閑話 ~エルフと親父と肉と友情と~
「これは……」
「うわぁ~~……」
「ハハハハハ……」
人は衝撃を受けると言葉が上手く紡げなくなるらしい。絶句、とはよく言ったものだ。クレアに至っては乾いた笑いしか出ていない。俺も目の前の衝撃をどう処理したらいいものか途方に暮れていた。
肉の山……他に表しようのない絵面だ。文字通り見上げる程山盛りの肉が、俺達のテーブルいっぱいに鎮座している。
目の前の肉からはなんとも言えない良い香りが漂ってくる。
ギルドから帰った俺達を、腕組みしながら待ち構えていた宿屋の親父さんに、改めて三日間世話になる事を告げると、「バルだ。」と自らの名を短く名乗り、俺達をそのまま食堂の椅子に座らせる。
俺達を椅子に座らせた後、無言のまま厨房へ消えた親父さんが、その丸太の様な腕で運んできた物が先程述べた肉の山だった。
「……食え。」
呆然と皿を見ていた俺達は、仁王立ちした親父さんの一言で弾かれる様に動き出す。その自然と涎の溢れる香りと、空腹に突き動かされる様に肉へと手を伸ばす。
徐々に加速していく手を止める事ができない。皆も同じなのか、奪い合うように我先にと肉を口に運ぶ。
口にほうばるとスパイスの香りが鼻を突き抜け、口いっぱいに肉の旨味が広がる。噛み応えの有る肉質は、咀嚼すればするほど旨味が溢れてくる。少し癖の有る肉の風味と、スパイシーなタレが抜群に良く合う。
皆無心で手を動かし肉を口に運ぶ。狭い食堂に咀嚼音だけが響き、山盛りの肉が見る見るうちに消えていく。
「ぷっは~~~」
「ふ~~~~」
「は~~~~~」
各々ジョッキに注がれたエールや果実酒を一気に煽り、満足げに一息吐き出す。最初は冗談かと思うほどあった肉の山が、綺麗さっぱり消え去り、テーブルの上には山を支えていた皿だけが残っている。
ある意味達成感にも似たその充足した空気の中。皆満足げに腹に収まった幸福を抱え椅子の背もたれに体を預ける。
親父さんはやはり無言のまま、俺達が平らげ空になった皿を下げていく。
誰も何も話さぬが、温かく幸せな時間が流れている。先程まで競い合うように肉を奪い合っていた仲間達も、今では争い事とは無縁と言わんばかりの顔で宙を見ている。
ゴトッ!
だが、そんな至福の時間はそう長くは続かなかった。
「………え?」
「……これは……」
「うっ………」
皆に幸福を運んだのも親父さんなら、恐怖を運んできたのもまた親父さんだった。
重量の有る音を響かせ、テーブルの上に置かれた五枚の皿。各々の前に一枚づつ出された皿の上には、喰らえこの野郎!と言わんばかりの分厚い肉の塊が、威風堂々とした姿を晒していた。
俺とギルバートそれにエリクの前に出された肉は、広げた掌よりも大きく、立てた拳よりも分厚い。クレアとアビーの皿は、俺達に比べれば大分控え目ではあるものの、とても普通とは言えないサイズだ。肉の大きさの代わりに、二人の皿に添えられた拳大のフルーツの山は親父さんなりの女性への気遣いだろうか……アビーは女性じゃないんだが……
「今日のメインだ……食え。」
キョウノメイン?親父さんの放った言葉の意味が分からない。さっきの肉の山は何だったんだ?あれは前菜なのか?
断面から溢れ出る肉汁、先程の肉とは違い上品で甘く芳醇な香り、確かに旨そうだ……大量の肉を食った後でなければ……だが。
ドラゴンを倒したと得意げになっていたら、親ドラゴンが出てきた……そんな気分だ。誰もが何も言えず、動く事ができない……いや、一人だけ勇敢にも目の前の皿に立ち向かう人物が……エリクだ。
皆が臆して固まる中、エリクだけは止まることなく肉を口に運んでいる。心なしかいつもよりも表情が明るい気さえする。
「……俺達も、食うか……」
「そう……だね。食べようか……」
「いただきましょう………」
見ていても目の前の敵は消えてくれない。目で互いの健闘を祈りつつフォークを握りしめる。たとえ道半ばで倒れるとしても、立ち向かう他あるまい……
そう思いながら肉にフォークを刺し入れる……肉厚な見た目に反して、驚くほど柔らかい!!肉はなんの抵抗も無くフォークを迎え入れた。断面から大量の肉汁と、獣臭さを一切感じさせぬ芳醇な香りが溢れ出る。前哨戦が無ければ、我を忘れ齧り付いていたことだろう。
フォークで難なく切れる肉を小さく切り口に運ぶ……う、美味い!!先程の肉も素晴らしく美味かったが、この肉は別次元の美味さだ。
その柔らかさは口の中に入れた瞬間ほどける様に溶け、口いっぱいに肉汁が溢れ出て広がっていく。溢れだすその肉汁は、濃厚だがしつこくなく、ソースと相まってまるで果実の様な極上の甘さを醸し出している。できれば空腹の状態で味わいたかった……
「私もう無理…お腹いっぱい……」
俺の背後に立つ親父さんが腕組したまま見守る中、皆が寸前のところで口にしなかった一言を平然と言い放つアビーを睨みつけ、いいから食え!と目で合図しながら肉を口に運ぶ。
「どうだ?」
「う、旨い……です。」
俺の捻りだす様な答えに親父さんは無言で頷き、踵を返すとカウンターの奥に消えて行く。
「ギル……この店はこんな大量に肉ばかり出して、経営は大丈夫なのかね?うっぷ……」
脂汗を流しながら少しでも気を紛らわせようと、隣で同じく悪戦苦闘しているギルバートに声を掛ける。
コッソリと俺の皿に自分の肉を乗せようと画策するアビーに、視線をフォークで牽制するのも忘れない。自分で食え……
「うっ……いや、たぶん肉だから大丈夫なんだよ……」
「肉……っぷ…だから?」
「肉や果実は……街の周りにいくらでもあるからね。」
この肉は大森林産の魔獣肉か……大森林では魔獣や植物の発育が以上に早く、しかも通常では考えられない程大きくなるらしい。確かにこの街では、肉や果実には困らないのだろう。
「…………」
「……うっぷ……」
「もう………」
「………」
皆押し黙ったまま動く事が出来ない。俺とギルバートは7割程食べ進めたところで手が止まっている。クレアは3割、アビーに至っては1割も食べていない。
そんな中エリクだけは嬉々として肉を口に運び、完食手前まで食べ進めていた。
不思議だ……この小さな体のどこに肉が消えているのだろう……最初の肉の山もコイツが一番食べていた気がする。
皆の視線が自分に集まっていることに気が付いたエリクは、何を勘違いしたのか自分の皿にある最後の一切れを慌てて口に放り込む。
いやいや、誰も盗りゃしませんよエリクさん……
「エルクさん……私の分も食べ……」
突然の事とはいえ、不覚にも動きの影を捉えるのが精一杯だった……
「……ます?……ってもう食べてる!」
皿を前に出しながら言葉を言い終わる前に、アビーの肉はエリクの口の中だった。
「あっ!ズリーぞ!エリク俺のも分けてやる。」
「僕のもどうぞ。」
「エリク、私のも食べていいよ。」
アビーに遅れ、俺達も次々とエリクの前に肉を差し出す。エリクの目の前には、今しがた食べ終わった肉がもう一人前……いや、一人前以上集まった。
そんな尋常ならざる肉を前に、エリクが始めて見せる満面の笑み。エリクさんぱねーっす……
「凄いね……」
「圧巻だね~~」
「クレア、お前らよくここまで辿り着けたな。」
世間知らずでド天然な姉と凄まじい大食いな弟……きっと想像を絶する過酷な旅だったんだろうな……
俺の言葉の意味が分からなかったのか、頭の上に疑問符を浮かべるクレアと、極上の笑顔を浮かべながら肉を頬張るエリクを見ながら、二人の旅路を勝手に想像して少し涙が出た。
「そういえばギル、さっきの話の続きだけどな……」
「さっきというと……肉の出どころの話ですか?」
肉をエリクに押し付……譲り渡しフリーになった俺は、アビーとクレアの皿に有った果実を摘まみながらギルバートに話しかける。
口にした果実は見たこともない物だったが、食後に丁度良いほのかな甘みと酸味の有る。これも大森林産だろうか?
「そーそーそれ。肉や果実に関しちゃ分かったけどよ、穀物の類はどうなってんだ?」
肉と違い長期保存可能な穀物は、芋などの根菜と並んで消費の多い食物だ。パンとスープと少量の肉や魚に添えられた付け合せの芋。一般的な家庭の食卓はそんな感じだ。
相当貧しくなければ固いパンと薄いスープぐらいは食べれる。逆に上流階級の食事は肉や魚が増え味付けが良くなるが、パンがなくなることはない。パンは欠かす事の出来ない主食であり、その材料である穀物は重要な食材の一つなのだ。
「たぶんイングリッドでは穀物類が肉などに比べ割高なのでしょう。市を見てみないと分かりませんが、もしかしたら肉よりも高いのかもしれません。」
「そんなにか?」
「イングリッドの穀物生産力はほぼゼロです。街の周りに農園など作れませんから……一応大森林の植物成長力を使って野菜や穀物を急速に育てる実験農場が有るらしいですが、人口を考えると賄いきれないでしょう。」
肉や果実を大量に獲ることができる大森林が、当然ながら農業に関しては仇になるわけか。街の中では大きな農場など作れないし、街の外でいつ魔物に襲われるか分からない中の農作業などできない。四六時中完全武装したまま農作業なんて無理だからな。
「なのでこの街の穀物は、ほぼ外部からの輸入なはずです。シルバーさんの馬車の積み荷を覚えていますか?」
「……俺達が椅子代わりにしていたあれか?」
「はい、たぶんあれは小麦ですね。」
シルバーの馬車には麻袋が幾つか積まれており、俺達はそれを椅子代わりに座っていた。
「イングリッドは他の街に比べ、税が非常に安い事で有名です。訪れるだけでも一苦労ですが、低い税率とここでしか手に入らない大森林の産物で一攫千金も夢ではないので、ここを目標にする商人も多いです。そんな商人達が街に入る際、入街税が掛からない代わりに、一つルールが有るんですよ。」
流石商家の出、その辺りの事情には詳しそうだ。
「街に入る際、商隊の規模によって一定量の穀物を持ち込むことです。」
「税金の代わりに徴収か?」
税の物納は珍しい話じゃない。税額は基本的に金銭での支払いよりも増えるが、徴収側が物納を希望している場合は減額されることもある。
「いえ、徴収はされません。イングリッド上層部の騎士会が買い上げるんです。買い取り価格も適正……運搬費を考えると少し安いかな?でも、損をする程じゃない。」
「気前の良い話ですね~~」
税を気にしなくて良いのは、西部三国から同時に支援を受けているイングリッドの強みだな。税率の低さに加えそんなやり方をしてたら、普通の街なら破綻しているだろう。
「通常の輸入も含めて、穀物の窓口は全て騎士会が行ってる。イングリッドの巨大な貯蔵施設で一括管理して、古い物から街の人に卸すんだ。販売価格も他の街より若干高い程度なんだけど、どうしても量は制限されるから、イングリッドでは肉に偏った食事になっちゃうのかもね。」
やはりイングリッドは徹底して防衛の為の街なんだな。何らかのアクシデントで補給線が切れた場合の対策もバッチリか……
「俺達も少し買い貯めておいた方がいいかもしれないな。」
「そうですね。冒険騎士養成学校に入れば衣食住は保証されてるとはいえ、備えておくことは必要でしょう。」
「…………」
冒険騎士養成学校の話が出た途端、場の空気が重くなる。
そうだった。この問題も考えなきゃならなかった……先程ギルドで言われたこと。皆忘れていたわけではないだろう。ただ、直ぐには結論が出ないのだ。
理由は様々だが、皆ここに来た目的は冒険騎士養成学校に入学する為だ。今回は諦めろと言われ、ハイと簡単に頷けるものではない。だが、ギルド職員エルマの口調から考えて、今入学すると相当ヤバい事に巻き込まれるのだろう。それこそ命に関わるような……
危険な仕事であることは分かっていた。冒険者は命を天秤にかけて対価を得る。この道を進むと決めてから覚悟はしていたつもりだったが、実際に危険が目の前に有るかもしれないと思うと二の足を踏んでしまう。
想いが軽いわけではない。進むべき道を違える気は無い。だが、直ぐ答えを口にすることもできない。
「まだ時間は有るんだ。今日はゆっくりと休んで、明日一日かけて考えるでいいんじゃないかな?」
「ですね~。私今日考え事したくありません~」
「そうだな。急いて今すぐ決めなくても良い。明日しっかり考えてから答えを出そう。」
「疲れてると考え纏まりませんもんね。」
皆も答えは決まっているのかもしれない。明日一日で覚悟を決めるのだろう。
「……ごちそうさま。」
明日の方針が決まり、話が一段落ついたところで、タイミング良くエリクが食事を終える。
「本当に食べきっちゃいましたね……」
「この小さな体のどこに消えたんだろうな……痛って!」
俺の小さいという発言が気に障ったのか、テーブルの下で足を蹴られた。
「エリクは昔からこんな感じですよ。」
そう言った姉の方はさほど大食いでは無い。今までの食事を見る限り、どちらかと言えば食が細い方だろう。なのに……
方や食事が効率よく体に回る姉、方やいくら食べても成長しない弟……世界に於ける不条理の縮図を見た気がする……
「痛っ!いてーよ!」
「……ふん!」
不埒な事を考えていたのがバレたのか、エリクが先程よりも強く足を蹴ってきた。
「腹は満たされたか?」
「うぁ!っとと……あ~~ビックリした~~」
いつの間にか音も無く背後に立っていた親父さんの声に驚き、アビーが椅子から転げ落ちそうになっている。
この親父さんの隠形、いつか伝授願いたいな……
「ごちそうさまでした。」
「とっても美味しかったです。」
「私的にはもう少し量が適正ならモゴモゴモゴ!ウー!」
「親父さん。素晴らしく美味かったよ。」
空気を読まず、要らぬ一言を言いかけるアビーの口を塞ぎながら親父さんに礼を述べる。量にはやや閉口したが、美味かったのは事実だ。今までで食べた料理の中でも一二を争うと言っても過言では無い素晴らしいものだった。量以外は……
俺達の言葉に何を感じたのか厳つい表情からは読み取れなかったが、親父さんは短く「そうか。」と答えただけだった。
そんな親父さんが無言のままテーブルの皿を片付け始めたその時、エリクが立ち上がり親父さんの前に進み出る。
「エ、エリク?」
エリクの纏う空気に、クレアが心配そうな声を掛けるのを余所に、エリクは自分の身長の倍はある大男を鋭い視線で見上げる。
親父さんも片付けの手を止め、自分を見上げる小さなエリクの視線を正面から受け止める。
「………………」
「………………」
ごくりと誰かが唾を飲み込む音が聞こえる。いや、もしかしたら俺自身が発した音かもしれない。
無言のまま視線を交わす二人の空気に当てられ、皆が一言も発せず異様な緊張感が辺りを包み込んでいる。
張り詰めた空気の中、暫く無言で見つめ合った二人が同時に動く。
ガシッ!!
「………ん。」
「………うむ。」
二人はがっしりとお互いの手を握り頷き合う。
………はぁ?何がどうなった?
無口な二人の意味不明な行動で、ポカンと惚けている四人を置き去りにしたまま、エリクは何食わぬ顔で椅子に戻り、親父さんも片づけを再開する。
「なんだったの?」
「さあ?」
「この二人の中では、なにかしらのやり取りが有ったんでしょうが……」
尋常ならざる量の料理を出した者と、それを全て平らげた者。二人の間では言葉に出さずとも、何か通じるものが有ったのかもしれないが……
「なんだか分からんが、ドッと疲れた……」
「ですね……」
エリクと親父さん以外は、言い知れぬ疲労感に深いため息を吐くのだった。