見事なまでのハ……スキンヘッドだ。
「それが嫌ならば今すぐ回れ右して故郷に帰り、温かいベッドの中でママのおっぱいでもしゃぶりながら眠るがいい。夢は布団の中で見るものだ。我々は貴様らに残ってくれとお願いすることなど無い。出口は常に開いている。」
にしても……酷い演説だな。育ちの良さそうな奴らは、突然の罵倒の嵐に口を開いたアホ面で固まってやがる。自分一人に向けられた訳ではないが、こんな汚い言葉を向けられたのは初めての奴もいるのかもしれない。
さてと、うちの面々は……ギルバートは真剣な顔で聞いているものの、見る限りでは平常運転だな。驚いて惚けてはいないようだ。コイツ育ち良さそうだから、もっとショック受けてるかと思ったが……
クレアは……うん、予想通り驚いてるね……ってか少し涙目になってるな。クレアは温室育ちっぽいところあるから、この演説はキツイだろう。ただ、普段からオロオロがデフォルトだからな……取り敢えず頑張れ!ムキムキでスキンヘッドな威圧的なおっさんは怖いだろうけど、獲って食われるわけじゃないから……たぶん。
アビーは……分かってたさ。さっきから背中が妙に重たいと思ってたんだ……コイツ俺の背中に寄りかかって寝てやがる……立ったまま器用な奴だな。ってか服に涎垂らさないでくれ……
最後はエリク……ん?エリクの奴下向いたまま顔上げないな。コイツも寝てるのか………!!こ、コイツ肉…食ってやがる……あれは宿出る時に親父さんがくれた干し肉か?朝飯も山盛りの肉をお代わりまでしてたくせに……もう腹が減ったのか?どんだけ燃費悪いんだよお前……
………まぁ、なんだ……うちの面々は頼もしいね。どんな時でも図太くて……
「貴様らがここにいたいと望むなら、目を見開け!現実を見ろ!貴様らは特別な存在では無い!ましてや、英雄の卵などでは無い!!今の貴様らは冒険者見習いと名乗るのもおこがましい。今はまだ俺の言葉を理解出来ぬ奴も多いと思うが、安心しろ…自分達が如何に無能で程度が低いかは、明日から嫌という程思い知ることができる。」
突然の罵倒に惚けていた奴らも、この辺りになってやっと回復し始める。
罵倒に怒りを露にする者、話の内容に不安を隠しきれぬ者、反応は様々だ。
「貴様らが死地に立った時、必要なのは英雄の血ではない。たゆまぬ鍛錬で流した血だけが、貴様らの未来を切り開く刃となるだろう!……もう一度言おう。産まれながらの英雄などいない!!いるのは英雄たらんと、もがき進み続ける者と、頭を垂れ歩みを止める者だけだ!!貴様らが前者であることを切に願う。」
大男はそう締めくくり、振り向きかけた体を戻し、再度口を開く。
「そうそう、一つ重要な事を言い忘れていた………」
ドンッ!!!
実際に音が鳴ったわけではない……だが、その場にいた45名の新人達は、確かにその音を聞いた。
地の底から突き上げる様に響く音と共に、周りの空気が一変する。空気自体が粘度を持ったように、体に纏わりついてくる。前身の毛が逆立つような感覚と一斉に噴き出す汗……この感覚、「飛剣」と対峙した時にも何度か感じた……これは殺気!!
「飛剣」の時とは比べ物にならない重圧の中、知らず知らずの間に、汗まみれの手で小太刀の柄を握りしめていた。
体の奥底から湧き上がる震えを止める事ができない。握った柄が震えカチャカチャと小刻みに鍔鳴りの音が聞こえる。
目の前の男が、俺達を殺すことなどないと、頭では理解している。しかし、体が頭からの指示に従わない。臨戦態勢を解くことを良しとしてくれない……本能が訴えてくる……逃げろ!と……
周りにいた新人達の大半は、腰が抜けているのか尻もちをついて震えている。中には震えたまま体を丸め蹲っている者すらいた。どこかで嗚咽が聞こえる……
そんな中、俺の仲間達はギリギリのところで踏みとどまっていた。
ギルバートは盾に身を隠しながらも、皆の一番前に立ち堪えている。
アビーは俺の服に半ばぶら下がる様にしがみつきながら耐えている。
クレアも必死で杖にしがみつき、崩れ落ちそうな体を支えている。
エリクはそんなクレアを守る様に弓を構えている。
ちくしょう……お前らがそんなんだと、俺まで頑張らなきゃならないだろ……
今すぐ逃げ出してしまいたい衝動を堪え、笑いそうになる膝を押さえつけながら両足を踏ん張る。
「貴様らは半年後、重要な作戦の一翼を担ってもらう事になる。それは貴様らが今までやっていたような、温いままごとではない本当の戦いだ。戦場の空気はこんなものではないぞ。死ぬ気で強くなれ!必死で駆け上がって来い!そうしなければ、半年後に待っているのは本当の死だ……」
最後の言葉を噛みしめる様に言い終わると、何事もなかったかのように壇を降りていく。男の視線が切れるのと同時に、今までの重圧がまるで嘘か幻と言わんばかりに消え失せる。
いや、実際幻に近いものだったのかもしれない。男に俺達を本気で殺す気など無く、俺達が勝手にプレッシャーを感じていただけだ。だが俺には、背後に忍び寄る死神の足音が確かに聞こえた。
「ギルドマスター兼養成学校校長からの訓辞でした……続きまして、これからの………」
司会らしき女性が式を進行させていくが、言葉が頭に入って来ない。
重圧が消えた安堵感と共に、体を支えていた最後の緊張がなくなり、その場に座り込む。
「ふ~~~~~~~」
吐くことを忘れていた息を、呼吸の仕方を思い出す様にゆっくりと吐き出す。本当に、本当にここは化け物だらけだ……
「私……少し……なんでもありません。」
恥ずかしそうにモジモジとしながらそう呟くクレア。
クレア、気にしなくても大丈夫だ。周りには胃の中を吐き出している者や失禁してしまっている者もいる。少しぐらいなら誰も気付かないさ……と言ってやりたいが、ここは気付かないフリをしてあげるのが紳士だろう。
「今の……なんだったんですか?」
「たぶん気当て……だと思う。」
「気当て?なんですかそれ?」
「初動に合わせて殺気の籠った声を当てることで、相手の動きを制する……要はビックリさせて動きを一瞬止めるフェイントの一種なんだが……」
似たような技はどんな流派にも存在する。流派によって雄叫びであったり、両手を打ち合わせるなんてやり方もある。
「ビックリなんて次元じゃなかったですよ!死ぬかと思いました!おかげでクレアさんなんてちびっちゃったじゃないですか~。」
「あ、アビーちゃん!!」
「!!」
「げふっ!!」
クレアが慌ててアビーの口を押え、顔を真っ赤にして俯いてしまう。俺が折角スルーしたってのに……
「うぉほん!まぁ、俺も少しは使えるんだが……あそこまでいくと最早別の技だな。」
エリクの怒りの籠った蹴りを腹部に受け、悶絶しているアビーを見ながらため息を吐く。
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練兵場に併設された専用の宿泊施設。豪華ではないもののしっかりとした造りの二人部屋、俺はギルバートと相室だ。出される食事は朝晩の二回で食べ放題。親父さんの料理には劣るものの、肉料理が好きなだけ食える。しかも、僅かではあるが、給金も出るらしい。
校長の訓辞を忘れた訳ではない。今も思い出すだけで吐き気がこみ上げてくるあの殺気は、忘れようと思っても、心の奥底に染み込み忘れる事ができない……
しかし、こんな好待遇で、あの化け物の様な人達から指導も受けられる……期待に胸が高まっていなかったと言えば噓になる……
その日は至って普通に始まった。新しい拠点となる宿舎で一晩を過ごし、皆が今日からの日々を想像し、高目のテンションで朝食を食た。この時は誰一人として予想していなかっただろう。これから自分達を待ち受ける、地獄の様な日々を……
朝食を食べて直ぐ練兵場に集められた俺達の前に、コレルと名乗る隻眼の教官が姿を現した。
教官は俺達が全員揃っている事を確認すると、詳しい説明もしないまま、
「付いて来い。遅れるなよ。」
とだけ告げると、練兵場の外に向かって走り出す。訓練前のウォーミングアップか何かだと思い、慌てて教官を追いかけ走り出す俺達……朝食を腹一杯食べたことを後悔することになった……
最初の内は余裕の表情で走っていた俺達だったが、途中から皆押し黙り言葉を発するものはいなくなった。
周りから聞こえてくるのは、荒くなった呼吸音だけ。走り出した当初は、ひたすら外周沿いを無言で走る教官に対し、皆次々と疑問を投げかけたが、
「それだけ喋る余裕が有るのなら、速度を上げるぞ……」
そう言って本当にスピードアップした教官を見て、皆が揃って口を噤んだ。
いったいいつまで走り続ければいいのか……どれだけ走ればゴールなのか……終わりが見えず、それ故にペース配分などすることができない。ただひたすら走るという行為は、想像以上に体力を、それ以上に精神を削っていく。
アップダウンの有る入り組んだ道を、表情を変える事無く走り続ける教官に付いて行くのに精一杯で、今では悠長に質問する余裕の有る者など皆無だった。
結局その日は、一日中ひたすら走り続け、夕暮れ時になってようやく解放された。最後まで教官に付いて行けた者は十人にも満たなかった。
「明日も同じ時間に集合だ。」
教官はそれだけ言い残すと、外周沿いに力尽き点々と倒れ伏す新人達に目もくれずギルドに戻っていく。
「皆……生きてるか…?」
「ハァハァハァ……なんとか……」
「…………うっぷ…」
「ハァハァハァハァ」
「し、死ぬかと……うっ…おもい……うげっ~」
「ばかっ!向こうでやれ……こっちまで……うっ……」
皆息も絶え絶えだ。アビーが堪えられずにえずくが、アビーも俺達も胃の中に固形物など既に無く、出てくるのは酸っぱい胃液だけだ。
「ぎぼぢわるい……」
「俺の服で口を拭うなよ……」
アビーが腰にひっつき、胃液の付いた顔を擦り付けてくるが、いつもの様に引っぺがす力がもう残っていない。
「こんな所で寝たら死ぬ……宿舎に戻って、飯食って、ベッドで寝るぞ……」
「……私、とてもご飯なんて……うっぷ……食べられそうも……うげっ……ない。」
「………私もです。」
「……………」
流石のエリクも食べ物の話に狂喜はせず、嫌そうに顔を歪めている。気持ちは分かる……俺だって食うどころか、食べ物を見るのも嫌だ……
「無理にでも食っておかないと、明日がもたない……エリク、クレアとアビーに手を貸してやってくれ。先に宿舎戻ってろ。」
比較的体力の残ってそうなエリクに、クレアとアビーの世話を頼むと、笑い出しそうになる膝を抑え込みながら立ち上がる。
「………ユートは?」
「俺は奴らを回収してから戻る。」
そう言ってここまで辿り着けずに、点々と転がっている新人達を顎で指す。
「そんな事……」
「分かってるよ。別に俺にそんな義務はない。でも、まぁ奴らもこれから同じ釜の飯を食う仲間だ。ここで恩を売っておいて損はないだろ……いつか返してもらうさ。」
「……………」
「俺も直ぐに戻るさ……ほら、そっちはお前に任せたぞ。」
納得できないという表情のエリクにアビーを押し付けると、近くに転がる一人目に向けて歩き出す。
後ろから何かを引きずる様な音が付いて来る。振り返ると足を引きずるようにして歩くギルバートの姿があった。
「ギル、お前の面倒まではみてやれねーぞ。」
「僕も……手伝うよ。」
「俺に付き合う必要なんてないぞ?」
「……彼らが一人でも多く残る事が、最終的には僕達の生存率を少しでも上げるかもしれない……君が言ったように、ここで助けておいて損はないよ。」
このままだと遠くない内に脱落者が出始めてしまうだろう。人は少しでも繋がりが出来ると、そこからなかなか離れられなくなる生き物だ。今の内に少しでも声を掛け、恩を売り繋がりを作っておきたい。
半年後何が起きるのかは詳しくは分からないが、とてもヤバい事であるのは間違いないだろう。戦力は少しでも多い方がいい。矢の一本、剣の一振りが自分の命を救うかもしれないのだから。
「それに彼らもこれから同じ釜の飯を食べる仲間……だろ?」
「自分もボロボロのくせに……お人好しめ。」
「お互いにね。」
「チッ!お前が途中で力尽きても助けてやんねーからな。」
「頑張るよ。」
そう言いながら爽やかに笑うギルバートと共に、打ち捨てられた死体の様に動かない新人達を助け起こしていく。
一日中走り続け、宿舎に変えると拒絶する体に無理やり食べ物を詰め込み、重い体を引きずり倒れる様にベッドに転がり込み泥の様に眠る。
日に日に走行距離は長くなり、二週目から背負わされた重り入りの背嚢は、距離と同じく徐々に重くなっていった。
今日までの間、十五名もの脱落者が出ることとなったが、代わりに残った者達の絆は多少深まった気がする。言葉を交わす余裕などなかったが、共に地獄の様な日課を繰り返し、余力の有る者が力尽きた者を助けている内に、ある種の連帯感を感じる様になった。
そんな奇妙な連帯感を感じ始めた一月目の終わりの日。本日の走りを終え、息も絶え絶えに地面に横たわる。
「今日も生き残れましたね……」
「最後の全力疾走、あと少しでも長かったらここに居なかったかもしれません。」
「お前ら寝転がってないで、帰って飯食って寝るぞ。」
人は慣れる生き物だからか、それとも俺達が成長しているのだろうか……どちらかは分からないが、今では全員が最後まで付いてこれる様になっている。死ぬほどキツイ事に変わりはないのだが、今では終わった後に軽口を叩き合えるぐらいにはなっている。
「そういうユートも腰が上がらないみたいだね。」
「私もう一歩も歩けません~ユートさん負ぶってってください~~」
アビーが汗と埃でドロドロのまま俺に這い寄ってくる。
「アホかっ!自分で歩け!………教官、どうかなさったのですか?」
アビーを避けながら立ち上がろうとしたところで、コレル教官がこちらを見下ろしていることに気付く。
普段は終わると無言のままギルドに戻ってしまうのだが……
「全員起立!!」
そんな教官が突然発した声に、皆が飛び上がる様に起き上がる。
「整列!!………よし、そのままの姿勢で聞け。」
いつもとの違いに緊張する俺達が、整然と並んだのを確認すると教官が話し始める。
「この一月無様ではあったが、付いて来れたことを一先ず褒めておこう。」
突然教官から賛辞の言葉をかけられ、皆どう反応していいのか分からずに戸惑っている。
「だが、貴様らはようやく入り口に立つ資格を得たに過ぎん。これから本当の訓練の始まりだと思え。明日は練兵場ではなく、座学教室に集合。以上!!」
教官の言葉が終わった後も、暫く理解することが出来ずにいたが
「うぉっしゃーーー!」
「やったーーーーーー!」
堰を切ったように、周りから一斉に歓声が上がる。
「ユートさんユートさん!なんだかよく分かりませんが、やりましたね。」
「ああ、ようやく本格的な訓練か……」
苦難を乗り越えた仲間同士、抱き合い肩を組んで喜びを分かち合う。
「静かにしろっ!!貴様らそんなに体力が余っているなら、このまま夜間走行訓練に突入するか?」
教官の叱責に、ピタリと声が止まる。冗談じゃない……このまま走り続けたら、本当に死んでしまう。
「よろしい。それではさっさと宿舎に戻れ………駆け足!!」
教官の声で弾かれる様に走り出す。しかし、皆の足取りは重くない。俺も疲れているはずなのに、いつもより体が軽い気がする。
「明日からどんな訓練をするんだろうね?」
「弓……撃ちたい。」
そういえば、毎日走るばかりで暫く相棒を握っていない。手入れは欠かさず行っているが、そろそろ思いっきり振りたい。
「皆さん頑張りましょうね!」
「……ん!」
「そうだね。頑張ろう!」
「お~~~!!」
気分の高揚を抑えられず、明日の事を話し合いながら走る。
しかし、俺達は忘れていた……いや、忘れようとしていただけなのかもしれない……この一月、ただひたすら走るという、この養成学校の異常な毎日を……
この時もう少しよく考えれば、気が付けたかもしれない……まぁ、気が付けたからといって、どうにかできたという訳ではないが……少なくとも受けるショックは小さくできただろう……
もしも明日の俺が、この時の俺に何か言えるのならばこう言っただろう。
「世の中そんなに甘くない。」
と……