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ヴァイス・シュラーゲンの最後を見届け、俺は馬車に乗り帝都へ戻った。空の荷台を見つけ、歓声を上げる人々に複雑な感情を抱く。
一体どれだけの人々が真実を知っているのだろうか。帝国の栄光の為、闇に葬られた本当の英雄たち。彼らは自分たちの運命を知りながら、果敢に魔王へ挑み、倒した。使命を果たす為にその場に残った彼の仲間、報告の為に帰還し、そして最後の魔王候補者として俺が命を奪った彼の事を思うと、この世界に訪れた永遠の平和を前にしても素直に喜べないでいた。
しかし、危ない状況だったとも思う。ヴァイス・シュラーゲンは魔王になりかけていた。こんなに変化が早いとは聞いていなかった。
幼い頃から魔力なしとして出来る限りの事をしようと、日々鍛錬に励んでいたのが功をなしたのか、それとも彼の意識がまだまともであったのが救いだったのか。
城の裏門から入り馬車を停め、駆け寄って来た兵士にそれらを任せ、報告の為に陛下への面会を願い出る。
暫く待たされた後、陛下への面会が許された。思いの外早い対応に驚きながらも、俺は使いの者に付いて行く。
これで俺たち魔力なしは用済みとなり、魔力なしだけが暮らす村へと帰ることが許されるだろう。
「はぁ」
無事に己の任務を達成出来た事への安堵の息を漏らす。きっと死んだ父も喜んでくれているだろう。
気を抜いていた所為で使者との距離が少し空いてしまっていた。足早に進む彼へ後れを取るまいと、気を引き締め直し足を動かす。
人気の無い廊下を無言のまま只管進み続ける。確かこの先は村の人たちに宛がわれた離れがあった筈だ。何代か前の、皇帝の弟君の療養の為に建てられた離れだと聞いた事がある。
廊下を抜けると一度外へ出る。それから更に歩き、鬱蒼と茂った木々の間に離れが見えて来た。
こんな所まで皇帝がわざわざ足を運んでくださるのだろうか?城にいらっしゃるのであれば、俺がそこへ向かった方が早かったのではないか?そう思いながらも、前を進む彼に続いた。
ドアをノックすると、中から元気な声が聞こえて来て、思わず笑みが零れた。それと同時に安堵する。やはりヴァイス・シュラーゲンの言った事は嘘だったのだと。それに、村の住人たちは皆ここに集められている。今朝まで皆と一緒に居たのだから、有り得ない事だと分かっていたのに思わず動揺してしまった。
「ヘクト!お帰りなさい!あ、お客様も……いらっしゃいませ」
一時的に借りている屋敷だというのに、まるで自分の家のように振る舞うメアリーに苦笑し、その頭を撫でて屋敷の中へ足を踏み入れる。ここでの生活は正に至れり尽くせりで、村では決して口に出来ないような質の良い野菜や果物、宝石のような菓子が定期的に届けられ、村に戻った後が大変だなと皆が口を揃え言う。
広間には村の皆が集まり、俺を出迎えてくれた。彼らは俺の任務の事を知っている。勿論ヴァイス・シュラーゲンやその仲間たちの事も、だ。彼らは何も言わず俺の背や肩を叩いて労ってくれた。
「さて、皆さまお揃いでございましょうか?」
今まで無言でいた使者がここに来て漸く口を開いた。それに続く言葉に、俺たちは期待に胸を膨らませる。
「この度は皆様方の多大なるご協力により、帝国に、いや世界中に平和が訪れた事、皇帝に代わり心よりお礼を申し上げます」
「いや、俺たちは何も……」
「そうでさ。お礼ならヘクトにだけで十分だでな」
頭を下げた使いの者に、照れた様子で騒ぎ出す村の皆が微笑ましい。確かに、今回の魔王を討伐するまでに魔力なしの仲間たちが大勢亡くなった。けれど、残った仲間たちも確かに存在している。魔王は、この世に生きる全ての人間への罰なのだと、小さい頃じいさんに教えられたのを思い出す。
これは世界中の人々が犠牲を払い、協力し合ったからこそ得られた平和なのだ。誰もが傷を負い、大切な人や物を失っている。無傷の者など存在しない。
「しかし……誠に残念ながら、あなた方は知り過ぎている」
感慨に耽っているとそんな言葉が耳に入って来た。皆が顔を見合わせ、首を傾げる。
「帝国の栄光の為、真実が漏れてしまっては困るのです。皇帝陛下の頭を悩ますものは全て排除しなければなりません」
排除、その言葉の意味が一瞬理解出来なかった。だが、使いの者の次の行動でそれを嫌でも理解する。
「皆さま、帝国の為、皇帝陛下の為、死んでください!」
彼の手の中から炎が生み出された瞬間強烈な熱波が俺たちに襲いかかってきて、とっさに両腕で顔面を防御する。
吹き付ける熱波にやけどを負ったのか、痛む腕を恐る恐る下ろした先で見たのは、赤く燃え盛る炎の壁だった。唖然とその光景を眺める。
出入口は彼の背後、俺たちが立っている場所には壁しかなく、逃げるにはこの炎を突き抜けるしかない。女性の甲高い悲鳴と男たちのどよめきが広間に広がる。
行動の早い一人の村人が果敢にも炎の中を駆け抜けようと突っ込むが、出入口の前に陣取る使者の放った魔法に当たり炎の中で倒された。
「ちくしょー!何でこんな事をしやがる!」
「何か火を消す物は無いのか!?」
「熱い!熱いよ!」
「助けて!!」
炎は生きているかの様に蠢き、その高さは天井にまで届いていた。迫りくる炎と逃げ場のない恐怖に村の皆が恐慌状態に陥る。一番離れた壁際に皆が身を寄せ合い、誰もが一番奥へと身を潜めようとしていた。
「うーん。これは少々時間の掛かり過ぎですね。丁度良く固まってくれているので、まとめて処理してしまいましょう。ヘクトさんは最後にしてあげますね。とても重大な任務をこなして頂きましたので、少しでも長く生かしておいてあげます」
俺はただその光景を見ている事しか出来なかった。もし、俺たちの中の誰かが魔法が使えたのなら、運命は少し違った方に変わっていたかもしれない。
使者の掌から放たれた発光する小さな球体が、皆が集まる丁度真上辺りで静止する。その球体が弾けたと思った瞬間、目が潰れてしまいそうな程の光が視界を包み、何かが弾け、砕ける音が耳に届く。温かい液体と塊が全身に降りかかる。
「やはりこうするのが一番手っ取り早いですね。恐怖に泣き叫ぶ人たちをじっくり弄ぶのも好きですが、今日はあまり時間がありませんので仕方がないです」
恐る恐る目を開け、その先の光景に絶句。次の瞬間には喉が震えた。
「うっ、うわああああああ!み、みんなぁ!メアリィィ!あ、あああああっ!」
壁際に身を寄せ合っていた村の皆が、その原型を留めぬ程破壊され、肉片へと姿を変えていた。自分の物とは思えない絶叫が虚しく響く。
「あ、あああぁ、あああああ」
体中から力が抜け、床にへたり込む。一粒流れ出た涙が決壊したように止めどなく溢れ、意味を為さない声が口から漏れ出す。
「さて、ヘクトさんはこのまま炎の中でごゆっくり。結界を張りましたので、燃えるのはこの広間だけなのでご安心して下さい。では、私は急ぎますので。さようなら」
「何て事だ……あああぁ、メアリー、返事をしてくれ!」
使者のそんな声も耳から通り抜け、俺は這うようにして皆の亡骸へと近づく。頭半分だけになった彼女を見つけ、更に涙が勢いを増す。
触れればまだ暖かいソレを胸に抱き寄せる。
「何故だ。何故皆が殺されないといけないんだ!あああ、うわああああ!」
メアリーの欠片を抱きしめ、宙を睨む。
「……許さない、絶対に許さない!あの男!皇帝!殺す、殺してやる!全員ぶっ殺してやる!」
ヴァイス・シュラーゲンの言っていた事は本当だった。あの時その手を取っていればこんな事にはならなかった。激しい後悔に身を焼かれる。
炎の熱がジリジリと背中を焦がす。使者と皇帝、そして何も出来ない無力な自分を心の中で呪いながら、ただ惨めに、炎がこの身を焼き尽くすのを待つしかない現状に絶望しかなかった。
「ならば力をやろうか?その恨みを晴らすには十二分の力を、だ」
そんな幻聴が聞こえたような気がして、勢い良く後ろを振り返る。
赤かった筈の炎が黒い炎に変わっていたが、それ以外の変化はなく、一瞬期待してしまった事に心が更に重くなった。
「……力が欲しいか?望むのならば、その恨みを、憎しみを、仲間たちの無念を晴らすには十二分の力を与える事が出来る」
またしても聞こえて来た幻聴。俯きかけていた顔を上げ、その姿を探す。
揺らめく黒い炎は心なしか勢いを落とし、その中から忽然と現れた見覚えのある姿に、これは都合の良い幻覚だろうか?と目を見開く。
「幻覚?そうじゃない、これは現実だ」
その幻覚は俺の目の前にしゃがみ込む。やや長い艶やかな黒髪が微かに揺れ、黒い瞳は力強く輝いている。
「これが最後だ。どうする?復讐を果たすか。それともこの場で仲間と同じ死を迎えるか」
そんな言葉と共に手を差し伸べられる。彼が何故ここに居るのか、何故生きているのか、など疑問に思わなくもないが、それでも今度は迷いなくその手を握り返す。
「力を、俺に力をくれ!!あいつらにこの恨みを、憎しみを味わわせてやる!!」
蘇ったヴァイス・シュラーゲンは禍々しく笑い、俺の胸を素手で貫いた。
「ぐふっ!」
激しい激痛に襲われ、抱えていたメアリーの欠片が腕から零れ落ちる。胸に伸びる彼の腕を縋るように握りしめた。
あまりの痛みに途切れかける意識の中、見上げたその先で彼は感情の見えない表情で、無慈悲に、俺の心臓を握りつぶした。
取りあえず中間地点は終了です。
次はこの後の出来事か、ヴァイスたちの幼少期からの話を書く予定です。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。