三ツ星テイストストーリー
僕は、結局出版社に持って行けなかった原稿を手に図書館に来ていた。
自分の臆病さを延々と嘆いていると憂鬱になるばかりだ。
本をよんで紛らわそうと思っていた。
僕の、図書館での定位置、図書館の奥の奥。
柔らかな西日の差し込むそこに、彼女はいた。
そして。
「貴方のそれ、美味しそうね。」
そんな台詞と共に、彼女は僕の持っていた原稿の束を指差したのだった。
●●●
「君はヤギか何かなの ?とてもそうは見えないけど。」
彼女の冗談に、僕自身あまり面白いとは思わない冗談を返した。
だが、彼女はフフッと笑い、そしてこう言った。
「ヤギに見えたなら速やかに眼科か精神科に行くことをオススメしておくわ。後、私は紙を食べる訳じゃない。食べるのはもっと別のものよ。」
彼女は嬉しそうな表情で、原稿の束を僕の手から奪った。
まさか原稿を奪われるとは思っていなかった。
僕が止める間もなく、彼女は原稿に目を通した。
彼女の真剣な表情は、原稿と正面から向き合っているのだと語っていた。
気恥ずかしさから原稿を取り返したいと思っていた僕の気持ちはみるみるしぼんでいった。
そして、彼女が読み終えるまで待とうと決めた。
こんなにも真剣に読んでくれているのだから、と。
彼女は原稿を全て読み終えた。
ふう、と溜め息をついた彼女の顔に再び笑顔が戻った。
「大まかな味を考えて、後から色々足していったのね ?色々な種類のスパイスを、味見しながら少しずつ。」
原稿を料理に例えたのか ?
……ということは。
『話の流れを考えて、そこから一々推敲して色々加えながらこれを書き上げたのか。』と聞いていたのだろう。
そう考えると、大体は当たっていた。
「まぁそうだね。」
「貴方って臆病……慎重と言うべきかしら。お客さんに絶対にマズいものを食べさせないけれど、あっと驚く、冒険した味も出してない。ずうっと安定して美味しいから、気付きにくいけど。」
彼女はペロリと唇を舐めた。
「でも、舌が肥えてる私には、分かっちゃうんだな。せっかくこんなに美味しいのに勿体ないな、って思っちゃった。」
彼女の話に聴き入る僕がいた。
不思議だった。
評価されるのを恐れていたのがバカらしいほどにするりと受け入れられる批評。
「冒険したら ?貴方なら多少冒険してもきっと……いえ、今以上にもっと美味しく仕上がるのに。」
僕は呆然としていた。
何故、という疑問で頭がいっぱいだった。
何故彼女は僕の原稿に興味を示したのか。
何故こんな表現の仕方なのか。
何故僕なんかの作品に『勿体ない』なんて言ってくれるのか。
「こんなに美味しいんだもの、もっと美味しくしてたくさんの人に食べてもらうべきよ。」
褒められた。
僕の作品が褒められた。
僕の顔はおそらく、驚きと喜びをないまぜにした様な微妙な顔だっただろう。
彼女はそんな僕の顔を見て、クスクスと小さな声を出して笑いながら続けた。
「貴方にしか創ることのできない、貴方だけの作品がまだまだ生まれそうね。私もまた食べにくるわ。期待してる。」
ふわり
彼女は消えた。
霞のように。蜃気楼のように。
そして、僕は彼女の顔をもう思い出せなかった。
ただ、僕の作品をしっかり見てくれた『彼女』がいてくれたのは確かだ。
いつの間にか空にはオレンジと紫と紺のグラデーションが映し出されていた。
●●●
「僕が小説を書くと決めた理由 ?」
インタビュアーの質問に、僕は微笑む。
彼女が前のより美味しいと言ってくれる、少し冒険した味の作品をたくさん創りたい。
それだけ。
文章を味わう彼女に捧げる物語を。