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王女楽章 リリシーナ!  作者: 粟生木 志伸
第二楽章 王女殿下の先生
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第3話 王女殿下の先生 その3

「イージャン! この大馬鹿者が!!」


 一喝の撃。それに呼応し、膨れ上がった怒気と巨躯。踏み込まれる左足。「ドゴン!」と地を砕き、亀裂が入る。二人の間合いが、唐突に縮まった。


 瞬間もない。捻り出される剛腕と巨拳。それが、イージャンの真芯を捉える。横から抉り上げ、爆ぜる衝突。同時に、再び嵐弾を轟かせ振り切られる。先生の強烈な肉体言語が、容赦なく炸裂した。


挿絵(By みてみん)


 イーーージャアアアアーーン! ……ジャアアーン! ……ジャーン! ……ン。と、自分の叫びが、心内に反響するような感覚。抉られたその体は、跡形もない。ぎゅるんぎゅるんと回転しながら、一瞬で吹き飛んでいく。その様がゆっくり見えた。


 先生の一撃は、威力がありすぎたのか。イージャンは、一回地面で「ずっだーん!」と打ち付けられ、その着地点を砕き、跳ね上がってまた吹き飛んで行く。


 それから、ようやく落ちると、今度は「だん! だん!」と地面を跳ねてから、そのまま後ろに向かっていった。


 砂埃を巻き上げながら、勢いよくゴロゴロと転がる転がる。そして、最後は力尽きたかのように、ぱたりと手を倒してようやく止まった。


「あーあ……」


 身構えも間に合わなかったか。咄嗟に受け流そうとはしていたが、先生の拳の方が速かったな。その先生を見れば目が怖い。さっきより、さらに吊り上って鋭かった。


 いやー、全身を覆う怒気も凄い事凄い事。激おこです。あと、何か蒸気のような白い息吐いてるわ。


「かはっ! う゛っ……! ぐうっ、ごほっ……!」


 今のは気絶していてもおかしくないだろう。でも、遠くに見えるイージャンは、耐え切ったようだ。おお、流石、近衛騎士。


 とは言え、倒れたまま唸っている。息が出来なくて苦しそう。声は遠いが、その息づかいは聞こえてきた。あの乱れた呼吸が戻るには、ちょっと時間掛かりそうだな。


 そんな状態でも、彼は、震える片手を突いて、自分の上体を何とか起こそうと頑張っていた。


 だが、その腕から、すぐに力が抜ける。起こした上体ごと、がくんと崩れて落ちていた。その繰り返し。どうにも上手く力が入らないみたい。


 鳩尾の辺りへ綺麗に入ってたからね。鎧の上からでも、きついはず。先生の拳って、鎧越しでも頭から腰の芯まで重く響くのよ。それを諸に喰らうと、ああなってしまう。


 それでも、あれはまだまし。下手すると響くだけでは終わらん。鎧を着ていようが、砕けているだろうさ。


 しかし、その鎧の方も――、あの威力でよく壊れなかったな。遠目ではあるが、弾け飛んだ様子も見受けられない。ふうむ。これも流石の近衛騎士の鎧。ってとこかね。確かに頑丈で割れにくいし。


 ああいや、違うわ。そうじゃない。イージャンのは特注品だったっけ。そう言えば、シビアナから聞いてた。あの夫婦の伝手で作ってもらったのだとか。見た目は同じだけど素材から違うらしい。だからかな。


 ちなみに、こういう取り換えはイージャンだけが特別ではない。近衛騎士、全員に許されている。その近衛騎士だと分かるように、似せて作れとは言われているがね。まあ、守りが厚くなるなら構わんわいな。


「全く。あの大馬鹿者めが……」


 先生は、のしりのしりと肩を怒らせ、イージャンの元に歩いて行く。私も、闇微笑のシビアナと一緒にその後を続いて行く。


「…………」


 結構キレてたんだな、こいつ……。先生使って制裁してるから。しっかし、ホント容赦ないな、お前はもう……。


 その笑みに戦慄を覚えた私は、ちらちらとそれを目端で捉え警戒しながら付いて行く。シビアナは、闇微笑のままとことこ付いて来る。


 イージャンの目の前まで辿り着くと、先生は堂々として立ち止まった。それを見た私たちは、ちょっと離れて歩みを止める。それから、その横たわった姿を、先生が威圧を込めて見下みおろした。


「シビアナを……。自分の妻をずっと蔑ろにしてきだと……? イージャン貴様、わしに喧嘩を売っておるのか?」


 まあ、ぶっちゃけ羨ましいんだよね。お嫁さんいないから。だから、メッチャ怒ってんの。って、思ってます。


 あと、さっきも色々説教とかしてたけど。そっちもぶっちゃけると、だからなんじゃないかなって思ってまーす。


「シ、ドーごほっごほっ。様、がはっ――!」


 イージャンは、へたり込んではいるが、どうにか上体を起こせていた。そして、必死に答えようとしている。だが、言葉が上手く出てこない。呼吸をしてくても、思い通り出来ないのだから仕方がない。こりゃ、やっぱりちょっと時間が掛かるな。


 先生は、その苦しんでる様を睨みつけながら、湯気のような息を吐き切った。すると、今度もまた何やら良い事を言いつつ、説教を始める。


「ふうー……。いいか、良く聞けイージャン。妻を大切にする。そのために、まず何よりも大事な事とは――」

「ごほ……! がは……!」

「それは、妻との夜の営みを、きちんとこなす事だ……」


 別に良い事じゃなかった。四、五日ぐらい許してあげなさいよ……。疲れてるんだったらさ。ていうか、そんな事を真顔で言われたら、逆に笑いそうになるわ。


「イージャン。お前がどう思っておるかは知らぬ。だが、体を重ね合わせる事で、お互いの愛をしっかりと確かめ合う――。これは、とても大切な事なのだぞ?」


 止めてくれます? まだお昼過ぎですよ? それに、愛とか。無関係のこっちまで恥ずかしくなってくるんですけど。


「そして、この夜の営みは、単に性欲を満たすためだけのものではない。取り分け妻――女性にとっては、男とはまた違い――」


 ええい! だから、もうやめろ! 続けるんじゃないよ! しかし、がっつり火が着いたのか、語り始めた持論を止める気配は最早ない。ち。


 もう私が言って止めさせるか……。でも、こういう時の先生はなあ……。止まらなさそうだし、口を挟むとこっちにまで飛び火しそうでめんどい。


 ていうかさ。何か偉そうに言ってますけど。それって、どっかから仕入れた話をそのまま言ってますよね? 


 あなた、女の人と碌に手すら握った事ないんでしょ? 知ってるんですよ。浮いた話からも、全力で逃げ出してるでしょーが。だから、そんな事言われたって、説得力が全然生まれてこないんだよ。


 だが、こちらの思いは当然お構いなしに、こんこんと語り始めたその空しい持論を展開し続ける。そして、満足いくまで語り終えたと思える辺りで、


「――全く。これほど大事なことであると言うのに、疎かしにしていたとは。しかも、その理由が疲れているからなどと……」


 先生は、やれやれと首を振る。私の方がやれやれだよ。


「まさか剣を振る力すら残っていないとはな……。何と情けない事だ。それでも、お前は近衛騎士か!? イージャン!!」


 まあ、多分これが、この長ったらしかった持論で一番言いたかった事だ。両目を「カッ!」と見開き、気迫満載で一喝した。確かに、良い感じで決めた感はあるが、しかし、これにも私は待ったを掛けたい。


 いや、だってさあ……。そもそも、近衛騎士の仕事ってのは、激務な時があるんだぞ。訓練だってそうだ。だから、剣を振れないほど疲れてたんでしょ? そう言う時もあるって。


 うん? いやでも、ここ数日、そんな激しい訓練なかったよなあ? 私の知らない別件か。――ああ、もう少ししたら、ちょっと大きな行事があるっけ。そういうのが色々と重なれば、疲れて来るさ。


 けどまあ、それよりもよ。やっぱり、テレルと喧嘩しちゃって意気消沈してたみたいだから。これが一番の原因じゃない? 

 

「それに、そんな体たらくでどうする? なにも儂は、そのためだけで言っておる訳ではない」


 え? 何だろ? 他にまだ理由あるん?


いか? お前は、眠りについてからも、気を抜けんのだぞ? 結局のところ、妻子を守れるのは、イージャン、夫であるお前しかおらん。何かあってからでは遅いのだ」


 ああ、それは重要だわ。テレルは死んでも守れよ。確かに、これには私も納得せざるを得ないけども。


「しかし、その様に疲れていては――」

「――っ!?」


 天啓を受けた様に、はっとするイージャン。いや、はっとじゃなくてさ……。


 しなきゃ良いじゃん。それで良いじゃん。何故、営みありきなのか。で、ありきで考えるとしても、それだって余裕がある時とかさあ。それで良いでしょ? まず、テレルのために体力温存しときなさいよ……。


 げんなりとして溜息でも吐きそうな気分。あと、どうでも良いけど、いつの間にかシビアナが、私から離れてイージャンの傍にいた。


 彼の羽織っていた外套を外して両手に持ち、「バサ! バサ!」とはたく。そして、付いていた土埃を落とし終えたら、それを素早く折り畳んで脇に抱え、しゃがみ込む。


 すると、今度は懐から手巾を取り出し、髪や顔それから鎧に付いた埃なんかを叩いて、綺麗にしようとしてる。


 お前はホント自由だよな? まだ説教中じゃないの、これ? しかし、先生はそれが当然とばかりに何も言わないし、気にもしていないご様子。イージャンもされるがまま。


 まあ、邪魔になってないなら良いけど。ただ、一つ言わせてもらうが、優しく丁寧に寄り添うって感じで、健気な妻みたいな雰囲気醸し出しながらやってるけどさ。


 お前が元凶だからね? しっかり介抱しろ。


「ぐっ……! ごほ……!」


 話を聞き終わったイージャンが、地につけた拳を強く握りしめた。激痛を受けたようにして、苦しそうに顔を歪め俯ける。眉間の皺も酷く深くなった。


 本気で苦しそうだ。さっきの一撃を受けた時より、余程。いやまあ、そりゃテレルは効くわいな。何か話ずれてっけど。


 先生は、その様子を見て自分の説教がしっかりと受け止められていると思ったようだ。腕を組んで、納得がいったように深く頷く。


 すると、吊り上っていた目の鋭さが,ふっと消えた。それから、ゆっくりと片膝を突き、諭すように優しげな口調になって言う。


「イージャン。お前は、シビアナとテレル――自分の妻と子の今までをしっかりと守り抜いてきた。これは誇るべきことだ。堂々と胸を張れ」

「シ、シドー様……」


 振り向いたイージャンの驚いたような表情を見て、先生は静かに頷く。


「だがな――。お前は、これからも、この二人の今を。明日を。その未来を守り続けねばならぬ――。夫であり、父親なのだ」

「…………」

「そして、これはお前が望み、お前が選んだ道であったろう?」

「――っ」

「そうだな、イージャンよ?」

「ごほ、ごほっ。は、はい……。仰る通りです。申し訳ご、ございません……!」

「うむ。覚えておるなら良い。ならば、後はやはり。今一度、己を省みてみよ」


 そう言われて、イージャンは、シビアナに支えられながら、座ったまま深々と頭を下げる。これにも頷くと、先生は立ち上がる。


「儂から言える事は、後一つ」


 両腕を組み、瞼をじっと閉じて、それからその瞼を開いて曇天の空を見上げながら言った。


「夜の営みとは――。それは、剣術と一緒だ。という事だ」


 …………。は――? 一緒? 


「…………。け、剣術と、ですか……?」

「そうだ」

「………………?」


 イージャンと一緒に、私も首を傾げた。はあああ? どゆことー?


「イージャン、この意味を己で考えてみよ」

「――え?」

いな? まずはそこからだ」

「は、はい!」


 言われた意味は、分からないままなのだろう。取り敢えず考えるのは止めて、慌てて頭を下げたように見えた。私も分かんないや。ともあれ、説教がようやく終わったようだ。やれやれ。


「後は、そうだな」


 まだあるんかい。後一つって言ったじゃん。


「大方、体力も一朝一夕で付く様な物ではない。取り敢えず、今夜のところは精の付く料理でも、シビアナに作ってもらうのが良いだろう。分かったな、イージャン?」

「は、はい……」


 最終的に。この夫婦の夜の営みが、何故か他人の先生によって強制的に決定された。いや、どうでも良いわ。ったく、こんな話をいつまでもだらだらと……。


 はあ、でもまあ――。この説教があったおかげで、回復の時間は取れた。乱れた呼吸が戻り、イージャンもようやく普段に近く喋れるようになったようだ。


 しかし、先生……。あなた、他人の夜の営みまで自分で勝手に決めちゃったけど。そもそも夫でもなければ、父親でもないじゃん。


 だから、やっぱり説得力が生まれてこないんですけど。それよりも、まず先に思っちゃうよね。そんななのに、何でここまで口出しされなきゃあかんのかってさ。


 ホントこの人だけは……。妻関連の話になると、途端にこれだもの。まあ、言うても、イージャンが標的になることが多いと思う。他の連中には、ここまで強く言ってないんじゃないかな?


 ほら。イージャンって、女心? 色恋の機微って言うの? そういうの全然分からなかったって話だから。そのせいで、結婚前からシビアナを結構怒らせてたみたいだと、レイセインからも聞いた事がある。


 だから、その分、先生からも説教を喰らってるのよね。ぶっ飛ばされるのも、実は今回が初めてって訳じゃないのだ。


 ただ、そのおかげで、色々気付けて直してるみたい。イージャン自身は感謝してるっぽいの。つまり、シドー先生は、私のだけじゃなく、イージャンにとってもある意味先生となる訳さ。


 でも、だとしたら、これって変な話だよね。今も、結婚してない人が、結婚してる人にその道を指導する先生をやってるってなる訳だし。


 だが、それでも、そんな人の説教でも効果があるのは、イージャンのあの性分。生真面目で、未だ抜け切れない朴念仁さんだからこそなのであろう。

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