第4話 メイドのお仕事
プッペンスタット街 マルクト広場 転移門前
―第6紀 366年13月4日(水曜日)3刻
「エリー,あなたがさみしがりやさんなのだから,仕方がないから来てあげたの.」と,エリザリーナの大学校時代のまぶだちの一人であるエルフのアンジェリーヌがトランク一つを持って,ここプッペンスタットにやってきた.すでにメイド服を着こんでいて,気合が入っている.しかも,かなりのお金を使って,オーダーメイドしたかのような豪華なつくりのメイド服(注:正確には,そば仕え服.)だ.アンジェリーヌは薄い桃色の髪を古いアーティファクト髪飾りでツインテールにし,きれいな輝く様な赤い瞳,背が低めの女の子である.ちょっとたれ目でかわいい印象になるように,魔法で姿をいじくっているのだ.エルフなのだからいじらなくても,美少女なはずなのにである.なお,地位と種族は術者級1位魔法使いの東方エルフである.高貴で傲慢なエルフが他種族のそば仕えをするなど,普通あり得ないことだが,2人は親友だということ,アンジェがエルフ的にはまだ未成年で学業修行中の身であること,エリーの方が魔術的な地位が高いこと,東方エルフが“アラグニア大消失”で大切な森を失い,種族全体で放浪する羽目になって苦難の日々に打ちひしがれていることなどから,文書上そういう“雇用契約”にしたのだ.本人たちには上下関係という意識はほとんどなかった.
エリザリーナとメアリーは,アンジェとの約束の時間に間に合うように,かなり早い時間から新生アラグニア王国の南部最大の街ズーデンヴァルトからのプッペンスタットへの一方通行の転移門前でアンジェリーヌをお迎えに来ていたのだ.転移門を使って来るというのも,街壁の外側は人類種の世界ではないからである.壁の外の世界“ウィルダネス”は,攻撃性森林や竜や魔物・魔獣の世界であり,人が,たとえマギアスであったとしても,生きていける環境ではない.馬車のような地上を走る乗り物では,目的の街に着く前に馬を含め全員が,何かの生物の腹の中に納まるか,魔法で灰になるか,どちらかの結末を迎える,そういう世界である.街と街との移動は,普通は転移門を使って瞬間移動するか,箒か飛行艇で空を飛んで行くかのどちらかである.空は“神龍協定”さえ守っていれば,竜たちが支配しているので,意外と安全ではある.もちろん,お金はかかるが,転移門の方が安全確実で,しかも一瞬なのだ.
「アンジェ!ほんとに来てくれたのね.大好きよ.」と,エリザリーナはアンジェリーヌにだきついた.
「ほんと,エリーはこんな時だけ調子がいいんですの.約束したのだから,わたくしはちゃんと来ましたの.」と,若干すねたように言う.
「それにしても,とってもメイド服が似合っているよ.アンジェはかわいいから,何を着ても似合うと思うけどね.」
「ふん,そんなおべっかを使ったって,わたくしはよろこばないの.」
「もうもう,ほんとはよろこんでいるくせにぃ.かわいいコスプレが大好きなの,知ってるんだよ.」
「ななな,何をおっしゃっていますの!わたくしを知らない人の前で,何ということをおっしゃるの!」
「あっ!…あはは.メアリー,今のは聞かなかったことにしてあげてよね.」
「はい,壁守様.」
「ちょっと待ちなさいなの.それではまるでわたくしが本当にコスプレ好きに聞こえるじゃないの.…で,どちら様なの.わたくしには紹介してくれないの?」
「あ,ごめんごめん.改めまして,アンジェ.こちらはメアリー,私の,壁守の秘書をしてくれてるのよ.そして,メアリー.こちらは私の親友で3恊年間,私の専属そば仕え,兼,メイドをしてくれるアンジェリーヌよ.見ての通り,エルフだよ.」
「アンジェリーヌ様,身分が低いものですが,お許しください.壁守様の秘書として,この街での業務のお手伝いをさせていただいております.」と,相手がまさかのエルフであることにやや恐れおおい感じで話した.エルフは個で見ても,種族全体で見ても,人類種最強の種族であり,最上位の高貴な種族(注:厳密にはエルフとハイエルフは違うので,ハイエルフが最上位.)である.アンジェリーヌは腕を組んで高飛車にメアリーに尋ねた.
「ところであなた,地位と種族は何ですの?」
「はい…上級1位市民の“フェブエル”にございます.」と,昨日より小さな声で答えた.
アンジェは眉間にしわを寄せて,
「あの低俗で卑猥なフェブエルなの?!エリー,なぜフェブエルなどを秘書にしているの?別に,秘書ならば他のマギアスにでもできるお仕事ですの.」
エルフは傲慢で他種族を下に見る傾向があるが,特に,ハーフエルフハーフトールマンとフェブエルについては,強く毛嫌いする風潮がある.これはエルフ全体のことであり,アンジェが特別嫌っているというわけではない.
「あっ,いや~,それはね.」エリーは知り合いにフェブエルがあまりいなかったため,エルフがフェブエルを嫌っていることをすっかり忘れており,ちょっとしどろもどろになったが,メアリーが下を向いてうつむいてしまったことを見て,メアリーから見えない右手の指を激しく動かした.手の形で文字を表す“指言葉”である.
『後で,くわしく!今は,合わせて!』
と,エルフ発祥の“指言葉”を使って,何度も同じ言葉を繰り返した.アンジェもそれに気づき,エリーの瞳をじっと見つめる.そして,アンジェはため息をついた.エリーは
「えっと,まあ,この街の市長さんの推薦でね.私が街のことを詳しくないし,彼女はすごく優秀だから秘書として手伝ってもらっているんだよ.」
アンジェはメアリーに向かって近づく.そして右手を“指向法印”(注:指向法印はピストルの形の印.)の形にして,メアリーを指さす.メアリーはアンジェを見つめ,かなりおびえた表情をしている.まあ,指向法印の方向に魔法が飛んでくることくらいはマグニルでも知っている常識なので,おびえるのはしかたない.
「ちょっと!アンジェ?」エリーはなんで話が通じてないのか余計に慌てた.
「あなた,わたくしのいない間にエリーを手伝ってくれていたのは,もちろん許さないことではないの.でも,わたくしがいるのに,役に立たないフェブエルをわたくしの大切なエリーの近くに置いておくなど許すつもりはないの.これからあなたがエリーの役に立っていることをわたくしに示すの.でないと,本当に追い返すのよ.」と,アンジェらしからぬ言い回しで,厳しく言い放った.
「は,はい,もちろんです.壁守様のためにお役に立ちます.」
「もう,アンジェったら,メアリーをあんまりいじめないで.ちょ,ちょっと,泣いてるじゃない.メアリー,アンジェはわたしのことが心配であんな心にもないことを言ったけど,アンジェはただのツンデレで,ほんとはとてもやさしいのよ.」と,エリーは近づいてメアリーの左手をとって,メアリーを慰めようとした.すると,服の隙間からちらっとメアリーの胸元が見えてしまい,ひどい傷があるのに気が付いた.
「だ,だれが,ツンデレですの!…わたくしが悪かったですの.ごめんなさいなの,メアリーさん.ここはエルフの森ではなかったの.もちろん秘書として,エリーを手伝ってくれれば,わたくしもうれしいの.ごめんなさいなの.」と,アンジェもメアリーの手を取った.
「申し訳ございません.私,秘書として,壁守様のために頑張りますので.」
「謝るのはわたくしの方なの.」
「はぁ,どうなることかと思ったよ.二人ともわたしの配慮が足りなくて,ほんとうにごめんなさい.事前に話をしておけばよかったよ.種族間の“いろいろ”があるのはわかるけども,まあ,ここはわたしのために,二人とも仲良くしてくれるとうれしいな.」
「もう!ほんとなのよ!でも,あなたのことだから,わちゃくちゃになっても,どうせ最後にはみんな仲良くまとめちゃうのよ.心配してないの.」
そのあと,マルクト広場にあるお茶屋に入って,仕事の割り振りについて話をする.エリーが二人の間を取り持ったので,二人も仲良くしておく方がよいことは理解し,納得することにした.今日の壁守のお仕事は秘書とメイドの仲を取り持つことであった.
メアリーとマルクト広場で別れ,2人で高い塔に帰った.
「おじゃましますの.」
「今日からアンジェの家でもあるのよ.だから,ただいまにしてよ.」
「ただいまなの.」
「アンジェにしては,すごく素直だよね.」
「いや,ごめんなさいなの.ちょっと,メアリーさんに突っかかったりして,反省しているの.」
「ううん,今日,すごくよかったよ.」
「え?」アンジェは目がテンになった.
「とりあえず,おなかすいたから,ご飯作って,食べながら話そうよ.」
食事をしながら,エリーはアンジェにこれまでにあったことを全部話した.
「(今までの話は省略)…って,ことがあったのよ.」
「…エリー,恐ろしい子なの.」
「いやいや,向こうが悪いんだから.なぜ私に嘘をつく必要があると思う?」
「“例の事件”と関係していますの?」
「私にはそうとしか思えないよ.」
「はぁ,3恊年間,何もない田舎で,平和でのんびりしたメイド生活が送れると思ってましたのに,ほんとなんてことですの?探偵ごっこがメイドの仕事なの?」
「私の護衛もメイドの仕事のうちよ.思ってたよりも,“例の事件”のことはリスクがあるかも.」
「はぁ,たくさんお給金がもらえると思っていたけど,そんな額では割が合わないの.」
「そんなことないよ.破格のお給金だったはずだよ.お友達価格と考えてみてよ.」
「確かに,お友達割引価格なの.」エリーはそんなはずはないという顔をして,スルーする.
「で,なぜ種族を嘘でごまかす必要があると思う?」
「少なくとも,“フェブエル”といったのはまちがった選択なのは,確かなの.」
「そうだよね,まさかわたしのメイドのアンジェがエルフだなんて,思わなかっただろうと思うよ.泣くほど,“フェブエルです”と嘘を言ったこと,後悔してたと思うよ.種族をごまかすとどんな得があるか,私には全くわからないんだよ.」
「そうなの,わたくしにも全くわからないの.」
「たぶん,彼女は見た目通りにトールマンだと思うよ.トールマンであることを隠したい?…でも,何のため?」
「さぁ?」
「“地位”の件の方がもっと厄介だよ.上級1級市民って,言ってたけど,上か下かで大違いよね?“かくれマギアス”が街にいるのは問題だし…それとも逆に,地位がもっと低いのかな?」
「でも魔法が発動するところを見ていたと,エリーは言ったの.」
「そうよ.すぐ近くで第28階梯魔法を使っているところを平気で見てたよ.ということは,中級市民や下級市民ではないよね.」
なぜ挨拶するときに皆,自分の地位を相手に伝えるかと言うと,高位の魔法を使用するときに,マナ量の少ない人の近くで使用すると,魔法発動時に発生するマナの波動に当てられて,強い頭痛や吐き気,鼻血,失神,昏睡,けいれんなどの“マグニル魔法拒否症候群”が現れて,危険だからだ.だから,普通は地位が違いすぎるもの同士が近くにいることはない.マギアスたちがいつも“ウムゲケールテスシャーフ《反転羊》”のフェルト生地で作った頭まで隠すローブや縁の大きな三角帽を着ているのか,それはマナの波動を外部に漏洩させないための配慮なのだ.
「ということは,彼女はマギアスだと考えた方がいいよね?しかも,隠れマギアス*よ.」
「そういう結論になるの.やはり,彼女を追い返した方がいいの.」
「ううん,逆に彼女を信頼させて,情報を引き出したいよ.」
「むちゃなのよ.」
「そうでもないよ.アンジェのおかげで,彼女は私の信頼を得るために,身を粉にして働いてくれそうだもの.」
「エリー,なんて恐ろしい子なの.…まさか,これを狙って,事前に調整しなかったの?」
「さすがに,そこまで腹黒くないよ.ただ忘れてただけよ.とりあえず,彼女がマギアスという前提で,魔法防御の方法だけ考えて,準備しておこうよ.」
「わかったの.…わたくし,エリーに逆らうのだけはやめておくの.」
「な,なんでよ!」
アンジェの言いぶりに憤慨しながらも,ふと,思い出し,
「そうだ!メアリーだけど,右の鎖骨あたりから胸の真ん中にかけて,ひどい傷があったよ.」
「え?彼女を脱がしたの?」
「違うよ!それってどういう状況なのよ!服の隙間からちょっと見えちゃっただけだよ.」
「女の子なのにかわいそうなの.」
「どうしてけがしたのかも気になるよ.」
*) 隠れマギアス:未登録の魔法使い.違法です.