~宿屋~
シルバーが俺に掌大の銀色のプレートを差し出す。受け取ると思ったより軽い、不思議な手触りの金属板だった。
「……これは?」
「皆さんの当面の身分証です。」
「皆…ってことは、俺個人のじゃない?」
「そうです。五人分の身分証です。保証人は私、代表者はユートさん、身分は冒険騎士養成学校入学予定の新米冒険者となっています。再発行には重いペナルティが課せられますので、絶対に無くさないでくださいね。」
「個々に身分証を発行してくれないのか?」
街に定住している者にとっては己の顔が、自分を知る隣人こそが身分証になるのだが、旅人の場合はそうはいかない。旅人にとって身分証は、街の中で己が存在を証明する重要な物だ。
宿を借りる際、ギルド等へ登録の際、大きな買い物や取引の際、揉め事を起こした時は勿論、街中を巡回する憲兵に身元を尋ねられた際にも身分証を提示しなければならない。
「申し訳ないですが、この街のルールなのですよ。イングリッドは入出の際に税が掛かりません。その代わり、一定以上のグループでないと身分証を発行してもらえないのです。勿論、冒険騎士やこの街に一定期間定住して身元の確かな者に関しては個別に発行されますが、それ以外は例え、王侯貴族であってもこのルールは適用されます。当然グループ内部の者が揉め事を起こした際は、全員に連帯責任が課せられます。」
「それは…かなり厳しいですね…」
「イングリッドは一応重要防衛拠点扱いですからね……各城壁が区切る門を通る際は、当然身分証が必要ですが、街での拠点を明らかにすれば、個々で街を散策する程度は問題ありません。仕事としてギルドの監視員が付いている場合は、個別に門の入出をすることも可能です。」
成程、これは街に入る者の管理システムの一部なのか。本来入出の際の税金は、余計な人間が街に入り込むのを防ぐ役割をしている。目的も無く金を払って街に入る馬鹿はいない。イングリッドには入出に税が掛からない代わりにグループを形成する必要がある。内部での行動が不便になるので、グループを形成する際には同一の目的を持つ者同士となり、不審な動きをする者がいる場合発見がし易くなる。グループ単位で不正を行う場合も、個別で動かれるよりも目立つし、管理もし易いってところか……
「それと、宿の登録が終わりましたら、この木札を持って冒険者ギルドへ行って手続きを行ってください。」
手渡された木札を手元で確認する。四角い木版に焼き印を施し半分に割った物の片割れ、いわゆる割符といわれるものだ。
「それは私からの推薦状です。それを手に入れることが、冒険騎士養成学校入学の試験のようなものです。おめでとうございます。貴方達は合格です。」
「え~~!それじゃあシルバーさんは試験官だったんですか~?」
突然の発表に皆が驚きの声を上げる。
「私だけじゃありません。商隊の構成員全員ですよ。冒険騎士を目指す者は多いですからね。イングリッド上層部から依頼を受けた協力者が任意に篩にかけるのですよ。」
「その割符が無い人は……」
「門前払いされます……といっても、あの商隊だけが試験という訳ではありませんので、実力があり目端の利く者なら手に入れるのはさほど難しくないでしょう。」
そう言いながらシルバーはこちらを見てニコリと笑う。まぁ予想通りか……最初の歪な野営も、「飛剣」が行った訓練名目の戦闘も全て試験の一環なのだろう……最後の強行軍だけは毛色が少し違う気がするが……
「冒険騎士学校の入学受け付けは来月です。まだ二週間ほどありますが、その割符をギルドで提示すれば簡単な依頼なら受ける事ができるようになりますので、先程お渡しした護衛料と合わせれば宿賃もなんとかなるでしょう。」
「折角ここまで来て飢え死にしたら洒落になりませんね。」
クレアの言葉に皆が声を上げて笑う。
「さて、私はそろそろ行きます。」
「シルバーさんありがとうございました。」
「いえいえ、こちらこそ大変有意義な旅でした。」
シルバーはこれから商人ギルドへ向かうらしい。俺達は宿を確保した後冒険者ギルドへ向かうので、ここで別れることになる。
「それと…宿なら外周東区にある、月の環亭という宿屋がおススメですよ。店主は不愛想ですが、信頼のおける人物です。」
「なにからなにまでありがとうございます。シルバーさんもそこに宿泊ですか?」
「いえ、私はしがない行商人。西から東の根無し草……商人ギルドにある宿泊施設を利用させて頂こうかと思っています。」
「そうですか……」
「宿の主人に、シルバーからの紹介と伝えてください。多少ですが便宜を図ってくれるはずです。それに月の環亭の肉料理は絶品ですよ。私もご一緒できないのが残念なぐらいです。」
見知らぬ街で信頼のおける宿を探すのは非常に難しい。勿論、ある程度の大きさがある街で金に糸目を付けなければ、信頼のおける宿はそれなりの数がある。信頼度と宿賃は基本トレードオフなのだ。値段の安い宿など、野宿の方がまだマシなぐらいで、寝てる間に押し込み強盗に会う旅人の話など、枚挙に遑がない。
なので宿をシルバーが紹介してくれたのは正直ありがたい。シルバーは俺達の懐事情を知っているので、宿賃は妥当な所を紹介してくれているのだろうし、この男が信頼できるというのなら、その辺りは心配ないだろう。
「皆さんがこのまま順調に冒険者としての道を歩まれるのならば、またどこかでお会いすることもあるでしょう……私の商人としての勘では近い内にまたお会いするような気がしますよ。」
「何かあったら私達に依頼してください。」
「シルバーさんの依頼なら格安で受けてあげますよ~。」
商人としての勘ね……皆は社交辞令と受け取ったようだが……
「ハハハハハ、その折は是非……それでは皆さんお元気で。」
「シルバーさんもお元気で……」
シルバーが馬に鞭を入れると馬車はゆっくりと動き出す。馬車が見えなくなるまで皆で見送る。若干胡散臭かったが、悪い奴じゃなかったな。
「さてと…先ずは宿探しからだが……シルバーの言っていた所でいいか?」
「そうですね。他に当てもありませんし……」
「……肉…」
「せっかくのおススメですから、私はそこで問題ありません。」
「肉料理~肉料理~」
満場一致で決定か……若干二名は思考が胃袋だが……
「それにしても大きな城壁ですね~。後ろにも前にも有って、なんだか挟まれて潰されちゃいそうな気分になってきますよ。」
この街には三つの城壁が存在する。先程通った城壁が大外の第一城壁。その内側に街を挟んで第二城壁。最奥に頭だけ見えている第三城壁。過去第二第三城壁は勿論のこと、第一城壁すら外敵の侵入を許したことのない、正に難攻不落の名が相応しい城塞だ。
第一城壁と第二城壁に挟まれた外周区は東西南北で四分割。第二城壁と第三城壁に挟まれた内周区は東西で二分割。第三城壁内が中央区となっている。今俺達が居るのは外周西区、イングリッドの玄関口だ。
「流石に難攻不落の城塞都市イングリッドってかんじだね。」
「だね~。」
「それになんだか不思議な形してますよね。」
難攻不落のイングリッドは、街の形状でも有名だ。他に類を見ない不可思議な形は、吟遊詩人たちに地上に現れた星と歌われる事がる。
「この街の形はベロアの旅行記にも書かれていますね。」
「なんです?そのなんとかの旅行記って~?」
「有名な見聞録ですよ。興味があるようでしたら後ほどお聞かせしますよ。」
「ほんとですか?わ~い、約束ですよ~。」
アビーが嬉しそうにギルバートの周りをクルクルと駆け回る。
「ところで…宿屋ってまだですか?私疲れちゃいました……」
「もう少し歩かなきゃダメかな。今僕たちが居るのは外周西区、紹介された宿は外周東区だから南区か北区を通り抜けてグルッと街を半周だね。」
人一倍無駄に動きまわり、はしゃいでいたアビーの発言にギルバートが苦笑いで答える。
「……遠い…」
「真ん中通っちゃダメなの?その方が断然速そう。」
「内周区へ入るには第二城壁を抜けなきゃならないからね。」
「身分証は有るんだし、そっち通りましょうよ~。もしくはユートさんおんぶしてください。」
「今日街に来たばっかりの新参者が、近道したいからなんて理由だけで内部区画に入れるわけないだろ。だいたいなんで俺がお前をおぶらなきゃならないんだよ……って聞いてんのか?引っ付くな!離れろ!」
俺の背中に乗っかろうとしてくるアビーを払いのける。コイツなにが疲れた…だ、元気有り余ってるじゃねーか。
「ブーブー!ちょっとぐらいいいじゃないですか~。」
「そんだけ元気なら大丈夫だろ!」
「む~~ケチ~。それにしても住みにくそうな街ですね。街の中を自由に通り抜ける事も出来ないなんて……それになんだか街並みも入り組んでて迷っちゃいそうです~。」
確かに曲がりくねって真っすぐ進むことのできない街並みには、正直辟易してしまう。第一城壁が抜かれた想定で、街並みまで構想の範疇なのだとしたら、この街を設計した者は世界一の臆病者かそれとも稀代の天才か……どちらにしても発想が常人の域を超えている。
「たぶんこの辺りだと思うんだけど……」
そうこうしている内に、東区に入ったのか街並みが変わってきた。この辺りは宿屋街なのだろう。周りは宿屋と併設された食堂が増えてきた。
「えっと、ここじゃないですか?」
そんな宿屋の一つをクレアが指さす。吊るされた看板を見ると、確かに月の環亭の名が刻んである。
外装は決して豪華絢爛ではないが、よく手入れされていそうな質実剛健な造りの建物は、なんとも言えない風格のある佇まいだ。
「そうみたいだな。」
「一番乗り~。」
「あっ!おいお前はちょっと落ち着け……」
俺の制止を潜り抜け、アビーが勢いよく宿の扉を押し開け中に駆け込む。
「…………」
先ほどからアビーに振り回されっぱなしの俺を、エリクが潤む様な眼差しで見ている。こんな俺を憐れんでくれているのか。エリク……無口だが優し……
「……お腹減った。」
「……………」
……気のせいだった。アビーが空けた扉から漏れ出た香ばしい匂いに、胃袋が刺激されただけの様だ。
「まぁまぁユート、僕らも中に入ろう。」
「ああ……」
ドッと溢れる疲れに、ガックリと肩を落とす俺の肩をギルバートが扉をくぐって行く。
「すいませ~~~ん!!」
扉をくぐると薄暗い部屋の中に、より一層濃くなった香りが辺りに広がっている。飯の仕込み中なのだろうか、食堂を兼ねているらしい受付には人の気配が無い。
「お~~~い!誰かいませんか~~~~」
厨房らしき部屋に向かって叫ぶアビーの大声にも反応が無い。留守か?不用心だな……
「誰も居ないみたいで…す……!!」
ひとしきり騒いだアビーがこちらを振り返った姿勢のまま固まる。無駄に動き回ったり、不自然に固まったり忙しい奴だ。アビーの視線に釣られ皆が後ろを振り返る。
「どうした…の……!!」
「…………!!」
「アビー、お前少しおち…つ……け…!!」
振り返ると俺のすぐ後ろにオーガが立っていた。余りに突然のことで思考が停止し、アビーと同じく固まってしまった。
「キャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
!!クレアの悲鳴で我に返る。くそっ!一瞬とはいえ致命的な隙……オーガから飛びのき距離を取りながら抜刀し、皆に指示を飛ばす。
「ぼさっとするな!!フォーメーション2守備陣形!」
俺の声に皆が弾かれるように動き出す。
いつの間に背後を取られた?あれだけ近づかれたのに、全く気配を感じなかった。それに目の前のオーガ、何か変だ……何故動き出さない?
オーガは肉体的には恵まれている分、頭の方は残念な妖魔だ。獲物を前にしてジッとしていられる程頭は良くない。さっきの隙に、最低でも俺を攻撃することはできたはず………ん?!
「全員動くなっ!!……指示するまで待機してくれ……」
今にも矢を放ちそうなエリクや、魔法詠唱に入ろうとしているクレアを制止しながら、目の前のオーガを観察する。
武器……は持ってなさそうだ。オーガは技術の必要な武器を扱うのが苦手な為、主に棍棒などの鈍器を使用するが、コイツは素手の様だ。素手でも脅威な事には変わりないが……
しかも人間の様な服を着ている。オーガは基本的に裸族だ。着るものといえば腰当ぐらいで、イチモツをぶら下げたままの真っ裸な場合もある。そもそも頭の悪いオーガに、裁縫の技術など無いはずだ。
厳つい顔には髭が生えている……髭?髭が生えたオーガなんて聞いた事もない………!!
顔を観察していると、ギロリと見下ろす目と視線が合ってしまい、思わず一歩後ずさる。
「…………客か?」
「えっ!?」
「喋った……」
!!………オーガが…人語を話した……先程以上の衝撃が俺達を襲う。オーガは言葉を話さない。正確にはオーガ語というのが有るのかもしれないが、人語を解する程の知能など持ち合わせていないはずだ……ということは……
「…………客か?」
俺達が動揺で動けずにいると、再び同じ質問が降ってきた。
「………アンタ…人間……なのか?」
オーガ……っぽい男を見上げながら絞り出した俺の言葉を無視し、男がゆっくりと動き出す。
皆武器を構え、警戒したたまま男の動きに合わせ体勢を変える。後から考えるとこの行動も、先程の質問も、男から見たらさぞ滑稽だっただろう。
「…………客か?」
男は受付カウンターの中に入ると三度同じ質問を繰り返す。この時になってやっと自分達の勘違いに気づいた俺達は、慌てて武器を納めると、男に向かって頭を下げる。
「申し訳ない、勘違いとはいえ武器を向けてしまいました。」
「ごめんなさい。」
「………なさい。」
「申し訳ありませんでした。」
「すみませんでした。」
皆も謝罪の言葉と共に頭を下げる。
「……気にするな。」
俺達の謝罪に対する男の返答は、ひどくあっさりしたものだった。
「冒険騎士志望者か……シルバーに言われてここに来たな?」
「あ、はい。そうです……なんでシルバーの紹介だとわかったんですか?」
冒険騎士志望の新人であることは、雰囲気で分かるのだろうが、ここに来てからシルバーの名はまだ出していない。シルバーの紹介で来たことが何故分かったのだろう……
「それは奴に直接聞け。素泊まりなら一泊半銀貨と銅貨20枚。晩飯付きで銀貨1枚だ。」
「銀貨1枚……」
俺の質問に答えてくれる気はないらしい。先程の謝罪に対する返答といい、喋るのがあまり好きではないのかもしれない。
普通の商売人ならマイナスかもしれないが、宿屋としてはプラスだろう。宿泊客の情報をペラペラ話す宿屋の主人など信用できない。
問題は宿賃だが……少し、いや大分割高ではないだろうか?宿賃は宿屋のランクによって様々だが、このランクの宿屋なら晩飯付きで半銀貨1枚前後が相場だろう。
その地方の物価によっても変動するので、一概にはいえないのだが……しまったな、こんな事ならシルバーに物価を多少聞いておけばよかった。シルバーの紹介で来たことは分かっているのだし、ぼったくられてるとは無いと思いたいが……
「……食事が穀物類無しで良いなら、朝晩付けて銀貨1枚でいい。その代り肉はいくらでも食え。」
穀物無し?最悪パンは手持ちの黒パンが有るので何とかなるが……判断が難しいな……
チャリン
仲間に判断を仰ごうと振り返りかけた瞬間、横合いから伸びてきた手が、カウンターに銀貨を2枚叩きつける様に置く。
「肉……二人前!!」
いつの間にか前に出てきたエリクが、目を輝かしながらそう言い放つ。コイツ、肉食べ放題に釣られやがった……
後ろを振り返ると、クレアが申し訳なさそうに目で謝ってきた。
「ユート、シルバーさんの勧めだし、ここでご厄介にならろう。」
「……そうだな。それにコイツはテコでも動きそうにない。」
ギルバートと肩をすくめ合いながらそれぞれ銀貨をカウンターにのせる。
「私は休めればどこでもいいですよ~。」
アビーは宿に関して拘りは無いのか、どうでも良さそうに銀貨を取り出す。
「今日の分の朝飯は明日昼飯として出してやる。部屋は二部屋でいいな?どうする直ぐ上がるか?」
「いや、今からギルドの方にも行かなきゃならないので、戻ってからでいいです。」
「そうか。戻ったら声を掛けろ。湯ぐらいサービスしてやる。」
「助かります。それじゃあ皆いくか。」
礼を言い歩き出そうとすると、後ろから引っ張られ立ち止まる。振り返ると俺の服を握りしめたエリクが、怨念でも込められていそうな目で睨んでいる。
「な、なんだ?」
「………肉。」
「帰ってきてからな。ほら行くぞ。」
「………肉!」
「先にギルド行ってからな……」
「………肉!!」
「いや、だから………」
コイツはどんだけ肉食いたいんだよ!!俺のことを睨み上げながら、一向に動こうとしない。
「………クレア、なんとかしてくれ。」
助けを求めたクレアも、エリクを説得しようと試みるが、頑なに頭を振るエリクを説得できずに困り果てている。
「おい、俺の肉料理はうめーぞ。」
カウンターの前で右往左往している俺達に、宿屋の親父が突然話しかけてくる。
おいおい、親父さん余計なことを言わないでくれ……
「この街は勿論、大陸一だと自負している。」
エリクが宿屋の親父の話に、目を輝かせながら頷いている。
ほらぁ、更にややこしくなっちまった……
「だがな、そんな俺でも作り出せない最強の調味料がある……なんだか分かるか?」
「…………」
頭を振り分からないと告げるエリクの頭に手を置きながら、その強面の口の端を持ち上げニヤリと笑う。
「最強の調味料ってのはな……空腹だ。」
「!!」
「腹を目一杯減らして来い……俺が腹一杯食わせてやる。」
暫く親父を見上げていたエリクが力強く頷くと、踵を返して出口に向かい歩き出す。
「……なにしてる、早くいくぞ。」
出口で振り返り、急展開についていけず呆然としている俺達に向かってそう告げる。
いや、早くって……はぁ、まぁいいか……
「んじゃ、行くか……」
なんだか腑に落ちない気持ちを抑えつつ歩き出す。
……なんだかドッと疲れた。早く用事を済ませて休みたい……
戻ってから部屋決めで更に一悶着あり、今以上に疲れる事になるのだが……今の俺にそれを知る術は無かった。