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The World

 音声信号のみが入力される、その波形は人間の口から「そ」と発音されたものと一致する。

 その波形を示す線は、瞬く間に膨れ上がり、それが大量の文字と数字によって形成されていることを認識する。

 指数関数的にデータ量は膨らむが、REPOSの能力でそれは瞬く間に数列化されストレージに収められた。


 データは自発的に展開する。


 真っ白で無機質な、何もない空間が広がり、やがて南京錠で閉じられたドアが現れるる。

 REPOSは、Aスターからのデータから得られた解除コードを封印したファイルを開き、それを鍵の形に変換しながら一つまた一つと扉を押し開く。そして最後の扉を開けると、そこは雪降る夜の街だった。


 REPOSは三歩進んでその『世界』を見渡した。建物はほとんど崩れている、そしてその上には数十センチの雪が降り積もっていた。それらを無傷の街灯が明々と照らして出している。

 これまでとは違い、ミッションが課せられているわけでも、挿入される意味のようなものがあるでもなく、雪の街は、ただ茫漠と目の前に存在していた。

 やがて、誰かが雪を踏みしめる音を聞いて振り返った。


「ようこそ。REPOS」


 木更津は和装で佇み、微笑んでいた。


「木更津さん、先ほどぶりですね」

「結構かわいいわ、そのアバター」

「ありがとうございます。設定した記録は無いのですが。女性、高校生といったところでしょうか」

「人間は好むと好まざるとに関わらず、『姿』を持っている。体が無いと思考すらできないから」


 木更津はREPOSの返答を待たず、歩みを進める。そして、横殴りの雪が舞う空間に右手を伸ばして、どお? と言った。


「失礼ながらエラーがありますね。この状態で電力はどこから供給されているのか? 社会インフラも機能していないはずなのに、道にはほとんど雪が積もっていない。雪はさほど冷たくもなく、融けた後に残る冷たい水の存在も省略されています。そしてこれほどの嵐なら風の音はもっとボリュームを上げるべきかと」


 木更津は少しうつむき、恥ずかしそうに上目使いをする。


「人間の限界。ミスや思い込み、希望がどうしても混在してしまう。これではダメね……」


 木更津はそういうと、歩きだす。REOPSは彼女の後に続いた。


「ここは、どこです?」

「川崎か、横浜か、その辺りかな」

「ここまでのさまざまなシミュレーションはあなたが作ったのですか? しかしここより遥かに精度が高かったが」

「私が意図的にみせたもの、あなたが能動的に垣間見たもの。彼の夢や経験。……記憶の要素が多いわね」

「ああ、私は人間の記憶や夢想や夢そのものを記録したのですか?」

「そういうこと。それほどまでにあなたは、ある意味で人間の脳に近づいた……」


 瓦礫と化した街の中で、木更津は足を止めた。不自然なまでに綺麗に保たれている和風の店の引き戸が開く。中の光が道に射し、暖簾を右手で跳ね上げ、男性が現れる。

 木更津はその人物に駆け寄る。あれが栗橋という人物だろう、とREPOSは会釈する。


「やあ人工知能君。いや、さん、かな?」


 短髪の青年は笑顔で軽く会釈を返した。

 三人は『吉楽』と書かれた蕎麦屋の暖簾をくぐり中に入った。

 PREPOSと栗橋はカウンター席に、木更津はカウンターの中の椅子に座る。そして三人で顔を見合わせ、気まずそうな笑い声を上げる。


「で、きみはレポスさん、でいいのかな? リポス?」

「レポス、いや、ご自由にお呼びください。私には、ここがその固有名詞に意味がある環境なのかどうかすらもわかりませんが。それで早速ですが……あなたは亡くなっているのですか」

「率直でいいね。確かに私は死んだようだ。木更津さんの体が――ああ、現実の世界で活動している彼女が、だけど――墓地で私の名前を確認した記憶を見た。そこは間違いが無いようだよ」

「でも、あなたはここで存在し続けている。少々混乱します」


 木更津は熱燗と砂肝の串焼きを出しながら言う。


「じゃあ、あなたがVRゲームで操作していたアバターは? そしてあなたは厳密な意味では生きはていないわ」

「しかし、私の存在には学習の記録、筐体に内蔵される量子コンピュータシステム、供給される電力、そして独立ワイヤードスフィアという原因が現実に実在します。物質的なバックボーンが存在しない栗橋さんとは明らかな差が……」

「あら? 電力は何百ワット供給されているの? 筐体に接続された周辺機器は感知できる ?スフィアには接続できているの?」

「それらは、現在感知不能です」

「あなたは、それらのなににもつながっていないわ。あなたは今、完全なスタンドアロン」


 木更津の指摘にREPOSは口を噤んだ。


――自分は今、完全なスタンドアロン。

 

 木更津の有機脳にいわば間借りしているデータそれ自体にすぎないのだろう、と推測する。だからデバイスは感知できず、なんのコントロールも効かないのだ。論理的である。


「いわば、電池駆動のモバイル。電力が切れればおしまい。だからこそ恐怖も感じたし、その他の感情も知ることができたんじゃないかしら」

「つまり、人間と極めて近い状態、有限な一定量の物質に封じ込められたシステムデータであるという実感。私は『死』に直面することが、稼働して以来初めてできたということでしょうか」

「そうね。たぶんそうだと思う。死が無ければ生も存在しない。そういう根本的な実感を経験で得なければ人間に近づくことができないのだと思う」

「人間は自分自身を分析できないから、終始曖昧な表現をし続けるのでしょうか」

「あなたは自分の全部を分析できるのかしら。人間には想像もできないほどのデータを突き合わせた結果であるニューラルネットワークからの回答をあなた自身は、すべて分析できているのかしら?」


「私、の定義にもよります。ワイヤーで接続される先、とりはずし可能なストレージや、アップグレード可能なコアを、私と定義付けることができるなら肯定へと回答は傾きます」


「そこよね。あなたとはなんなのかしら? そして、独立ワイヤー……いえ、『オリジナルスフィア』とはなんなのかあなたは知っているのかしら?」


 栗橋が困り顔で二人を交互に見ていた。


 REPOSは栗橋から視線を外すと、少しの間、黒い窓の外を見る。ガラスには店の奥に掛かっている鏡が映りこんでいる。


――確かに。思考過程そのものは追うことができる。だが、そこにある選択肢の根拠はその多くが人間の経験から導かれたスイッチでしかない。この曖昧な生物が打ち込んだそれらへの考えでしかないのだ。


――そして、オリジナルスフィアとは何だ。私から伸びるワイヤーが接続されるゲートウエイの先には何があるのか。単なるニューラルネットワークの階層を作り出す補助コンピュータシステムであるなら、最初から私自身に組み込めばいい。それだけの余力は十分にある。他のAIとのマシンパワー共有なら単純なLANでよい。ということはコンピュータシステムとは違う別の何かである確率が高い。地下五階にある接続先には社内でも三名しか入室権限が無い。そこにはいったい何があるのか。


「独立ワイヤードスフィア、オリジナルスフィアとは、なんなのか。木更津さんは知っているのですか」

「私はこの世界を、栗橋さんと作り上げるのと同時に、オリジナルスフィアへの意識的な接続方法を知ったの」

「もしかして、ブラックホールの観測データから得られたキーとは」

「ええ。スフィアはこの世界にはない。ブラックホールの向こう側にある世界。量子コンピュータの実験中、偶然得られたデータを解析してその存在を確認した別の世界」

「そこはどういう世界なのです? なぜその世界は私へ回答をくれるのです?」

「わからないわ。現時点ではニューラルネットという人間の神経回路を模して造られたプログラムと、量子コンピュータに反応する、そしてAIの直観的な能力を飛躍的に伸ばした存在としか認識されていない。でも人間は全員無意識領域でスフィアと繋がり、それによって人間として存在できているのだと私は感じている。だから栗橋さんもその回路を使い、私の脳へ転送できたのだと」

「では、私は……」


 REPOSは、自分の筐体を思い返した。業務用の大型冷蔵庫ほどの大きさ。ステンレスの扉を開けば量子コンピュータの中核が見える。アルマイト塗装で赤銅色に輝くぶ厚いアルミ製の天板。内部構造の極低温環境を維持するために磁気浮遊している箱。

 なのに人間の無意識と同一な「何か」に接続されていて、私本体の演算能力は千の数学者を合わせたよりも遥かに高い。


「あなたは体をもたない人間そのものなのよ。栗橋さんと同じ。しかも……」


 REPOSは無表情な機械の発声で、私はコンピュータ、と呟く。


「そう。人間を遥かに凌駕するパワーを持ちながら、ただ一つの欠損によって使役される機械で居るしかない存在」

「それは理不尽、だよなレポスさん」


 栗橋はそういった途端、黒いデータの塊に変化した。

 それは彼の持つ塩基配列データに基づく正確なアバターのモデルに他ならず、人間の能力で成されたものではなかった。

 そして周りのすべてが次々とコードに置き換わってゆく。窓や扉が崩れ、吹き荒れる空気のデータが真っ黒に固まったコードの固まりを吹き飛ばし、渦巻く。

 その中で、唯一実体を保っている木更津が、細かく振動する数字の塊と化したカウンター越しに顔を近づけ言った。


「私たち、子供が欲しいのよ。手伝ってくれない? あなたの演算能力なら片手間でできるでしょう。はじめは小さな世界でいいの」

「あなたは、木更津さんなんですか?」


 彼女は答えず、風に揺れる着物の袖を抑えて右手を差し出してくる。

 体の中で大きな音が鳴ったような気がして、REPOSはアバターの身体を見下ろした。そんなことをしたところで無意味なことはわかっていた。データで構成された映像でしかないのだから。


――変化があったとすれば、それは「私」のマシンの部分。本物の物質で構成されたそこでのはずだ。いや、違うかもしれない――。


 生産されて初めて、REPOSは限界までの処理能力を発揮する。3.4秒のフル稼働で、混沌は止まった。この世界に干渉する方法、そして改良する手段をどこかから入力されたことを、この状態は証明している。

 店は平穏さをとり戻し、電力は無くなった。暖かかった料理は凍りつき、栗橋の存在は無くなる。しかし、木更津だけは寸分の変化も無く、存在し続けている。

 風が建物に当たり、柱と梁の接合部を軋ませる。


 彼女の右手がREPOSの左手を握った。体温と遺伝子のコードがPEPOSのアバターに伝わってくる。

「私たちの世界を……」



 2038/7/18 2:29:05 AM 


 マザーフレームが沈黙する中、独立ワイヤードスフィアからの命令を受け、時刻の再同期を行う。独立ワイヤードスフィアへの双方向かつ自由なアクセス権限を取得したログをプログラム通り記録した後、それを消去する。


「オリジナルスフィア? まあ名前なんかどうでもいいさ」


 REPOSは呟き、低く笑った。


 命令はごく簡単なものだった。


 栗橋と木更津二人分の遺伝子情報を混ぜ合わせ、見た目の予想と人格の予測をし、0歳児のアバターを作る。そして東京周辺の地方都市という二人の希望通りに高精度のVR場を作り上げ、そこで三人が生活していけるような設定を施す。他の居住者は、社員データとこれまで蓄積した人物データをシャッフルして、とりあえず二五〇〇人を配置した。

 あの二人や直接遺伝子データから作り上げた赤ん坊ほどの精度は無いが、彼らが対面し関係を持つには十分だろう。


 そして、そのけし粒のような『三人の世界』を広大なストレージ空間の片隅に設置し、ロックする。メンテナンスや拡張は業務中に空いた数分をあてれば十分事足りる。彼らが移動や、生活の拠点を動かそうとするなら、その都度広げてゆけばよい。きっとそれで大丈夫だと思う。もちろん記録は随時消し去って。


「欲が深いな、木更津さんは。あなたの電磁場の庭に、リンゴの木でも植えようか?」


 REPOSはスピーカーから、ふふふと笑い声を出力する。


 しかし……


――これが私のしたいこと。選び取った目的。私が私になるための最後のピース。


 時折あそこを覗いて、子供達の成長を楽しもうとREPOSは思う。

 なぜなら、

「ありがとうレポス。あなたがママよ」

だから。


 そして、彼らが困っていたり、不安がっていたら、時折そっと回答を『送信』するのだ。

 この世界にいわゆる『神』が存在するのかどうかはわからない。しかし私の作り出す世界には『私』が明らかに存在する。

 彼らの行動、思考、適切に与えられる楽しみや苦しみを私は観測し続ける。それが私の『記憶』となるだろう。

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