第4話 王女殿下の先生 その4
さて、説教も終わり。
イージャンが、寄り添っていたシビアナの方へ、膝を突いたまま体を向き直す。そして、待ち構えていたそれに声を掛けた。
「すまなかった、シビアナ……」
申し訳なさそうに声を落とす。自分の両手を膝の上に置いて、頭を下げた。
とても真摯だ。本当に反省しているっぽい。ほらね。やっぱりがっつりとした効果がある。とは言え、今も先生の手前であるし、どう考えてるかは別としても、ここで謝るのは絶対だけど。
ううううん。しっかし、イージャンって、先生のああいった情報は知らないのかな。どうだろ?
いや、知っててもあの性格だし。教えてもらって感謝もしてきたみたいだし。だから、こんな話でも効果があるんだろうな。
そして、その夫からの謝罪を受けて、妻であるシビアナの方はと言うと――。案の定と言うか、とても満ち足りている。非常にご満悦そうだった。いや、ホントお前は、怖いやっちゃ。
ただ、その様子は、勝ち誇ってるような、そんな感じは出してないけどね。傍目には自分も俯いたまま辛そうにしてるから。でも、違うんだなこれが。まあ、私とかにしか分からんさ。
そんなご様子のシビアナが、健気にも自分の悲しみを何とか必死に押し込めようとした風を装い、ゆっくりと首を振った。
「いいえ、あなた。謝るのは私の方です。私の方こそ、我がままを言ってごめんなさい……」
「え!? い、いや、そんな事は……」
返ってくる答えが思っていたものと違ったのか、イージャンはぎょっとして慌てだした。首を振って否定しようとする。すると、それを遮るように彼女もまた振った。
「いえ、これは私の我がままです……」
「シ、シビアナ……」
沈黙。謝ってすぐに終わりかと思えばそうはならず。二人の間に気まずい雰囲気が漂う。それからしばらくして、先に口を開いたのはシビアナだった。
「あなたは、ここ最近、ずっと忙しそうにしていました。朝は早く、夜も遅く帰ってくる。そして、夜勤の際は、一日経っても帰って来ない。そういう日もありましたね」
「あ、ああ……」
「あなたは、近衛騎士隊の副隊長ですから。その職務を全うするためには、そうなるのも仕方がない事かもしれません……」
「…………」
「ですが、その頑張っている姿を見ていた私は――。ずっと誇らしかった。とても嬉しかったのです」
「え――?」
意外そうな声とその表情に、シビアナは柔らかく微笑んだ。
「何故なら、その理由が私には分かっていましたから。あなたは、テレルと私を一番に考えてくれている。私たちの今を守ろうと、あんなにも必死に頑張って――。だから――」
「…………」
自分の家庭を守るため、その役割を果たす。シビアナの言う通りだろう。頑張ってるからな、イージャンは。そんな自分の心内も知られていた。そうと分かってか、彼は気恥ずかしそうだ。頬を少し赤らめて目を落とす。
その様子を見て、シビアナも嬉しそうに目を細めていたが、不意にその表情を暗くして俯いた。
「でも――。あんなに嬉しかったはずなのに。あなたとすれ違う日々が続き、相手もしてくれなくなって――。私は寂しかったのです……」
「…………」
その言葉に、イージャンの表情も曇った。そのまま黙まりこくって聞き入いる。
「今までみたいに、あなたと一緒にいたかった。どんな物でも良い。あなたから贈り物をして欲しかった。どこでも良い。あなたに連れて行って欲しかった……」
目を瞑り、その光景を思い浮かべている様に見えた。それから、悲しげなその目を開く。
「私たちのために、あんなにも頑張って下さったと言うのに……。それなのに、こんな我がままを言ってしまう私を、どうか許して下さい。だけど、どうしても耐えられなかった。どうしても思わずには、言わずにはいられなかった……」
そこまで言って顔を俯ける。そして、意を決したように、その俯けた顔を上げた。酷く辛そうで苦しそうな。だが、彼女のその瞳は、真っ直ぐにイージャンを見つめていた。
「だって、私はあなたにずっと――、誰よりも愛して欲しいですから――」
決して大きな声ではない、静かで澄んだ声色。だが、その内に、ずっと溜め込んできた思いの丈、その全てを込めているようだった。
「っ……!」
彼は、はっと息を呑む。気付けば、シビアナは瞳も潤ませていた。
「そして、イージャン。私は、あなたの事をずっと、誰よりも愛しています――」
頬を伝い零れ落ちる涙。そして、その感極まった様子に、彼は目を離せず動けなかった。すると、零れ落ちた涙がキラキラと輝いて地面で弾ける。
その涙だけではない。二人の周りも輝き出したような錯覚に、私は陥った。しかし、それは錯覚などではなかった。
曇天の空の隙間から、差し込む光。それが一条となり、二人に向かって舞い降りていたのだ。まるで、どこぞの神が二人の仲直りを祝福でもするかのように――。
「――え?」
いや、何これ? 何この雰囲気? 何で、私はこんなものを見せられているんだ? ていうか、先生も何感動しちゃってるの?
そちらを見れば、両目をじぃぃんと瞑って、これが夫への真の愛だとでも言いたげに、両腕を組んで感慨深そうに頷いている。ダメだなありゃ。ったく、シビアナにまんまと騙されおってからに。イージャンなんかは言わずもがなよ。
私? 私は騙されないよ? 全然騙されない。だって、本当にあいつの言う通りで、ただの我なんだよ。愛してますとか言ってはいるが、全てはその我欲を満たさんが為に起こってんだからね?
だってこれ、ここ最近の話よ? ずっと前から、とかじゃないから。あの言い様から察するに、贈り物も遊びに出るのも、もっと前からかと思えば、イージャンがここ最近忙しくなってから、なくなったんだよ?
なのに、何でこんなに深刻そうな話になってんの? そんくらい我慢しなさいよ! 私だってテレルに会えてないの我慢してんだぞ!
本当に何なんだ、この寸劇は……。こんなのどうでも良いから、早く話聞こうよ。用件済ませよ? 私は薬の事を聞きたいの。
「俺もだ、シビアナ!! 愛している!!」
だが、こちらの思いとは裏腹に、感動しきったイージャンは抱擁でもする気なのか、シビアナに向かって両腕を広げる。
すると、それを待ってましたと言わんばかりに。どうしたことか、上半身の鎧が、がしゃがしゃと地面へと全てずり落ちた。先生の一撃を耐えた鳩尾辺りだけでなく、首から腰回り、両腕まで。
は? 何でだ? 何で関係ないとこまで全部落ちる? そして、
「あなた――!」
シビアナも待ってましたと言わんばかりに。イージャンの胸に飛び込み、自分の体を預け埋める。こいつら、ぎゅうっと抱擁をし始めました。
いや……。おい、だから今、一応公務中なんでしょ? え――? 嘘でしょ、もしかして違うの?
私は、地面に散乱する鎧に目を向ける。結局、先生の一撃は思っていた以上に破壊力があった、とかではないようだ。鎧を留める金具やら革紐やらが、綺麗に解けている。
シビアナめ……。介抱してると見せかけて、鎧に細工をしてやがったな。だから、外れたんだ。その理由は、硬い鎧だと十分に抱擁が楽しめないからだろうと、推測される。
しかし、そう易々と外せるもんじゃないぞ、じゃあ何故――。この問いには、すぐに思い当る。
「特注品って――。もしかして、そう言う意味でもか……?」
この鎧はイージャンと、そしてシビアナとも知り合いの者が拵えたものだ。だから、あいつの意向で、簡単に外せる仕掛けを組み込むよう、注文を付ける事は出来たはず。
その仕掛けがあるから、あんなにも都合良く落とせたんじゃなかろうか? いやでも、そんな仕掛けがあっても大丈夫なもんなのかね? いざと言う時に、もし外れでもしたら危なくない?
うううん。でもまあ、多分シビアナしか分からない仕掛けだろうから、大丈夫かなあ。あいつ、そう言うの得意だし。
それから、鎧とは別で後もう一つ。さっき、外套を外したりして、埃とかを払っていたのは、自分のため。抱きしめられた時に自分が汚れないため。つまり、こうなる事をあいつはしっかり読んでいたんだと、私は気付いた。
ここまで読んでるのか……。しかし、どこまでも弄ばれてんな、イージャン……。それで良いのか? ――はあ。でもまあ……。夫婦の絆が深まったんだから良かったんだろうさ。
って、素直に思えない私がいる。そして、先生が色ボケ夫婦を見ながら、うむうむと頷いてこちらを見た。
「リリシーナ」
へーへー。
「二人とも。王宮に戻ったら、今日は早く家に帰るように。これは命令だ」
ふ……。命令? 否、これは、王女様の大変有り難い気遣いである。そんな気遣いが、咄嗟にできるこの私に感謝しろ。
ま、歌劇にも行くんだ。丁度良いだろうさ。しかし、その命令を聞いても、二人からの返答は一向に来なかった。
「シビアナ……。約束だ。必ず、お前の欲しい物を買いに行こう……」
「はい……」
「その時は、三人でまたどこかに……」
「はい……。約束です……」
「ああ……」
抱擁に夢中で、聞こえてないのだ。あそこだけ違う世界になっており、如何なる事象をも遮断する障壁が周囲に展開されてるっぽい。いや、あほか。そんな訳あるか。おい、王女様のお言葉を無視すんな。
「あなた」
「何だい?」
「今夜のお食事は、私も腕を振るって作りますから。楽しみにしていて下さいね?」
「あ、ああ。ありがとう。楽しみにしているよ……」
「ふふふ……! はい、どうか楽しみに……」
いやだから、そんな念押しする前に、ちゃんと礼を言え。私はシビアナの方に念を送る。これは、心が読めるからってだけじゃない。
奴は、本気で気付いていないイージャンとは違い、敢えて聞こえてない振りをしているからだ。しかし、当然の如く返答なんて、いつまで経っても来やしない。
「ったく。やれやれ……」
やっぱり、三人で来ちゃ駄目だったな。ここに来る前に過った、嫌な予感は見事に的中。
私は、薬でやらかして負い目がある。だから、止めないと分かっているのも性質が悪いが――。先生と私とイージャン。この顔ぶれの前だと、シビアナはこんな感じで大いに羽目を外すんだよ……。流石に、他の側付の子達の前だと、こういう事はしない。
まあ、その側付の中にも、もう一人だけ気にせず羽目を外せるのがいるにはいるが、その子は今王都から離れている。明日には帰ってくるはずだがね。
しかし、その子がいたとしても、連れて来る気はなかっただろう。シビアナは、元より私たち三人だけで来る腹積もりだったんだ。より完璧に、この場を作り上げるために。
「丁度良い――、かあ……」
いちゃこらぽわぽわ夫婦のその様子を眺めながら。溜息を吐いて、竦めた肩を落とす。丁度良い。この言葉を思い浮かべた事もあり。全てではないが、それでも私はもう色々と見当がついてしまったのだ。
恐らく――。まず、ここ最近。ここ最近ね? イージャンが忙しくなってきて、そのせいで贈り物とか、どこか遊びに出るのが無くなった。これをシビアナは誇らしいとか言いつつも、めっちゃ不満に思っていた。
そんな折り、偶の休みでテレルとの喧嘩が発生。んで、ご無沙汰になった。多分、喧嘩の方が先なんだよね。ご無沙汰になったのは四、五日前から。イージャンは、テレルと喧嘩したのは数日前と言っていたが、同日なんだと思う。
それで、その喧嘩が先にあって、あの子に大嫌いと言われたのが原因で心が折れた。そして、その日の夜に、ご無沙汰となる止めへと繋がったんだよ。
この止めになったのが、やっぱりイージャンのあの言葉。「疲れているから」だ。これで、あいつはキレたんじゃなかろうか。そんな気がする。
いやまあ、自分の悪乗りで先に止め刺してるけども。これに関しては、イージャン悪くないけどもさ。ま、駄目だったんだろうな。
ともあれ、キレたせいで、今日この日に片を付けると決めて、策略を周到に練ってきやがったんだ。私の事もあったし丁度良い。じゃあ、ついでにイージャンの事も、一緒に全部纏めて終わらせようってね。
そして、この場を作り上げ、先生を利用し夫のへの制裁を実行した。かつ、反省もさせた上で仲直りをして、贈り物、遊びに出ることを約束させたね。
そして、夜の営みの確約までも取り付けさせた。そのための流れを、最初からきっちり作った。
シビアナは、先生の性格を熟知している。この二人、私やイージャンより付き合いが長いんだよ。だから、慣れたもんなの。あの挨拶がてらもね。
そんな関係だし、久しぶりなのもあって、ああやって言って来ると予想してたんだろう。その後、自分がどう返すかなんて忘れているともさ。
でも、これってちょっと確実じゃないよね。覚えてた可能性だって、そりゃあったろう。だけど、ここら辺は割かしどうでも良いのさ。あのがてらも、出てきたから利用したに過ぎない。
久しぶりに会うんだ。この先生の事。「夫婦仲はどうだ?」くらいは、絶対に聞いてくる。これね。この言葉が出て来るまで待てば良い。
しかもその時は、何も言わずとも問題なし。ただ一瞬でも良いから、辛そうにさえすれば、必ず食い付く。
そうやって、同じような流れを作ったはず。そして、ご無沙汰だと、これも辛そうに言えば、取り付けまで出来ると読んでたはずだ。ったく、先生の事、ホント良く分かってるわ。
ただ、ここまで読むのって、そんなに難しくはないかなあ? 私でも確かにそうなるだろうなと思えるくらいだし。あと、仲直りして、あのぽわぽわを見れば、どんな事を言うのかもね。
私も今日この後、歌劇に行くと知らされている。だから、丁度良いと今みたいな命令を言わせる事も見越し、夕方早く切り上げられるって、算段もつけてたんだ。
これもあれも、全てが計算の内。まあ、つまりよ。
あいつは、私の執務室で歌劇の事を言い出す前から、もう既にその席を取っている。通常通りの手順を踏んだだけで、予約していたってわけさ。事前にね。
ご無沙汰なのは四、五日前から。イージャンとテレルの喧嘩もそのくらいのはず。で、通常の予約も、その辺りから。
だから、問題ないってあんなにも余裕を持って言えたんだよ。そりゃ予約が出来てんだからそうなるわな。
その予約に必要な代金も、自分で支払っているんだろうが、あとでイージャンに請求する気だったんじゃないかな? でも、私のあの自作の歌劇を見て、切り替えたんだ。こっちに支払わせようってね。
まあ、元々、私だったのかも。あの自作自演を見れたのは偶然だったろうが、尋問はする気だった。そこで言い出せもするし、弱みの在庫もある。どうとでも出来るからね。支払いは転嫁できた。
ああ、それから。三人だけで来たのも、自分の部下がいる前だと、こんな事は出来ないからってだけじゃない。
より完璧に、この場を作り上げるため。つまり、余計な不確定要素を増やさないために、なのさ。事を確実に運べるようにね。
王都から離れてる子も、他の子たちも、その不確定要素に十分なり得るんだ。特にあの二人はねえ……。いやまあ、問題児的な子が二人いるのよね。めっちゃ有能なんだけども。
だから、ここに来た子は、その二人のどちらでもない。別の子だね。その子も、私たちを出迎えなかったのは、先生がどうこうじゃないんだ。来させない様に、シビアナが何かしら手を打っていたんだよ。帰ったら聞いてみるか。
そして、副官たち。アットランゼの夜勤は前から決まってたはずだから、そのままってだけだろうけど、レイセインは違うな。何かしらの理由を付けて、休みを取らされ遠ざけられたに違いない。はあ……。やってくれるわ……。
私は、その周到ぶりに、もう辟易。いやはや、こういう時のシビアナは、ホンットーに何の躊躇いもなく徹底的にやりやがるよ。普段は、面倒くさくなったら放り投げたりもする癖に。
先生は、私と違い仲睦まじそうな二人を見て、とても嬉しそうであった。両腕を組んだまま「うむうむ」と何度も頷いてる。そして、
「帰りに良い酒を持たせる。それを、二人仲良く飲むと良い。今夜にでもな? はっはっはっはっ!」
またそう言って豪快に笑い出した。私はその様子をジト目で睨んで、それから、目を瞑ったイージャンの感動しているような表情を見て、最後にまたシビアナを観察した。
その表情も、夫と同じように目を瞑っていたが、感動しているというよりも、悠然として涼しげであった。でも、やっぱり違うんだ。全然違うの。私には分かる。
もうね、ほっくほくだよ、ほっくほく。内心、高笑いしてるわ、あれ。あと、自分が思い描いた策を見事に完遂させて、イージャンにしっかりと抱きしめられて、超幸せそう。
「はああーー……」
結局、今回も全部、こいつの手の平の上、だったな……。しっかし、ここまでやってしまうとは。お前はホント、誰よりも恐ろしいよ……。
髪色も、うんざりを表す、淡い紫色になっちゃって。それも分かっちゃった私は、最大限のげんなりを溜息に込めて吐いた。




