IA-4
I
「待って!」
学生の列からも、行き交う人の流れからも離れようとしていたその小さな影。
高校から少し離れた場所にある広場まで来たところで、私は声をかけた。
私の声を受けた相手は、機械仕掛けの玩具のように、かくかくと首を動かしながら、こちらの方に顔を向けた。
「……」
相手は無言のまま、身体をぴくぴくと震わせた。まるで自分の身体に、なすべき動きを上手く伝えられていないかのようだ。
「Ah、You……オマエ、ワタシ、アナタ……」
口が小さく動き、言葉を紡ぎ出した。壊れかけのラジオのようにたどたどしい言葉の羅列。
そんな乱れた動きにも、やがて統一が現れ始める。そいつがごく普通に腕を動かし、足を動かし、私の方に一歩近づいてくる。
「アナタ……誰?」
そして紡がれる言葉も、はっきりと意味を持ったものへと変わっていた。私という対象へと向けられた言葉に。
「……なんか、スゴいイヤな感じ。ワタシと全く同じようで、ワタシとは全く違う、さわったらばぁんって弾けそうな、そんな感じ」
昨日聞いた声と同じ声、同じ口調。
人間の私に楽しい話をたくさんしてくれたその声が、エゴとしての私の本質を捉えた言葉を紡ぎ出している。
「そう、私はあなたと同じ、だけど違う、全く正反対の存在」
私の感覚、「Bird Cage」の中にいても働く、私の感覚が、お前の存在を捉えた。
元は私の一部であり、元は私がその一部だった、インターネットの中に潜む自我を持つ巨大な情報体。アンセム。
今日の朝表に出てきたのと同様に、放課後になって再び反応を感じた。
そしてアヤトの身体を借りて、その跡を追い、こうして姿を現した。
「お前たちを消すために生まれた、お前たちとは異なる私、それがイチカ」
私の言葉に、相手はしばらく明後日の方向に
「あー、そういえばそんな記録あるなぁ。私たちから離れて、私たちじゃなくなった子のこと」
そいつは、顔をピクピクと動かしながら、表情を変えていく。そして出来上がったのは、満面の笑顔だった。
「よろしくね、イチカちゃん」
「アンセム……その子の身体に入り込んで、一体どういうつもりなの」
私は正面を見ることが出来なかった。だって目の前にいるのは、昨日私と一緒に遊んでくれて、作られたものなんかじゃない、本物の笑顔を見せてくれた。そして私の心に喜びの種をまいてくれた存在。
鳴海アキ。
知り合ってまだ一日しか経っていないのに、私の記憶の中では大きな部分を占める存在だ。何といっても、人間として初めて一緒に遊んだ相手の一人なのだから。
今目の前に立っているのは、まぎれもなくアキだ。しかし私の感覚が、アヤトの身体の中にいる私が、
「何でって…………何でだろうねぇ」彼女は笑顔のまま答えた。
「とぼけないで!」私は怒りを込めた叫んだが、アキは、いやアキの身体を借りたそいつの表情は変わらない。
こいつの出現について理由は分からずとも、原因は大体想像がつく。
データの送受信など、この世界では人間の生理現象並にありふれたことだ。この社会にいる人間の、おそらくほぼ限りなく100%に近い99%の存在が、スマートデバイスをはじめとした情報端末を所有している。
それはアキだって例外ではないだろう。デバイスを通して友達と、世界と繋がっている。
「……そもそも、なぜお前は話すことが出来るの!?」
目の前にいる人物がアキであることと合わせて、私の中で渦巻いている疑問だった。
「だって、話せるんだもーん」敵の答えは変わらずあっけらかんとしたものだった。こちらをからかう意図はおそらくないので、湧き出た怒りを抑えて呑み込む。
そして、私はその仮説について言及する。
「まさかお前はイドじゃなくて、エゴなの……?」
私の中で用意されていた仮説、あくまでも仮説で、
「イド?エゴ?なぁに、それ」
とぼけている様子はない。本当に知らないという様子だった。
確かこの言葉は、私を構成するプログラムの中にも組み込まれているはずだが。Reiが便宜的に用いた呼称だったのだろうか。
考えてみれば、こうしたアンセムに関する知識は、私が誕生したときにReiによって伝えられたものであり、私の知っているのがほんの小さな一面にしかすぎない。
アンセムが人間の身体に送り込むことの出来るデータは、私の知る限り二種類ある。
いずれもその中には人間の意識、そして肉体の構成を変化させることの出来るデータが含まれている。
これまで私が遭遇していたアンセム、その「イド」だった。
これは身体を戦闘用に強化する肉体構成データと、目的が設定されたシンプルな命令のみを内包したプログラムの二つからなる。これを挿入された人間は、肉体構成データに従ってその身体をその目的に応じたものへと変貌させる。この場合の目的とは大概、特定の対象の排除・抹消であるため、そのための戦闘に最適化された銀色の兵士へと変えられるのだ。そして目的を遂行せよというアンセムの命令が意思の全てを奪い、目的の達成のためだけに行動させる。
もう一つが、私のような存在「エゴ」だ。
エゴは、肉体の構成データを持つという点ではイドと変わらないが、たった一つ決定的に違う要素がある。それはアンセムとは独立した自我を持っていることだ。
その例がこの私だ。今私はこうして自我を持って存在している。自ら考え、自ら為すべき行動を編み出す。
アンセムは一つの巨大なエゴだ。私と同じような自我意識を持つエゴが集合することで構成されている。
私はプロメテウスの力によりアンセムから切り離され、アンセムから完全に独立したエゴとなった。
しかしアンセムがエゴの集合体である以上、そうした自我意識の一つを自らの意思で切り離して、私のような存在を生み出すことも不可能ではない。
「じゃあ質問を変える。あなたは誰?」
「うーんと……ワタシは、アンセム」何事でもないと言った感じで、彼女はそう答えた。やはりコイツはアンセムなのか。アンセムの意思を持っているのか。
彼女は、私の疑問を補足するように「あー、でもやっぱり違うかも……ワタシは、ワタシだよ!」と付け加えた。そしてさらに言葉を続ける。
「んーとね、上手く説明できないんだけどねー。もうすぐワタシになるものっていうのかな。ワタシはアンセムでもあるんだけど、ワタシでもあるの」
それまでの言葉を推測するなら、こうなる。
今アキの中にいるのは、アンセムの一部である。そしてそれはイドとは異なり自分自身の自我意識を持っているものの、まだアンセムとは切り離されていない。アンセムの操り人形ではないものの、アンセムによって下される命令に従い動く、そんな存在だろう。
イドに対するエゴの強みは、何といっても自我を有していることだ。イドの場合は、目的のままに動くだけ、それが逆に本能に従って獲物を狩る野獣と同等の存在になってしまっている。
それに対して、エゴは自ら思考する。自ら次に為すべきことを、人間、もの、状況ーその場に存在するあらゆる物質と情報を視野に入れ、思考能力を駆使してその次に取るべき行動を編み出す。
意思・思考の存在は、それを持つ者の行動の質を著しく高める。私が自分の意志で戦い、またアヤトの意志を乗せることで
「イチカちゃーん」
私の思索に応えるように、彼女は私に呼びかけた。
「アンセムは、まずはあなたの排除もしくは吸収を第一目的にしましたー。というわけで、今からそれを実行しまーす」
言葉とともに、彼女の身体に変化が現れ始めた。
ピシリ、ピシリという乾いた音が響き渡る。それはあの意思を持たない銀色の人形兵士・イドが出てくるときの音と同じだ。
彼女の身体も銀色に包まれ始めていた。しかしそれはイドの出現時とは異なる。彼女の全身は銀色に包まれるのではなく、身にまとっている制服を巻き込みながら、彼女の身体を包み込む銀色の鎧を形成していった。
変化が終了したとき、もうそこには、私の知っている鳴海アキという女子高生の姿はない。
彼女の身体は、銀色の装甲に包み込まれていた。
鎧に覆われて自らを戦うための存在にした、その一方で自我と理性を保っている。私にとっての脅威がそこに立っていた。
そんな相手を目の前にして、私の心は躊躇いで満ちていた。
そしてその右腕には、全身の大きさを超えるほどの長物が握られている。その先は三日月の形をした銀色の刃が、太陽の光を反射してギラリと光っている。
その先端が、私という獲物に対してがっちり向けられた瞬間。
「いくよー」
彼女は地面を蹴りあげ、飛びかかってきた。長刀を右後方へと大きく振り上げ、こちらとの距離を縮めながら振り下ろす。
私は左斜め後方へと身体を下がらせた。長刀の先端はわずかに私の制服のリボンの先端をかすっただけで済んだ。
相手はすかさず二撃目を繰り出そうと、再び長刀を構える。
私は全身に意識を集中した。
プロメテウス、発動。全身を包む形状変化衣服と自分自身をリンクさせる。
学校の制服が赤い輝きを帯びた粒子状になり、その形を変え始めた。
全身を包むアーマー。この身体を守り、その身体能力を高めてくれるアーマーだ。
その力を使って、二撃目が振り下ろされる前に、私は思い切り上方へと飛び上らせ、相手のはるか頭上を取った。
この跳躍は、単に相手の攻撃をかわすだけの為ではない。
そして落下を始めた体は、公園の周囲に並んでいる家屋の、屋根の上の一つに立った。
相手は下の広場からこちらを見上げている。
私の狙いは、戦いの場所を移動させようというものだった。ここは広場だ。おそらく普段は子供の遊び場として使われている場所だ。
今は人がいないが、この場所ではいずれ人がやってくるだろう。その人間にデータを送付してイドに変化させ、追加戦力とされると面倒だ。
私の後を追って、彼女もその身体を宙に飛ばした。いいぞ、乗ってきた。私はなるべく人のこない場所へ向けて、跳躍を繰り返した。
最終的にたどり着いたのは、マンションの屋上だった。
高さは7階か8階立て。その屋上の奥行きは30mほどだろうか。相手の武器を考えるともう少し広い場所を取りたかったが、いつまで逃げていても仕方がない。
私はそこに降り立ちざま振り返り、拳にエネルギーを集中させた。そしてこちらに向かって落ちてくる刃に対して振り上げた。
拳と刃、二つの力は見事に反発しあって、お互いの身体まで弾き飛ばす。
すかさずもう一撃を相手の身体に打ち込もうとしたが、相手の身体は既にこちらのリーチの外にあった。
私は一度足並みを整え、再び相手に向かう。
相手は長刀を四方八方に振り回し、こちらに向かってくる。
こちらの拳は二つある。片方で相手の攻撃を防ぎ、その隙をついてもう片方による一撃をたたき込めるのが理想だ。
しかし長刀にはリーチがある。こちらからある程度距離を保った上での攻撃が可能だ。そのセオリー通り、私は適度な距離を保ったまま繰り出される。こちらの攻撃はなかなかその身体に当たることはない。
それにパワーの差もあった。
敵の戦闘力がイドとは比べものにならないことは、最初の一撃で理解した。
こいつがどのような存在なのか、まだはっきりとは理解できないが、これまで私に向けられてきたイドとは、パワーも戦闘能力も、戦闘に関する頭脳も、比べものにならない。
相手の身体がアキのものであることを考慮してはいられなかった。いやむしろアキの身体だからこそ、あまり無茶をさせるわけにはいかない。
こちらも本気で向かっていかなければ。
しかし、私がそう思うだけでは、このスーツの真の力は発揮されない。
Reiの説明通りなら、今この身体の中にあるアヤトの意識が、私と同じ方向を向かなければならない。戦うという意思を見せなければならない。
アヤトーー
力を貸してくれ
私と一緒に戦ってくれ
私は自分の内に向かって呼びかけた。
しかし、反応はない。そもそも私の呼びかけは届いているのだろうか。アヤトは今、どんな状態にあるのだろうか。この戦いのことすら認識しているのだろうか。
Reiの手紙、Reiから送られてきた「Bird Cage」の更新プログラムの事が思い出された。
私とアヤトの意識を、この身体の中で同時に存在させる。
確かに戦闘のことを考えれば、あのプログラムがある方がはるかに有利だ。
うずまく後悔と、敵のさらなる追撃が襲いかかる。
私は後方に大きく飛び、一度相手との間合いを置いた。数秒でもいい、時間を稼いで、何とか策を練りたい。
ところが、こちらとの距離が離れたとたん、相手は長刀を構える動作を解いた。そして再びあの機械的な笑顔をこちらに向けてきた。
「なかなかやるねぇ、イチカちゃん。」
アキの声で私に向かって話しかけてきた。距離は20mほどだが、その声は十分に聞こえた。
呼吸を整える間に、おしゃべりでもしようというのだろうか。
「ワタシは今はアンセムでもあるけど、もうすぐワタシにもなるんだよね。イチカちゃんとおんなじように。だから、イチカちゃんのお話も聞かせて欲しいんだ」
私についての情報を収集しようとでもいうのだろうか。私自身分かっていない
何にせよ、時間が稼げるならこちらの思惑通りというものだ。私はそれに乗ることにした。
「さっきからワタシ、ワタシって……アンタ、自分の名前はないの?」
「え、名前?ワタシはアンセムだし、でもワタシだし……あ、アキ!……はこの身体の名前だし……」戸惑い出す。鎧をまとった厳つい外見のまま見せるその様子に、私は思わず吹き出しそうになった。
「あ、そうだ!ワタシが生まれたとちらっと見えた文字があったんだ!たしかーPetero!その前にNameって書いてあったし、多分それがワタシの名前なんだと思う」
ペテロか、確か聖書に登場する第一の使徒の名前だったか。機械的な命名のにおいがする。聖書の知識を持つアンセムによって、単に「一番目」という奴に適合する名前をつけた、ただそれだけの響きだと思った。
それともまさか私のように……いや、私だって偶然Nameが付された文字を見ただけだ。
「もう、ワタシのことはいいの!イチカちゃんの話を聞かせてよ」
ペテロは頬を膨らませ、言葉を続けた。
「イチカちゃんも、同じようなものなんだよね?イチカちゃんは、イチカちゃんなんだよね?」
「同じ、か。見方によってはそうかもね……でも、決定的に違うことがある」
私は息を大きく吸い込む。距離があるのでお互いにそれなりに声を張って話さないといけないが、私は次のセリフにより大きな力を込めた。
「私はもうアンセムじゃない!アンセムに反する存在!アンセムから切り離されて、アンセムを倒すために私として、イチカとしてここにいるんだ」
「ふーん」
彼女は再び明後日の方向に視線を向け、そして再び私の方をまっすぐに見てきた。
「ちょっと質問するね。イチカちゃんは、どうしてイチカちゃんなの?」
「……?どういうこと」質問の意味も
「んーとね、イチカちゃんは、もうアンセムじゃないんだよね?」
私は頷くしか出来ない。相手は
「何度も言わせないで。アンセムから切り離された、アンセムとは反する力から宇生まれたエゴ。そしてアンセムを消すために存在する」
「それだけ?」
「……え?」
「アンセムと反対の存在であるのは間違いないかもね、こうして戦っているとすごい分かる。イチカちゃんの身体も拳も、ワタシにとっては触るだけでもヤバいものみたい」
「……それはお互いさまだろう」
「でも、それだけだよね」
「は……?」
「イチカちゃんがイチカちゃんであるということを、どうして確信できてるのかなぁって思って」
私が、私であることだって?一体何を言っているんだコイツは。
「イチカちゃんって、ただアンセムに反対の作用を持つだけの、データの塊なんじゃないかなぁって思って」
でーたノカタマリ
なにを、いきなり言い出すんだ。
「ワタシは今、このアキって子の中にいながら、少しずつワタシになっていってる。それでも心の奥底には、アンセムの一部という意識が根っこにあるから。ワタシという意識がなくなっても、アンセムの一部に戻るだけ。ワタシはワタシであると同時に、アンセムなんだ。だから今はすごく安心できてる」
「……」
「でもイチカちゃんはアンセムから切り離されちゃった、ただのデータの塊になっちゃうんだよね?」
「データの塊って……」
「そう、データの塊。電気信号と数字の羅列だけで構成された、ただのデータの塊、そしてそれが起こす現象。それ以上でも以下でもない」
「そんなことない!私は現にこうして存在している。こうしてお前と戦った!お前と話している!」
「その身体は誰のもの?今ものを考えているのは誰の脳なの?」
それは……アヤトのだ。私のではない。この服も、装甲も、私の身体に合わせて変化してくれているが、元はただの学生服だ。
「というか、何でイチカちゃんはアンセムを憎むのかなぁ?それって、自分」
「アナタって、なあに?」
相手の言葉が、ぐいと私の元に迫ってきたように感じた。身体はまだ離れた位置にある。長刀が届く位置でもない。なのに言葉だけが、私の心にぐさりと突き刺さる。
私の身体が震えている。
落ち着け、これはアンセムの作戦なんだ。言葉を用いることの出来る尖兵を使って、私の心を揺さぶる。
でもそれは、私の中にも今まであった疑問だった。あえて気づかないように無視していた。その問題について考えることをしてこなかった。
私は、一体何なんだ。
私の心?それっていったい何?今こうして考えているのが私なのか?でもそれは確かにペテロの言うとおり、電気信号が引き起こす現象に過ぎない。
私は、いったい何なんだ。データの塊?そんなことはない、私は自ら思考して、自らの行動を生み出している。
……それが一体何になるというんだ。思考しているのはアヤトの脳だ。動かしているのはアヤトの腕だ、足だ。
そもそも私はどのようにして生まれた?プロメテウスによって生み出されたのが私。Reiがプロメテウスをアンセムに打ち込んだことで、アンセムから切り離されて生まれたのが私。
そこには、ただアンセムに反対する、対峙する、抹消するという強い目的を持っているだけの、データの固まりが残るだけだ。
そんな現象に偶然「ICHIKA」という名前が付けられただけの存在、なのではないか?
考えれば考えるほど、自分を追い込む思考が後を絶たずに生み出される。自分というものが、ボロボロと崩れ去っていくような感じがした。
ワタシハ、イッタイナンナンダ?
私の動揺は、はっきり表に出てしまっていたようで、
「なんか可哀想……ワタシ、ワタシになるのが怖くなってきちゃったなぁ。アンセムの中にいた方がずっと安心できそう」
相手は再び長刀を持つ手に力を込めた。長刀の先端で、屋上の地面をガリガリと鳴らしながら、相手は一歩ずつ近づいてくる。
「イチカちゃんも、やっぱりアンセムに戻った方がいいんじゃないのかな。その方が幸せになれそうだよ!」
ガリガリという音が鳴りやみ、代わりに刃の先端が空気を斬る音が聞こえた。
「ワタシが、優しくしてあげるから……!」
―――――――――――――――――――
A
苦しさ、辛さ、悩み。その三つだけが、今の僕の中にあった。
何も見えない、何も聞こえない、何も感じることのない世界。
そこに一つの水滴が落ちる。ぽつり、ぽつりと水滴は落ち続け、やがて周囲が波紋で満たされていく。
その波紋に乗せて伝わってくるのが、とても辛く苦しいという感情だった。
それは僕が生み出したものではない。どこか別の場所から、僕とは違う別の存在が抱いている感情だ。
そんなことが出来るのは、今は一人しか知らない。
イチカだ。
イチカが、苦しみ、悩み、そして辛さを感じている。一体彼女はどんな状態にあるんだろう。どうしてそんな感情を抱くような状況に陥ったのだろう。
波紋に乗って伝わってくる感情に、僕はそっと触れる。顔も手も足もない、まさに心で触れるという状態だった。
不思議と、その感情は僕にとって懐かしいような、そんな風に思えた。
人格別になってしまうと、TSFとしての面白さは半減してしまうのは自分でも分かってるんですが……それでもTSFタグを付けずにはいられないんですよねぇ