第10話 イージャンとお菓子 その2
「シ、シドー様。その……。大変、申し上げにくいのですが――」
言い淀んでいたイージャンが、言葉を続けようとしていた。私も、彼のその声が届いてきて視線が向く。
おお、ホントに伝えちゃうか。じゃあ、任せろ。私がすぐその後に――。と、そう思ったら、
「あなた――」
「!!?」
シビアナが、ゆっくりと振り向く。笑顔を貼り付けて、夫のその言葉を遮った。結局、動くんかい。どうやら、言い出す瞬間をぎりぎりまで見定めていた模様。
「…………。ど、どうした、シビアナ?」
「ふふふ――!」
イージャンは、どこか怯えてる気がする。やっぱ何かやっただろ、お前。そして、そんな夫の様子を、口許を手で隠しつつ、堪能した様に眺めてから。シビアナは、何故だか少し困った様にして微笑んだ。
「あなた――」
「え――?」
「私も――、きっと喜ぶと思います」
「――っ!?」
その言葉で、何やら閃いたらしい。イージャンは、先生へと顔を向けた。
「シ、シドー様」
「うん?」
「できれば、こちらのお菓子は、その……。娘に持って帰ってやりたいのですが……」
ほほう……。シビアナの助けがあったとはいえ、嘘が苦手なくせに中々やりおる。ま、持って帰ってやりたいのが本当だから、すぐに出た言葉だろうけど。
でも確かに、それが出来ても食べずに済むわいな。私は、目を瞑って人知れず何度か頷いた。そして、にやり。
ふ――。だがな、イージャン。もちろんそれは罠だ! 私は、人知れずカッと目を見開いた。
「ふうむ。持って帰ってやりたいか……」
「は、はい……」
「そうか……」
そう呟くと、先生は両目を閉じて両腕を組んだ。
「イージャン。お前は、本当に娘思いの良き父親になったな……」
「はっ……。い、いえ、その……」
うむうむと頷く先生に、罪悪感でも湧いたのか。イージャンは、必要以上に歯切れが悪い気がする。うーん、良い父親ねえ。確かに、それはそうだと思うが。でも、私はお菓子一つで、良い父親ってのはどうかと思う。
それから、先生が目を開いて、嬉しそうにしながら言った。
「その事なら心配ない。テレルには、ちゃんとローリエに頼んで、別に用意してもらっておる。帰りに、酒と一緒に持って行くといい」
「――!!?」
目を見張るイージャン。先生は、照れ照れとお辞儀をするローリエに顔を向けた。ほらね。用意してると思った。先生、こう言うところ、結構気を使うからな。
「だから、イージャン。お前は、遠慮せずに食べて構わんぞ。はっはっはっ!」
「はっ。ありがとうございます……」
「うむうむ。はっはっはっはっ――!」
高らかに笑う先生。そして、
「ふふふ――! 良かったですね、あなた――?」
「あ、ああ……」
まだまだ終わらせはせんぞと言いたげに、爽やかに微笑みを向けるシビアナ。やっぱお前は怖いやっちゃ。
先生が、テレルの分も用意してくれてるっていうのは、私の憶測だったが、シビアナはそれだけじゃないはず。ここにある分を味見をした時に、あの子の分も見たんだ。だから、ちゃんとあると分かってたんだろうなあ……。それもイージャンには隠してたか。
先生たちも、この様子だと、やっぱり知らないみたい。イージャンが、みっとうだらダメだって。確かに、事が起きた頃には、もうこの国に戻ってきてたはずなんだが――、私たち会ってなかったし。知る機会もなかったか。まあ、あったなら最初から出さんわいな。
そして、そんな朗らかな先生たちとは対照的に、俯いてどんどん顔色が悪くなるイージャン。あー、これはもうあかんかもしれんね。みっとうだら食べなくても卒倒しそう。
「…………」
ふ――。素直に妻を信じたばっかりに。哀れだ――。私はそっと目を落とす。イージャンもなあ、テレルの分も用意してくれてるとは考えてたかもしれないが、シビアナからあんな感じで仄めかされたからなあー。
困った様な顔してたから。「もう、しょうがないですね」って感じで。何をしたかは知らんが、あれで許されたとか思って、疑わなかったんかね……。
そして、そのせいで、しっかり罠に嵌ってしまった。折角の、事情を伝えられる機会だったのに。それすらも潰されてしまうとは。この様子だと、また言い出すのは無理そうだ。
そんな風に思っていると、イージャンに変化が。気配に真剣味が帯び、目が据わった。
む――!? もしかして、覚悟を決めたのか!? シビアナ無限地獄を、自らの命で以って断とうと言うのか!? すると、彼は、躊躇いなく突き匙を手に持った。どうやら本当に覚悟を決めたようだ。おおおお――!
よおおおし、やったれイージャン! 奴の策を踏み超えてみせろ! 潔い。実に潔い男だ。私は人知れず感銘を受ける。
あ、でもね、イージャン! シビアナの本当の目的はきっと、お前にみっとうだらを食べさせる事だと思うぞ! だから、食べても、結局こいつの思う壺よー!
引き延ばしは、ついでに過ぎない。出来るだけ堪能できれば、それで良し。断定はしないが、私はそう思ってる。
だが、そんな思いは届くはずもなく。突き匙を持った彼のその手が、お皿の上に載ったお菓子へと、果敢に向かい始める。おおおお――! ちょいとわくわくする私。しかし、
「シドー様。それから、ローリエ殿」
「は、はい!」
「私からも改めて感謝を。テレルも喜びます」
「ええ!? い、いえ、そんな――! こ、こちらこそ、その、お口に合えば良いのですが――!」
シビアナが、お辞儀をして礼を言い始めた。そのせいでイージャンの手が止まり、そちらに目が向く。そして、突き匙を、お菓子の乗ったお皿の上に置き、続いて頭を下げた。
ちっ、見事に止まったな。シビアナめ、やはりまだまだ続ける気か。てか、テレルの名は、わざと出しただろ、お前。
イージャンは、あの子の名が聞こえたから、気付いて止まったように見えたもんでね。だから、作為的に思えた。これは、自分の言葉に、イージャンが気付かないのを防ぐためかな。私でも、結構、お菓子の方へ集中していた様に思えたから。
「ほ、本当に、お口に合えば良いのですけど……」
ローリエが不安げに俯く。
「ふふっ、ローリエ殿。ご心配には及びません。確かに、こちらに出されたものとは、少々違いますが――。きっとあの子も、ぺろりと平らげてしまう事でしょう。本当に美味しゅうございましたから」
「あ、ありがとうございます……!」
褒められて、ローリエも照れながらほっとしてるんだが、私は首を傾げた。え、何か違うの? そう不思議がっていると、先生がふと気付いた様にして言う。
「ところで、シビアナ。テレルはどうだ? 元気にしておるのか?」
「はい。病気もせず、よく食べ、よく寝ております」
「はっはっはっ。なら良い。しかし、子供特有の病もあるから、注意しておく事だ。まあ、お前たちが両親なのだから、わしもあまり心配をしておらぬがな?」
「ふふふ! ありがとうございます」
イージャンも、おずおずと黙礼で返す。先生は、シビアナと一緒に笑っていたが、不意に真剣な眼差しとなる。
「しかし、よいか二人とも? 自分達で手に負えぬと判断したら――。直ぐにでも連れてくるのだぞ? これからは、この研究所に当分おるわけだからな。絶対とまでは言わぬが、即座に対応はできるであろう」
「はい、シドー様。その時は――、よろしくお願いいたします」
シビアナと一緒にイージャンも頭を下げた。
「うむ。わしの最善を尽くそう。それから、もしも、わしらが不在だった場合も分かっておるな?」
「心得ております」
「ああ、早急に連絡を寄越してくれ。ここにある材料や薬も、勝手に使ってくれて構わん。持って帰る薬も――、追加は『月桂香』だけで本当に良いのか?」
「はい。今回はそれだけで」
「うむ、そうか。あとは聞いた通りだな。遠慮せず持って帰ると良い」
「ふふふ! ありがとうございます」
二人のこのやり取りで気付いた。ああ、頼んでたのか。って、これは私もお礼を言わないと。
「先生、ありがとうございます」
「はっはっはっ! 構わん構わん」
「ふふふ――!」
いやあ、ホント有り難いよねえ。先生ってね、王都にいると色々作ってくれるんだ。だから、事前にお願いして、こうやって持って帰ったりしているの。どうやら、今回もシビアナが頼んでくれていたらしい。
そして、その一つが、今出た月桂香だ。この月桂香ってのは、頭痛に効く飲み薬。市販もされていて、この国で広く流通している。あと王宮でも作れるんだよね。だったら、先生に頼まず、そっちを使えば良いじゃんって話になるんだけども。
「しかし、シドー様――」
「うん?」
「月桂香一つ取ってみましても、シドー様が調合されると、ここまで効果が違うとは。私達では、どうやっても同じものは作れません」
「ふっふっふっ!」
そう、シビアナの言う通り。やっぱり、先生が調合したものの方が良く効く。その上、副作用もない。正確には、相殺やら薄めているらしいんだけどね。まあ、こういった理由で、貰ったりしてるわけ。
でもね。こいつの場合、それだけが理由じゃない。それだけで、その薬を貰っているわけじゃないんだ。他にも理由があるの、他にもね……。
私は、先生と話しているシビアナのぶっといおっぱいを、じっと見つめる。
「…………」
月桂香ってさ。頭痛だけじゃなく、他にも効用もあってね……。肩凝りにも効くんだって。先生が作った薬は、その肩凝りにも良く効く。それもあって、こいつは貰ってんだよ……。けっ。
ったく、たかが巨乳ごときで? たかが巨乳ごときで、ホントに肩凝りになりますか。なっちゃいますか。ああ、そうですかそうですか。てか、そもそもどうしてお前が凝るの?
だって先生曰く、「おっぱいを支える力が足りないと、肩や首の辺りにずっと負担となって掛かり続ける。それが疲労となり蓄積していき、肩凝りとなってしまう」らしいのよ。
だから、例えば、長時間、同じ体勢で座って書類仕事なんかをしてたりすると。ずっと動かないもんだから、これも負担が掛かり続けてしまって、肩凝りになったりするのだとか。支える力が足りないとね。
しかし、シビアナは違う。例え、あのおっぱいが、でかい鉄球になったとしても、苦もなく生活ができる。イージャンだって、抱きかかえて走り回れるからね。それくらい力あんのに、なんで凝るのか意味が分からん。他の者とはまた話が別のはずだ。
ねえ、どうしてですか? そのはずなのに、どうしてお前は凝るんですか? あ、もしかして、そのおっぱいも、また話が別なんですか? お前のおっぱいは、鉄球より重かったりするんですか? そんなにまで重くなっちゃってるんですか? ああ、そですかそですか。
この私が見誤っていると。鉄よりその贅沢なお肉の方が重いんだと。――贅沢? ああ、そうか金か! 金くらい重いんか! 確かに、鉄より金の方が重いし高価! 贅沢だもんねえ!
はー、それはそれは、ごめんなさいねえ。そこまでの巨乳ともなると、鉄ではなく金だと。えらく贅沢に重くなるもんなんですねえ。知らんかったわー、流石流石。
ホント大変そうですこと。でも、私は凝った事もないですから? だから、その辛さが実際はどんなものとか、微塵も分からないですけどね! けっ!! 私は人知れず顔をしかめる。
しかし、それはそれとして。月桂香には、頭痛薬としてだけではなく、肩凝りにも効用がある。これ自体は面白い。私は、この二つの症状に、関連性とか思い付かなかったから。ちなみに、こう言うのは別の薬にもある。中には、三つ四つ効用を持つものも。
ひょっとすると――。月桂香も効用が二つじゃなくて、他にもあったりしてね。私が知らないだけでさ。ただ、先生も色々試してみたそうだが、現状は見当たらないって言ってたからなあ……。だから、やっぱりなし?
いや、とは言えそれも現状は、だから。であれば、可能性自体はまだ残ってるかもしれないじゃん? 先生だって、
「例えば、薬に用いられる薬草などは、何かの効用がある。そうと分かっているだけだ。どんな薬草にも、他に未知な部分が依然として残っておる。わしらは、その薬草を完全に解析できているわけではない。だから、古くから知られている薬でも、未だに誰も知らない効用があったりして、それを今になって発見できる。そういう事が偶に起こるのだ」
とも言ってたし。なら、それは月桂香でも同じはずさ。だから、やっぱりあるかもしれないね。
ちなみに、その発見は偶にのはずだが、先生はガンガン見付けちゃった。今の話は、その中の一つを見付けた時に言われたの。ふふふ、流石流石。
しっかし、すごいよねー。実はこういう効用もあったんだって、後に分かるのもそうだが、見つけ出せたのもすごいわ。
それをどうやって見つけたのか、先生に聞いてみたけど、まずやっぱり偶然ってのもあるんだって。間違って違う薬を服用したら、それでも効用があって病気が治った、とか。
んで、発見方法はって言うと――。これは長くなるから詳細は省くが、薬学の道はホント知らない事ばかり。そう思っちゃった。そんな感じよー。奥が深いわ。ま、どの道でもそうなんだろうけど。私の知っている事なんて高が知れている。
そして、もう一つ。もう一つあるのよ。先生がガンガン見付けられた理由って。私の視線が、金の様に贅沢で重たそうなおっぱいから。美味しそうに目を細めて、お菓子を食べる先生へと移る。
「…………」
実は、先生ってね。先生にしか扱えない力を持っているの。それも、博識で経験豊かな先生だからこそ使える力なんだ。ただそれって、正確には、とある力の応用になるんだけどね。
そして、その力と、薬学の知識や発見方法なんかも併せて、薬を調合してる。だから、効きが良いみたい。あと、別の効用や――、ああそうそう新しい薬なんかもだね。そういうのも、ガンガン見付けちゃったみたいねー。いやー、ホント先生って凄いわ。
「ふう……。シドー様のそのお力は本当に貴重です」
私が感服していると、シビアナも頬に手を当て似たような溜息を吐く。それから、手を膝の上に戻し続けて言った。
「しかし、頼ってばかりもおれません。私たちも、いつかは技術で追い付かなければなりませんね」
「ふっふっ。わしとしても――。そうだな、やはりその日が待ち遠しくあるな」
先生にそう言われて、シビアナがどこか懐かしそうな顔をしたように思えた。
「ふふふ……。ですが、それもいつになる事やら。例え、大きな技術的革新があったとしても、成し得れるかどうか――」
ねー、ホント凄いから。てか、シビアナ。お前は、そんな事言ってないで、イージャンのために健胃薬でも追加で貰っときなさいよ。取り敢えず、月桂香にその効用はないだろうが。これは先生も実証済み。
「ともあれ――。現状ではどうあっても、当分先の話になるのでしょうね」
シビアナが言う。
「ふっ。お前はそう言うが、先の事なぞ、どうなるか分からんものだぞ?」
「ふふふ。はい」
「ま、わしが作った薬や欲しいものについては――。必要になれば、いつでも言えば良い。今なら、わしが持って行くことも出来るわけだしな?」
先生が冗談めかしくシビアナに言う。
「それは大助かりです。私たちは、本当にいつもシドー様に頼ってばかりですね。ふふふ――!」
「はっはっはっ――! よいよい。ああそれで、あの頃の子供が罹る病気だがな。その中でも特に厄介なものと言えば――」
先生が、その症状について仔細を始め出した。おっと。これで、イージャンからも気が逸れてしまったな。結局、また状況の継続だ。彼の地獄はまだまだ続く――。と、儚んでみたが。
テレルが罹るかもしれない、怖い病気についての話になったもんだから、そっちの方が気になるらしい。イージャンも一緒になって、真剣そうな顔付きで聞き始めてしまった。これもう自分の事、吹き飛んでるでしょ。
ふ――。束の間の安息だな。一瞬でも長く、みっとうだらの事を忘れているが良い……。ま、聞きたい気持ちも、分からんではないがさ。私もちゃんと聞いておこうっと。
それから、病気の対処法まで聞いた辺りで、安心したのか。どうやら思い出してしまったようだ。はっとして、顔が青褪め、お菓子との睨めっこを再開した。
舞い戻ったか、イージャン。ふふ。でも、自分の事より娘の事か。ホント、テレルの事、大切にしてるよね。
そして、私が、そのまま眺めていると、イージャンはまた意を決したらしい。みっとうだらが刺さった突き匙を、手に持った。お、やるのか!? 今度こそ、口にしてしまうのか、イージャンよ!
しかし、口の辺りまで持って行きはしたが、そこから先が遅々として進まなかった。ああ、行かないか。口も開きかけたんだが。ん? あ、いや、これ行くか!? 行ってしまうか!?
イージャンが、口を開いたのだ。その口に、みっとうだらが徐々に近づいていく。おおおおお!? これホントに行っちゃうかも!?
そうやって、私がわくわくしていたら。見計らったかのように、丁度良くお菓子を一口食べ終わったシビアナが、誰へともなく、ひとりごちた。またかよ。
「しかし――。ローリエ殿へ申し上げた事に、嘘偽りはございませんが――。テレルも惜しいと言えば、やはり惜しい事ですね。このグーラビルデを食べれないとは――」
これに先生が笑う。
「はっはっ。それはシビアナ。確かに惜しいが、仕方のない事だ」
「ふふふ! はい」
へ? どゆこと? あの子の分は別にあるんでしょ? あ。そう言えば、さっきも似たような事を――。と、疑問に思っていれば。
やはりテレルの名が出たからか、結局イージャンの手も再び戻ってしまい、私と一緒に先生たちを見ていた。すると、シビアナが、自分のお菓子を見ながら、面白そうに微笑んだ。




