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元引きこもりの奮闘 1

漆黒のマントを翻しながら、兄さんは憂いを帯びた瞳を僕に向けた。

(わたし)がいなくなったら、此処を統括できるのはお前の他にはいないであろう」

らしくもないそんな弱気な言葉に、僕は思った通り、「らしくない」と言って笑った。

兄さんからも、「冗談だ」という言葉と、いつも通りの余裕の笑みが帰ってくると思った。

「念には念を、というやつだ。お前はそのために、今まで隠されてきたのだからな」

だが、予想を反して兄さんは小さな苦笑だけを返すと、そう言って僕の頭に手を置いた。いつまで経っても子供扱いする兄さんに僕が眉間に皺を寄せると、兄さんはらしくもない、優しげな笑みを浮かべて僕の頭の上の手を引き、踵を返して僕に背を向けた。


ーーー僕の嫌な予感が的中する、数時間前の話。




◆◆◆◆◆




嫌な予感というのは、鬱陶しいことに当たりやすいものだ。余程後ろ向きな阿呆では無い限り、悪いことの前兆を感じ取った時のみに嫌な予感がするからだろう。逆に言うならば、良いことの前兆というものは少なく、良いことが起こる予感というのは何の根拠も無く、同時に当たる確率は低い。故に嫌な予感が当たりやすいと錯覚するのだと思う。何が言いたいのかと言うと、僕はこの、最悪の事態も多少は、本当に少しだけ想像していた。兄さんの態度が、それを嫌でも想像させたからだ。

しかし最悪という言葉でもって表現出来ない程に最悪過ぎるし、滑稽過ぎる。僕はそんな現状に、身支度を整え終わると、既に癖になりつつ有る、深い溜め息を漏らした。


魔族が生息する世である“魔界”。僕等悪魔族は、その魔族の中でも上位種族として力をもっている。そして、さらにその悪魔族のトップであり、同時に魔界のトップであるのが、僕の兄さん、クルス・ブーゼ・ズューデンス。兄さんの力によって魔界は、人間界、天界、そして魔界の、三つの世界の中でも一番の勢力を誇ってきた。

しかし三年前。人間界からやって来た“勇者”とやらのせいで、その多大にして膨大な力は消滅し、魔界の力は、まるで重力に従う林檎のように急降下していった。今では魔界でも、魔族の居場所はこの王国、シュレミードの他には無いと言っても過言では無い。僕の一族、代々魔王として魔界のトップに君臨していたズューデンス一族も一気に衰退し、今では廃れた貴族さながらだ。


そんな最悪の中の唯一の救いが、僕。クロイツ・デス・ズューデンスである。これは驕りなどではない。それこそが僕の役目なのだ。


兄さん含め、僕の一族は、僕のことを兄さんの代替としてこの屋敷に幽閉してきた。幽閉といっても、馬鹿みたいに大きな屋敷は何もかもが充実していて、食事、娯楽、全てにおいて不自由を感じたことは一度も無い。

つまり、僕は遊んで暮らすだけのお気楽な次男坊だったのだ。そしてこれからも、兄さんが魔界を統括し続け、僕の生活は変わらないと思っていた。

故に僕は、嫌な予感こそしていたものの、覚悟なんて微塵も用意していなかった。急に兄さんの後を継げと言われても出来るわけが無い。それは僕のみの油断ではなく、屋敷の人間どころか魔界の魔族全てが、兄さんが敗れる訳が無いと思っていただろうから、仕方無いことだと言い訳をさせて貰いたい。

しかし、油断していたせいで僕が用意(・・)に三年もかかってしまったということは、言い訳のしようがない事実である。

僕はやり混んだゲームや、愛読書に後ろ髪を引かれる思いをしながらも、重い足取りで自室を後にし、黒と赤を基調とした調度品や、豪華な装飾を施された廊下を、玄関へとたどり着くべく歩みを進めた。

僕等の一族は廃れはしたものの、全盛期の財産が未だ多額残っているため、切り詰めた生活を強いられるだとか、差し押さえられるだとか、そんなことは無い。つまり勇者の侵略に、僕の暮らしには大した影響を受けていないのだ。

高級そうな調度品が、家具というよりもオブジェのように飾られる玄関に辿り着いた僕は、用意していた鋼鉄の、鎧のような造りのブーツに足を通した。

「本当に万全か。クロイツ」

しかし、そんな舌っ足らずな幼い声が後ろから聞こえ、僕は片足だけブーツを履いた状態で後ろを振り向く。声の主は、真っ黒いコートでその小さな体に包んだ、黒い長髪の幼児。頭部からは二本、赤い角が天を向いて立派に生えていた。

僕と全く同じだが、一回り程小さな角。

「兄さん」

そう、この幼児が僕の兄さんの成れの果て。

奴等……勇者一行という頭のおかしい良い子ちゃん一行は、魔王である兄さんを殺すことは無かったが、その代わり奴等は兄さんの魔力を根刮ぎ吸収した。そのせいで兄さんは、こんなに惨めな姿になってしまったのだ。この姿では、魔力と一緒に魔王の威厳というものも消滅してしまい、残ったのは兄さんの性格の……無駄に堂々とした態度の、無力な幼児である。

「なぁ、クロイツ」

「何だい、兄さん」

「やはり、我もついて行こうと思うのだが……」

「兄さん、何度も言ったよね」

僕はブーツを履くために座っていたから、幼児退行した兄さんが立っていると丁度視線が合う。僕より頭一つ分くらい背が大きかった兄さんの小さな姿は、何度見ても同情せざるを得ない。

「今の兄さんは悪魔の幼児より弱いんだよ?」

「うむ……しかし」

「僕は……!」

目を伏せながら口を噤む兄さんに、僕は思わず声を荒げてしまった。幼児のような姿になっても尚子供扱いされるのは僕のプライドが許さない。しかし、幼児の姿の兄さんに怒鳴るというのはそれはそれで子供臭いと思い直し、僕は小さく嘆息して仕切り直す。

「もう子供じゃないし、今の兄さんとは比べ物にならない魔力を持ってる」

「そうだな」

兄さんは僕の言葉に納得してくれたようで、小さく頷いてから「達者でな」と笑った。あどけない笑顔だった。

僕は立ち上がってから「いってきます」と返すと、今までの生を過ごして(引き込もって)きたズューデンス家を後にした。



◆◆◆◆◆



「クロイツ様」

玄関に兄さんを残し広い庭を歩いていると、そんな機械のように無機質な声に呼び止められ、僕は後にした筈の屋敷を振り返る。そこには予想通り、メイド服に身を包み、長い髪をさらさらと服に散らした少女が立っていた。鮮やかな真紅の髪の中からは、小さな角が二本覗いている。

雨鬼(うき)。どうしたの?」

「これをお持ちください」

そう言って雨鬼が僕に差し出したのは、やたらと大きなリュック。受け取って持ってみると、大きさに比例して異様に重い。

「……何だい?これ」

「もしもの時に開けてください」

「もしも?」

「困った時です」

僕が覗こうとすると、雨鬼の白い手がそれを遮り阻止した。……まぁ、雨鬼が見ていないところで見れば良いやと思い、それ以上は追求せず素直に持って行くことにした。

雨鬼はこう見えて、ズューデンス家に仕えるメイド長だ。主の害になるような変なことはしないだろう。

「何だか分からないけど、ありがとね」

「いえ、お気を付けて行ってらっしゃいませ」

雨鬼は本当にロボットのような無愛想な無表情でそう言うと、僕に深々と頭を下げた。僕は雨鬼が頭を上げるのを待たずに先を急いだ。


魔界、人間界、天界の、三つの世界間は、(ゲート)で行き来することが出来る。物好きな魔族は人間界の食料を好んだりして、良く行っているらしいし、天界は人間界と友好関係を結んでいるから、天界人も人間界には行き来しているらしい。何が言いたいかというと、門番という存在の適当さだ。そのせいで僕等の魔界が侵略されたのたといっても過言ではない。

何故かと言うと、悪戯好きの魔族は人間界に行くなり人間に悪さをしていたようだ。それに痺れを切らした人間達が天界人と手を組み、魔界をこんな様にした。確かに筋は通っているのだが、侵略というのは過剰防衛な気がしてならない。僕等の魔界……否、王国シュレミードは魔界の面積の四分の一は有る大規模な国だが、それはあくまで、国としては、である。元は今の四倍の面積を自由に出来たのだから、それは余りに狭過ぎる。事実、シュレミードは既に飽和状態だ。

進出してきた天界人やら人間を蹴散らすのはどうだろうかとも思ったが、そうすると三世界間で大戦争が起こりかねない。人間界と天界は結託してくるだろうし、まして衰退した魔族では、完全に滅ぼされるのが関の山だ。


だから僕のやるべきことは一つ。交渉である。


僕の読んだ本によれば人間界での交渉とは、“セーギ”と“ギリ”いう名の双剣と、“ニンジョー”という名の防壁を造り、最終的には“セーギ”で“ニンジョー”を突き刺した方が勝つらしい。なんだかよく分からない、まどろっこしい種族だが、業に入っては郷に従え。僕等魔族は今、どうしようもなく不利な状態だ。綿密に作戦を練って、確実に再び魔族の勢力を拡大させる必要が有る。


僕はやけに重いリュックを背負いながら、シュレミードと、天界人が蔓延る国であるアンジュリスとの境に有る深い森の中の、魔法陣が描かれた場所へと辿り着いた。

この魔法陣は僕の力で作った仮の門。何故こんな面倒なことをしなければならないのかと言うと、本来の門は天界人と人間によって見張られているからである。僕程の力を持ってすればそれは無意味でしかないが、低級な魔族は人間界に進出することができなくなったのだから、効果は抜群なのだろう。人間界で悪戯をするのは低級魔族が多いのだ。

僕が魔法陣の真ん中に立つと、それを合図に魔法陣から風を帯びた光が僕を照らした。そして前髪が風に攫われる感覚と一緒に、浮遊するような、妙な感覚が訪れる。すると一瞬にして風景は、先程までいた鬱蒼とした深い森の中ではなく、樹々に果実が実り草花が生い茂るような、反吐が出る程に平和そうな風景へと変わった。此処が人間界だ。

僕は草花を踏みながら、予め建てていた、庶民の住まう民家程度の小屋へと足を進めた。

奴等(・・)もきっと、既に小屋の中で待っているだろう。




◆◆◆◆◆




『ーーーー』

「はい。順調です」


『ーーーー』

「……まさか。誰に向かって言ってるんですか」


『ーーーー』

「はい。引き続き、()の監視を行います」




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