第三章 姉
明日の朝エレイドが神殿に向うという約束を交わし、ノーズウッドとヴィオーラは帰っていた。片付けを始める主人を眺めながら、エレイドはずっと気になっていた事を主人にぶつけてみた。
「なぁ、親父さん」
「なんだ?」
「依頼人の詮索はあまりしたくはないんだけど、あのヴィオーラって娘……」
ふと掃除の手を休めると、考え込むように主人は呟いた。
「一言も…話さなかったな……」
「何か、あったのか?」
そんなエレイドの問いにも答えず、主人は掃除を続ける。カウンターを拭き終わると、エレイドに向き直った。
「エレイド、そんな様子じゃ、今日の宿はまだだろう?家に泊まっていくといい。居間になら寝る場所ぐらいはある。ついでだ、ヴィオーラの事も少し話してやるよ」
そんな言葉で二人は、いや、二人と一匹は居間へと場所を移した。
「ジュリアはもう寝てしまったようだな」
暖炉に火をおこしながら主人は呟いた。もう春、といっても夜はまだまだ冷える。
「適当に座ってくれ」
寝椅子に疲れたようにゆっくりと主人が腰をかける。そう言われ、エレイドは絨毯の上に座った。ダットはというと、すでに暖炉の前においてあったクッションの上で丸くなっている。ずうずうしいやつだ、そうエレイドは苦笑した。
「親父さん」
「あぁ。ヴィオーラの事だったね」
どことなく懐かしがるような目で、主人は話し始めた。
「ノーズウッドさんには、二人の娘がいたんだ。ヴィオーラ。そしてヴィオーラの姉にあたるビアンカ。二人とも生まれた時から知っているが、二人とも可愛くてよ。すごく仲の良い姉妹だった。どっちかと言うと妹のヴィオーラがビアンカにべったり、そんな感じだったかな?」
主人は近くにあった酒瓶をとると、グラスに注いだ。エレイドも薦められるが、断る。
「そしてビアンカには生まれ持った才能があった。彼女は生まれながら破魔の力を持っていた。神官の血筋では別にめずらしいことではない。でもビアンカの力は普通じゃなかった。天才、そんな言葉がぴったりな力だったらしい。神官の血筋、巫女にはうってつけの力だ。でもそれ以上にビアンカはいつも輝いて見えたな。やさしい笑顔が似合う娘だったよ」
そこまで話して言葉に詰まる主人を見て、エレイドは悟った。うすうすは感づいていた事。
「死んだんだな」
「そう、ほんの2ヶ月前の話だ。あっけなかった。流行り病にかかって。ビアンカは皆に慕われていたからな。まるで灯が消えたようだったよ。でも一番悲しんだのはヴィオーラだったろうな。葬式はまるで昨日の事かと思えるよ」
思い出しているのか、主人は遠くを見つめ、グラスを口元に運んだ。
「そして巫女の仕事はヴィオーラがやる事になった。でも姉を亡くし、そして今回の騒動だ。だいぶ参ってしまっているのは、お前も見たとおりだ。すっかり自信をなくしてしまっている。だから花祭りは成功させたい。ビアンカのためにも、ヴィオーラのためにも」
少し感情的になっている自分に気がついたのか、主人は苦笑した。
「すまない。毛布でも寝椅子でも、ここにあるものは好きに使ってもらって構わない。じゃ俺は寝るよ。おやすみ」
そう言って主人は居間を出て行った。
エレイドは部屋の明かりを消すと、窓際に腰を下ろした。淡い月明かりが差し込んでくる。
「何、考えている」
ふと見ると、黄色く光る二つの眼がエレイドを見つめていた。
「起きていたのか」
ダットはゆっくりと窓際に近づくとぴょんと飛び上がり、エレイドの隣に着地した。そして前足をエレイドの膝に乗せると、まるで覗き込むかのようにエレイドを見る。
「おおかた、昔の事でも思い出していたって顔だな」
「うるさい」
左手でダットを押しのけようとすると、彼は軽やかに飛びのいた。なんだかダットが笑っているような気がして、余計に腹が立った。そんなエレイドには構わず、ダットは毛づくろいを始める。
「人間とは相変わらず、おろかだな。それに非常に面倒くさい。何かにすがらなくては生けていけない、そう、思い込んでいる。自分の足で歩こうとしない。考えさえしない」
多分ヴィオーラの事を言っているのだろう。いや、怒っているのか、エレイドにはわからなかった。
「自分の足で歩く、か…」
そう呟くと、エレイドは淡い光を放つ月が、薄いベールのような雲に包まれるのを、じっと見つめていた。