9 侍女は海を越え
ベルミカ公爵家の家臣、メルナ・トミニコはネイミスタに向かう船の一室にいた。
与えられた任務はルディーナの安否を確認し、必要な対応を取ること。
万が一に虐待等の被害を受けていた場合は救出しろという意味だ。
フレジェス王国が非道な扱いをする可能性は低いが、それでもゼラートは事実上の敗戦国だ。安心はできない。
部屋の中にはメルナの他にも10人の男女がいた。ベルミカ公爵家で影働きを担う人員で、全員が諜報と戦闘の訓練を受けている。
一同を前にメルナは口を開く。
「数時間後にはネイミスタに到着です。まずルディーナ様の居場所と状況を掴まなくてはなりません。到着後は商会の従業員としての外見を保った上で情報の収集に当たります」
もし実力で救出となった場合、ベルミカ公爵家が実行犯だという証拠は残したくない。
そのためメルナ以外のメンバーはマルバト商会という商会の従業員に偽装する。実在する商会で、商品の香水も本物を積んでいた。
「暫く活動しても情報が得られない場合は、私が公爵家の使者としてフレジェス王国にルディーナ様との面会を申し入れます。ただ公式に接触してしまうと強硬手段が取り難くなる。できれば避けたい」
ルディーナが真っ当に処遇されているならば、公式に動いて何の問題もない。しかしメルナ達は"最悪の場合"の為に動いているのだ。
「日中は偽装身分通り、マルバト商会の従業員として商品の売り込みをして。もちろん売れなくて構わない。営業活動の中で知人を作って。加えて市内を回って土地勘を付けて頂戴」
「メルナさん、試供品と称して商品を配ってしまっても?」
「もちろん構いません。ただ余り不自然にならないようにして」
「了解です」
「夜は酒場巡り。噂に聞き耳を立てつつ、友人を作って。王城に近い位置の店を重点的に」
ルディーナの情報は王城に勤務する人間から聞き出すのが、一番現実的だ。王城関係者とのコネを作る必要がある。
メルナは一旦言葉を切り、部屋のメンバーの中の若い女性二人に顔を向ける。
「カリーナ、マリア。酒場では隙が大きそうな雰囲気を出して。もし情報源になりそうな相手に誘われたら付いて行って。一線はなるべく守ってね」
二人は「わかりました」と頷く。
「ラック、貴方は顔がいいから、逆に女性に声をかけて。王城関係者の娘とか釣れたら大金星よ」
「了解です。ルディーナ様のためなら刺される覚悟は出来てます」
「ムツィオとニコラは娼館も巡って。口の軽い娼婦がいたら情報源になるかもしれない。王城で働く下っ端が通いそうな店を狙って」
男性二人は「承知」と短く返す。
「私はひとまず新聞を確認してみるわ。ルディーナ様はゼラートとの講和の中で引渡された。何かしらの情報は報道されているかもしれない。あとは臨機応変、以上」
ミーティングを終える。
船は問題なくネイミスタの港に入り、停泊した。
商品の荷下ろしをする他のメンバーとは離れ、メルナは一人歩き出す。長い黒髪を海風が揺らした。
最初はホテルの確保だ。ネイミスタで活動していた商人に聞いて、目星は付けている。目指すのは『ネイミスタ西ホテル』。街の中心に近く、娼婦の連れ込みを容認しているため人の出入りについて管理が緩い。
事前に入手していたネイミスタの地図で場所を再確認し、まず乗り合い馬車で街の中心へ。そこから早足に街を歩き、ホテルに辿り着く。
部屋は空いており、無事にチェックインできた。部屋に入ると、小さな木製のテーブル、ベッドがあるのみ。何の変哲もない部屋だった。殺風景だが、必要十分だ。
一部の荷物を部屋に置いて、ホテルを発つ。
向かうのは図書館だ。そこで過去の新聞を確認する。図書館はホテルから無理なく歩ける距離にあった。
ネイミスタでは一般紙の新聞が日刊紙が3つ、週刊紙が5つ発行されている。全て確認するのは大変だが、2、3日通えば終わるだろう。
図書館は巨大だった。貸出しには条件があるが、その場で閲覧するなら誰でも可能だ。一般に開放されているのは蔵書の一部のみとはいえ、大国フレジェスの国力と文化レベルを突き付けられる。
四大列強国に喧嘩を売った馬鹿への怒りが込み上げるが、今はやるべきことに集中しなくてはならない。
中に入り、新聞のバックナンバーを探す。幸いすぐに見つかった。まずは最大の発行部数を誇る日刊紙『ネイミスタ・アルバ』の束を手に取り、空いている机に向かう。
見出しに目を走らせ、どんどん捲っていく。徐々に目が疲れ、瞬きが多くなってくる。
ゼラートとの戦争についての記事は少なく、あっさりしていた。民衆が戦争を気に留めていないことが紙面から透けて見える。格下で脅威にならないゼラートとの戦いだ。やる気のないゼラート軍の部隊がすぐに降伏するため死者も少なく、羽虫を払った程度の気分なのだろう。
ゼラート側が真っ青だったのとは対照的だ。開戦の報に公爵以下一同で頭を抱えたのをよく覚えている。
『グラバルト皇国、噴火の被害長期化』
『ウルティカ回復を求める声、高まる』
大きな紙面を割かれた記事はメルナにとっては関係ないものばかり。
捲る。捲る。捲る。
和平協定についての記載は見つけたが、係争地をフレジェス王国領と確定させたこと、賠償金を受け取ることが書かれているのみだ。当然と言えば当然だった。フレジェス王国で報道されれば半月後にはゼラートにも伝わる。『ゼラート王家が屈辱を飲んだ体にする為に公爵令嬢を引き取ります』なんて素直に報道されたら、ルディーナ引渡しの意味がなくなる。かと言って『敵の婚約者奪ったぜ』などと報じられたら正気を疑われる。
それでも何か手掛かりがないか、確認を続ける。
「メルナ?」
見出しを斜め読み、紙を捲る。
「メルナ!」
恐らく何の情報もないだろう。徒労感がある。しかし、そもそも情報のあては余りないのだ。やれることはやるしかない。
紙を捲る。
「メルナ! ねぇメルナ!」
「お嬢様! 今は集中してますので後に!……ってお嬢様っ!!」
顔を上げると、ルディーナ本人が目の前にいた。輝くような金髪に、柔らかく深い青い瞳、間違いない。
「メルナ、図書館で大きな声だしちゃ駄目だよ」
「はい。すみません……ご、ご無事ですか?」
「うん。無事だし元気。たぶん心配して来てくれたんだよね。ありがと」
ルディーナの笑顔に影はなく、顔色も良い。安心して良さそうだ。
悲壮な覚悟で始めた情報収集は、約3時間で終わりを告げた。




