第7話 手のひらの上 その2
シビアナは、すうっと両手を箱にまで伸ばし指を乗せる。
私は、それで何をする気なのか察した。蓋を開けるつもりなのだ。だが、一見、あの箱にはその蓋らしきものがない。蝶番もない。鍵穴だってない。全ての面が閉じられたよう。
でも、その箱は開くんだよおう。
「殿下。この箱は、ただの箱ではありません。『引っ掛け箱』です」
「へえ」
そう。あれは、引っ掛け箱。ある決められた手順を踏まなければ、開くことはない。そういう仕掛けが施された箱なのだ。
その仕掛けは、簡単な物から複雑な物まで色々ある。中には、名が付けられたりしているものも。だが、箱それ自体は、然程珍しいものではない。
王都でも一般に売っている所があって、子供が遊んでたりもしているそうな。つまり、玩具。まあ、それでも何かを隠すには持って来いなので、その目的でも購入されている。そんな認識だ。
「この箱には、『詰め木』と『サイコロ落とし』が、順に仕掛けてあります。覚えておられますか? 以前、同じ組み合わせと、そして同じ手順で開く箱で、遊ばれたのを?」
「っ――!?」
う゛っ!? 何て答える!? 確かに、子供の頃、遊んだのを覚えていたから、あの箱を開けられたわけだが――! 走る戦慄と緊張。返答を誤れば、即座に返り討ち。仕留められてしまう。
「いやあー、どうだったか――」
よし。ここは、ひとまず曖昧にすっとぼけて――。
「五日前にも、遊ばれていたのですが?」
ひい!
「――ああ! そう言えば、そうだったな」
ひえええ……。あっぶなー。声が上擦りそうになったわ。そうそう。私の側付の子が、持って来たんだよね。作ったって。そうやって自慢げに、この子は自分が作った物をちょくちょく持ってくる。でも、あの時はなんか、不満げだったけど。
それはそれとして、今はこういう緊張を強いる状況だ。それに、五日前のは、より大きかった。多分この箱の四つ分くらいはあっただろう。重ねてサイコロのようにした真四角の箱。
そんな感じだったから、すぐには思い当たらなかったのかも。それに、開封の手順は同じだったが、その仕掛けは省略されていたからね。詰木はその木片が、より一つ一つ大きく、数が少なくて簡単だった。サイコロ落としの方も、正解の順番を簡単に判別できた。
さらに言えば、この二つの組み合わせとその手順。珍しくもなんともない。市場に出回っている箱の中にだって、ちゃんとある。
ただそれでも、他の側付の子たちは、開けるのに苦労してた。まあ、珍しくないとは言っても、それを見る機会がないとね。つまり、あの子たちは知らなかったんだ。この組み合わせの箱を。そうなると厄介さ。まず、詰み木から解かないといけないし。
だけど、私が覚えてたその手順で試しにやってみると、一発で簡単に開いちゃったもんだから、皆が凄いって尊敬の眼差しで見てくれたのだ。これは、流石にしらばっくれちゃあ駄目。思い出さない方が不自然だ。
「では、あれを開ける事が出来た理由も、記憶にございますね?」
うぐっ!
「――同じ仕掛けがある箱を持ってて、子供の頃にも遊んでたからな。開け方は、結局お前に教えてもらったが……」
「はい。そうでしたね」
ううっ。曖昧にしておきたかったのに……。だが、仕方がない。あの時、皆の前でも言った事だから。
そしたら、折角の眼差しが「なーんだ」って台無しになったの。ただし、その中にシビアナはいなかった。後から、あの子らの内の誰かに聞いたのだろう。
ちなみに、昔遊んだのも、同じくらいの大きさの木箱だ。それは変わらないのだが、もっと色鮮やかだった。
『木染め』という、布を染めるような技法を使って、板に色を付けていた。また、各面ごとにその色彩の印象は違う。青の散らばりが多かったり、白が多かったりとかね。
しかし、あの子が持って来た同じ仕掛けの箱……。今思えば、あれにも意味があったんじゃないか? 形は似てないし、シビアナが持って来たわけじゃないのもあって、何とも思わんかったがさ――。
でもなあ。あの子には、色々作らせたりしてるもんなあ……。だから、その内の一つだったとか。あと、あの場にいなかったってのも、今思えば怪しい。怪し過ぎるわ。こいつ、私に勘付かれない様、敢えて姿を見せなかったんじゃないか?
「…………」
うーん。とは言っても、そもそもの話よ。子供の頃にはもう開け方を知っていたわけだから。しかも、教えてくれたのはシビアナ本人。だから、今更意味がないような気もするんだけど……。
「…………」
ど、どうする? 取り敢えず、これは様子見でいいか? う、うん。そうだな。最悪、市販品とかそっちの方へ話を持って行けば、大丈夫。あれは、私が生まれる前からあるものだ。あの組み合わせもそう。
その中に同じ手順くらいあるだろう。いや、無くったって良い。あの引っ掛け箱は、無数にあるのだ。だから、いくらでも言い逃れ――。う゛っ!?
体が、びくりと動きそうになる。ホント隙なんか、あったもんじゃない。気付かぬ内に、目を落としていたのが良くなかった。
視線を感じてはっと見れば、シビアナがこちらをじぃっと凝視していたのだ。お、おっかな過ぎる……。私が、何食わぬ顔でどうにか我慢していると、その怖い視線は自身の両手を当てた、箱の方へと移された。ほっ……。
シビアナは、箱を自分に向けて少し傾ける。そして、上面の縁に親指を置く。そこには、他と比べ長くなった木片が嵌っていた。その木片を外側へずらす。
すると、押し出されて、ぴょこっと面から飛び出た。外れはしないが、長いのもあって面の縁からはみ出す。そして、そのはみ出した分だけ、内側に隙間が出来る。
そこに、隣り合っていた木片をずらして入れると、ぴったりと嵌った。その木片があった場所には、隙間が出来る。それから、その隙間を動かしていくように、「すすすっ」とそのまま指で他の木片をずらし始める。
ああやって、木片を動かしていくんだ。しかし、速い。私より断然上だ。手順にも迷いがなかった。これなら、あっという間に六面全部終えてしまうだろう。
移動が済むと、動いていった隙間は、最初に押し出した木片の元へと戻っていた。そこに、その長めの木片を入れ直して完成。これを六面全て、案の定すぐにやり終える。各面には、花や鳥、月などの模様が現れていた。
茶色に差異があるよう見えていたのは、模様がバラバラになっていたからだ。そして、色の着いた木片は、その面の中央に移動させている。
これが『詰み木』、その一種だ。木片を動かし、その面をあるべき形にすることで、蓋が開く様になる。だが、この箱はまだ駄目。開かない。
それから、シビアナは、白の木片がある面を上にして、箱を机に置いた。すると、今まで何も聞こえなかったのに、すぐにその箱の中から、
「カツン」
と、静かな室内に音が響いた。詰み木の手順を正しく終えたことで、次の手順を開始する事ができる。この音はその合図みたいなものだ。
それが聞こえてから、順に、黄色 青、赤と、六面全てを一回ずつ上にした後、その逆順でも上にしていく。計十回だ。その度に「カツン。カツン」と、箱の中で何かが当たる音がする。
最後は、白い木片がある最初の面に戻して、箱を置く。すると、「カツン……」と、ゆっくり音が鳴った。
シビアナは、その面に手を掛け、私の方へ向けて、ずらした。すると、面も一緒にずれていく。あれがこの箱の蓋なのだ。ずらす事で開く。
これが『サイコロ落とし』と呼ばれている仕掛け。詰み木を解いた後で、これを解く場合。側板の内に仕込まれた仕掛けが動くようになり、箱の上面を変える事で、その仕掛けが下に落ちて形を変えていく。
そうやって、サイコロを転がすように、ころころと箱の上面を変えて、その仕掛けの形が完成したら、蓋を開けれる様になっている。この箱だと、詰み木を完成させた面の順、それからその逆順が、正しい順序になる。
だから、完成させていく面が違えば、その都度、正解も変わってくる。また、順序が違っていても、仕掛けは動く。その移動の音だけで正誤は判断できない。
あの子が作ったものは、それがなかった。私の後に、他の皆がまたやってるのを見てて気付いてね。手順が違うと仕掛けも動かず音もしなかった。
だから、正誤の見分けも出来て簡単ってわけ。詰み木さえ完成させれば、あの子達もいずれ解けてしまってたんじゃないかな。でもまあ、市販の物よりは精巧だったんだろうとは思う。
そっちは、大抵、詰み木の順番も関係なく完成さえすれば良いし。そして、予め決まった面にならないと、仕掛けは動かないはずだからね。手順は一つ。変わりはしない。
ちなみに、やり直すには、また詰み木からだ。最初からとなる。とは言っても、面を完成させる細い木片を、入れ直せば良いだけなんだけど。市販品も大抵一緒じゃないかな。
これが、二つの仕掛け、『詰み木』と『サイコロ落とし』の組み合わせを使った引っ掛け箱。そして、この箱は、今のように順に解く事で、ようやく開けることが出来る。
シビアナは、手に持っっている蓋を傍に置いた。そして、箱の中から、口のすぼんだ白っぽい陶器の小瓶を一つ取り出す。
その底は円く、手の平に乗る。大きさも、手の平ぐらいで細長い。それを「コトン」と、中身にも響くような軽い音をさせ、机の上に立てた。
その音を聞いた私の体が強張る。当然、身に覚えがあったからだ。
うひいいいー! 間違いない! あの小瓶! あれはああああー!