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王女楽章 リリシーナ!  作者: 粟生木 志伸
第一楽章 トゥアール王国の王女殿下
5/27

第5話 王女のお悩み相談

「ところで――。話は変わるが、イージャン」

「は、はい……」

「テレルは、元気にしているか?」

「っ!」


 ふふっ。話が自分の娘に変わって、あからさまにほっとした表情になったな。ごめんね、やり過ぎたわ。


「どうなの?」

「はっ。毎日元気に走り回っております」

「ふふっ。そっか」


 うんうん、その姿が目に浮かぶようだ。そっか、元気かー。うん、元気で何よりさ。


 テレルは、この夫婦の一人娘。あの子は、この両親に連れられ、去年初めて王宮で会って遊んでくれたのだ。その時以来、懐いてくれていている。ふふふっ。嬉しいよね。そんなテレルに、私はいちころ。何物にも代えがたい癒しとなった。


「最近は、数字をちゃんと数えれるようにと、頑張っておりまして」


 イージャンが緊張したようにして言う。ああ。それって――。


「その甲斐あり、零から百まではもう問題ありません。例えば、私が十七の次はと聞けば、すぐに十八と答えが返ってくるのです。逆に前はと聞けば、十六とも」

「へ、へえー……」

「本当に凄い事です。零から百まで、その並びを全て理解してしまうとは――! 私は、あの子と同じ年にそれが出来ていたか、自信がありません……」


 深い感銘を受けたかのように、首を振った。


「そなんだ……」

「はっ。他にも、斧月ふつきから掌月しょうづきまで、十二の月も全部覚えてしまいまして、これもつっかえる事なくそらんじる事が――」


 斧月や掌月っていうのは、うちの暦の事。斧月から始まり、掌月まで。その数は、一月が三十日くらいで、一年十二か月だ。これで大凡等分している。


 しかし、何だかぐいぐい来てる気が。イージャン、あの子の事になると、ちょっと饒舌になる傾向があるんだよね。ま、それだけ想っているわけだからいいけど。でも、ごめん。その話って、シビアナからもう聞いてんの。


 ただ、あいつ、そうやって聞かせてはくれるが、連れて来てはくんないだよなあ。今でも必死に頼んで、ようやっとさ。それでも、来る日が決まると、それはもう楽しみで仕方がないんだけど。


 はあ……、堪らないな、あのはにかんだ笑顔。その時の、あのふっくらとした、ぷにぷになほっぺ。そして、小さな手で、私の指をきゅっと握ってくれるあの感触――。ああ、思い出してしまった。おっと、色も変わってしまったな。少し濃くなっている。この色は恍惚か。


 これが、シビアナに横暴な振る舞いができない一番の理由。テレルは、母親であるあいつも大好きなのだ。それなのに、もし酷い仕打ちをして、それがあの子に知れたら間違いなく嫌われる。会えなくなる。そんなのは、絶対に嫌だ。考えただけでも、ぞっとする。


 とはいえ、シビアナはあんなんでも、基本、優秀な侍従官だ。テレル云々うんぬんがなくても、酷い事をするのは、まあ今後ともないだろうけど。あと、慣れちゃってんだよね。付き合い長いから。いや。あの性格に毒され尽くされて、麻痺しているって言った方が良いのかも。


 ま。そもそも私は、そんな横暴王女なんかではない。基本、心優しい素敵な王女様なのである。


「…………」


 不意に、喋っていたイージャンが、目を伏せ黙り込む。娘の話になって、うきうきと晴れていた表情が、気落ちしたように暗く曇っているよう。

 

「ん? どうしたの?」

「あ。いえ……」


 尋ねると、自分の様子に気付いたようだ。気を取り直すように顔を上げた。しかし、冴えない表情は抜け切れていない。ありありと残っているようだった。ふむ。気になるね。


「何? テレルの事で何かあったのか? だったら、ちょっと話してみ?」


 あの子に関する悩み事かな? その話をしていて、これだから。なら、この心優しい素敵な王女様に、相談してご覧なさいよ。出来る事なら最大限、力になってあげようじゃないの。


「いえ、しかし……。それは、殿下のご迷惑に――」

「そんな事ないよ。いいからいいから。ほれ」

「…………」


 イージャンは、促されても黙っていたが、意を決したように視線を向ける。それでも、おずおずと言い難そうではあったが口を開いた。


「実は、その――。数日程前に……」

「うん」

「あの子と喧嘩をしてしまいまして……」

「え? そうなの?」

「はい……」


 あら、珍しい。って、まあ、こういう話を聞く機会なんて、そもそもあんまりないんだが。ただ、喧嘩自体はたまーに、してるみたいなんだよね。これもシビアナから聞いている。けど、テレルって、イージャンの事も大好き、みたいな印象だったから、やっぱり急に聞くとちょっと意外に思えた。


「ふうん……。で、何があったんだ?」


 以前聞いた話は笑ったが、今回はどうかな?


「はっ……。あの日、私は非番だったのですが……。他に用事もなく、家でゆっくり出来るようだったので、それを聞いたあの子と一緒に遊ぶこととなったのです」

「ほう」


 休日を親子で。羨ましい限りですな。


「最初は、庭で遊んで――。それから、二人で飯事ままごとをすることになりまして」

「飯事? って、ごっこ遊びの?」

「はい。その飯事です。テレルが、近衛騎士の役をやってみたいと、言ってきたものですから、それを」

「おお! 近衛騎士かあ!」

「は、はい……。その近衛騎士が、化け物を退治するために冒険をする昔話をしていましたら、そうなりました……」


 言い終えると、イージャンは照れ臭そうに顔を俯けた。まあ、自分の子供が自分の就いている職をやってみたいって言ってきたんだ。父親なら、なお嬉しいよね。


 ちなみに、近衛騎士は、別に男だけしかなれないってわけじゃない。老若男女、誰でもなれる。ただし、それに見合った強さがあれば、だけれどね。


「私は、案内人です。あとは、悪さをする化け物など、その他全てを。飯事は、テレルが庭を舞台に、その化け物を退治しに行く冒険、というものになりまして」

「へえー……」


 イージャンとこの庭って、子供が走り回るには、十分過ぎるほど広い。遊べる物も多いんだよ。だから、飯事にしたら何か本格的に聞こえるよね。それこそ、歌劇にもなりそうだ。あーん。私も見てみたかったなあ……。


「それで、庭を巡り、その庭にある色んなものを障害に――。例えば、岩なら大きな山として見た立て登ったり、などですね。そのように冒険をしていたのです」

「ふんふん」

「あの子も、楽しそうに笑いながら、順調に巡っていたのですが――」


 イージャンは、この話をし始めて、多少表情が朗らかだった。のだが、その表情を急に渋くして、気まずそうに言い淀む。その理由は納得がいった。


「その……。シビアナも途中から参加しまして……」

「…………」


 雲行きが一気に禍々しくなった気がする。シビアナ……。何だか、その名だけで嫌な気配が――。いや、まさか。


「あいつは、どんな役だったの? お前と交代して化け物の役? だったら、誠に遺憾ながらテレルに勝ち目は――」


 恐らく、一度倒しただけでは終わらない。何度でも復活する。そして、あれやこれやと甘言を弄し、遂にはテレルを自らの配下に――! ぬうう、許せん!


「い、いえ! 違います! えーと、その化け物が持っている、宝物の役です……」

「物の役……」


 物――、宝物ねえ……。化け物は違うと思ったが、もっと良い役だろうとは思ってた。まあ、木とか岩よりは良いか。高価で貴重っぽい印象がある。


「ふーん。でも、何かあったな。決して開けてはならない宝箱の話。その中に災いの神やらが、封印されてるとか何とか――」

 

 あれ? 


「…………」


 それって、まんまじゃん。と、私は思った。――ん? イージャンが目と口を開いて、唖然としている。何だろ? 急にどうしたんだ? って、おい。ひょっとして――!?


「まさか、イージャン――!?」


 ホントにやらせたのかと戦慄すると、彼の表情が我に返ったように、はっと戻る。そして、勢いよく小刻みにその顔を振った。


「い、いえ! 確かに、宝箱の中に閉じ込められていたのですが、決して災いの神ではありません! 決して!」

「そっか」


 ま、流石に、あいつをそのまま邪神にする勇気はないよね。でも、私が言い当てたから、驚いてたのか。


「じゃあ、何が入ってたんだ?」


 閉じ込められていたって言うんだから、金銀財宝ざっくざくとかじゃないわけだよね? 人? あ、さらわれてた近くの村の娘とか? その子を助けるために倒しに行った、みたいな。これも聞いた事があるような話だ。そんな事を思いながら答えを待っていると、イージャンの目がちょっと逸れた。


「閉じ込められていたのは、女神という事に……」


 …………。


「はあああ? 女神いいい?」

「は、はい。女神です……」


 あいつ、私が美少女とかにしたら、どうのこうの馬鹿にしといて、自分は女神? 何なんそれ? おかしくない? 無性にイラッとしたが、取り敢えず我慢した。話の先を優先。


「はあ……。で、その女神様は何したんだよ?」

「は、はい。最後は、化け物の私が退治されるので、その後、助け出された女神のシビアナが、あの子にご褒美を――。お菓子をあげる、と言う風に変更になりました」

「ふうん。最後だけ」


 でも、しっかり良い役になってんな。テレルにお菓子をあげて、喜ばれると。ちっ。


「ですが、その……。お菓子をあげるだけとは、ならなかったのです」

「え? ならなかったの? まだ何か?」

「はい。何故だか、急遽、化け物に呪いが掛かっていたという事になりまして。そして、宝箱から解放された事で、女神の力が戻り、その力で呪いを解いて化け物の本当の姿が現れる、となったのです」


 ほほう。


「呪いが解かれて……。へえー。どんな姿だったんだ?」


 かっこいい王子様とか騎士とか、あとかっこいい商人とかか?


「えーと、その……。化け物の正体は、私という事で……」

「ん? どういう事?」


 首を傾げる。それじゃあ、変わんないでしょ?


「いえ、その……。私が化け物になっていた、という事になりまして」

「イージャンが? ――あ。イージャンがそのまま役としてって事?」

「はい……」

「ほーおう」


 へー、そうなんだ。でも、昔話を参考にしての飯事、じゃなかったっけ? それの登場人物にイージャンって……。まあ、ごっこ遊びの飯事だからなあ。何でもありか。うん。あの子が面白いと思うなら、それはそれで悪くないかもね。けど、


「どういう理由で、呪われてたんだろう?」


 うーむ? と、ぽつり呟く。ちょっと気になったのよ。そこまで設定凝ってたのかな? ある? いや、ないか。と、思っていると、イージャンの様子がまたおかしい。口を噤んで押し黙ってしまった。おかげで、察することが出来た。


「あるんだな、理由が? そういう設定が?」

「はい……」

「どんなの?」


 尋ねると、今度は顔を赤くしておずおずと口を開いた。


「め、女神の事が、その……。す、好き過ぎて、宝箱の中に閉じ込め、自分だけのものにしようとしたら呪いに掛かり、化け物の姿になってしまった、との事です……」

「あ、あいつうううう~~!」


 やりたい放題、好き放題盛りやがってええええ! 気付けば、拳を握りしめていた。この拳でそこら辺の壁を粉砕したい衝動に駆られる。だが、我慢した。話の先を優先。偉いな私。


「まあ、いいけど。でも、それじゃあテレルと喧嘩する要素なくない?」


 その流れだと、化け物だったイージャンを改心させて、テレルやったね! あと、ご褒美のお菓子も貰えて、テレル良かったね! で、めでたしめでたしって感じで終わるでしょ?


「いえ、実はここからが問題でして……」

「ほう?」


 ここから、とな? 何が残ってんだろ? ああ、私が思った結末と違うのか。じゃあ、どう違うのかと興味が湧く。すると、イージャンが両手の拳を握り、顔を俯けた。そして、何故か苦痛を受けたように、その顔は徐々に歪んでいった。


「化け物が、元の姿に戻ったのがいけなかったのでしょう……」

「ん? 何で? 元に戻れたんでしょうに」


 変な事を言う。


「はっ、確かにそうなのですが……。しかし、そのせいで、その――」

「うん」

「テレルとシビアナが二人で」

「うん」

「その……。私の取り合いを、始めてしまったのです……!」


 は?


「劇の終わりに、シビアナが私の事を、その、す、好きになったので、お菓子の代わりに貰い受ける。と、そう言い出したのです。すると、あの子がそれは駄目だと、言ってくれまして。しかし、そこで終わらず、次はどっちが、どのくらい好きか、その大きさで争い出し、徐々に険悪さが増していき――」


 おいおい……。


「遂には、テレルが自分とシビアナ、どちらと結婚するのかと、本気で泣き出してしまったのです……! そういう最悪な事態にまで発展を――! くっ!」

「…………」


 私は眉間を揉んだ。何、そのどろりとした状況……。


「どうして、そうなったんよ……」


 まず、展開が急過ぎるわ。何で、自分を閉じ込めた奴に、出てきていきなり惚れてんだよ、その女神は? 明らかに性格がおかしいよね? いっちゃってるよね?


 それに、何でもありの飯事だからって、テレルを泣かしちゃ本末転倒だ。しかも、あの子に取り合いまでさせるって……。やっぱ、心を狂わしたり惑わしたりする、邪神とかだったんじゃないの、あいつは? 


「それは……。その、申し訳ありません。気付けば、あの子が泣きながら私の腕にしがみ付き、シビアナと片方ずつ引っ張り合っているような状態でして……」

「二人ともかよ」


 じゃあ、絶対それ、シビアナが悪乗りした結果じゃん。間違いないじゃん。


「その……。シビアナも、いつもではないのですが……。しかし、偶に火が着くと、あの子に対して急に悪乗りが始まって、それが過ぎる時があるようで……」

「そなんだ……」

「はい……」


 やっぱりじゃんか……。ったく、あのアホは――。


「ただ、それもシビアナなりの鍛錬を兼ねているらしいのですが……」

「鍛錬ねえ……」


 何の鍛錬だよ。男を取り合う鍛錬か。それとも、ああいう状況に慣れるための鍛錬か。どちらにしても碌なもんじゃないわ。ていうか、テレルにもやってんのかよ。まあ、私と違って偶にらしいが。それが、せめてもの救いか。


「はあ……。で、結婚相手に選んだのが?」


 ここまで説明されると、流石に分かった。喧嘩の原因はこれだ。投げ遣りに尋ねると、イージャンは案の定その通りと渋そうに頷いた。


「はい。シビアナです……」

「そうか……」


 だよねえ……。だから、あの子は腹を立てたんだなあ……。いや、でもさあ。


「そこは、テレルを選んどきなよ……」


 何してんのよ、イージャン……。


「私も、そう思ったのですが……。しかし、飯事とは言え、やはりそうするのは教育上、宜しくないのではと……」

「あー……。なるほどね」


 うちは貴族でも、信仰的背景もあり、基本的には一夫一妻だ。で、イージャンには、奥様――つまり結婚相手に、シビアナがもういる。それなのに、テレルを選ぶ。


 これが許されると、結婚に対して変な考え方をするようになるかもって、懸念したわけね。自分の好きな人が既に結婚してても、私もその人と結婚できる、みたいな。そこから、情操がずれてくると。


 まあ、理屈が分からなくはないか。それに、小さい頃のそういう経験とか記憶ってのが、その後の性格形成に関わってくるって、教えてもらった事もあるし。


「殿下。そう考えたのもあって、今でもあの選択で良かったとは思えています」

「そっか」


 私は、その堂々とした物言いに、はっきりとした自信を感じた。父親として、しっかりと自分の娘を守りたい。だから、この意見は譲れん、みたいな。だからか、誇らしげでもあった。


 まあ、こういう事は、まず意見を変えないらしいからな、イージャン。しかし、


「思えてはいます。思えてはいるのです……。ですが……」


 その堂々とした態度が急に消え失せる。代わりに、悔しさを滲ませて、それを強く帯びた口調で語気を強めた。


「ですが、そのせいで、私は――!」

「うん」

「そのせいで、私は――!」

「う、うん」


 二回言うか。そして、イージャンは、目を閉じると顔を俯け、溜息を一つ重々しく吐く。それから、閉じたその目を開き。自分の思いの丈を、床に向かって一気にぶつける様にして言い放った。


「そのせいで私は――! あの子に大っ嫌いと――!! ――くっ!」


 そう叫ぶと、激痛で貫かれた様に歪めた顔を背け、ぐっとまた目を瞑る。結局、三回言いおったな。いやしっかし、これは――。


「うわあー……」


 きっつー……。大嫌いって。私、それで死ねる自信があるわ。今でも、血の気が引きそうな感じだもの。髪色だって変わりそうだ。


 止め止め。これ以上想像したらホントに変わりそう。私は首を振って、その想像を払い除ける。イージャンは、そのまま苦しそうに肩を落としていたが、不意に目を開きぽつりと呟いた。


「それに、シビアナを選ばなければ、それはそれで――」

「ふっ」


 思わず、笑いを吹き出す。そして、彼のその腕をぽんぽんと叩いた。


「はっはっ。いやいや。流石にお前、飯事でそれは――」


 そこまで言って、ハッと止まる。そして、イージャンの「本当にそう思いますか?」と訴えている顔を見て、


「ああ。いや、ごめん。あるわ。うん、あるある」


 素直に自分の意見と、手を引っ込めた。表には出さないが、裏でこう何かぐっさりとしてきそう。


 それから、私は胸の前で腕を組んで、一息。天井を見上げた。


「うーん。そっかあ。テレルとそんな事があったのか……」

「はい……」


 ただの飯事のはずがねえ……。いや、それ自体は、すんごく面白そうだったんだが。


「しかも、ここ数日忙しく、朝も早く家に帰るのも遅くなり、まともに話せないような状態でして……」

「ふうん。仲直りする機会もなかったと……」

「はっ。仰る通りです……」


 言い終わると、辛そうに目を伏せた。あらら。


――まあ、これはイージャン悪くないよなあ。思いっきり、とばっちりじゃん。そうやって、選ばせるような状況まで持って行った、シビアナの方が悪いよ。うむうむ。


「あ。シビアナは? 仲直りしてんの?」


 そう言えば、あいつはどうなんだろう? イージャンを取り合った、恋敵って奴になるんだよな? もっと酷かったり?


「聞いてみたのですが、翌日には特にもう」

「え? そうなの?」

「はい。問題なかったようです」

「へー」


 何だか拍子抜け。ああ、そうか。


「あっちは機会があったのか……」


 数日前なら、確かにそうかも。イージャンと違って、全部が全部、夜遅くとはなってないはずだ。


「いえ……。シビアナは、あの後、泣きじゃくるテレルを抱きかかえ、宥めておりましたので。そもそも、嫌われていなかったと思います……」

「そか……」


 二人とも嫌いって事には、ならなかったんだ……。でも、直前まで取り合ってたのに、どーしてそうなるのか? 母親の力? いや、シビアナの力だな。なんか上手い事立ち回って、懐柔とかしてそう。しっかし、まあ何と言うか、これは――。


「イージャン」

「は」


 目を伏せ意気消沈の彼に、慈愛の視線を向ける。 


「お前も大変だったな?」


 まあ、お互いにね? 


「は……。あ、いえ」


 シビアナの顔でも過ったのか、すぐに否定した。いや、ホント大変だな、お前。あいつの夫なんだ。私の比じゃないかも。


 ともあれ。これは、尚更、どうにかしてあげたいよね。そうだな。何か、切っ掛けでもあれば良い。そうすれば、この二人の事、直ぐに仲直りだ。私は、既にその切っ掛けを思い当たっていた。


「ふうむ。よし、話は分かった。それで、だ――」

「は……」

「イージャン。お前、今夜夜勤じゃないんだろ?」

「…………? は、はい。確かにそうですが……?」


 ふふ。自分の予定をよくご存知でって顔だね?


「じゃあ、今夜だったら、テレルとお話が出来るな?」

「はい、そのつもりです。何とかあの子と話をして――」

「そっか。でも、悪いんだけど――。それは、歌劇へ行った後にしてくれないか?」


 そう告げると、意表を突かれたようだ。少し間があって、それから首を傾げた。


「――歌劇、ですか?」

「そ、歌劇。さっきシビアナにその席を取るよう頼まれてね。子供に大人気のぬいぐるみ劇だよ」

「ぬいぐるみ!? テレルが行きたがっていた――! そ、そうなのですか!?」

「まあね」


 好感触。イージャンの表情が、ぐっと明るくなっていく。


「ただ、その話はついさっきだからな。だから、まだ連絡はしていないだろうが――。しかし、あいつの事だ。お前たち三人分の席は、もう既に用意してあると言っても、過言ではないだろ?」

「はい! それは確かに――!」

「うんうん」


 喜ぶその姿に、私は腕を組んだまま満足して何度か頷く。そして、人差し指をぴんと一本立てた。


「ふふん。しかも、イージャン。その席は――」


 少し勿体ぶって間を作る。彼の期待と不安の籠ったような表情をちょいと堪能して、それから言った。


「その席は、特等席――、だからな?」

「殿下――!」


 その顔が、一気にぱーっと明るくなった。ここに来て、最高の笑顔を見たとでも言うべきだな。いや、こんな笑顔は滅多にないかも。あんまり、感情豊かに笑わないんだよね、イージャンって。控え目って言うかさ。


「ふふふ! ま、楽しんでくるといい。で、その帰りにでも、何か買ってあげなよ。あそこって、お土産なんかも売ってあるだろ?」

「はい。一階と三階にそう言った物が売られていたはずです」

「うん。じゃあ、お話はそれを渡す時にでもね? この前はごめんって、でもテレルの事は大好きだよって、それだけ伝えれば、もう大丈夫じゃないかな? 色んな事を言うよりはね?」

「っ!?」


 天啓を受けた様に、はっとするイージャン。


「確かに――! くどくどと説明するより、それは――! ありがとうございます、殿下! これで、あの子と仲直りが出来そうです!」

「ふふふ! いいっていいって」


 深々と頭を下げらてしまったので、軽く手を振って答えた。いや、ホント大した事してないからね。私のは、あくまで切っ掛けだけ。偶然、シビアナに弱みを握られただけだから。あとは、イージャン自身が、あの子のご機嫌を最大限まで高めておくれ。それから、ちゃんと謝れば、それで仲直りさ。


 案外、シビアナもそのつもりで、私に頼んだのかもしれないな。だとすると、イージャンを驚かそうとしてたのかもしれない。今みたいな感じで。なら、その役を私が横取りしたって事になるが――。ま。このくらいいだろう。さっきの仕返しさ。ふっふっふっ。


 そもそも、テレルの方も、覚えてないかもね。話せる機会がなかったから、分からなかっただけでさ。意外と、もう機嫌は治ってるかも。だから、謝られたらきょとんとしたりして。


 どちらにせよ、楽しんでくれたらそれでいっか。私は、その話をあの子から聞くのを、楽しみにしておこう。ふふふっ。――おっと、そうだ。


「ああ。その代わりと言ってはなんだが、イージャン」

「はっ。何でしょう?」

「お前からもシビアナに頼んで、テレルを王宮に連れてきてくれないか? もうそろそろ、あの子が恋しくなってしまう発作が起きそうだ」


 大した事はしていないが、感謝してくれているのなら、これは絶好の機会。その機会、ちゃんと使わせてもらおうじゃないの。くっふっふっ。


「はっ。仰せのままに」


 そう言って、恭しく敬礼をしてくれた。よしよし。


「ん。頼むね」

「はっ。畏まりました。ご助言だけでなく、歌劇の席まで――。殿下、誠にありがとうございます」

「いいのいいの」


 また深々とお辞儀をしてくれたので、こちらも軽く手を振って返した。


「…………」


 うーん。しかし、こうしてイージャンを見て思うんだが、王女に対しての対応は大体こんなもんだ。これが普通だよ。やっぱりシビアナは自由過ぎだろ。ずっと近くにいるせいか、時々分からなくなるわ。


 でも――。思えば、さっきは特におかしかったよなあ、あいつ。いつもなら、あそこまでじゃない。三割増しで変だったはずだ。


「…………」


 いや。やっぱ、そうでもないかな? ははは……。ああ、そうそう。聞き忘れるところだった。


「そう言えば、イージャン」

「はっ。何でしょう?」

「私たちがここに来た時。何で、ビクってなっていたんだ?」


 変な感じだったんだよね。


「え!?」

 

 おお、挙動不審っぷりがすごいな。格好を崩して、またビクってなったし。


「いや、さっきシビアナの顔を見た時、ビクって――」

「――っ!?」


 今度はビクッとそのまま固まった。ま、理由は分かるけど。微動だにしないが、見開かれたその目線は私の後ろ。振り向けば、その理由が悠然と立っている。


「お待たせしました、殿下」


 あちゃちゃあ。残念、時間切れ。シビアナが戻ってきてしまった。



**********



 シビアナが帰ってきた。イージャンが挙動不審過ぎるのは、何故だか分からないが、原因は間違いなくこいつのせい。しかし、急ぎの件と言う話。だから、部屋に入る事を促されて、それ以上聞くことはせず、私は再び中に戻った。


「…………」


 しまったなあ。最初に聞いておくべきだったわ。そう思いつつ、手前の椅子に腰を掛けると、何やら後ろから声が聞こえてきた。


 振り返って確認すると、シビアナがイージャンに話掛けていたようだ。それもすぐに終わり、シビアナが部屋に入ってくる。イージャンは、多分ここの鍵と、白い便箋を手渡され、廊下側の扉の脇に戻っていった。


 便箋は、その封蝋から察するに、シビアナからの手紙のようだ。印璽いんじまでは分からないが、あいつがよく使う黄み掛かった銀色の蝋で封がされていた様にと思う。


 部屋に入って来たシビアナの右手には、小皿のような燭台。その上に火の灯った小さな蝋燭が刺さっている。それから、左手には、また別の鞄を持って来ていた。厚みはあるが、こちらも大きくはない。数冊の本を束ね、並べて仕舞ったら一杯なりそう。その程度だ。


 私の向かいに立つと、手に持った蝋燭を、机の上にある蝋燭に傾ける。火はすぐに移り、机の辺りが照らされ、ぼうっとより明るくなる。その範囲も広くなった。ただ、シビアナの顔も照らされて、ちょっと怖い。


 こちらに火が着いたので、持ってきた蝋燭の方は消すようだ。落とし鐘を手に取り、先端の筒を被せるようにして火を納めると、すぐにその分暗くなる。


 消えたか。簡単だけど手間ではあるよね。道具使ってるし。でも、吹き消すと、熱い蝋が飛び散る事があるから、ああいう道具があるんだとか。ま、私は使わず、手で押さえたり吹き消すけど。


「で、父様からの命令って何? 誰か人でも呼ぶのか?」

 

 シビアナの髪は長いから、椅子に座ると髪先が床に着く。そうならない様、くるりと左右のその両先を纏め、月模様の細工が施された銀のかんざしを挿していた。その様子を眺めながら尋ねる。


「バタン……」


 と、同時に静かな物音が、背後から聞こえてきた。もう一度振り向けば、そこは暗い。扉が閉められていた。顔を戻せば、シビアナが私の向かい――奥の椅子を引いているところ。


 あっれー? 誰も呼ばないの? どうやら、人は呼ばれないらしい。いや、もしかしたら、もうちょっと時間が掛かるのかも。急用ではあるらしいが、先方に何かあったら時間がずれる事は、ままある。じゃあ、その間に事情でも話してくれるんかな?


「ガコンッ」


 扉の方から、今度は響くような音がした。私は扉の方に目をやる。さっきと何も変わらないが、その音には聞き覚えがあった。どうやらイージャンが鍵を掛けたらしい。


 いや、何故掛ける? 人が来るかもしれないし、来ないとしても、そこまでする必要があるの? うーん。何か見せられない物でもあるのかね? 証拠品とか。姿勢を戻すと、シビアナが引いた椅子に腰を掛けていた。


「…………」


 ここで私はふと気付く。


「…………」


 あれ――? 何だこの状況? 薄暗い部屋にシビアナと二人。机で向き合っている。そして鍵を掛けられた。これって――。


「…………」


 取り調べに、似てる気がするんだが――。不審に思いながら、シビアナの方に目を戻すと、彼女は机の下に置いた鞄ではなく、新たに持ってきた鞄を膝の上に乗せた。そして、その中から、鞄と同じような形をした長四角の箱を取り出して、机の上に置く。


 それは、何の変哲もない白っぽい木箱。王都で良く知られた甘味処が使っている、お菓子箱だった。これは、間違いない。その店の印が、上側の真ん中に黒い焼印として押されている。それが蝋燭の火に照らされていた。


「…………」


 ――え? ちょ、ちょと。あれって――。私は、その箱に見覚えがある気がした。いや、そりゃまあそうだけど。シビアナ代価のお高いお菓子が、あの中に入ってたりするし。


 だが、そういう既視感とは別で、嫌な気配を感じていた。古い。古いのだ。それは、暗いからかもしれないが、いつも見ている白さより、くすんでいるように思えた。それがいやに気になる。


 そんな私を余所に、シビアナはその箱の左右の側面に手を添え、持ち上げる。すると、嵌めこまれた蓋だけが、すっと上がっていく。そして、その中身が見える。


 蓋だ。また蓋らしきものがあった。それが、表面すれすれまで、ぴっちりと隙間なく嵌っていて、もう中身が分からない。


 ただ、この蓋らしきもの、色が違う。より茶色っぽく、古い木版のような――。模様もあるかな? 目を凝らして確認しようとするが、その面はすぐに見えなくなって出来なくなる。くるりとひっくり返されてしまったのだ。


 そして、菓子箱が、静かにまた持ち上げられていく。すると、今度は机の上に同じような形をしたものが、そのままそこに残る。


 箱だ。同じ大きさの箱。それがもう一つ現れる。どうやら二重になって仕舞われていたようだ。 お菓子箱の方は、鞄の中に戻された。その間に、私は机の上に置かれた箱を眺める。


「…………」


 こちらも、横長で長四角の箱。茶色としたその色や質感からして、暗くとも木箱のように思える。


 だが、先程ののっぺりとしたお菓子箱とは違い、こちらにはやはり模様がある。各面が額に囲まれ、中に網目のような模様が施されている。


 あの網目一つ一つは、親指の頭くらいの木片だ。そして、全て真四角で同じ大きさ。茶色にもその差があって、微妙に色合いが違う。それがあって、散りばめたように見える。


 それから、一枚だけ全く別の色が着いている。目の前の面は赤。上面は青。それが、額の隅っこの方に見えた。他の面は見えないが、六面全部同じ作りだ。


 そう。色付きの木片は全て異なる色で、場所も異なるだろうけど、似たような細工が施されているのだ。って、


「…………。――っ!?」


 ひょおおおおおおおおおお!? なあああああ!? にいいいいい!? あの箱はうあああああー!?


 その正体を完全に察した瞬間。全身から、汗がどっと溢れ出る感覚に襲われる。そして、


「殿下……。この箱に見覚えがありますね……?」


 シビアナが、底冷えするような声で、静かに暗くそう問いかけてきた。

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