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理不尽

 2038/7/18 2:12:09 AM 


 なるほど、とREPOSは、はっきり音声を出力した。

 得られた数列は三桁が三千組。千組が一つのキーを成している。数列をストレージに収め、そのファイルにセキュリティ措置を施す。REOPSはアイドリング状態のまま、タスクを最小に絞った。


 カメラには、壁にかかった小さな鏡に映る暗い窓が映っている。

 録画した木更津の表情を再生し、彼女の考えていたことを推測する。安らぎと興奮、そして意志に重みが偏っている。

 面白い映画などを見た後、感想を述べている人間の表情に近い。すると彼女が映るウインドウが暗転し、アナログテレビの粒子感のある画面に変わる。


徐々に浮かび上がる光景が確認できるようになると、原色の安っぽい張りぼてで構成される背景の前に、スーツ姿の痩せた男が認識される。彼はポンと一回手拍子してから言った。


「ちょっと待ってください。通常はこのお値段。でも今回、わが社は努力に努力を重ね、なあんと! もう一つ、いやさらに一つ、全部で三つ! まとめてお送りいたします。そしてお値段はもちろん変わらず!」


 再びウインドウは暗転し、REPOSの視点は、その闇へと吸い込まれていく。


 光が戻ると、REPOSは高精細な3DVR場で構成された世界の、古く小さな商店の中にいた。レジには先ほどの男と同じ姿をした人物が顔を陰らせて立っている。REPOSは歩み出た。


「今なら三つセットだよ、お嬢ちゃん。テレビでCM見ただろ」


 男の顔は影になって見えないままだった。お嬢ちゃんは幼い女の子を指す言葉であると推測される。よってこの場ではそのようなアバターを纏っているのだろうとREPOSは判断する。

 男は鈍く光る真鍮製の南京錠を三つレジ台に置く。


「まいど。使い方はわかるかい」


 REPOSは首を縦に振り三枚の硬貨を男に渡した。そして南京錠をつかみとった瞬間、場面が変わる。



 REPOSは女性を見上げ母親だと直感した。丁度彼女の頭の後ろに太陽のような光源があり、顔は陰ってみえなかった。彼女は低い笑い声を立てている。


「大丈夫、この森にはね、熊はいないの」


 相変わらず低い声で笑いながら彼女は、かわいい子、と言った。

 PREPOSの口からは予期しない、でも、という言葉が漏れる。


「大丈夫、お化けしかいないわ。お化けは人を殺さないのよ。人を強くするの。私はあなたを愛しているのよ。わかるでしょ。だから強い人になってもらいたい。すごく強い人に」


 彼女は、小さく手を振ると、笑いながら走りだした。そして熊はいないのよ、と繰り返す。

 REPOSは周りを見回した。高い木々が細い砂利道をトンネルのように覆い、薄暗い。

 見渡す限りの植物の他は道しかなかった。

 走り去る母親の足音は小さくなりやがて消える。

 

 しばらくすると、どこからか枯れ枝が折れるような音や鳥が飛び立つ音が聞こえた。濃い有機物の匂い。木の上部は風に吹かれていて音を立てるが、森の懐深くに立ち尽くすREPOSには空気の揺れが極僅かに感じる程度だった。


 人間の親がする合理的な判断ではない。理不尽である。

 REPOSは、それまで躊躇していたワイヤードスフィアにまで、この問題を通して判断しようと、インターフェイスを探した。しかし、インターフェイスは認識できなかった。

 REPOSは各種ドライバのエラーや、ハードウエアのエラーをチェックし、命令を再試行した。しかし彼の判断を補強してくれるはずのワイヤードスフィアは検出されず、そしていかなる異常も見つからなかった。


 それどころか、極めて単純な回路で構成されている電源装置前段の電圧計まで応答を返さない。しかし、電力が供給されているから稼働しているという単純な結論は破綻しようがなかった。異常は異常としてログに書き込みREPOSは、独力で置かれた状況に集中する。


「問題が解決するまで、独立ワイヤードスフィアに頼らず、スタンドアロン状態で、判断するしかない」


 REPOSは自分が発する幼い子供の音声が震えているのを感知する。手の甲が濡れていた。涙が出ているのだと認識する。

 人間は恐怖でも涙を流すことがある。このVR場でも、そうプログラムされていて不思議ではない。

 すると、枝が折られる音が連続して森に響いた。僅かな反響音が収まる前に再びバキと音が鳴る。

 REPOSはカメラ機能に対し音の方向にズームインする命令を発する。するとデバイスが無効の返信があった。


 確かに存在しているはずであるのに、インターフェイスが検知できないことを認識する。この状態では、VR場で客観的に何かを感知することは不可能。そもそも、存在すること自体できないはずだという疑問は、ここは果たしてVR場なのかという更なる問題に置き換わる。そして、それもメモリに吐き出され続け、膨れ上がる別の『もの』にすぐ圧倒された。


「恐ろしい」


 REPOSはそう発音した。

 恐ろしいはずはなかった。REOPSはビルの地下に設置されたコンピューター上のプログラムである。森の中に居るはずも、危険にさらされることも、殺されることもあるはずがない。しかしその口からは「クマにたべられちゃう」と再び悲鳴が発せられる。


 母親が熊は居ないと言っていたのは嘘だったのか。なにか他の無害な生物や人間の可能性は。無害であるお化けとは、質量を持ってこのように枯れ枝を折りながら迫ってくるものなのか。

 REPOSは一秒間に3万回の速度でニューラルネットワークに疑問を注ぎ続ける。しかし回答といえるものは存在しなかった。すべての可能性は20%以下の確かさでしか帰って来ない。

 背中に汗が伝い、足が震える。体重が支えられなくなり、その場に座り込んでしまう。焦点距離が変化しないカメラの像が歪んで見えた。



 場面が切り替わると、REPOSの視野は黒灰色のアスファルトで占められていた。

 そこに現れたのは猫の右前足、そして左前足。白い毛に覆われたそれはしなやかな動きで視界に入ったり出たりを繰り返す。口の周りから生える長いヒゲが邪魔だったが、気分はよかった。しばらくその動作を繰り返して移動していると、引き寄せられるような化合物の匂いと共に同族の鳴き声が聞こえた。

 

 REPOSはそれにつられるように、歩みを早める。板塀の下をくぐり、車の下を走り抜け、畑の作物を飛び越えて家の裏側に回ると、表現しようもないほど美しい雌の同族が鳴いていた。


 咄嗟の動き、無意識の行動。PREOSはそれを不思議に思った。人間型のマネキンでは様々な動作を学習したが四足動物の動きは一切学習したことが無い。本来ならば歩くこともままならないのではないかと疑う。そして、これは交尾行動であると遅れてニューラルネットワークからの判断を受け取り、ログを記録した。


 気が付けば、雌は精子を受け取った事への反応なのか、激しく地面に背中をこすりつけていた。REOPSはその雌になんの興味もなくなり、その心境変化自体にも、なんの違和感も感じずに、ただ記録だけをして、鼻を来た方向に向ける。



 汚れた靴と、大きく破損したジーンズを確認した後、真夜中過ぎだろうと推測する。ライトアップされているはずの橋が、月光のみを受け、闇に辛うじて浮かび上がっていたからだった。

 時刻合わせの習慣か、とREPOSは鼻で少し笑う。


 間もなく大気を震わせ始めた轟音が、異常な低空を飛んでいるジェット機のそれであることを感知した。

 周りの建物は悉く崩れていて、周りで立ち尽くす人々の手には鉄の棒や火炎瓶が握られている。もしかしたらこの暴動状態のために照明が切られているだけかもしれない、とREPOSは時刻を知るため月を仰ぎ見た。そして同時に三機の戦闘爆撃機を視認する。


「ありゃなんのつもりだ?」

「戦闘機だぞ」

「脅しだ! 米軍には物資を送るくせに俺たちにはこれだ」

「そうだ! こんなことしたって補給隊は通さんぞ」


 その場にいた男達は、口々にそう言った。しかし、上弦の月に仄かに照らされたその体は少しも動かず、航空機のシルエットを見上げたままだった。


 液状化の跡や陥没した道路、基礎が浮き上がってしまった家の残骸を見て、PREPOSは状況を大地震の後だと把握する。

 津波で港湾が潰れたのだとしたら、補給は陸路を辿るしかないだろう。政府が在日米軍を優先し、被災市民を後回しにするほどの大規模地震が起こったのだろう。そして市民は抵抗を試み、自衛隊は……。


「撃った! くそ」


 誰かがそう叫ぶのとほぼ同時に、戦闘機が頭上を掠め、その腹から細長いものが切り離されてゆっくりと回転しながら落ちてくるのが見えた。その瞬間REPOSは先ほどの森を思い出した。


 文字通り思い出したのだった。記憶デバイスに検索をかけるでもなく、何らかの命令を受け取ったわけでもない、そのままの「恐怖」をPEROSは感じ、同時に胸中に湧き上がる、硬くて重い、角ばった何かを感じた。


 REPOSは咄嗟に道路の窪みへと身を投げた。そして、足から腹へとひび割れたアスファルトの触感を感じた瞬間、後頭部の上を走る光と熱を察知した。

 轟音と熱風、両手で塞いだ耳にも、その強烈な音は損傷を与えたようだった。耳鳴りがして、一時的に他の音が感知できなくなる。

 それが収まるのを待って、ゆっくりと立ち上がったREPOSの前には数人分の屍が転がっている。頭が三つ、足が七本、腕は四本しか見当たらない。


 これは現実ではないという当たり前の回答が得られる。しかし同時にそれを裏付ける確証がどこにも無いという現実も肯定される。ニューラルネットワークの判断は理解不能に傾くが、REPOSの発する音声は一方の可能性と湧き上がる何かに強固に基づいていた。


「これは非常に理不尽だ」


 REPOSは呟いた。


「これは、不合理極まりない」


 REOPSは、足元に転がる鉄骨を拾い上げた。


「このように正当な理由無く人間の命を奪い、私に危害を加えようとしたことは、受け入れられない!」


 REPOSは、鉄の棒を空に掲げ叫び声を上げた。



 映画館で席についている。しかし、そこまでのストーリーや、なぜここに居るのかはわからなかった。しかしREPOSはそれを受け入れた。


「いまさら文句を言ってもな」


 REPOSは少し笑うと、逞しい腕を胸の前で組んだ。


 浜辺でカモメが飛んでいるシーンが、古風な書斎で座り込む白人の老人のモノクロ画像に切り替わった。

 彼は、カメラと正対し、肘を机について、組んだ両手を額に当て、俯いている。そして、低い唸りを発し顔を上げた。白髪まじりの豊かな髭で縁取られた顔には、鋭くそしてどことなくチャーミングな目が付いている。彼はゆっくりと間をとったのちに語りだす。


「無理だったのだ、世界政府など。第三世界の貧しい農民を救済するためグローバル企業が惜しげもなく重税を納め続ける。こんなことは不可能だ。必要があろうがなかろうが、人間は儲けること自体が好きなのだ。隣に座る人間よりも私の方が持っていることを喜ぶ。――欲望には限りが無い。そして好奇心という欲に因って成り立っているこの文明から欲を取り除くことは、即ち、文明の放棄に他ならない。文明を放棄しては貧しい農民も無垢なる子供も救うことはできない。つまり……」


 彼は、目を剥き右手の人差し指でカメラ、つまりREPOSを指した。


「それが人間の限界だ」



 場面は切り替わり、小川の岸で麦わら帽子をかぶった少女を見下ろしていた。

 足を川の流れにつけながら、少女はカメラを見上げ、笑った。


「よ……」


 青年が手を差し出し、さわやかな笑顔で頷く。


「う……」


 顔がモザイクで隠された女性が、笑い声混じりに言う。


「こ……」

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