第3話 王女殿下と側付筆頭侍従官 その2
「実は最近、娘も歌劇を見に行きたいと申しておりまして」
「ほう!」
何だ。今回のはそういうのか。なら、どんなものでも構わないぞ。
ここ王都には、歌劇なんかを演じるための屋内劇場がある。千か二千人ぐらいは、収容できるほどの大きさだったはずだ。そこに行きたいらしい。
うちは、こういうのが結構盛んで、演目も色々ある。けど、子供がせがみそうなものとなると、そおねえ――。冒険譚を、歌って踊って演じたものとか。あとは、演武曲のような武術寄りのもの。様々な楽器で演奏する楽団音楽。曲に合わせて面白い動きをする、舞踊劇とかになるのかな?
「で、何を見に行きたがってるんだ?」
まあ、確かに色々とあるが、多分あれだね。
「今、子供の間で人気となっている、あの――」
やっぱり。
「ああ、知ってる。あの大きな着ぐるみの奴ね?」
「はい。仰る通りです」
この劇は、最近、王都で流行っている舞踊劇らしい。四、五人くらい入れる、大きな動物なんかの着ぐるみが色々出てきて、音楽に乗り歌って踊るんだそうだ。それが、子供の心に火を着けて、爆発的な人気にまでなっているんだとか。私の側付の子から、そう聞いてて、一緒に行きたいなあって思ってたの。
そっかそっか。やっぱり、あの子も見に行きたかったんだ。本当は私もと言いたいところだが、いーじゃないの。是非行って楽しんでくるといい。
「じゃあ、その歌劇の席で手を打て。それでいいな?」
よし、終わり。今回は、私も快諾の対価だったな。いつも、こう言うのにしてくれればいいのに。――ん?
「…………」
「おい?」
「…………」
シビアナは、にこりとして動かない。何だよ、黙んなよ。ったく、言質が取れなきゃ不服ってか。分かったよ。ちゃんと言いますうー。
「その席は特等席だ。一番良い奴な? その三人分で手を打て」
「ふふっ。はい、畏まりました」
納得したようだ。お辞儀をしてそれを示した。ったく。何で、私がお前のご希望に沿えるよう、その心の機微を敏感に察したりしなきゃならんのよ? まあ、あの子の為でもある。初めからそのつもりだ。
しっかし――。こいつは、私が何をしても、いつだって悠然と返してくるよな。おかげで、こう掴みどころがないというか。ふわふわしている感覚に陥るよ。よく分からないところは、本当によく分からない奴だ。娘は、本当に良い子なのに。
「シビアナ。その人気の劇、いつやってるんだっけ?」
「一番早くて、今日の夕方ですね」
「そっかあ。じゃあ――」
今からだと急だから、次の公演に――。
「はい。夜勤もありませんので、本日行かせて頂きます」
うん。早い、早いよ。仕事も早いが、こういうのも早いよね、お前? 我欲が絡むと特にさ。
でも、本当に行けるのか? 夜勤がないのは確かだが、夕方までは仕事でしょ? それから、色々と支度しなきゃいけない。間に合う?
それに、劇場は確かに大きいが、人気があるんだから席が埋まっているような。しかも、特等席はその数に限りがあるし、数日前から予約するのが普通で、先に取られた方が優先だろうに。
私は王女だ。その私の権限で取る以上、強引に予約を奪うようなやり方、通常はしない。今回もそれに当て嵌まる。シビアナだって、こういう場合は好まないはずだが。
「まあ、取れるならいいけど……」
確実に取るには、恐らく――五日。王女の私でも、それくらい前からじゃないと駄目じゃない? なのに出来んのかなあ? ――いや、取っちゃうか。それが、シビアナという奴だ。ま、単純に席が空いているって可能性もあるにはあるだろうし。
「ふふっ。問題ありません」
やはり、そうらしい。だが、それにしても、
「余裕だな。本当に大丈夫なのか?」
このシビアナが言うなら。とはいえ、自分では思い付かないから、疑いたくもなる。何せ、あの子のためだからな。無理をして行くくらいなら、きちんと予定を立ててからにして欲しいの。
「はい。お任せ下さい」
ほう。お任せ下さいとな。ならばもう――、え? お任せ下さい? 何、その言い方? 私のために動くような感じは? ――はっ!?
私は気付いてしまった。シビアナは、夫と娘の三人家族だ。その夫の方が、今夜、夜勤なのかもしれない、と。なら、劇を今日見に行くとはならない。だが、今日見に行くとあいつは断言した。しかも三人で。と言う事は――!
「えーっと。シビアナ」
「はい。何でしょう?」
ちらっちらっと目をやりながら、遠慮気味に聞いてみた。
「それって、もしかして――。私も――?」
行ける? 行けちゃうの? あの子と三人で、私も!? どきどきと俄かに興奮してきた。
「いえ? 夫と三人で行きますが?」
「…………」
違った……。
「ああ。そう……」
「はい。ありがとうございました」
「うん……」
一気に気落ちしてしまった。シビアナが深々とお辞儀をするのを、半ば放心状態で眺めながら頷く。もしかして、わざと言ったのか、こいつ……。いや、どうだろうか? やはり私の早合点。いや、しかし。ああいう言い方をするだろうか――。うーむ……。答えは出ない。鬱屈した闇の中へ。はあ……。でも、一緒に行きたかったな……。
だったら、四人分と言い直して、私も一緒に。とはならない。やっぱね、家族団欒の邪魔をしちゃいけないって言うか。そこは違うよね。ただ、シビアナから言われれば、ほいほい付いて行きますけど。しかし、残念ながら、今回はそうじゃないらしい。ちぇっ。
まあ、ともあれようやく終わった。席の分は別に構わないが、それでも色んな意味で高くついたって感じだよ。結構、頑張ったつもりだったんだけど。でも、やっぱ勝てんかったか。
私は、生まれてこの方。この手のやり取りで、シビアナに勝った事なんて一度もないのだ。いっつも言い負かされてんの。けどね、それでも無駄ではないのよ。私は今、経験を積んでいる。あいつの手の内を勉強してるのだ。ああ言えば、こう返す。そう言って来れば、どう返すか。その反応を見てる。そういうのを積み上げているの。
そして、その経験が、奴の能力を上回った暁には――。いつか必ず勝ってみせましょう。そして、一人晩酌で、勝利の美酒に酔いしれながら、美しい月でも眺めるのだ。でも、今はまだ、シビアナにその席も預けておこうじゃないか。
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決着もつき、私は一房になった髪を撫でながら、姿鏡まで歩いて行く。そして、自分の顔を近づけた。ここ最近――、一か月くらいかな? そのくらいは、ずっと銀髪だったので色んな向きにしながら、まじまじと眺める。紺色、か――。
「これから、ころころと変わってしまうんだろうな……」
今もそうだったが、これまでの経験からしても、一旦変化すると、そんな傾向になりやすい。何かね、我慢して感情を抑えようとしていた反動と言うか。おかげで、過敏になっちゃって。
変化するとしないの間に壁があるとして、その壁を乗り越えるんじゃなくて、ほんの一瞬だけ触るって感じかな。それで色が簡単に変わるの。ま、それも、全部が全部じゃないし、時間とともに徐々に治まって来るけど。
しかし、こうして見ると――。やっぱり雰囲気変わるよね? 髪の色だけで、こうも変わるんだねえっていつも思ってるのよ。今は、銀髪の時より、何かこう――爽快感がある。空っぽいわ、うん。
さっきの淡い青は、清涼感があって水っぽい。で、深緑は、森林の中に漂う空気っぽい感じがしたよね。まあ、こうやって髪色を変えて、その色から受ける印象を比較するのは面白い。
「でもこれ、元の銀色に戻すのに、時間が掛かるんだよねえ……」
そのためには、只ひたすら待つ。自然に戻す分にはね。
元の銀髪に戻るまでの時間は、半日だったり、一日だったり二日だったりとまちまちだが、結構掛かる。いきなりすぐに戻る事はなかった。
それまでは、別の強い感情がなければ、ずっとこの色のまま。でも、それは色だけの話。例えば、今の紺色は後悔だが、だからと言って後悔をし続けているとは限らない。
あと、強引に戻す事も、出来るには出来るんだけど――。これはやりたくない。ちょっと弊害があってねえ……。
「はあ……」
感情の制御。それなりに、やれるようになったと思っていたが――。やはり、今回みたいに突発的なことが起きると難しいという事が分かった。
父様に認めてもらえれば、王家の女性として一人前と見做される。それなのに、こんな調子では認められるのが当分先の話。確かにシビアナの言う通りだと、私は溜息を吐いた。
結構頑張って、鍛錬したんだけどなあ。常に薄ら気を張ったり、心を無にしてみたり。強い感情が生じた瞬間、前から後ろに受け流すって感じで、心を平静に保とうとしたりね。だけど、まだ無理か。
「ホント、難儀な髪だよ」
髪染めはダメなんだよね。髪色が変わる際に、その効果がなくなっちゃう。例えば、黒に染めてても、黄色に変わる時は、その黒髪でも黄色になる。不思議なもんだ。
まあ、最悪カツラでも被ればいいのだが。しかし、何かそれはしたくない。髪の毛の編み込みを解くとお尻くらいあるから、結構切ることになるだろうし。これは嫌だなあ。
それに切ったとしても、ちゃんと地毛を隠せるカツラを被ると、もこってして頭が大きく見える。これも嫌なんだよ。見た目が悪くなる。
いっそのこと、髪全体を布か何かで覆ってしまおうかな? 専用のもあるし、ずっと着けたままでいいかも。ううううむん。いや、でもなあ、それだとなあ――。やっぱり負けた感じがして嫌だわ。訓練を頑張ろう。うむ。
「剃りますか?」
シビアナが小首を傾げ、優しく諭すように微笑んだ。今度は、いきなり何口走ってんの、お前?
「お前は、何を言っているんだよ? びっくりした。本当にびっくりしたわ。王女に向かってその発言。つるつるになれって言ってんだよな? 何でそんな事が言えるんだ? どうして? 私に恥ずかしい思いをさせようとするのは、不敬罪だろ普通に」
まあ、そもそもお前は、その不敬罪の常習犯だよ? 毎日毎日、日々その罪をこさえて生きてんの。でも、私が優しいから、やっさしい王女様だから許されてんの。
そう。お前はいつも、ぎりっぎりのところを、その境の線を歩いてんだかんな。で、今のは、その一線を越えちゃってるから。踏み込んじゃってるでしょ。
ホント、決意を新たに頑張ろうとしてんのにさあ。それに水を差すような発言をするんじゃないよ。
「まったく、変な事を言う……。やるわけないだろ、そんな事。それにお前だって、私に髪の毛全部剃れって言われて、素直に従うのか?」
従わないだろ? と、肩を竦める。ここは冗談っぽく返しておく。ふん。少々超えても不問にしてやる。私は、優しいだけでなく、懐が深い王女様でもあるんだよ。分かるか、この違いが? ていうか、もう疲れてんの。だから、もうやり合う気はないの。
「ふふっ、嫌です。結婚もしていますし」
悪げもなく、シビアナが、にこっと微笑む。こいつ!?
「結婚は関係あるのか? 何で、結婚してるって、わざわざ言った!? 自慢か!? 私に対する当てつけか!? あと、すぱっと嫌だと言うその態度も腹立つわ!」
そこは、お前も冗談っぽく返して来いよ! そう言うもんでしょ!? それなのに、嫌ですとか! しかも、言うに事を欠いて結婚!!?
お前ふざけんなよ? その言葉が、どれだけ私を苦しめているか、知ってるだろうが! 今度は脅しではなく、本当にぶっ飛ばすぞ! 大義は我にあり。お前は、美少女の心を傷つけた。
「殿下」
「何だよ!?」
ていうか、今度こそごめんなさいしろ! 今のは絶対、お前の方に非が――!
「陛下より、急ぎご下命を仰せつかっております。ご同行をお願い致します」
「はああああ!?」
何それ!? って、おい! もしかして用件って、それか!?
「馬鹿! 急ぎならそうだと、さっさと言え! こんなやり取り、長々とやってる場合じゃないだろ!? あと、自分が面倒くさくなったら、話をすり替えて勝手に終わらせるのやめろ! 分かってるんだぞ! お前のその目が、もう面倒くさいって言ってるんだよ!」
普段は優秀で言うことがないが、こいつにはこういう所がある。変な事を口走るのもそう。私をおちょくってきた、さっきのもそう。他にも色々とそう。その性格に、かなりの難があると言わざるを得ない。
「おい! 何とか答えたらどうだ!?」
何も言わず黙っているので、苛立ちが増す。しかし、私の怒りなぞ物ともしない。シビアナは、にこりと笑みを浮かべ、綺麗なおじぎ。これは謝罪ためかと思いきや、姿勢を戻すと何故か扉に向かって振り向いた。
「へ?」
怒りも忘れ、唐突な行動に呆気に取られる。そのまま、優雅に歩いて行く後ろ姿を見つめた。え? ちょ、ちょっと――? そして、扉の前に立ち止まり、その扉を開けると、
「パタン」
と、音を立てて閉める。そのまま平然と執務室を出て行ってしまった。そして、静かになった執務室に、私だけが一人取り残された。
「…………」
…………。え……。
「ええー……」
何で出ていくん? 答えようよ。答えてから出て行こうよ。しかも、また勝手に終わらせたよ、あいつ。全然聞いてないのかよ話。王女様だよ、あたしゃあ……。
――あ、手が震えてる。力いっぱい手を握り続けると、本当に震えるんだね。うん、知ってた。これが初めてじゃないもんね。あいつのせいで。
仮に、今ここで震えるこの拳を振り上げ、シビアナとやり合ったら、まず間違いなく勝てるだろう。立場的にもこちらの方が勿論上だ。王女様と侍従官なわけだし。
だが、もし無闇に手を上げて怪我を負わせたり、権力に物を言わせて酷い命令をするような事をしたら。いや、如何なる理由でもそんな事をしてしまったら、窮地に追い込まれるのは確実に私の方になるのである。
「って、ちょ待てえええ! おい、一人で行くな! 私を置いていくなあああー!」
がっちがちに固めた拳を振り解き、急いで執務机に向かう。そこの引き出しから、あわあわと懐から鍵を取り出す。そして、シビアナの後を追って、急いで鍵を閉め執務室を出ていった。