第6話 手のひらの上
「いや? 知らないな。初めて見たぞ?」
すかさず私は、しれっと嘘を吐いた。だが、恐らくこの真顔からは、血の気が引いているだろう。だくだくと汗も掻いているから、嘘ではある事は諸ばれ。
しかし、幸いにもこの部屋は薄暗い。蝋燭の火ぐらいの明るさでは、分からないはずだ。諸ばれではない。良かった。って、すおおんな事は、どーーーでも良いんじゃあああ!
それよりも、その箱だよ! その箱おおおおー! 私は、ぐわっと目に力を込め凝視すると見せかけて、チラ見する。
何て事だ。シビアナが、この場所へ連れ込んだのは、急用でも何でもない。その箱について、尋問するためだったのだ!
それから、机下の鞄。くっそ、やられた! あれは、私が覗き見るのを前提で置かれていた囮だ! 最後まで悟らせないよう、かつ、不意を突いて思考を乱し、事を優位に運べるように!
そして、ここへ来た目的は、未解決事件を解決する事なのだと、そう思い込ませるためのな! まあ、確かにこれも未解決だろうけども!
その箱の事は、よおく知っている。ホントもう腹が立って腹が立って仕方がないほどに。
だが、それ以上に、他の誰にも絶対知られたくない重大な秘密が、その箱にはあるのだ。それなのに。それなのに、今このシビアナの手中にある。
おかげで、心中はもう、しっちゃかめっちゃか。胸の鼓動も豪い事になってる。ばっくん、ばっくんいってる。
うおおおおー! 何でだ!? 何で、こいつがその箱を持っている!? きちんと、元通りに隠したはずだぞ!? 痕跡なんて残っていないはずだ! いや、残っていたから見つけられたのか!? じゃあ、それは一体――!?
ていうか、どうしよう。どうしよう! どうやって、この場を切り抜けよう!? このままだと、間違いなく事が露見する。全然、希望が持てない。確実に止めを刺されてしまうぞ!
しかも、これは明らかに、父様から許可を取った上でやっている。王の下命。近衛騎士隊へ命令状まで出させている。絶対に間違いない。王女である私が追及を受けれるように、逃げ道を塞ぎに来ているんだ。
だから、今のこの一言――知らないというだけでは、話を終わらせる事ができず。シビアナが、納得するまで尋問は続く。それまでは、ここから逃れる手立てがない。
あるとしても、それは私がシビアナの言い負かすとか、それくらいしか方法はないだろう。だが、その可能性は、あまりにも――!
いや、そもそもの話。あの箱が、奴の手中に落ちた時点で――! うわあああん! 嫌だああああ! こいつだけには、ばれたくなかったのにいいいいいー! 私は、あらん声を心の中で張り上げて絶叫した。
だが、どんなに泣き叫ぼうとも、最早、手遅れ。もうバレた。シビアナは、私が何をしたのかその確信を持つことが出来ている。それは、この焦り散らかした様子を見たからだけではない。
よって、今更、出来る事と言えば、嘘を吐いてでもその事実を認めず、言質を取らせないくらいだ。それが例え、証拠を揃えられ、逃げ道を完全に塞がれ、こちらの言い分も悉く論破され、既に負ける未来しかない戦いであったとしても――。
うわあああん! マジで今更どうしろと言うんだ!? 勝てる気が全然しないんですけど! しないんですけど!
しかし、何故、秘密もバレた上、負けると分かり切っているのに。それでも、私は戦わなければならないのか。それは、さっきみたいにまた弱みを握られ、その要求を飲むことになる。だけではないからである。
シビアナがじっと私を見てくる。どんな些細な違和感も、見逃さないと言わんばかり。それを必死にいなす。何とか平然な表情を作って、誤魔化そうとしていた。そして、確信する。
「…………」
嘘おお、まじでええ……。道理で、三割増しでおかしいとか思ったわけだ。シビアナは静かに怒っていた。しかも、かなり怒っている。間違いなく。超怖い。どうやら、私のしでかした事は、そうさせる程にはやばかった模様。
何でだよ!? そこまでの事か!? 確かに、誰にもバレたくない秘密なのだが、それでもそれは誰かが怒るような、そんな実害を与える様なものじゃないのだ。
でも、めっちゃ怒ってる。それが、見て取れるお顔だわ。ううう……。
この様に、私が何かやらかして、それがシビアナをかなり怒らせるまで至った場合。
その罪が確定すれば、要求を飲むだけでなく、さらに追加で罰も下る。そして、例え、罪を認めて謝ったとしても、その罰が減刑される事はまずない。
だから、私は一縷の希望に賭け、嘘を吐いてでも戦わなければならないのである。つまり、そうせざるを得ない程、この罰ってのがもう酷いのなんのって。
前は、皆の夕食を一人で作れと言われた。一人でね。――え? それくらい大した事ないじゃないかだって? 王女だからってそれは甘え過ぎでしょだって?
あほかあ!! 良いか、よく聞け! この王宮内には食堂がある。それはもう凄い広い食堂だ。しかも、そんな食堂が三つある。王宮内で働く兵士や侍従官やらで、二千人くらいはいるらしいからな。そんな大きさにもなるわけよ。
これだけ伝えれば、もう分かっただろう。そうだ――。皆とは王宮内で働く皆という意味! 私はな! その皆――二千人が食べるための夕食を! たった一人で! たった一人でだぞ!? 作らされたんだよ! くそがああああ!!
私には料理の心得がある。それでも、時間は掛かりまくるし、ホントにマジでうんざりした……。しかも、そうなったのは、これだけが理由じゃない。このアホは、これだけじゃ私を許さなかった……!
必死こいて料理をしてると、いつもは見掛けない子供の姿が沢山あった。ここは王宮。私とかは例外だが、それでも仕事場には違いないからね。だから、それが気になって、何事かと尋ねればマジで信じられなかった。
夕食は、自宅に帰って家族と一緒に食べる者も多い。だが、シビアナは、敢えてその者達も引き止めた挙句。家族団欒の時間を奪うのは忍びないとほざき。その家族も、この王宮にわざわざ呼び寄せやがったんだよ……。何晒してくれとんのじゃ、お前はああああ!
その事実を聞いた時、愕然として両手で抱えていた、でっかい空のお鍋を落とした。んで、その鍋が、足にぶつかったのと、床に響いた音で我に返ったわ。
料理が完成したお鍋とかじゃなくて良かった。じゃないと、足の骨は折れんが、私の心は折れていたかもしれん。
こんな体験も初めてだった気がする。いやホントにね、まじでびっくりするよ? 放心すると、手の力が勝手に抜けてるの。話には聞いていたが、これは正しかった。
それから、料理中は当然の如く、がっちがちの監視付き。シビアナとか近衛騎士とかも百人くらい、ずっと張り付いておったわ。おかげで、逃げ出そうにも逃げ出せやしない。まあ、今更逃げた所ではあったんだが……。
それでも、あいつらの呑気そうな顔を見ていると、
「お前ら、そんな突っ立って監視してる暇があったらな! こっち来て一緒に手伝え! ぶっ飛ばすぞ!」
そう思っちゃって、心の中で何度も叫んだ事か。ただね、シビアナが口だけは出してきやがるの。で、ちょっと休んでたら、
「もし、今日中に終わらなかったら、明日になってもそのままやって頂くか。それとも、これを恒例行事にするか。どちらがよろしいですか?」
って、笑顔で凄んでくんの。なに、その二択? あほか! どっちも嫌じゃぼけえ!
それだけじゃない。その日の朝は、仕込みのためだと、めっちゃ早く叩き起こされた。日も出てない内からね。私は、それから夜までずっと食材と戦い続けたのだ。
それなのに、どんなにやっても終らなくて、まじで泣きそうだった。でも、配膳まで一人でやらされていたら、泣いていたに違いない。うう、思い出したら、吐き気が――!
と、まあこんな感じだったのさ。つまり、あれだけ怒ってるとなれば、今回も似たような事になるだろう。それを食い止めるため、私は何としてでも、この嘘を貫き通さなければならないのだ。
しかし、である。嘘を貫こうにも、このシビアナ相手に一体どうすれば良いと言うのか。実力行使以外、一度たりとも切り抜けられた試しなし。ああ、本当にどうしよう! 何も思い付かん! うわああああん!!
もうホント最悪。秘密もバレた挙句、結局、負けは確定。これから、きっと酷い目に遭うのだ。では、一体どんな罰が待ち受けているのだろうか。それは、およそこの世のものとは思えないような――。うううう――!
地獄だ。地獄が待っている。そうやって、戦々恐々としながら、私はシビアナの恐ろしい視線に耐える。それから、随分と時が経って、いや、しばらくしてだと思うが、
「そうですか……」
と、一言。シビアナは視線を外す。その姿に、私は目を奪われて呆気に取られた。
「…………」
え……。え……、嘘? 何それ? それだけ?
おかしい。これはおかし過ぎる。いつもなら、「そういうのは、いいですから」とか言って、揃えた証拠を見せて、ばっさりと切り捨ててきそうなものなのに……。すぐに見抜かれてお終いなのに……。
でも、それがない。な、何故だ? これは、どうなっている――? 私が、そうやって混乱していると、
「ふうう……」
不意にシビアナが俯き、一瞬だけ。そう、ほんの一瞬だけ。聞こえるか聞こえないくらいの息を静かに吐きながら、面倒くさそうにその表情をより暗くした。え、まじでどゆこと?
面倒くさい。面倒、くさい……? って事は――。それは、まあ――。これから、その面倒くさい事でもするからって事? つまり、それは今から始まる尋問に関わる事だろう。
確かに、その尋問もシビアナにとっては面倒くさいかもしれんが――。証拠も揃っているだろうし、すぐに終わりそうなんだが。だから、そこまで――。
「…………」
え、証拠!!? ちょっおい、ひょっとして――!? ある事実に気付いて、私は俄に色めき立つ。
もしかして――、その証拠が不十分、若しくはないのか? そのせいで、私が犯人だと立証しきれないから、その足りない分を今から尋問して吐かせようと? それが長くなりそうで、だから面倒くさいって事――?
う、うおおおおおおおおお!? こ、これは――!! 我が心に小さな希望の火が、がつんと灯る。
まさかの証拠不十分――! こんな好機、千載一遇なんてもんじゃない。あったかどうかさえ記憶にない。だが、いける。いけるかもしれない。言質さえ取られなければ、認めなければ、まじでこの場から脱出できるかも!? よし! よし! よおおおし!
そうと分かって、ようやく生きた心地が戻ってくる。ほっと安堵の一息だ。それに気付かれない様にと、私も静かに吐き出し、肩をひっそりと落とす。
だが、それも束の間。シビアナの体が動き、どきりと我が心が飛び跳ねる。その心をどうにか抑え込む中、奴はすうっと両手を箱にまで伸ばし指を乗せた。