31 夜のテラスにて
その夜、私はフレジェス王城の最上階近くのテラスにいた。ロッシュ殿下と二人での夕食だ。
テラスに置かれた白い丸テーブルを挟んで座る。テーブルにも椅子にも、蔦をモチーフにした美しい模様が彫られていた。
既に夜闇は深いが、設置された幾つものキャンドルが、優しい光で場を照らしている。
天気はとても良かった。雲一つなく、視界の上半分は星の輝きで満ちている。満天の星とはこのことだろう。
一方、眼下に広がるネイミスタの街は、殆どが闇の中に沈んでいる。光があるのはオイルランプの設置された大通りと、一部の繁華街だけだ。
何だか特別感のある素敵な場所だ。綺麗だけど、こんな時だと少し不安になる。大事な話って何だろう。スキャンダル対策で殿下の直属から外すとかだったら悲しい。
不安に思っていると、ロッシュ殿下が微笑みかけてくれた。風がそよぎ、キャンドルの火が殿下の顔の陰影を揺らす。今日も殿下のまつ毛は長い。
「ここは俺のお気に入りでね。昼も都市と湾が一望にできて美しいが、個人的には夜が一番だ。どうかな?」
殿下の優しげな声が心地よい。
「はい。素敵なところです。お招きありがとうございます」
中年の女性使用人が静かに一皿目を配膳してくれる。トマトとニンジンとハムのマリネだ。
殿下が「さぁ、いただこう」と言って料理を上品に口に運ぶ。私もいただく。酸味が程よく、美味しい。
「小さい頃、時々夜更かしをしてここからネイミスタを眺めていた。父には叱られたがな」
小さい殿下が手摺のところに掴まって外を見てる姿を想像してみる。うん、可愛い。
一皿目を食べ切ると、スープがサーブされる。二枚貝と野菜を煮込んだスープだ。これも本当に美味しい。
「ネイミスタは魚介類が美味しいですね。景色も良いし、大好きです」
ネイミスタ湾は良質な漁場でもある。やはり産地に近いと鮮度が違う。
「そう言って貰えると嬉しい……それ、着けてきてくれたんだな。とても似合っている」
殿下が目を細める。私の首元には殿下から誕生日に貰ったサファイヤのネックレスが煌めいている。褒められて嬉しい。
でも、喜んでばかりいられる状況でもない。
「殿下、本日は気を使っていただいてありがとうございます。お忙しいのに……きっと今日も大変だったのですよね、私の記事のせいで」
「君が謝ったり、気に病んだりすることは一つもない。ま、確かに記事のせいで今日も有力貴族連中に色々言われはしたが、大したことはないさ」
ああ、やはり貴族からの突き上げに繋がってしまっているのか。辛い。
「でも、殿下の名声が……」
「民衆や下級貴族は兎も角、貴族議員クラスは俺の人となりは分かっているからな。あんな記事は欠片も信じはしない。言われるのは小言の類いだよ。いつまでも未婚でいるから"あんな記事"を書かれるんだ、ってな」
殿下は苦い顔でハッハッハと笑う。
「あの、私地方にでも引っ込むかゼラートに戻った方が良いんじゃ……内容はどうあれ貴族の突き上げがきているのですよね。物理的に距離をとれば……」
「馬鹿を言うな」
殿下はビシャリと言う。
「君が来てからな、楽しいんだ。それまでが不幸だった訳ではないが、でも日々が色を増した。どこにも行かないで欲しい」
殿下の目は真剣だ。ここまで言って貰える私は幸せ者だろう。
「……ありがとうございます。でも、その、貴族の対応とかはどうされます?」
「ああ、それはな。貴族連中には未婚でいることを突かれている訳だから……くっ……」
何やらロッシュ殿下は珍しくオロオロして、目が空を泳いでいる。やがて、大きく息を吸って私を真っ直ぐに見た。何度見ても綺麗な瞳だ。
「だから、その、ずっと一緒にいてくれないか? 俺の伴侶として」
はい? あれ? えっと、何を言われた?
伴侶って聞こえた。伴侶って、奥さんのことだよね? オルトリ語だとフィルミ、ハラルド語だとレミダ、いや翻訳はどうでもいい。
あれ、殿下にプロポーズされた?
誰が?
後ろを振り返ってみる。もちろん誰も居ない、あるのは星空だけ。
「あの、その、私ですか?」
ロッシュ殿下は「ああ、そうだ」と頷く。
理解が追いついて、息が詰まる。
「ルディーナ、君を妻にしたい。結婚してくれないか」
改めて、真剣な顔で、殿下が言う。
視界がぐにゃんと滲んだ。風がそよぐと、頬が冷たい。涙が溢れていた。
「は、はい。私、殿下のこと大好きです。喜んで。その、第二夫人でも第三でも構いません!」
私はブンと頭を下げる。
「一人目がいないのに何で二人目を娶るんだ。ライズヴァッサ帝じゃないんだぞ。正妻で頼む。ルディーナ、俺も君が大好きなんだ」
殿下が笑う。
ちなみにライズヴァッサ帝は平民を第五夫人と称して娶った過去のトグナ皇帝である。終ぞ彼は第一から第四夫人を娶らなかったという。
「嬉しい、です。……でも国王陛下は大丈夫なのですか?」
ロッシュ殿下は王太子、自分の気持ちだけで結婚できる立場ではない。
「俺が根回ししてないとでも? 父から言質は取ってある。それと、ベルミカ公爵側はメルナ殿が『代理権濫用します』って言ってたぞ」
頼もしいお言葉。そうか、確かにメルナには私の処遇や身柄、その他関連する一切について留保なしで委任がされている。婚姻も結べちゃうね。
なら憂いはない。
「末永く、よろしくお願いします」
「こちらこそ。陛下との顔合わせとか諸々は近い内に機会を作る。あと、新聞の件は任せてくれ」




