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翡翠の林檎

月無祭りの夜

作者: 広河陽

 魔を想起させる冴々とした白い邪眼が閉じられた星夜を舞台に、人々が収穫を喜び、歌い、舞う――月無つくな祭り。大陸全土の秋風が去っていく頃、新月の晩に行われる。

 祭りで人々は腹と心を満たす。子供は遊び仲間と笑い、夫婦は一年を共に生き抜いた相手と語らう。そして、若者は生涯の伴侶との邂逅を期待し、或いは積極的に働きかける。

 人々は祭り自体が持つ魔力の虜となる。

 しかし、何にでも例外はあるもので、例えばこの俺もその一人だ。

 祭りに魅了された人々にとって過ぎていく刹那刹那が甘美かもしれない。だが、はみ出し者の俺にとっては苦痛でしか在り得ない。結果、祭りの魔力が薄い、ほの暗い小路などに腰を下ろしてしまう。そこは俺にとって見知らぬ場所ではない。もう少し先には馴染みの古道具屋がある。

 翡翠の林檎という感傷的な屋号を持つ店だ。名に似合わぬ店の主が四六時中顎鬚をなでまわしながら、変わり者の顧客の来店を今か今かと待っている。期く言う俺もその一人だ。 あの親父ならば月無祭りの夜でもいつもどおりに店を開けているに違いない。そう考えると俺は店の方に足を向けた。

 その時、下の方から、声が上がった。見れば一人の少女が座っている。年は15、6か。緑のつり気味の瞳は星明かりを受けて爛々と輝き、猫を思わせる。

「ふらふら歩いてるんじゃないわよ」

 少女は抗議の声を上げて立ち上がり、腰のあたりをはたいた。

 俺は鼻を鳴らした。もしこれが妙齢の女性であったならば、さぞかし楽しい夜になっただろうに、とちらりと思ったりもした。

「あんた今、淫らなことを考えたでしょう」

 鋭い緑の視線に突かれて俺はぎくりとした。

「図星ね」

 少女はくすっと笑った。俺はあしらうと丁重にお返しをしてやる。

「月無祭りの夜に一人とはお可哀相に」

「それはお互い様、でもね、あたしは祭りの夜に目の色変えて相手探す、旬のお嬢様方とは違う。祭りがバカバカしくてここにいるの」

 俺の皮肉に少しも堪える様子がない。気丈な子だ。俺は彼女をあらためて見た。見て驚いた。靴を履いていない。それどころか爪が割れ、血が滲んでいるではないか。これは只事ではない。

 俺は彼女の足のことは素知らぬ顔をした。まともに言って通じる相手ではない。あの髭面の主に任せてしまおうと思ったのだ。

「暇ならあの店に行かないか、古道具屋なんだ。こんな所よりずっと暖かいし、主の機嫌さえよければちょっとした飲み物だって出してくれる」

 少女は困惑したような顔をした。しかし俺が、見るだけたださ、と声を掛けると、歩き出し、店の戸を引いた。

 少女に続けて俺が店に入ると、主は髭面をなでて、にやっと笑った。

「ほう、おまえさんが女性同伴で御来店下さるとはな。さしもの人嫌いも祭りの美酒には酔うらしい」

「おい主、この小猫が女に見えるのか。随分と耄碌したな」

 そう言って俺は店内の椅子に乱暴に腰掛けた。無論、売り物の、である。少女は若干戸惑ったようだが、すぐにこの場に馴染んで俺の向かいに腰掛けた。彼女は狭い店内を見回し、息を飲んだり、笑みを浮かべたりしている。どうやらこの店が気に入ったらしい。

 暫く引っ込んでいた主が、湯気が立つ杯を3つと、湯で絞った布を持ってきて同じ卓についた。

 主は少女に布をそっと渡した。足をふけ、というのだ。そして卓上に杯を置いた。中身は酒だった。しかし、少女の前のものだけが違った。おそらく何とかという豆を砕いて砂糖を混ぜたものだ。

「祭りに酔えないのならば酒精の力でも借りるんだな」

 そう言って主は早々と杯をあおった。

「こりゃあいい」

 呟いて俺も杯に口をつけた。 少女だけがじっと、杯の中の焦茶色の液面を見つめていた。

「どうした、飲めないのか」

 主が促すと、少女はきっ、と主を睨みつけた。

「こんなもので酔える訳ない。あたしの杯にも同じものをついでちょうだい」

「子どもは駄目だ」

 主が重々しく言った。すると少女は音を立てて立ち上がった。

「子どもじゃないわ! あたしはこれでも貴人の正妻なんだから……」

 語尾は消え入るようなものだった。少女は力なく腰掛け、主は黙って酒をついだ。

 俺は立ち上がった。彼女が酒を飲むところを見たくなかったからだ。後は主に任せておけばいい。

 戸を開けると晩秋の風が身を刺した。

 人々の賑やかな声が遠くに聞こえる。星は静かに瞬いている。星々の奏でる静かな調べに耳を傾けて、俺は古道具屋を離れた。


 3日後、俺は再び古道具屋の戸を押した。見れば、店の中が大分がらんとしている。

 主に訳を訊いた。

「皇太子殿下の使いという方が来て、がらくたばかりを買っていかれたのさ」

「確か殿下は御年17歳であられたっけな。去年御結婚されて、この国も安泰という訳か」

 俺は小猫に思いを馳せた。あの緑の瞳も、宮中では輝きを失って虚ろに物を映すのだろう。顔にはうわべだけの笑みを浮かべて。

  ――了

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