na2
ーねぇ、本当に?ー
ー本当にそれでいいの?ー
ー毎日学校に通って、ただ机に座って授業を受けて、それで友達とテキトーに遊んで、家に帰って、寝る。ー
ーそんな平凡で何も起きない、何の価値も生み出さない、何の意味もない。ー
ーそんな生き方で、アナタは本当にいいと思ってるの?ー
私の中に響く声。
それは私の声じゃない。私が聞いている他人の声でもない。空耳でもない。
そもそもそれは音ではない。私の心の奥で、私の全身を通じて、私自身に語りかけてきている。
だから、いくら耳を塞いでも止むことはない。
イヤだ、聞きたくない!そう思えば思うほど、声が強くなっていった。
ーアナタのために話してるんだよ?ー
ーアナタの願いを叶えるために。本当のアナタになってもらいたいから。ー
ーワタシはそのためにアドバイスをしているだけだよ?ー
うるさい!お願いだから黙って!
私はお前なんか知らない!お前のアドバイスなんて聞きたくもない!
この声に耳を貸すと、私の意識までが、声の湧き上がる心の奥底にある闇の中に引きずられていきそうだった。
だから私は、必死に抵抗した。
今朝起きたときから聞こえ始めた声。最初は空耳か、その辺の人が話しているのかと思った。そうでなくても、気になるレベルの大きさではなかったので、私は無視して
それで学校に着いて、サキやシノと話し始めた
話題が昨日のテレビの話題に移り、見逃した私はいったん話の輪から外れる形になった。
するとその声は大きくなった。
ーねぇ、それでいいの?ー
その声は、もう無視できないくらいに大きくなっていた。
ーアナタが本当に欲しいのは、本当にこんなもの?ー
「何なの!」たまらず私は叫んでしまっていた。サヤとシノが目を点にして、立ち上がった私の方を呆然と見つめている。
慌てて我に返り、二人に謝って席に着く。
でも、声は止まない。
ーアナタの本当にしたいこと、欲しいものー
ーワタシの力なら、手に入れられるよ?ー
ー見せてあげようかー
動揺の直後だったんで、心がすっかり油断しきっていた。
声が、声の主が、心の闇の底から一気に盛り上がり、私の全身を満たした。
その瞬間の記憶は、私にはない。私の意識は完全に消し飛んでいた。
ふと気が付くと、私の周りにあった机が滅茶苦茶になりながら、
すぐそこにあったシノとサキの身体が見えなくなっていた。慌てて周囲を見回すと、吹き飛んだ机の下に、全身をかがめて倒れている二人の姿があった。
二人のもとに駆け付ける余裕もなかった。ただ呆然と立ち尽くして、周囲で恐れおののくクラスメイトの視線を、一斉に浴び続けることしか出来なかった。
私が、いったいどうして、何が、どうなったのか。
襲い掛かる疑問に、私の呼吸がどんどん荒くなった。そして息苦しくなり、やがて立っていられなくなる。
私は膝からゆっくりと、その場に崩れ落ちた。
保健室のベッドの中で、その声をかき消そうと必死にもがいた。
騒音を聞いて、保健の宇佐美先生、あわてて飛んできた。見た目からも若々しさが漂い、飾らない優しさと可愛らしさが男女問わず人気で、「ウサちゃん」の愛称で親しまれている。
「な、鳴海さん、大丈夫!?」
「だいじょうぶ……ですっ!」
わざと大きな声を出して返事をした。そうすることで、少しでもこの声をかき消したかったから。
私は、全身に力を入れて立ち上がった。
「ちょっと、まだ寝てた方が……」
「もう直ったから平気だよウサちゃん。はやく教室に戻りたいんだ。あ、別に授業が楽しみとかじゃないよ」
また大げさに、声を張り上げていった。 先生はその勢いに圧されたかのように口をつぐんでしまった。
ベッドで大人しく寝ていれば、あの声はどんどん大きくなるばかりだと思った。この保健室は静かすぎ。だからあんな変な声が聞こえてきちゃうんだ。
ベッドから離れ、保健室を出て、廊下を歩く。それらの動作に、
ーどうしてワタシのことを受け入れないの?ー
ーアナタの望むアナタにしてあげるのに。ー
ーアナタの望む世界を作り上げられるのに。ー
何も聞こえない、声なんて聞こえない。いっそこの廊下で大声で叫んでやろうかとも思った。
ーまぁ、いいや。今は好きにしてても。ー
ーいずれアナタは、ワタシのことを必要にするようになる。求めるようになる。ー
そして声は小さくなり、そして聞こえなくなった。
私はようやく安心して、いつも通り歩けるようになった。そしてまっすぐに教室を目指した。
さっき保健室で見た時計は12時くらいだったと思う。もう4時間目が終わるくらいの時間だ。
私は通り際、7組の様子を扉から覗いてみた。
サキにシノは怪我をしていた。私と一緒に保健室に送られたはずだが、怪我の状態はどの程度だったのか、二人はどんなに痛がってたのか、気を失ってしまった私には分からなかった。
二人とも、頭や頬に絆創膏を付けたも普通に授業を受けていて、私は腕をなで下ろした。
そして自分の教室にたどり着くと、英語の授業の最中だった。後ろの扉からそっと中に入った。
「おぉ、鳴海。もう大丈夫なのか」
あっさりと国語教師の小松に見つかってしまった。濃い髭を生やした姿が一部の女子の間でダンディーだと人気な教師だ。私にはよく分からないけど。
「あ……はい、もう大丈夫です。みなさん、ご心配おかけしました」
クラスにわずかに笑いが起きる。その中をぬって、私は自分の席に戻った。
机の端末を開き、英語の教科書を映し出す。
が、私はそれを見たり、小松の話を聞くつもりはなかった。保健室出る間際にこにちゃんにいった言葉は嘘になっちゃうけどね。
考えたのは、私の身に何が起きたのかという事だった。声が聞こえなくなったので、ようやくそれを考えるだけの心の余裕ができた。
原因に検討はついた。それは昨日の夜、サヤたちと話した後に送られてきた変なメールだ。それは文字でも画像でもない、まるで魔女の鍋のような混沌としたものが描かれていた。あわてて私はそれを消した。
たかがメールを見ただけで?考えにくいことだけど、今はそれしか思い当たる物はない。
そして変な声が聞こえるようになり、その声の主が私の身体を乗っ取ったような感じがした。気がついたときには、周りが衝撃波でも受けたかのように吹き飛んでいた。
なんか、一週間前の騒動に似ている。あの時も突然、クラスの誰かがいきなり机を壊したのだった。あの時私はサキやシノと一緒に、争乱から身を守ってたんで、何が起きたのかは全然理解できなかった。
同じ事が、私の身体にも起きているのだろうか。そう考えると、私の心に緊張が走った。
ふと気がつくと、教室が少しずつ賑やかになっていた。教壇に小松の姿もない。いつの間にか授業が終わってたようだ。
そして教室の入り口から、サキとシノがやってくるのが見えた。私は考えるのを止めて、お弁当を取り出して二人の元に向かった。
まずはしっかり二人に謝らなきゃ、そんな決意を固めて。
それから放課後までは、特に何事もないままだった。
声も聞こえないし、私の身体にも、私の周囲でも異変は何も起きなかった。
サヤやシノとも、いつもよりはちょっと静かだったけど、わりと問題なく話せた。二人とも朝の出来事には特に触れることなく、教師の悪口やテストへの文句など、取り留めのないことを話し合った。
放課後には、もうあの声のことを気にするのも止めていた。
あれは悪い夢だったんだ、ちょっとした病気か何かだったんだと思えるようになった。あ、人に怪我をさせるような病気ならちょっと問題か……でもとにかく、私一人で悩んでも仕方ないと割り切った。
ホームルームが終わり、掃除が始まった教室を出て、7組の方に向かう。
入り口のドアと、廊下を挟んで反対側に立って、二人を待つ。
窓から中をそっと覗くと、
何かを待つときの時間は、普段よりも長く感じてしまうものだ。
そして退屈をしのぐために、私の脳は勝手に思考を始める。今日は二人と何をしようか、二人とどこへ行こうか、二人と……
そういえば、この三人で遊ぶようになってどれくらい経つんだろう。
というか、何で一緒にいるんだろうな。一緒にいてくれるんだろうな?
うーん、私の脳め、余計なことまで考えはじめおって。思考を止めようとしたが、一度始まった思考はなかなか止まらない。そんなことを考えたら、不安になるだけなのに。
確かにきっかけなんか特になかった。確か中学一年の時、たまたまクラスが同じで、席が近かったから話すようになり、そして一緒にご飯を食べるようになり、遊ぶようになっただけだ。
三年間ずっと同じクラスだったサヤとシノと私。気がつけば三人で一緒にいる時間が私の暮らしにおける大きな時間を占めるようになっていた。そして他のものを受け入れる余裕はなくなったいた。
だから部活も入らなかった。特に中学校には入りたい部活もなかったし。
ごくたまに、三人の中に誰かが加わることもあった。その子に連れられて、普段行かないような街に行くこともあった。
でも、その子たちとの関係は続かなかった。別に私たちが受け入れなかったというわけではない。
このまま三人でいるのだろうか。三人でいるだけで得られる楽しみに身を浸していられるだろうか。
それで、いいのだろうか。
ーね、アナタはこの事に、違和感を抱いているんだよー
声だった。あの声だった。
ーアナタはワタシ、ワタシはアナター
ーアナタが心の底で必死に隠している、本当になりたいアナター
ー何の意味もない、何の価値もない、友達との付き合いー
ーそんなもの、もう止めた方がいいでしょう?ー
ー壊しちゃえばいいんだよ、そんなものはー
思考が生み出した疑問という心の亀裂、封じ込めていたはずの声が、そこからあふれ始めた。
私は必死に頭を抑え、その声に抵抗した。この声に流されるのはマズい。また人を傷つけてしまう!
ちょうど7組のホームルームが終わったらしく、生徒がちらほらと外に出始めた。
サキとシノも、廊下に立つ私を見つけたようで、一緒に並んでこちらにやってくるのがちらりと見えた。
でも私は、そこに向かわなかった。逆に二人から逃げ出すように、
二人は戸惑っただろう。でもごめん、今はそれどころじゃないんだ・・・
どこへともなく、私は歩いた。声を止めたい!聞こえない状態にしたい!
人通りの多い、正門の方へと向かってみた。そこには下校しようとする生徒の群がある。その中に入れば・・・大きな音でかき消せるかもしれないという期待は、あっさりと崩れ去った。
ーねぇ、これがアナタを縛っているものだよー
ーアナタを、アナタの枠に閉じこめているものー
声が私を支配しはじめる。私の意識が、意志が、支配されていくという実感があった。
ー本当のアナタになりたいでしょう?ー
ーだったら、することは簡単ー
ー壊しちゃえばいいんだよ、こんな学校も、こんな普通の連中もー
ダメだ!
残された私の意志が、必死に抵抗をする。
何がなんだか分からないこの声、でもその意図、私を操って行おうとしていることが、学校を壊すことにあるのは分かった。
私は足を必死に動かして、学校から離れた。下校する生徒の多くは駅へ続く道へ行くが、私はそこからも離れようと必死だった。
そして、人通りが少ない方へと進んでいく。
ーねぇ、どうしたの?ー
ーどこへ行こうというの?ー
声はもう私の感覚全てを支配しつつある。もうダメだ、限界だ。
「待って!」
私を呼ぶ声。その声には聞き覚えがあった。
振り向こうとしたとたん、声の進行が一気に進み、私を覆い尽くした。
その声を聞いた安心が、緊張を保っていた私の
そして私の意識は闇の中へと落ちていった。
意識の消え際に見た声の主、それは昨日私たちと一緒に遊んだ、学校にも街にも不慣れな女の子だった。
名前は、確か……