第1話 王女殿下の先生
食べ物の恨みは怖いと言う。
だが、今の私にはそれがあんまり当て嵌まらない。何故なら、すでにお腹の中に白玉団子と、一本だが一本だけだが、真・白玉団子が入っている。お菓子を所望したこの食欲が、ある程度満たされてしまっているからだ。
それに、真・白玉団子は予約済み。近日中にはまた食べる事が出来る。シビアナもすぐに謝ってきたし。そしてさらに、
「在庫を三つ。処分致します」
と、私の弱みを闇に葬ると約束してきた。しかも、「十個だ!」と、ごねてみたら、
「それは流石に……。では、五つでどうでしょう?」
と、二つも譲歩して来たもんだから、「お前が全面的に悪いのに、どうしてそんな交渉染みた事が言えるんだ? バカなの?」と思いつつも、これは行けると踏んで、
「十個!」
と、こちらも強気で返せば、しばしの黙考後、
「ふふふ。はい、畏まりました。それでは十個で」
「良し!」
それもすんなり了承。こう言った理由により、私の怒りは髪色も変えることもなく、怒鳴るだけで早々に収まってしまった。まあ、それは良い。それは。弱みも潰せたわけだから。だが、しかし――。ちらり。
当の本人は、自分で勝手にお茶を入れて、優雅に飲んでいる。傾けた湯呑みを戻したら、満足したように、ふうっと落ち着いた息を出したりして、外の景色を眺めているよ。
そう。全ては、このシビアナの手の平の上。奴はこうやって事が収まるまでを見越して、あんな事をしでかしたのだ。もう絶対これ。間違いない。
確かに、十個は奴の想定内。いや、初めから、そこを落としどころとしていたのかもしれない。
だがそうだとしても、潰せた弱みがより増え、今や怒りを忘れて得した気分。感情が逆転してしまっている。この私をいとも簡単に操るとは。シビアナ、やはり恐ろしい奴――。
そのシビアナも眺める景色は、すでに旧王都のものじゃなくなっていた。イージャンも馬車の傾きを直している。
ここは新王都。特有の活気が溢れた風景、その一つだ。賑やかな馬車の往来がある石畳の大通りを、私たちが乗った馬車も走って行く。
「…………」
石畳――。ううむ、まあ岩だよねこれ。大きな岩を埋め込んで、その表面を削って敷き詰めているそうな。
だから、道幅も広い。十数台くらいなら、馬車での往来も余裕で出来る。その岩畳の両端には歩道があって、そっちは石だよね。そこを、たくさんの人が通り過ぎていく。
しかし、この石と岩。その境目はどの辺りなんだろうね? どれくらい大きければ岩って呼ぶんだろ? その正確な大きさが分からないと言うか。巨石ってのもあるしさあ……。いやまあ、結局、人それぞれなんだろうけども。
雑踏のその後ろには、煉瓦造りの商店が軒を連ね、店先に並んだ売り物を立ち止まって眺めている人たちが見えた。
他にも、ちょっとした広場みたいな所があったりして――。そこでは、小さなお立ち台に上がり弦楽器を手に歌っている者を、皆で輪になって眺めてたりもしているな。
この辺りは、楽器のお店が多いから。王都でも作られているが、国中だけでなく国外からも集まってくる楽器を売ってたりしてる。だからってのもあるんだろうね。
きっと、馬車を止めれば色んな音楽が聞こえて来る事だろうさ。ここは、そういう活気がある場所になっている。ま、王都には、ここよりも他にもっと凄い所があるんだけども。
そして、この岩畳の大通りを過ぎれば、先生の研究所がある郊外。もうそろそろ着きそうだ。
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古びた灰色の石を積み上げた、ごつそうな石壁。その内には草原が広がっているのが見える。郊外は、そんな囲いがいくつも点在する。
廃墟。って事になるのだろうね。以前は、この辺りにも建物が建ってたらしいから。よく見れば、草原の中に崩れた邸の石壁と思しきものが、ちらほらと埋もれてる。
あと、赤い花の一叢もちらほら。あれは、彼岸沙華(彼岸花のような花)と言って、近くで見ると、幻想的な気分に陥る。そんな鮮烈な色をした赤だ。
他にも花は咲いているが、そんな色をしてるもんだから、遠目からでもよく際立ってる。うちだと大切な神事とか祭事とか、そう言う時に飾られている。あと、献花とかにもね。
私が生まれる前くらいに、大きな戦があったのさ。ここら一帯は、その戦で破壊され、そのまま放置みたいな状態。戦火を免れた建物も少ない。だから、草原のような郊外になってしまっている。
あの彼岸沙華は、その当時の名残だそうだ。誰かが献花したものの中から、そのまま自生するようになったとか。
その原因となった戦について、詳しい事は知らない。そりゃ、あらましと言うか、どういう経緯だったかくらいは、流石に知ってるんだけどさ。
「…………」
通り過ぎて行く廃墟の傍に映える、赤い花を眺めながら。私は、湯呑みを傾けて一口飲む。まあ――、これから会う先生との約束でね。今のところ、詳しくは知らないままでいる。
私たちを乗せた馬車は、そんな郊外を沿って道なりに進んでいく。緩やかな坂を何度も登ったり下がったり。イージャンも、もう調整はしない。
不意に、石壁の色がより薄黒く、高さも変わり始める。見上げなければ、どこまで高いか分からない。石の方も一つ一つが大きく分厚い。てか、これも、もう岩だね岩。だから、石壁じゃなくて岩壁さ。
しばらくすると、今度は巨木のように太い石柱も見えてきた。あれは門の支柱。どうやら、その門に辿り着いたようだ。ここが、研究所の正門となる。
この門も、見上げる程には高く幅もある。いつもは金属の格子も落とされており、扉は両開きで全開にすれば、馬車二、三台くらいは支障なし。この馬車も、速さを落とす事もなく、すんなりと潜っていった。
分厚い金属製の黒い扉が、左右の窓に見え通り過ぎていく。いつもは閉まっているそれが、内側に向かって開け放たれているのが分かる。どうやらシビアナの言う通り、一人来ている様だ。
ちなみに、開いてなかったら、脇にある通用口から入って門を開けなければいけない。その扉の鍵は先生から貰ってる。
馬車は門を潜り終えるが、そのまま直進しない。すこし遅くなって、岩壁に囲まれた道を、左に曲がる。そして、その先にあるもう一つの門を潜っていく。
こちらの門は、正門と比べ若干小さいが、まあ似たような造りだ。ただ、閉まっているのは見た事ないと思うんだけどなあ。多分、ずっと開きっ放し。この二つの門を通ってややあってから、馬車はゆっくりと止まった。
玄関先の広場にある停留場へ着いたのだろう。隣りを見れば、私たちが乗っているものと似たような黒い馬車が、既に一つ停まっている。見覚えがあった。やはり来ているな。
ここには、お馬さんを繋ぐための環金具が打ち込まれた、横長の岩が置いてある。その大きさは、馬車が二台並んで留めるくらい余裕。私たちの馬車も、ゆとりを持って留められていた。
あと、この岩には、お馬さんが水も飲めるようにと、窪みが彫ってある。岩の幅と同じくらいだから、結構あって底も深い。二、三頭ぐらいなら一度じゃあ飲みきれない程には入っているか。無くなる前に顔を上げてたから。
この窪みには、いつも水が張られているんだが、これって実は自動なんだよね。勝手に水が出てくんの。先生が作ったんだ。その仕掛けが中々面白くてね。
水面には、浮きの付いた筒が顔を出している。その水面が下がると浮きも沈む。すると、筒先の蓋が下に引っ張られて開き、中から勝手に水が出てくるの。
で、水自体は、この筒を使って奥に見える噴水から引かれてるんだけど――。筒が、一旦地面より下に行くんだよね。なのに、水がまた上がって来るの。
噴水の水面と同じくらいの高さまで。その高さが、丁度、岩の方の筒先と同じくらいになってる。だから、ちゃんと出るの。
これが何だか不思議でねえ。いや、水って下に流れるもんじゃん? なのに上がってくるんだもの。あと、実はこれ、丘の上にある王宮に水が届いている理由と同じ理屈らしいんだが――。
「で、殿下。到着致しました……」
イージャンが導声管で、そう教えてくれる。怖がってんのは、私がさっき怒鳴ってたからだろうなー。えへへ。
「ん。分かった。ありがと」
そんな様子は気にしない。平然としておく。それから、扉を開けてもらって、私、シビアナと順に馬車から降りた。そして、背筋や両腕を、曇った空に向かって伸ばす。体を解しながら、懐かしさも感じる館を見上げた。
この館は、元々貴族の館として使われていたものだとか。それを、先生が買い取って研究所にしたのだ。住んでいるのもここ。自宅兼研究所だね。
白が黒ずんだ古い石造りの大きな館さ。百年くらいは経ってそう。大豪邸とまではいかないが、豪邸と言えるくらいには見えるか。横に長く伸びたような三階建てで、奥行きも同じくらい。
ただ、広い中庭もあるから凹型になってんの。私たちがいる手前の広場側にも、館の両端が一部屋二部屋くらい? それ位ちょっと飛び出してるけどね。
あと、この邸って、一階部分が高くてさ。だから、四階建てと言っても差し支えがないわけ。
これ一応ね、壁を伝って二階に侵入するってのを、やりにくくしてんのよ。攻め込まれるのを前提として造られてんの。
その壁も二階に向かって反り上がってるし、使われている石も頑丈。鉄より硬いものを使っていた。これは、館を取り囲む壁や門とかもそう。
それから、その門を二重にしているのも、正門から入ってきた連中が、内門を開ける前に壁の上から弓とかで射れるようにするためなんだってさ。また、内門が正門の正面にそのまま続いていないのも、直進の勢いを削ぐためだとか。
館の方にも、こう言うのは結構あるらしくてね。例えば、二階、三階には無数の窓が並んでいる。私の顔が出せる程度の四角い小さな窓だ。
今は、鉄格子とか硝子が嵌めこまれているが、有事の際はそれらを外す。そして、出来たその穴から弓なんかを射って、この広場や奥の中庭に集まった連中を攻撃する。それができる様に兼ねているんだって。ううむ、色々と考えるものよねえ。
ただ、こう言った館とか門とかもさ。確かに、その時の状況と言うものもあるとは思うが――。私なんかが攻め込むとなると、あんまり意味がないんだけどね。まあ、うちの貴族って昔から武門の気質が強いから。だから、こんな仕掛けがごろごろあんの。
ああ、目の先の正面玄関もそうだね。館の中央にある。十段くらいの階段を上がって、支柱のない庇のその中に、両開きの扉が見える。年季の入ったような古い木製の扉。所々黒い金属の装飾が施されている。両方とも開ければ、この馬車くらいなら入りそう。
あの扉はね、庇が下に閉じて塞がれるのよ。付け根あたりに、歯車を使った絡繰りが館内にあんの。それを使って閉じるんだ。
あと、落とし格子も嵌るようになっているね。今は上がっているけど。ま、これは別に特殊でもないか。街中でも良く見かける。
「殿下。私は門を閉めて参ります」
手綱を引き、馬車を停留場に寄せ、環金具にその手綱を結んでから、イージャンが言う。
「ん。よろしくね」
「はっ!」
敬礼をすると、腰に差した長剣を押さえ外套を翻しながら、正門へと石畳を颯爽と走っていく。何度も来た事あるから、慣れたもんだな。しかし、何故かその後ろ姿、逃げ出す感じに似ているのは気のせいか。
扉は、まあ隠密も着いているし、別に良いんだけど。ただ、彼らは基本、事が起こらない限り、ちょいと離れた所から見守るだけ。扉を閉めたりもしない。だから、ずっと開きっ放しのままになる。
これは確かに良くないか。要らぬ侵入を誘うだけだもんね。
「ドガン!」
彼が、門に向かってすぐ。玄関の扉からごつい音が響く。何事かと顔を向けると、その扉が片方だけ開いた。中からは、一人の女性が飛び出てきて、階段を急いで下りてくる。
「…………」
いやいや。今の音何だったの? ていうか、え!? 女性!? 驚いて、私は目を見張った。しかも、白衣を着ているところを見ると、どうやら助手っぽいのだが。ええー……。
その白衣の下には、薄い水色の上着と、丈が膝辺りの淡い緑色の腰巻き(スカートのようなもの)。そして、茶色の革草履を履いている。
ふうーむ――。初めて見る顔だ……。しっかし、あの先生が、まさか女性を助手にしているとは思わなかった。それ程、優秀なのだろうか? いやまあ、違うかもしれないがって、若っ!?
出迎えてくれたのは、女性であるだけでなく、少女だった。いや、美少女だな。茶髪の美少女。近くで見れば、子供とは思えないが、それでも若いと感じる。私の側付の子らと同年代か。
彼女は、頭の後ろで一度全体の髪を纏めている。そこから、背中まで伸びた髪を、三つ編みにしていた。だから、おでこが目一杯出ていて、それがとっても可愛い。
のだが、そこが滅茶苦茶赤くなっている。肌が白いから良く分かった。あと、涙目。青い瞳が潤んでいる。
「…………」
なるほど。この慌てぶりから察するに、さっきの音はそのおでこを扉にぶつけた音……。急いで出迎えようとしてくれたのか。何だか、申し訳ない気分になった。ご、ごめんね……。
背は、私より少し低いくらいか。おっぱいは――、大きめだな……。罪悪感も忘れ、思わず舌打ちしそうになると、私の視界で何かがきらりと光った。
それは、助手(仮)ちゃんの左手。よく見てみると、小指に赤い指輪が填まっている。あれは、婚約指輪だ。ふん、売却済みか。幸せにな!
ここトゥアール王国では、昔からの伝統で、婚約した男女がその証として、自分たちの左手の小指に指輪を填めるという風習がある。
指輪は、女性から男性に贈るものとされており、昔から縁起が良いとされている赤色を使うため、指輪の色も赤い。そして、その後、晴れて結婚式を挙げて、名実ともに夫婦になるその時に、今度は男性から女性に結婚指輪が贈られる。
こっちは、どんな色でも問題はない。が、大抵、高価な宝石が付いた指輪が贈られる。もちろん、貴重な宝石は、大きければ大きいほど価値が高くなる。また、指輪の細工も精緻なもの程お高くなるわけだが――。
自分のお嫁さんに良い格好したい男どもは、それでもできるだけ値の張るものを買おうする。イージャンも、シビアナに男を見せるため無理をしたのだとか。
ちなみに、婚約指輪は高くない。むしろ、すごく安い。
「よ、よよょうこそ、いらしゃいましたあっ!」
元気よく頭を下げられた。しかし、やっぱり結構、緊張してるみたいだな。相手はこの国の王女様だし、そうなっちゃうよねえ。この様子だと、貴族でもなさそうだし。うーぬ。申し訳ない。
「私は、王宮で侍従官をしております、シビアナと申します」
シビアナも一礼して、助手(仮)ちゃんに名乗った。いつもより優しく丁寧だ。向こうが緊張しているからか、側付筆頭の身分も出さなかったな。
まあ、シビアナも有名人だ。言わなくても、あの子は知っているだろうけど。でも、その身分を口に出すと出さないとでは、印象が違う。
人によっては威圧的に聞こえるからね。あの子の様子なら尚更だろう。これ以上緊張しないよう、気を遣ったってわけさ。ていうか、そういった気遣い、私にもしろ。そんなジト目を背中に受けながら、シビアナは優しく言葉を続ける。
「シドー様は、いらっしゃいますか?」
「…………」
ん? どうしたの? 助手(仮)ちゃんが、自分の頬をおでこの様に赤らめ、ぽーっとシビアナを見たまま動かなくなっている。
「もし? 大丈夫ですか?」
「――あ。は、はい! 大丈夫です!」
もう一度声を掛けられると、気付いたようだ。はっと表情が戻った。どうやら、見惚れていたらしい。ちっ。見惚れるんなら、私に見惚れなさいよ。あと、イージャンでもいいぞ。で、シビアナにイラッとさせるの。
あ、いや。それは駄目だな。この子に累が及ぶ。やっぱり私にしときなさい。うんうん。
「ふふっ。シドー様は、いらっしゃいますか?」
まあ、聞こえていなかっただろう。もう一度、同じ言葉を繰り返した。
「は、はい! いらっしゃいます! 今、休憩を兼ねて、中庭の方で鍛錬を――!」
へえ、そうなんだ。休憩中じゃなかったら、先生が対応してたんだろうし、この子にとっては間が悪かったわけだね。ったく、先生。そこら辺の気遣い、ちゃんとしなさいよ。何でしない?
うーん。まあ、助手(仮)ちゃんではあるが、もし本当に助手なら、これからもこういう事はあるし。一人で応対させて、強引に慣れさせようとしてんのかもね。先生、そういうとこあんの。
ていうか、私の側付の子はどこにおるん? 一緒に出て来れば良いものを。何で、この子一人で応対させてんだか。やっぱり、先生が慣れさせるために止めたのかな。
「それで、その――!」
助手(仮)ちゃんの声に意識が向く。
「そ、その! もし、リリシーナ殿下がお越しになったら、そそちらへご案内するよう、言付かっています!」
「ふふっ。分かりました。では、その中庭の方に、案内して頂けますか?」
「は、はははい! どうぞ、こちらへ!」
うむ。よろしくね。言葉のつっかえ具合は変わらない様だが、シビアナの言葉遣いのおかげか、少し緊張が解れたようだ。その表情と体の強張りが少し抜けた様に見える。
私たちは、ぎこちなさが少し抜けた、そんな助手(仮)ちゃんに連れられて、玄関の階段を上がる。中庭へ向かい始めた。
っと、いけない。忘れる所だった。おーい、イージャーン! 早く戻っておいで~~~!




