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鉄の檻には魔法障壁が張られ、外部から飛んでくる石をカンッという小気味よい音を出して弾き返している。物の侵入は阻む事は出来るが、音はそうでもないようだ。
城から引き摺り出され頑丈な鉄格子のついた馬車に乗せられてから数十分、見慣れた街並みが見えて来たと思えば虫の死骸にでも集るアリのように民衆たちが集まりだし、こちらに向かって罵声を叫びつつ腐った卵や石やらを投げつけてくる。
(ご苦労なことで……)
無駄としか言いようのないその行為に、心の中で呟いた。
「ヴァイス・シュラーゲン!このっ!人殺しが!!」
ひと際大きな怒鳴り声と共に何か大きな物がそれなりの勢いでぶつけられたのか、正面にある障壁が僅かに波打ったように見えた。
床に座り正面しか見ていなかった顔を横に向けると、見覚えのある男が顔を真っ赤に染め手に持った鍬をこちらに向けて振り上げている。
民衆の不満をぶつけやすい様になのか、それとも単に民衆が邪魔でうまく進めないのか、馬車は歩くような速度で進んでいる。そのお陰で的となっている檻はとても狙いやすい。
その様子を眺め、その男が何者であったか記憶を辿る。
そう、確か果物屋の店主をしていた男だ。強面で体が大きく、幼い頃はこの男が恐ろしく感じ、お使いを頼まれた時は渋っていたように記憶している。だが、実際話してみると子供好きの気さくな人柄で、手伝いをして偉いなと果物を一つ内緒でくれる気前の良い人だった。そんな彼とも、十歳になって城に召集されてから一切会って居なかったが、変わらず元気そうでなりよりだ。
そんな人物が怒りの形相で鍬を振り上げる様に、思わず笑いが込み上げてきた。
くつくつとぼさぼさの黒髪を揺らして笑う俺に、男が更なる怒鳴り声を上げる。
「な、何を笑ってやがる!お、お前は!自分が何をしたのか分かっているのか!?」
「あぁ、分かっているさ。ここに居る誰よりも、な」
重たく、若干の違和感のある落ち窪んだ目で男をしっかり見つめる。それに何を感じたのか、唇を微かに震わせながら男は振り上げていた鍬を降ろし徐々に歩みを止めていった。
「どうして、お前が……」
視界から過ぎ去って行く男から視線を外し、騒がしい周囲を振り切るように瞼を閉じる。
人々の希望が託された今回の魔王討伐作戦は、一人の人物が裏切り、またその人物が仲間たちを殺害したことにより失敗に終わった。という帝国から発表されたその内容は、たちまち国内から近隣諸国へ広がり、世界中の人々が知ることになった。
魔王を目の前にし、恐れをなして逃げようとする人物を仲間たちが説得し引き留めようとしたが叶わず、安全な所まで送り届けようとしてくれていた仲間を自分の身の安全の為に殺害した臆病で卑劣な人物。
その重罪人の名はヴァイス・シュラーゲン。齢18歳の黒髪黒目の青年であった。
人々は希望を打ち砕いた帝国に怒り、そして人々に対しての裏切り者であるヴァイスを襲い惨殺する、筈だった。同時に発表された内容がそれを変えたのだ。
別動隊として行動していた帝国の皇子が仲間と共に魔王を討ち滅ぼしたと言うのだ。その証明に空を見よ、と皇帝は言った。魔王が復活を遂げてから見ることの出来なかった、澄み切った青空がそこに広がっていた。魔王は二度と復活せぬ。この帝国がそれを成し遂げたのだ。皇帝はそう声高々に宣言したのであった。
馬車の動きが止まり、眠りに落ちかけていた意識を浮上させ目を開ける。
何処に連れて来られたのかと周りを見渡せば、そこは見覚えのある風景であることに気が付いた。
草木が疎らにしか生えていない、切り立った崖が目立つ渓谷。崖の縁に立つと吹き上げてくる強い風に体を持って行かれそうになり、危うく出発した初日から命を落とすところだった。それを仲間たちに笑われ、彼女には呆れられた顔をされたのが懐かしい。
「出ろ」
懐かしい、とはいってもまだ二年と経っていない記憶に思いを馳せていれば、いつの間にか鉄格子の扉を開けていた兵士が外に出るように促して来た。
鎖で繋がれた両手に一瞬目を遣り、それから徐に立ち上がる。長時間座りっぱなしだったからか体が酷く重く感じた。
檻の中から足を踏み出した途端、強い横風に晒され僅かばかり体がふらつく。足を踏ん張りそのついでとばかりに周囲を見回したが、この兵士以外に周りに人気がないことに気が付いた。
「そのまま真っ直ぐ進め」
背中に何か硬い物を押し付けられ、促されるまま崖縁を目指す。このまま崖下にでも突き落とされるのだろうかと考えたが、その考えは直ぐに打ち消した。
一歩一歩地面を踏みしめながら、暢気にも今日は天気がいいなと、ふと思った。魔王が現れてからここ数年、こんなに晴れた日は無かったような気がする。
弾き飛ばされた剣が、虚しい音を響かせ床の上を転がっていく。それを最後まで見届ける事無く魔王の追撃を何とか躱し、魔力で強化した、黒い炎を纏う拳を振るい応戦する。
俺たちだけではなく、魔王にも体力というものがあったようで、初めの頃よりは随分と動きが遅い。
視界の端に、床に倒れる金色の髪の少女の姿を捕らえた。迫りくる魔王へ一撃でも食らわせようと、捨て身覚悟でその懐へ突進する。拳が魔王の腹部へめり込むが、浅い。
「ちっ!……っつ」
舌打ちの直ぐ後、脇腹に激痛が走る。だが、僅かに抉られ程度で致命傷ではない。伸びている魔王の腕を瞬時に掴み、その体を燃やし尽くすイメージで炎を生み出す。触れている箇所から黒い炎が広がり、まるで生き物の様に魔王の体を食らい尽そうと蠢く。
「ぐぅおおお!おおおお!」
呻き声を上げる魔王から後ろへ飛退き、剣の場所を把握しようと視線を巡らせる。
「ヴァイス!油断!」
斜め後方から雷の魔法が飛んで来るのと同時に、そんな声が響く。
栗色の髪の少女レイスが、肩で息をしながらこちらに杖を向けていた。
レイスの雷の魔法を受けた魔王が、手を伸ばせは触れられる程の距離で、立ったまま体中を痙攣させていた。
黒い炎でもう少しは足止め出来るかと思い油断していた。
だが、体から煙を発する魔王に、あと一押しだと見当を付ける。今が止めを刺すチャンスだ。
「ヴァイス!退けぇえええ!」
蒼い髪が白い光を先頭に突っ込んで来る。転げる様に避け、その先の出来事を呆気に取られながら見つめる。
グレンが魔王の心臓を貫いた。
倒れピクリとも動かなくなった魔王の体を確認し、仲間たちに向けてはっきり頷く。張り詰めた緊張が途切れ、体中から力が抜け倒れ込みそうになるが、何とか踏み止まる。
満身創痍の中、俺たちは辛うじて誰も欠ける事無く、魔王を討つ事が出来た。現段階では、だが。
「終わった、な」
「あぁ、終わった」
仲間たちの顔を見回すと、皆が疲れた顔の中に安堵の表情を浮かべ静かに魔王討伐成功の喜びを噛みしめていた。無傷の者など誰もいない。ここに来るまでに幾度となく怪我を負い、ろくに休む事なくただ只管駆け抜けて来た。逆に、誰一人欠ける事無くここまで来られたのが奇跡のようだった。
「これで、俺たち、英雄、だよな」
苦し気な、けれど明るい声の主に目を向けると、赤い髪の青年マシューが笑みを浮かべ仲間たちの顔を見回していた。彼は愛用の大剣を床に突き刺し、それに凭れ掛かるようにして震える体を支えていた。
「そうだ、ね。私たちは英雄の仲間入りが出来たんだよね!」
隣に来ていたレイスが同調するように明るい声を発する。
「これで、胸を、張って、帰れる、ね」
蒼い髪の青年グレンに上半身を支えられ、やっとのことで起き上がっている金色の髪の少女マリアが、穏やかな微笑みを浮かべそう零す。彼女の若草色の瞳が既に輝きを失い始めており、いつ事切れてもおかしくない状態であることに気が付く。周りに一瞬の沈黙が落ちる。
「帰ったら、取りあえずお風呂に入りたいな」
「俺は美味しい物をお腹いっぱい食べたい、かな」
「俺は、そうだな……読書でも楽しむか」
読書とかグレンらしいやと、思わず笑ってしまう。
「それから……ゆっくり休んだ後は、また皆で集まろう。この旅で話しきれなかった事を沢山、沢山語り合おう」
「いいね!それ!」
穏やかな笑みを浮かべるグレンの提案に、レイスが手を叩いて喜ぶ。何だか負けた気になるが、確かに良い案だ。
「その前に、勝利の凱旋が、待ってるぜ。国中の人間が、俺たちを出迎えるんだ。凄い紙吹雪だろうなぁ。皆笑顔でさ、何言ってんのか、分からない、ぐらいの、歓声で」
「危ないっ」
言葉の途中で体を支え切れなくなったマシューが床に崩れ落ちそうになるのを、走り寄って抱きとめる。悪いなと、苦笑いを返されるが、俺には返事が返せなかった。彼の立っていた場所には腹部から流れ出た血が水たまりを作っていたのだ。顔を強張らせる俺にマシューは笑っていた。
「そんな、顔、すんな、よ」
慎重に少し場所を移動し、気休めにしかならないが上着を脱ぎその上にマシューを座らせ、今にも後ろに倒せそうな背を支える。
「わりぃな、ヴァイス……。でさ、綺麗な女が、大勢、寄ってきてさ、花束、くれたりするかも。結婚してって、言われたり、してさ」
「あぁ、きっとそうなるさ。人類を救った英雄だぞ?嫌と言うほど交際の申し込みがくるだろうな」
俺たちのやり取りにマリアは微笑みながらゆっくり頷いていた。そう言って暫く笑い合い、誰からともなく沈黙していった。
レイスが俯き、肩を震わせる。僅かに見える頬に涙が伝っているのが分かった。
それに呼応するように、言いようのない虚しさが心に湧き上がる。
徐にマリアを床に寝かせ、その上に上着を掛けたグレンが立ち上がる。
「ヴァイス。後の役目をお前に任せる。俺はこの通り魔王の返り血をたっぷり浴びている。このまま生きていれば次代の魔王は俺になるだろう」
「はっ、ちょっと待てよ」
何を言い出すのかと、慌てての静止の言葉を発するがグレンはマシューへ目を向け、マシューはそれに力なく笑い返し、頷く。
「わ、わたしは……」
その声に振り向くとレイスは硬く目を瞑り、自分の胸元で手を握り込んでいた。微かに震える体にその葛藤が見て取れる。
「……私はここで最後の使命を果たす。後の事はヴァイスに任せるよ。だって、ヴァイスは私たちの中で一番魔力弱いでしょ?グレンが一緒だとしても、ちゃんと出来るのか心配だもん」
「何言ってんだよレイス!というか、その話はまだ早いだろう。もっと、もっと話そうぜ!まだ魔王を倒したばかりだぞ。そんな先の話」
「先じゃない!今、今直ぐしなくちゃいけない事なの!」
レイスの悲痛な叫び声に目を見開く。何かを言いかけた唇が戦慄いた。
「……俺たちは希望を託されている。第一の目的は達成出来たが、まだやる事がある。今度こそ魔王復活を阻止するために何をするべきか、分かるだろう」
「でも、俺だって!魔力は一番弱くても魔王の血に触れている。どうして俺が任されないといけないんだよ。皆で、皆で帰ろうぜ。今すぐ帰ればマシューの怪我だって治せるし、マリアだって何とかなるかもしれないだろ!もしかしたら、魔王を倒したって事で見逃してくれるかもしれないじゃないか!」
突き付けられた現実に酷く動揺する。最後の任務を任される可能性は誰にでもあった。けれど、俺は剣士、その役目から一番に外れるものだと、ずっと思っていた。
それに俺だって皆と一緒に居たい。俺だけ離されるなんて酷いじゃないか。離れ離れになるのなら、いっそ魔王を倒した事を秘密にしておけば良い。そんな邪な思いさえ芽生え始めていた。
「そんなに甘いはずがない。魔王の血に触れた者がどうなるか、お前も散々聞いていただろう。俺たちが人類の悲願を達成するんだ!だから……帰還するのは一人で良い。それに、その後に待ち受ける現実がどんなものであるのか、お前も知っているだろう。レイスを一人で死なせるつもりか?」
その言葉に芽生えていたモノは萎れ、ぐっと唇を噛みしめた。
帰りたい。皆と一緒に帰りたい。望めば望むほどこの先に待ち受けるものが、どうしようもなく理不尽な事に思えてくる。
魔王を倒した俺たちを向かるのは、民衆の暖かい迎えや熱烈な歓声などではない。柔らかなベッドもなければ、美味しい食事も出されることも無い。皇帝に報告後、直ぐ殺されてしまうのだ。魔王の血に触れた者は次期魔王、魔王にならなくても強力な魔物へと変貌を遂げ、人々を襲う。そうなる前に葬り去られるのだ、魔力を持たない稀有な人物によって。
「皆が、私たちの報告を待っているんだよ。早く報告して、魔王はもう居ないんだと安心させてあげたい。ごめんね、ヴァイス。辛い任務を押し付けようとして。でも、魔王の亡骸を完全に消し去るには私とグレンの魔力を解放するのが一番確実だと思うの」
「俺たちは英雄になるんだろ?真の英雄になるにはどうするべきか、お前には分かっているはずだ」
英雄。そう、俺たちは旅立ちの日に誓った。皆で必ず使命を果たし、歴史に名を遺す英雄になろうと。
この瞬間が必ず訪れる事を初めから知っていた。知っていたが解っていなかった。
長い旅路は決して楽ではなく、辛く、厳しく、時には喧嘩をする事だってあった。けれど、皆と支え合い笑いあった日々はかけがえのない、大切なものだ。俺はずっと漠然と夢を見ていた。この先もずっと皆と旅を続ける夢、だが、それももう終わり。儚い夢は闇に包まれ、残酷な現実に連れ戻される。
俺は零れそうになる涙を瞼で覆う事で蓋をし、頷いた。
それから俺は仲間の最後を見届ける事無く、魔石を使い城へ帰還する事となった。
グレンは微笑みを浮かべ片手を上げ、レイスは笑顔を作るのに失敗したような顔で俺を抱き締め、離れ際に回復魔法を掛けてくれた。
「先に向こうで待ってる。お前も早く来いよ」
その言葉に俺はただ黙って頷いた。
ここから帝国までは距離がある為、魔石での転移にも数分の時間を要した。
二人が最後の使命を果たせたのかは分からない。けれど、二人なら必ず果たしているだろう。だから俺も、自分の役目を必ず果たす。転移の最中そう心に決めた。
到着したのは先で待っていたのは、数人の騎士を連れた皇帝陛下と、国の中枢を担う重鎮たちだった。魔石の反応で、俺たちの中の誰かが帰ってくるのが分かったので出迎えに来たらしい。
「一人で戻って来たという事は……」
「はい。我々は魔王討伐に成功、他の仲間は次の任務を達成すべく現地に残りました」
頭を下げ、家臣の礼を取る俺に周りに集まる人たちは歓声を上げた。その歓声を聞いても心が晴れる事は無かったが、この声を聴いたら皆喜ぶだろうなと感じた。
それからの行動は素早く、俺は兵士に囲まれ地下牢へと連れていかれた。何でも色々と準備があるらしい。連れて行かれた独房で待機を命じられた。何もない石造りの独房に一人ポツンと立ち尽くす。
椅子も無ければ木製の粗末なベッドもない独房を見渡し、壁際の適当な場所で腰を下ろす。
天井は高く、背を伸ばしても飛び上がっても届きそうにない所に、格子付きの長方形の穴が開いている。そこから独房に光を取り入れているようだ。目を閉じ、耳を澄ませると鳥の鳴き声が聞こえた。
今頃国の役人達は大慌てで発表の準備に取り掛かっているだろう。世界中の人々に平和が訪れた事、そして魔王を倒した英雄として皆の名前が公表されるんだ。
きっと街中お祭り騒ぎになるだろうな。誰もが俺たちを讃えるだろう。そして、ここまで聞こえる程の歓声を上げるんだ。
「早く……」
立てた片膝に腕を乗せ、顔を埋める。
早く俺を仲間の所へ連れて行ってくれ。
「そうか……」
背に槍を突きつける兵士が何者であるかなど気にしていなかったが、何故周りにこの兵士以外の人間が居ないのか分かった。
この人物が魔力を持たない、俺たちの旅に終止符を打つ人間。
この世界の人間は生まれながらにして必ずと言って良いほど魔力を有している。しかし、原因は未だ不明だが稀に魔力を一切持たない子供が生まれてくる事がある。
魔力を持たずに生まれた子供は何故か長生きが出来ない。世界の理から外れた者達だからだという者も居るが、彼らは大人になる前に高確率で衰弱死している。
その中で大人になるまで成長できた者達もいる。しかし、その殆どが魔王討伐に召集され命を落としたのだが……。
魔王はその肉体から流れ出た血を付着させてしまった者を次の魔王へ変貌させる術を持っていた。血液中に含まれる魔力を皮膚または粘膜から浸透させ、その者が持つ魔力を作り替えながらゆっくりと肉体を侵していく。まるで病原菌のようだと学者達が言っていた。
しかし、魔王の血に侵されない者達が存在することを知った。それが、魔力を一切持たない人間だ。
王たちは世界中から成人まで達している魔力を持たない人間を集め、魔王討伐へ送り出した。勿論良い装備を持たせ、それなりに訓練をしてからだ。
だが、彼らは魔王の姿さえ見る事が叶わなかった。旅の道中、襲い掛かる魔物たちの軍勢に為す術なく散っていた。それならば、と強力な魔力を有する者達と共に送り出したが、大けがを負い呆気なく亡くなったと聞いている。彼らには治癒魔法の効果が得られなかったのだ。そんな事を何度か繰り返したのちに考え出されたのが、今回の作戦だ。
少数精鋭の部隊で魔王を討伐し、生き残った者の中で一人だけが報告の為に帰還。他の者は持てる魔力を全て放出し魔王の遺体を細胞一つ残すことなく消滅させろ。二度と魔王を復活させてはならない。それが、旅立ちの半年前に皇帝陛下直々に下された任務だった。
帰還した者も、魔王の血に侵されていないと完全には判断がつかないため速やかに命を絶ってもらう。人々の為、尊い犠牲となってくれ。皇帝陛下はそう言って俺たちに頭を下げた。