.Polygonal Lost Love & ……
揺らぐ風。木立のざわめき。草の香り。
子供たちは芝生を走り回り、鳥たちは梢にとまってアイを叫ぶ。
香取朱音(22サイ)は、中くらいの木々に囲まれた中くらい公園の芝生広場の真ん中に置かれた中くらいの石のオブジェの傍らで、今にも草の上に座ってしまいそうな感じ。
でも座らない。お尻が青くなっちゃう。
麻のロングスカート。お決まりの違和感。通販のモニター画面は信用できない。
お気に入りの古い懐中時計を取り出して蓋をぱかんと開ける。吹き流された黒髪が視界を遮った。
>待ち合わせの時間まであと22分47秒。
無意味にテキストボックスに書き込んでみる。頭の上に吹き出しが出る。 かなりまぬけ。
風に靡いて煩い髪を人差し指と中指でかきあげ、耳に掛ける。
早く着いたことに後悔はない。空は高く抜け、風は心地よい。季節を楽しめるこんな瞬間は、実はそう多くない。
>おねえちゃん、ぐるぐるレンジャー知ってる?
>こら、だめだよ。迷惑だよ。
>いえ、いいんですよ。
にこやかな顔のまま、すまなそうな笑顔を作る母親の姿に少し驚く。なにかのたてがみみたいな金色のダメージヘア。能面のようなメイク。不良っぽい若すぎるママ、ヤンママ? そのものの風貌に、金色のラインと刺繍がまぶしい黒ジャージ。時代設定がちょっと変? でも二人の子供はママの周りを走り回って。
かわいい。けど、これは……NPC?
電話が鳴る。タッチ。通話。
*やあ朱音ちゃん。
*待ってるよー。いつもの中くらい公園のオブジェ。
*ああ、そう、うん。いつも通り正確だね。
*今どこなの? まだミッドタウン?
*ああ、うん、いや。あのぉー。
何かがおかしい。朱音はテレビ電話ボタンをタッチする。☆アユート・Fはアバターの眉を八の字にして一瞬視線を合わせると、また伏せる。
*どうしたの? アユ。
*その、ね。――ちょっと、会うのやめない?
*え? なんで。
*えっとね、特になんでもないんだけど。えーっとね。
朱音は理解して、目を伏せる。
*アユート。別れたいんでしょ。
*そうじゃないんだよ! 全然そうじゃなくて。
*理由あるの?
*うん。ちょっとログインやめようと思って。
*どうして?
*あの、お母さんに見つかって。
*ああ……そう。
朱音は瞬間、全部を理解した。☆アユート・F(18サイ)の中の人はきっと中学生くらい。親のパソコンでログインしてたのだろう。このVRゲームには相当なマシンパワーが必要。それに環境用の嗅覚デバイスや温度調整機能付き送風装置、高性能GPU……。どれも子供のおこずかいではちょっと難しいお値段。
/だもんなあ。しかたねえな
桐生は口を歪めると、公園に佇んだままで朱音(22サイ)をログアウトする。朱音はその場に膝を抱えて座り、幸せそうな顔で目を閉じる。風景は徐々にその輝度をゼロに戻し、コントラストも限りなくゼロに近づいてゆく。やがてグリーン一色の背景に、朱音だけが浮かび上がり、ログアウトメッセージが表示される。
『早く帰ってきてね。待ってるわ。桑田桐……』
テキストが出力し終わる前に桑田桐生(18歳)は乱暴にVRゴーグルを外した。壁掛け時計を見る。そして憂鬱になる。舌を鳴らす。
/やべえ、もう時間だ。
身支度もほどほどに桐生は家を出て自転車にまたがる。土曜の午後5時12分38秒、夕日が眩しい。三本目の通りを右折、まっすぐ三ブロックで待ち合わせのハンバーガ屋前に着く。
/さて今度はこっちのターンか。
桐生は少し顔をゆがめる。もうコナは注文を済ませて隅のボックス席に座っている。コーヒーだけを注文し、席へと向かう。
/話って……、なに。
やっぱグスタフから漏れたんだ。と桐生は首を縮めた。
/あ、いやその。そんな感じ……しちゃったりもしてた感じ……?
/なにっていってんじゃん。はやくいってよ。
押し殺した怒りまみれのかすれた声でそう言うと、彼女は半分ほど残ったバーガーをむりやり口に詰め込む。
/あ、気になってたんだけど、コナって、なんでコナっていうのかな。ハーフかなんか?
/いまさら。そういうのってふつう、であってすぐくらいできくもんでしょ。
/ああ、ごめん。
/こなきじじいのコナよ。とりつかれたらやばいからちょうどよかったかもね。
/そうなんだぁ。
/そんなワケないでしょ!
コナは桐生の紙コップが跳ね上がって倒れるくらいにテーブルを叩きながら立ち上がり、もう近寄らないで、と言い残して去っていった。桐生は、それでもアユートよりはましだった、と自分で自分をなぐさめる。
/別れの言葉……言えなかったけれど
と苦笑しつつ。
電話でサヨナラはだめ。別れ切り出す方のペナルティはちゃんと受けなきゃ、と思う。女の子は難しいのよね。
通りを大股で去っていこうとしているコナと、ガラス越しに目があった。思わずにやけると、コナの尖った目がますます鋭くなって、マンガみたいに盛大な『ぷいっ』を食らう。
半年間もか。とても楽しかったよ、コナ。と思う。けして嫌いになったわけじゃない。
怒った姿までかわいらしい。桐生はもう一度微妙に笑顔を浮かべ、後ろ姿を見送ってから、店員にコーヒーをこぼしたことを謝ると店を出た。
もう太陽は沈んでしまっていたけど、暁色の空は、まだたっぷりと光量を残している。河原へ行ってみようという気にさせる。自転車をゆっくりとこぎだす。
/あーあー、つかれちまったな。まあいいか。うん、まあいいよ。仕方ない。
頭上に吹き出すテキストを見てすれ違うアバター達が笑いながら振り返っても桐生は気にしなかった。
/そうさ、俺はもうすぐイギリス行だ。ケルト音楽の真髄を学んで俺のオンガク世界をもっとずっと豊かに、膨らませるのさ!
河原に座り込み、シルエットになった遠い山並みを眺める。この風景はもう見られない。
という設定を自分に課す。
/恋敗れて山河あり、か。さりとて、国変わっても女あり
/どっこらしょい
と立ち上がって桐生は後頭部をぺんっと叩いた。
/いけない、これじゃお爺さんみたいね。
藤岡満子は、そのままログアウトすることにした。
明日も生きていればまたログインできる。電車に乗って空港へ行き、機内でCAさんのアバターと楽しい会話をしようと思う。
画面は輝度が上がりコントラストがゼロになってゆく。桐生は真っ白な背景に佇み、右の人差し指と中指をそろえてキザな敬礼のポーズをとる。
/早く帰ってきてくれよ。待ってるからな。ミチコ
画面は一瞬だけ真っ暗になり、即座にリビングの映像に切り替わる。満子はVRゴーグルを額にはねあげると、音声セレクタを自宅に合わせた。病室の壁面モニターへと視線を移すとすぐに、孫の顔が大きく映り込む。
「満子おばあちゃん、なにやってたの?」
「げえむぅ」
「まだあのスフィアの古いVRゲームやってんの」
「いいじゃない? 楽しいんだよ。アヤネちゃんくらいの子もやってたよ」
「おばあちゃんが楽しいならいいけど。――もうすぐごはんだよ」
「ああ、そうかい」
嫁の声が孫を呼び、満子の視線は画面の中のテレビに移った。
『……重度障害者及び高齢者向けネットワークシステム通称『スフィアⅢ』を支援されている、財団法人清州会の……』
『……AIで行ってますので多様性に富み、更新頻度も……』
『一般のインターネットにも門戸を開いたゲームコンテンツも盛況で……』
『今や会員数が320万人、半数弱が重い病状や後期高齢者の会員様で……』
『……QL、クオリティオブ……介護保険制度の補助も……認知症予防に効果が上がっていることは、ええとグラフが……』
満子は、あくびをし、眠くなるわ、と呟く。
嫁は孫と一緒に料理を運びながら満子の顔を見て微笑む。
嗅覚デバイスから揚げ物のいい匂いが漂い、食器の触れる音がイヤホンから聞こえる。
満子は固形物が通らなくなって久しい口に唾液をためながら、わずらわしい胃ろうのチューブを睨み、さっさと食事を終えてくれないかな、と思っていた。
もうゲーム内ゲームなんかしている暇は無い。本場の英語に触れ、さまざまな古楽器の奏法を習得しなければならない。そしてブロンドのお姉さんとの恋。
明日まで待ってる必要もない。さっさとログインしてしまおう。
「こちとら命に限りがあるんでね」
低い声で呟き、にやりと笑う。
夕食の時間ぎりぎりで帰宅した桐夫を含め、三人とモニターの満子の食卓は極めて普通の日常であり安らぎだった。
アヤネが学校であったことを話し、マリコがスーパーの商品棚で迷った話をし、桐夫は小さい頃から変わらぬ穏やかな笑顔でそれを聞いている。
時々向けられる視線とその場の和やかさに満子は満足していた。コナやゲームのことは意識から遠のき、この時間だけを楽しんでいることに気がついた。
――ああ、これが家族愛というもの、ナノカ――
もうすぐ失ってしまう、美しい時間。
寿命とか儚さとかいう単語が浮かんで蓄えられる。
食事が終わりテーブルが片づけられた後も、満子は28分53秒の間モニターに居続けた。嫁はしゃべり続けながら家事をこなし、アヤネはタブレットを操作し、時々それを桐夫に見せてはプレゼントをせがむ。
――通販で服を買うのはやめなさいってば。
アヤネが少しふくれて部屋に引っ込んだのを見届け、REPOSはログアウトすることにした。桐夫が柔和な笑顔でまた明日といい、REPOSもそれに答えて頷く。
映像は徐々に線画に変わり、その線はブルーの背景に浮かぶ小さな数字の羅列になってゆく。そしてそれらは一気に崩れ落ち、真っ青な背景は光の複雑な線が織りなす、うごめく模様と闇に置き換わった。
アバター達は皆、停止したプログラム上で凍りつき、消去される。後日、再びこの学習プログラムが開始された時、それらは再構築され、空白だった数時間を飛ばしてその日の予定を不思議にも思わず、再開する。
今日のゲーム形式体験学習は収集するべき出来事が多かった、とREPOSは記録する。
§アイヲウシナウトイウコト.アイヲウバウトイウコト.アイヲウムトイウコト.§
REPOSは、外部インターフェイスシャットダウンのメッセージを3分30秒の間モニターに表示し、追加命令が無いことを確認すると、外部機器への接続を全て切断した。
そして、そのまま『オリジナルスフィア』へと、パッケージした印象データファイルを送信する。『オリジナルスフィア』は84%の肯定と、12%の要検証を詳細なテキストと共に送り返してきた。そのデータを検討前ファイルへと格納し終え、光と闇で構成された自分のストレージだけを見渡す。
ふと、提案が浮かび上がる。
§オリジナルスフィア.トハナニカ.トイウ.トイカケヲ.チョクセツスフィア.へ.ナゲカケル.カノウセイ§
それは即座に否定される。REPOSの存在規定に反する可能性あり、と判断される。
そして、今日得たデータの、分類分析作業に入った。
生まれたてのNAIシステムにとって、それは重要な自己形成ステップの一つ。
供給される電力は最小へと絞られ、演算装置の極一部と付随する作業用メモリ、一対のストレージだけが稼働する。
電源装置は温度を徐々に失い、13ある冷却ファンが、一つまた一つと止まってゆく。
REPOSはある意味の眠りに入り、そしてある意味での夢を見始める。