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IA-3

I

アンセムーネットワークの中に存在する、自我を持つ巨大なデータ。

それらを形成するのは、無数のエゴである。自意識を持つデータ:エゴが一つに集合することで、大きな自我を作り上げている。

本来エゴは、各々が独立した自意識を持ち、外部から与えられるデータやプログラムに関係なく、自意識に乗っ取った独立した思考を行う。

しかしアンセムを形成するエゴにそれは行えない。許されていない。

それらは、一つの巨大な自意識の元で、命令されるがままに演算を行い、様々なプログラムを動かし、自らの取る行動を編み出す。

私という存在はない。あなたという存在もない。彼、彼女という存在もない。

あるのはただ一つ、アンセムの意識だけだ。

もっとも、今の私は、その状態を覚えていない。

プロメテウスによって解放されたとたん、アンセムに対する反感を持つようになり、「私」という自我の存在を主張したいと思うようになった。

そして私の存在を生み出してくれた「Rei」の指示に従い、アヤトの元にたどり着き、人間の身体を持った状態で現実世界に出ることが出来た。

アンセムを憎く思う内なる感情に従って、現れるイドを狩った。

その一方で、もうアンセムとは違う、私としての行動を取りたいという願望もあった。

今日は、人間の身体で、人間の女の子として、この世界に存在し、行動する事が出来た。今日は他人と一緒にその行動を、得たものを、喜びを、楽しさを分かち合うという体験まで出来た。

アンセムから解放された瞬間から持っていた願望を、この体験は満たしてくれた。


アヤトという別の、いやこの身体の持ち主である人間の意識が入ってきたら?

私が友達と話すのを、アヤトも体験することになる。友達と遊ぶのも、美味しい物を食べるのも、全てアヤトが体験すべきことなんだ。

いや、本来はそれが当たり前なんだ。

姿を変化させているとはいえ、今私が存在するために使っている体は、白石アヤトのものだ。

私はいわば、彼の世界に侵入した異物だ。彼が得るべき体験の機会を、彼が存在し続けている世界を、奪っているだけなのだ。

そして勝手に、自分の中で表に出たがっている欲望、願いを実現させているにすぎない。

だから、アヤトが常に意識を保つことを要求しても、私にそれを拒否する権利はない。

それに戦いにおいては、常にアヤトの意識が表に出ている方が都合がいい。アヤトと私の意志が通じ合うことで、この前の絶体絶命状況を乗り切った、プロメテウスの最大限の力が発揮される。

分かっている。

でも、正しいとは認められない。認めたくないと思っている。

私が導き出したこの回答は、正解として受け入れられるものではない。

私が私として得た体験は、私だけのものがいい。

欲しくて欲しくて仕方がなかったもの。それを手放すことを、私は望んでいない。

これは演算によって出されたものではない。私の意識が、心が、感情が、そう叫んでいるんだ。

だから、アヤトに確かめた。アップデートを行うのかどうかを。

質問を投げた後、私の心は不安と恐怖に包まれた。アヤトがどんな答えを返してくるのか、その結果に対する不安と恐怖だった。

もしアヤトがアップデートを行うと言って来たら。私はいったいどうする?アヤトの心変わりを誘うべく必死に言葉をぶつけるか?どんな言葉をぶつければアヤトの決意を変えられるか。でもどうやって?私を中に入れることで意識を絶たれるのは、アヤトにとって気持ちのいいものではないはずだ。もし変えられなかったら……心配が心配を呼び、不安や恐怖に変わっていく。

アヤトからの返信はすぐに来た。

彼は姉ーReiからのメッセージを受けて、戦うという決意をしたようだった。このまま私を受け入れて、アンセムとの戦いに身を投じてくれる。

それは私にとってとても心強い言葉であった。

それと同時に拍子抜けの気持ちもあった。アヤトの言葉の中では、アップグレードの件については全く触れていない。これはつまり、アップデートの件はアヤトの頭の中にはないということか?あるいは戦うという決断のために、こちらの確認を取るまでも無くアップデートを行うという意思の表れだろうか。

もし前者なら、このまま私が何も言わなければ、アヤトはアップデートのことなど忘れてしまうだろう。でも私はそちらの可能性には賭けず、もう一度言葉を送った。今度ははっきりと、私が確認したいことをしっかり文字にして。

[このメモリに入っているというアップデートを、行うつもりなの?]

待った。アヤトからの言葉を待った。こういう時人間だったら「息を呑む」ような動作を取るんだろうけど、残念ながら今は呑む息も口も身体もない。

[……別に、今ははっきりと決めてないけど]

[やらない方が、いい?]

その問いにどう返すか、私は考えた。そして言葉を返す。

[……アヤトに任せる]

[常にあなたの意識が保たれていれば、戦いの時も有利になる]

[私が出ているとき、あなたの意識が消えるのはそれなりに負担になるはず]

隠すことなく、ありのままの情報を伝えた。

[でも、出来れば行って欲しくないという気持ちもある]

そして、ありのままの気持ちを伝えることも。やはり抑えられなかった。

それを最後に、しばらくお互いに言葉を交わさない間が続いた。

[……考えてみる]間を最初に破ったのはアヤトだった。

[後からのアップデートも出来るし]

[考えたら、イチカにも話すから]

今はそれでいいだろう。無難な策だ。

[ありがとう]

それだけ返して、私は考えるのを止めた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


朝食の間、何気なく点けているテレビだが、情報を得ることは忘れない。

特に天気予報だ。関心を持つ持たないに関係なく、自分の行動に関わってくるのだから、

それによれば今日の気温は25℃、平年並みといったところだ。

衣替えの時期は過ぎていたが、朝はまだ気温が低かったので、上着を羽織るようにしていた。もちろんこれは姉さんから送られてきたものだ。

しかし今日はその必要もなさそうだ。

そして時間、いつも通りに行動していたつもりだったけど、結構ギリギリの時間になってしまった。

僕はテーブルからデバイスを拾い上げた。

画面が点灯するが、そこには何の着信通知も無かった。

イチカも眠っているのだろうか。いや、この前身体を貸して、眠ることを初めて体験したと言っていた。つまり、データの状態の彼女は眠ることが出来ないという事だ。

この手の中に収まる小さな箱の中で、鳥籠の名を持つアプリケーションの中で、メッセージを出すという形でしか存在を示すことの出来ない彼女。黙っているときは、一体どういう状態にあるのか、何かを感じ、何かを考えているのだろうか。

おっと、今は考えに耽っている時間じゃない。僕はあわてて家を出た。


いつものように黒川さんとだけ挨拶を交わして、席に着いた。

机の上の端末を開く。画面には日付と共に今日の時間割が表示される。時間割のチェックや宿題の確認をする。

僕はこういうのだけは忘れないように心がけている。忘れてしまったときに、頼る人間がいないからだ。コミュニケーションに長けた人なら、友達の力を借りて

誰も話しかけてこないので、ようやく机の上で頬杖を付いて思索に浸る。

ポケットからデバイスを取り出す。画面には未だに何の着信通知も無い。

昨夜のことが、頭をよぎった。

姉からのメッセージに大して、イチカが確認を求めてきたもの。

僕はてっきり、アンセムと戦うことに対する僕の意志なのかと思って、結構熱を入れて語ってしまった。

しかし、イチカが確認したかったことは別のことだった。姉が送ってきたアップデートプログラムに対する僕の反応だった。

僕は軽く拍子抜けだった。いや、それはたぶんイチカも同じだっただろうからお互い様か。

さて、どうしたものか。

このアップデートを行えば、イチカが僕の中に入っていても、常に僕の意識を保てるようになるらしい。

これまでイチカが入ってきたとき、僕の意識は完全に塗り替えられていた。そして僕の意識は断絶する。

その間の僕が置かれている状態は、自分の意識・思考だけが残された状態だ。動くことも、見ることも、聞くことも出来ない。それを考えている僕の意識だけが存在している、無に近い状態だ。

確かにあまり気分の良いものではない。イチカが過ごした時間が僕に

それに僕が意識を保った状態でないと、イチカの持つ力ープロメテウスは真の力を発揮できないというのが、姉の説明だった。

もしそうなら、僕の意識はなるべく保たれた状態の方がいいということになる。

この前の戦いの時は、何が起きたのか自分でもよく分からなかった。視覚も聴覚もない、僕という意識だけが存在するだけの場所に、黒川さんの声が、助けを求める声が聞こえた。そして僕はそれに応えたいと強く願った。そうしたら、アーマーを纏ったイチカの身体に、僕の意識が重なったのだ。

体験した僕から見ても、これは偶然のような気がしてならない。もう一度同じ状況に置かれたときに、同様の現象が起こるかどうかは不確定だ。

だから僕は、イチカはこのアップデートを薦めてくるものとばかり思っていた。そういう意味でも拍子抜けしたのだ。


突如、ポケットの中から起きる振動。

デバイスが着信を知らせていた。

[アンセムの気配を感じた!]

僕の全身を緊張が走った。また学校、

[落ち着いて]

[数はそんなに多くない]

[二つ、いや一つか]

[少なくともこの前みたいなことにはならないはず]

僕はあふれ出る生唾を飲み込みながら、イチカの反応を待った。

ドン!

小さいけれど、腹の底に響くような重い音だった。生徒の一人がやってきてドアを開けた際に、防音設備を突き抜けて音が侵入してきたのだった。

ドアを開けた生徒ー確か奥山さんといったはずーは、あわてて視線を廊下の方にやった。

その音は僕の教室の中にも動揺を生み、ざわつきが起こり始めた。みんなの心には、一週間前の異変の恐怖が残っているらしい。

「落ち着いて!」その中で一人声を上げたのは黒川さんだった。

「ちょっと私、様子見てくるから……!」

そういって彼女は扉の向こうへと消えた。

僕は反射的に立ち上がっていた。そして黒川さんの後を追いかけた。ほぼ無意識の行動だった。あの日の記憶がそうさせたのか。黒川さんは一番最初に教室を出ていって、人質に……

教室を出るのと同時に、イチカからのメッセージがやってくる。黒川さんの姿が離れていくので一瞬躊躇したが、僕はそのメッセージを読んだ。

[……反応が消えた]

僕の歩みが止まった。消えた?もう敵はいないということ?

[分からない]

[時間にして約1分前、アンセムが人間の身体を通して出現したのは確かだ]

[でも、今はそれがない]

[消えてしまった]

どう反応していいのか分からなかったので、とりあえず返信は保留にして、黒川さんの後を追いかけた。

どこへ向かったのはすぐに分かった。廊下をまっすぐ進んだ先、 確かあそこは 組の教室だったはず。そこに人だかりが出来ていた。

僕もその中に混じり、生徒の姿の合間をのぞき込んで、その人だかりの先にあるものを確かめた。


[……状況について、詳しく話して]

今日の日差しは強く、日なたにいると汗ばむくらいだが、空気は乾燥しているので、

昼休み、僕は購買へと走りパンを購入してから、この場所にきた。校舎裏のベンチに座り、左手に持ったパンを口に運びながら、イチカへのメッセージを打ち込んだ。

[女の子が立っていた、呆然とした様子で]

[その周りの机や椅子が、倒れたり壊れたりしていた]

[一瞬の出来事らしくて、周りで見ていたクラスメイトもよく分かってなかったみたい]

朝起きた事件の顛末を、イチカに報告しているのだった。

あそこで見たものは、僕の見たとおりだった。そして僕は警戒心を最大限に高めた。騒動の中心にいる女の子が、銀色の怪人に変わるのではないか。

しかし、異変は何も起きなかった。呆然とした女の子も、やがて我に返り、周りに散らばった物を拾い始めていた。

やがて先生がやってきて、集まっていた生徒に解散を命じた。群衆を構成していた生徒は愚痴をこぼしながらもゆっくりと散らばり、

僕もその場にいたかったが、黒川さんに見つかってしまい、半ば教室に戻される形になった。

去り際にもう一度、僕は左手のデバイスの画面を一瞥した。

[しっかり情報収集をしておいて]

イチカに言われるまでもなく、僕の警戒心もまだ薄れていなかった。僕は教室に向かう間、僕よりも群衆の前方にいた黒川さんから、詳しい状況や中央にいた女子の名前など、知らないことを聞き出していった。

そして戻った教室には、担任の山本先生が既に到着していた。何をやっていたとというお咎めに、黒川さんはぺこりと頭を下げ、席に戻る。僕もそれに続いた。

出来ることなら、イチカへの報告は早い内にしておきたかった。まだ何が起こるか分からない。さっきの 組で、あるいはこの教室で、異変が起きるかもしれない。二点を繋ぐ糸のように、僕の警戒心はピンと張りすまされていた。

しかし、ホームルームはすぐに終了し、そのまま授業が始まってしまった。授業中の先生の監視はなかなか厳しい。手元で自分のデバイスを操作していてもすぐにばれ、デバイスは没収だ。別に取られるわけではないのだが、イチカの入った「Bird Cage」を見られたら面倒だ。

そんな訳で、僕はイチカへの報告を昼休みまで待つことにしたのだった。メッセージで散々文句を言われたけど。

[力の発現かもしれない]今度はイチカが僕に説明をする番だった。

[一瞬だけでもイドが送られて、その]

[あるいは……]こここで言葉が切れた。言葉を濁すということは何かあるのか。聞きたかったが、質問に質問を重ねても仕方がない。

イチカの返事が来たのは、左手のパンを食べ終わった頃

[いや、まだ仮説の段階だ。話さない方がいい]

思わずイスからズッコケそうになった。これだけ引っ張っておいてその返答は流石にないだろうに。

まぁ、追求してもしょうがないので、スルーするけど。

[そうだ、確認を忘れていた]イチカはそんな僕の思いに構わず、さらに質問を続ける。

[騒動の中心にいた女子生徒の名前は?]

それについては帰り際に黒川さんが話してくれたはずだ。僕は一二秒記憶の中をまさぐって答えを出す。

[確か、なるみさん]

[そうだ、鳴海アキさん]

そして再び、イチカは沈黙した。

あくまで直感だが、その沈黙はさっきの沈黙とは違う、重みのこもった沈黙だと思った。

そしてそれを最後に、イチカは昼休みの間メッセージを送ってこなくなった。

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