第四章 魔物
次の日、神殿に向うとヴィオーラはすでに待っていた。法衣の上にマントを羽織り、知り合いの魔術師を思い出させた。違いというと、目の前の彼女は弓矢を持っていることぐらい。
「エレイドさん、おはようございます。今日はよろしくおねがいします」
「ああ、こちらこそよろしく」
ダットも肩の上で短く泣き、挨拶をする。
「猫…?」
不思議そうにヴィオーラが首を傾げると、エレイドはダットを紹介した。
「こいつは俺の相棒、ダットだ」
その言葉に、ダットは肩から飛びおり、ヴィオーラの足に身体を摺り寄せ、ゴロゴロと喉を鳴らす。
「かわいい」
ヴィオーラはしゃがみこむと、やさしくダットを撫でている。よくやるよ…。内心苦笑しながらも、エレイドは続ける。
「問題の洞窟には君が案内してくれるんだよな?ここから遠いのか?」
「いいえ、ここから一時間ぐらいです。行きましょうか」
前日とはうってかわり、ヴィオーラは口数が多かった。洞窟への道中、なにかとエレイドに話しかけてくる。
「エレイドさんは花祭りは、見たことはありませんでしたよね?」
「ああ。少し話に聞いたぐらいだな」
「では、『花流し』というのはご存知ですか?」
「花流し?」
「花祭り最後の行事です。言葉通り、花を流すのですよ。花に願いをこめて川に流し、その花がどこにも引っかからず、沈まず見えなくなるまで流れていったら、その願いは適うといわれています」
「願いな…」
ふとヴィオーラは立ち止まり、振り返った。
「エレイドさんにはありませんか、願い事?」
「別に神様に願うほどのたいそうな願いは、ないかもな」
エレイドの答えを聞き、彼女は少し、さびしそうな笑顔を浮かべた。
「エレイドさんって強いのですね」
「別に強くはないさ。別に…」
他愛もない会話を続けながらしばらく歩くと、ヴィオーラが再び足を止めた。
「着きました」
そんな彼女の言葉に驚いて、エレイドは周りを見回してみる。前には切り立った崖。後ろは自分たちが抜けてきた森。右も左も岩壁は続き、洞窟は見当たらない。そんな様子をヴィオーラはおかしそうに見つめている。
「これが結界ですよ、エレイドさん」
少し緊張しているのか、右手を強く握り締め、震えているように見える。
「入りましょうか。ついてきてください」
そういうと、ヴィオーラは岩壁に向って歩き出した。そして岩壁にぶつかると思った瞬間、その姿が消えた。驚いていると、ダットが耳元で急かす。
「お前も早く行け」
言われたとおり、彼女が消えた岩壁に向って歩き出す。何の抵抗もなく、エレイドは次の瞬間、洞窟の中に立っていた。近くにはヴィオーラもいる。
「つっ」
右肩の痛みに、エレイドは顔を一瞬しかめた。
「おい、ダット。つめを立てるな」
そんな様子を気にもせず、ダットは軽やかに飛び降りると、周りを見回している。
「しょうがない奴だな…」
肩をさすりながら、エレイドは呆れた顔をする。
「それにしても凄いな。外からはぜんぜん見えなかったのに、中からは外の様子は丸見えってわけか」
エレイドは出口を見つめながら、そうつぶやいた。
「ええ。姿を隠すだけではありません。邪悪な気を寄せ付けないための聖なる結界でもあるのです」
と、ヴィオーラが加える。
「たいそう古めかしい術式だが、結界、それに松明、たぶん洞窟自体もだ。ずいぶんと力のある魔術師がここを作ったみたいだな。いろいろ強力で居心地が悪いったらない」
一通り調べ終わったのか、足元にダットが座っている。ヴィオーラは第三の声に驚き、眼を丸くしている。
「黒猫さん、言葉、話せるのですか?!」
「娘よ。お前が望むならいくらでも喋ってやる。だが今は仕事が先だ。問題のものはどこにでる?」
「こ、この先です」
「案内しろ」
「おっ、おい。何焦ってんだよ」
場を仕切り、先に行こうとするダットにエレイドは声を掛けた。でもダットは反応せず、進んでいく。やれやれと諦めて、エレイドも二人についていく。
少し奥に行くと先に祭壇のようなものが見えてきた。
「エレイド」
ダットが不意に足を止める。理由もすぐに分かった。
「ヴィオーラ、君は下がっていろ」
「来るぞ」
ダットの声に反応するかのように、祭壇の前に、もやが集まってくる。もやはだんだんと濃くなり、影になる。影は人の姿を模っていく。影がゆっくり立ち上がる。黒い鎧に黒いマント。フードの間から金髪の髪が見え隠れする。顔を正面に向けると、そこには道化師の張り付いた笑顔があった。仮面の後ろの表情はわからない。エレイドに対峙すると、影はゆっくりと剣を抜く。
「ほぉ。俺の得意分野で相手をしてくれるってわけか」
エレイドも腰の剣に手をやる。
「エレイド、奴を倒すなよ。増えたら、手におえない」
「そんな事、分かってる。お前は早く媒体を探せ!」
エレイドが剣を抜くと、影は地面を蹴り襲い掛かってきた。剣がぶつかりあい、火花が散る。エレイドが押し返そうと力をこめると、影は軽やかに後ろに飛びのいた。エレイドの剣が空を切り、一瞬バランスをくずしそうになる。その隙を逃さず、影は切りつけてくる。また鉄のぶつかり合う音。それに火花。
戦いが始まったのを見ると、ダットは眼を閉じた。
「黒猫さん…エレイドさんが」
不安そうにヴィオーラが話しかけると、ダットはまるで威嚇するかのように叱りつけた。
「話しかけるな!気が散る!」
ヴィオーラが見守っていると、ダットのおでこの白い点が光り始めた。その光はだんだんと強くなり、そしてまた光が消えると、そこには第三の眼があった。現れると同時にその目玉が目まぐるしく、動き出す。上、右、左、下、まるで何かを探しているかのように。次の瞬間、探し物を見つけたのか、動きが止まる。その先にはヴィオーラが立っていた。
「娘、そのペンダントだ!」
「えっ?」
三つの眼に睨まれ、彼女は思わず身をすくめる。
「その首からかけているペンダントを壊せ!それがあの魔物の媒体だ!早くしろ」
ヴィオーラはまるで食い入るかのようにペンダントを見つめている。そして呟いた。
「出来ない」
「何?」
「出来ない。姉さんの形見を壊すなんて出来ない!」
そう叫ぶとまるでペンダントを抱え込むかのように、彼女は座り込んでしまった。舌打ちをすると、ダットはエレイドのほうにすばやく視線を向わせる。
「性質が悪いぜ」
舌打ちをし、エレイドは頬から流れる血を手の甲でぬぐう。さっきの攻撃を避けきれず、相手の切っ先がかすった。休む間も与えず、攻撃は続く。エレイドは剣ではねのけると、空いた相手の左脇を狙い、回り込むように剣を振るうが、手ごたえはない。剣術の腕は同等。疲れを知らず、全力でかかってくる影のほうが有利だ。エレイドはもう一度舌打ちをした。武器を力いっぱい相手の剣にたたきつけ、攻撃を受け流す。そしてすぐに次の攻撃に身構えるが、攻撃は来ない。影は光の鎖で自由を奪われていた。影の立っている地面を見ると魔方陣が浮かび上がり、光の鎖はそこからのびている。
「ダット!」
振り返り、術者の名を呼ぶ。
「時間稼ぎは、俺がする。媒体は娘のペンダントだ」
そこまで言うと、ダットは影に向き直る。エレイドはヴィオーラに駆け寄る。ヴィオーラは相変わらず、ペンダントを抱え込むかのように座り込んでいた。
「ヴィオーラ!」
「いや、私には…壊せない。いや。姉さんの形見。いや…」
あふれ出す涙を拭おうともせず、ヴィオーラはただただペンダントを抱えこむ。エレイドはため息をついた。そして彼女の元にひざまずく。
「ヴィオーラ」
「いや…」
「ヴィオーラ!俺の顔を見ろ!」
エレイドは彼女の肩を無理やりつかみ、自分のほうに向かせる。
「ヴィオーラ。ペンダントを壊したくないということはわかった。だったら、君が魔物を倒せ」
「…私…が?出…来ない。そんな事…」
「聞くんだ。君のペンダントがあの影の媒体だ。そして術者は十中八九、そのペンダントの前の持ち主」
空ろだった眼に光が戻る。
「姉…さん。でも、どうして。姉さんは…!」
そして彼女はうつむくと呟いた。
「姉さんは…死んだのに…」
「力ある魔術師が残した術は、死後も残る。この洞窟のように。君の姉さんがどうしてあの影を残したかは、俺にはわからない。でも、あれも君の姉さんが残したものだ。その想いも受け止めてやるべきじゃないのか?」
「姉…さん」
「エレイド!」
振り返ると影が鎖を引きちぎろうとしている。
「くっ」
エレイドは地面を蹴ると、影とダットの間に入る。剣から腕に伝う衝撃。
「ってぇ。なんつぅ馬鹿力」
剣を左手に持ち替えると、エレイドは右手をほぐす。
「それぐらいで音を上げるとは、腕が落ちたもんだな」
ダットがまた鎖を作り出す。でも詠唱に時間を掛けられないためか、すぐに鎖は切られてしまう。
「お互い様だろう?お得意の呪縛魔法はどうした?」
エレイドは影の剣を払い、ニヤリと笑う。
「お前の時間稼ぎが足りないからだ!」
怒りながらもダットは詠唱を続け、地面から鎖が何本も影をめがけてのびていく。それでも影の動きは止まらない。巧みに鎖を掻い潜り、剣先をさけ、エレイドの間合いに入ってくる。一方、エレイドは呼吸が乱れ始め、攻撃より守りに転じている。全力を出せないエレイドに対し、影は疲れという物をしらない。エレイドが不利なのは一目瞭然。ダットは疲れた様子は見せないものの、鎖の強度が下がってきている。限界が近いのは間違いないだろう。
「一回引いたほうがいいか?」
そう考えながら、右からの攻撃を剣身で受ける。予想していたより、強かったためエレイドは、よろける。その一瞬を影は見逃さない。がら空きになった左脇に鋭い蹴りが直撃する。エレイドは吹っ飛び、右肩を嫌というほど、岩壁にぶつけた。
「エレイドさん!」
悲鳴。視界がかすみ、影がぼやけて見える。
「くそっ。今のは効いたぜ…」
影は目の前。影の動きをダットがどうにか封じているが、長くは持たない。顔をしかめ、エレイドはふらつきながら立ち上がろうとする。足に力が入らず、なかなかうまく立ち上がれない。
「エレイド、避けろ!」
ダットの叫び声。顔をあげると影が鎖を引きちぎる瞬間だった。エレイドは思わず顔を背ける。
やってくるはずの痛みは、来なかった。何かが地面に落ちる音。眼を開けてみると、そこには整った女性の顔があった。フードはずり落ち、金髪の長い髪が肩にたれる。さっきまで着けていた道化師の仮面は地面に落ちている。女性はエレイドの後ろの壁を一心に見つめている。不思議に思い振り返ると、そこには一本の矢が刺さっていた。反対側を向くと、ヴィオーラが弓を構えている。壁に刺さった矢は彼女が撃ったものだろう。女性は困ったような顔をしながら、振り上げた剣をゆっくりと下ろし、鞘に収める。
「姉さん!」
ヴィオーラは弓を投げ出し、女性に抱きついた。女性は彼女を受け止めると、困ったような表情でやさしくヴィオーラの髪を撫でている。すると辺りはまばゆい光に包まれ、エレイドは眩しさのあまり、もう一度顔を背けた。