第10話 それは異質な箱
シビアナが、私を見ていた目を手元の箱へと落とし、その箱を丁寧に撫でる。
「殿下。私の手にあるこの箱は、恐らく完成品です」
「か、完成品?」
「はい。そして、幼少の砌に遊ばれたあの箱は、その前段階――試作品となります」
「そうなのか……」
そんな関係があったとは……。まあ似てるからな。然もありなん。しかし、そっちが完成品になるんだな。私は逆だと思ってしまった。
遊んだ方の箱は、色も付いて鮮やかだ。ここにあるのは、その色付けがなされていない。工程の途中って感じを受けるんだが。
「殿下。この引っ掛け箱は非常に特殊です」
「特、殊……?」
「はい」
箱を撫でながら、シビアナが続けて言う。
「確かに、市中に出回っている物の中で、詰め木とサイコロ落としの組み合わせを使ったものは数多くあります。ですから、それらの仕掛けだけを見れば、そうとは言えませんね。逆に、ありふれた物と言っても良いくらいでしょう」
「あ、ああ……」
う、うん、そうだよ。そうだろうともさ。
「では、どうして非常に特殊――、と言えるのか」
箱を撫でていた手がぴたりと止まる。そして、その箱に向かっていたシビアナの目が、悠然と私を見据える。
「そう言わしめるのは開け方。その手順と方法、そして条件となります」
「っ!?」
な、何だと!?
「………………。え?」
いやいや、何言ってるんだお前?
「良く分からんな……。今、自分でそうではないと言ったばっかだぞ?」
何か意味も分からず驚いちゃったわ。損した気分だよ。市中に出回ってる有り触れたものだと、認めてたじゃん。しかもだ。
「それに、シビアナ。そもそも、それって問題になるのか? 詰み木はそれを知っていれば、誰でも完成させる事が出来るだろうし。サイコロ落としだって、知っていれば何度も繰り返して、いつかはいけるだろ?」
どういった仕掛けなのか。それ自体を知っているのが前提ではある。だが、知らないとしても、確かに時間は掛かるだろうが、開けられないと断言はできないはずだ。可能性は零じゃない。
「確かに、零ではありませんね」
「うん。そうでしょ?」
「はい」
そうそう。
「ですが、そうですね――。やはり、常識的に考えれば、でしょうか」
「ん? 常識的――?」
「はい、常識的にです。その常識的に考えれば、ではありますが――」
「ああ」
「そうであるならば。私たち以外で、この箱を開ける事は限りなく零に近い。やはり、それは変わらないでしょう」
「む」
私の言い分を肯定しておいて、どう言う事だ?
あと、今、「私たち以外で」と言った。すでに、私も開けられる前提で話をしている。だが、その箱を開けれるかどうか、それをシビアナに見られた訳ではない。
だから、ちょっと怖いので、そこは注意しつつ。敢えて無視する事にして、もう一度尋ねた。
「何でだよ?」
限りなくって。そこまでのもんか?
「殿下。この箱を開けるために、必要となるサイコロ落としの回数は、十二回。この回数が分かっているとして――。その場合、試さなければならない手順の総数は、何通りくらいになると思われますか?」
「数だって?」
「はい」
まあ、百回くらいか? うん? どれくらいになる? 正確な数を出す気まではないが、私はちょいと計算してみる。
でも、そんなに数術はなあ。こういう時は、側付の中に得意な子が一人いるから、その子に聞く。すぐに答えてくれるんだよね。それは、シビアナもそうだが。
ええっと、詰み木はどの面から始めても関係ないから、サイコロ落としだけだね。うううむ――。
「…………」
おいおい……。いや違う! 全然違うぞ!? 私は正解の手順を知っていた。だから、考えもしなかったが、計算してみて気付く。その手順の数が、倍々と、とんでもない数にまで跳ね上がっていく事に。
「…………。万を軽く超えているのか……!」
「ふふっ。はい、仰る通りです」
サイコロ落としは、十二回。それを掛けていくとなると――。もうダメ。万以上になるとは分かるが、それ以上暗算できんわ。
「正確には、四億七千九百万、千六百通り――、ですね」
「…………」
めっちゃある……。
「ちなみに、詰み木は六面です。それから、サイコロ落としも正順だけでの六回であれば、七百二十通りになりますね」
「な、七百二十……」
全然違うし。
「ふふふ――!」
シビアナが口許を隠しコロコロと笑う。いやあ、掛け算って怖いわあ……。
「殿下。詰み木もまた素晴らしい出来ですが、まず特筆すべきは、この異常なサイコロ落としです」
笑うの止めて、箱の方に目を向けたビアナが言う。
「それは、その仕組み。詰み木を完成させる順序と逆順まで必要とする、その仕組みにあります」
「仕組み……?」
「はい。詰み木を完成させる順番は、全部で七百二十通りあるわけです。それをサイコロ落としの順番として組み込む。しかも、この箱は逆順まで必要とする――」
おおおお……。
「そのため、仕組みがかなり複雑になっている。これは想像に難くありません」
「た、確かに……」
「はい。その様な箱は、市販の物だけでなく一点物であっても、まず見つからないでしょう。何故なら、そもそもの話。この箱の様に、中が空洞で収納が出来る場合であれば、どんなに良くても、その面分あたりが限界だからです」
そ、そうなのか……。
「しかも、その限界まで手順を増そうとした場合。今度は、箱と呼べなくなっていきます。手順を増やせば、それだけ箱枠の厚みも増し、中は狭まっていきますから。あの子の箱もそうでしたでしょう?」
「う、うん。そう言えば……」
そう。箱と言うよりは、サイコロだった。そのサイコロに彫ってある一の目をさらに深く掘った感じ。
「確かに、あの子が作った箱の様に、逆順まで組み込む。それ自体は可能です。しかし、面分以上となるため、この箱の大きさぐらいでは、その絡繰りが収まり切らない。例え、箱としての意味を失くし、中を絡繰りだけにしても、それは叶いません。ですから、彼女の箱も、あれくらいの大きさになったのです」
…………。
「ああ、そっか……」
言われて気付いた。
「だから、不満げだったのか……」
「はい。少し落ち込んでいましたね。ふふふ――!」
「ははは……」
なるほどねえ。自分で再現できなかったら、ああなってたか。大した事ないとか、ぶつくさ文句言ってたもの。
しかも、詰み木も省略されているわけだ。そうしたのも、作る時間を掛けなかったからじゃなく、こう言った理由が原因だったのかもね。なら、あの子だとああなるだろう。
「ただ、彼女はこの箱の絡繰りを見ておりませんので。ですから、もしその構造を見れば、或いは同じ様に作れたかもしれませんね」
「へえ……? バラしてないのか」
珍し。
「私が許可を出しませんでしたから」
「え……? 何で?」
これも珍しい気が。こういう時は、いつもガンガンやらせてた様な。
「殿下。これには理由がありまして」
「理由?」
「はい」
シビアナは頷くと、少し真剣味を帯びた様な表情になった。
「私も中を検めた訳ではないので、恐らくになるのですが――」
「ああ」
「実は、この箱の絡繰り。構造を確認しようと中を解体し始めた瞬間、バラバラにその全てが崩れるかもしれません」
「まじか」
「はい。その可能性が高いのです。その懸念があるため、止めました」
「へえええ、なるほどね。そう言う事」
道理で、あの子がバラせなかった訳だ。
「ただ、案の定、あの子はまた暴走しましたので。最終的には力尽くで止めざるを得ませんでしたが……」
「そ、そうか……」
「はい……」
分からせやがったのか……。まあ、良くある事だが、シビアナの暗くしたこの顔と、毎度のあの光景を思い浮かべ、ちょいとぞっとした。
ちなみに、この子は自分の家族から、その躾け込みでならという条件で、私の側付になったりしてる。シビアナも、まああれだ。過度な折檻をしている訳ではない。うむうむ……。
それから、そのシビアナが軽く溜息を吐いて、気持ちを切り替えたようにして言う。
「あの子は、その後。落ち着きを取り戻し、箱を作り始めた訳ですが――」
「あ、ああ……」
「完成した時に、彼女は断言致しました。今の我が国の技術水準で、この箱の様な芸当は、到底不可能であると」
「そこまで言わしめたか……」
「はい」
「ひええ……」
あの子がそう言うからには、相当なもんだと私も信用する。何故なら実績がある。彼女が、この手の分野の技術水準を押し上げている一人だからだ。
「殿下。彼女の言い分からも窺える様に、この箱に施されたサイコロ落としは、非常に特殊であり、また稀有なものと言えるでしょう」
「ああ、そうだな……」
確かになあ……。うううむ、凄い。てか、やっぱりシビアナがあの子に箱を作らせたな。しかも、それをぺらぺらと喋ったと言う事は――。別に隠す必要もないって事だったか。
やれやれ、深読みしてしまった。まあ、おかげで懸念材料が一つ減ったから良しとするか。
しっかし、何の変哲もない、ただの引っ掛け箱くらいにしか思っていたのに。ホント蓋を開けてみればって感じ。よくもまあ、こんなものを手に入れたもんだな。どうやったんだろ……?
それを尋ねてみたかったが、控えようか。その気持ちが勝った。今のこの尋問中だとねえ……。何がどう転ぶか分からないからさ……。
「それで、殿下」
「うん? 何だ?」
「この箱には、今お伝えした様な絡繰りが仕掛けられている訳ですが――」
「ああ」
「これは、ともすれば。この箱の開封には、非常に厳しい時間的制約が生ずる場合がある、という事にもなるわけです」
「時間的、制約――?」
え、何それ? 訳が分からずシビアナを見ていると、その口が開く。
「この箱は、あのお部屋の中の、元あった場所へと綺麗に戻されていましたが――。これは、つまり誰にも知られず、あのお部屋へ侵入し、箱を開け、瓶の中身を抜き取ったと言う事です」
う゛っ!?
「その様な事が出来る時間は、多く見積もってもおよそ半日でした。ですが、その半日で、あんなにも膨大な手順の回数を試すのは、まず不可能――」
ぐ、た、確かに……! だから、時間的制約か――!
「しかも、正解の回数。私はあえてその正解の十二回を前提にしてお尋ねしましたが――。これも知らなければ、さらに混迷を極める事になります」
あ、そうか! 回数すら分からないのか! なら、もっと時間が掛かる。七回とか十回とか、例えそこまで正解だったとしても、箱が開かなければ。間違っているのかもと、もう一度最初からやり直したりするかもしれない。
また、そうはせず、正解の十二回までやっても、そこで開かなければ。十五回とか二十回とか、まだ回数が足りないのかと、どんどん試していく可能性も。そんな事を続けたら――。いや、もう訳分からんぞ。私なら箱を破壊しそう。
「とは言え、他にも方法はあるでしょう。例えば、一旦、お部屋の外に持ち出し、箱を開けて中身を抜き取ってから、元に戻す。そう言った方法もあり得るわけです。こうなれば、時間的制約もかなり余裕が出来てしまいますね。最大で数日の余裕です」
そう言いつつも、シビアナはそう思っていない。そんな目で私を見て来る。
「ですが、そうなると、賊の可能性はかなり低くなります。危険を更に犯し、あのお部屋に再び入ろうとするのは、現状、考えにくいからです」
その通りだろう。しかも、その部屋はかなり危険。王宮内でも、賊の侵入が困難。そういった場所にある部屋だからだ。
「ですので、賊の侵入を払拭できない今、やはり侵入は一度きり。私はその可能性が一番高いと考えています。殿下もそう思われませんか?」
「え。い、いやまあ、そ、それは――!」
「ふふふふ――!」
くっ! 急に矛先がこっちに戻ってきやがった――! だが、その通りだ。半日じゃとてもじゃないが、てかそんな回数やりたくもない。
シビアナを見れば、だから犯人は私だと言いたげな面持ち。
つまり、箱の開け方を知らなければ、その時間内に中身を取り出すなんて事、出来はしないだろうと。お前は、そう言いたいわけだな……。
「…………」
ふっ。しかしな。
「その箱の仕掛けが凄いのは、よく分かった」
これまあ、確かにそう思ったさ。飛んでもない絡繰りだ。ただし、
「が、半日では無理……。それはどうなんだろうな?」
私は両腕を組んで、話を続ける。
「偶然は重なるべくして重なる。奇跡は起こるべくして起こる。と、言うだろう? 宝くじは、当たる奴には当たるんだぞ? 偶々、偶然が重なって、偶々部屋に入る事が出来て。偶々箱を開ける事が出来た――。そういう事を、偶々引き当てた。そんな奴がいたのかもしれないな?」
こんなのは本当に奇跡だ。でも、絶対にないと絶対に否定も出来まい。お前はそれを知っているよな? それこそ、例えどんなに確率が零に近かろうが、そういう奴は一発で正解を引き当てるのさ。
「それに、お前は正解の回数も知らなければ、と言うが――。これもどうなんだ?」
ふふん。確かに、さっきは超めんどそうと思ったが。しかあし!
「手掛かりがあるよな? 手掛かりが? そう――。詰み木の順番だ」
これに気付いた私。ふっふっふー。
「詰み木を知っている者であれば、試すだろうな。そうなると、その正解の六面まではやる。そこで開かなければ、六回までの手順が違うのではなく、まだその先があるでは? と気付いて進めていく奴はいるかもしれん。そうなると、最初の六回分は考えずにすむ。サイコロ落としの回数は十二回から六回に減って、試すのも七百二十通りだ。随分と少なくなるな?」
四億なんて数に騙されてはいけない。こうやって可能性を見出せば、ほら。こんなにも簡単に開けれそうになる。詰み木も七百二十通りだ。全部試せそうだし。最悪、その全部をやった上で、気付けるかもしれないじゃない?
そして、サイコロ落としも、この減った回数ならば。正解の回数を知らなくても、上手く嵌れば、それこそ一発。そうじゃなくとも、半日は掛からないはず。しかも、
「確かに、正解の回数を知らなければ、これでもより時間は掛かりそうだが――。六回目までは手掛かりはあったんだ。なら、七回目以降も、その可能性を探そうとしそうだな。その中で、逆順はどうかと気付く可能性はあるんじゃないか?」
一つずつ試して行く場合もあるだろうが、手掛かりはあったとして進めているんだ。ならば、その先にも何か手掛かりがある。その手掛かりとした、詰み木の順番とも関連性を考える。これは有り得るだろう。そして、
「それをお前はやるだろう?」
こいつは気付く。間違いなくな。だから、運任せのこの仮説を、実現できる可能性、歴とした反証として言えたというのもある。
「ふふっ。そうですね……。手順を知らなかったら、試すかもしれません」
シビアナは、少し困ったような顔をした。ふん。謙虚そうに言いやがって。お前は絶対試すわ。で、開けてしまうだろうな。
何故なら、その箱を作った本人の生い立ち、立場、性格、経歴、嗜好、判断の基準や仕方――。そう言った情報を集めて、その思考までも読もうとする。そういう事も平然とやってきたからだ。まあ――、こいつには他にも手段があるがね。
ともあれ、そんな感じで、私が言ったような逆順まである可能性も、難なく当たりを付けていくだろうさ。
「試すかもしれないか。そうか。なら、そのサイコロ落としが、如何に異常であっても、可能性が限りなく零だなんて事には、やはりならんな」
「そうですね。仰る通り、運が良いと言った偶然。また、見る者次第では、このサイコロ落としを解く可能性は、かなり高くなるかもしれません」
うむ。
「ですが、殿下。それでも、私たち以外で、この箱を開ける可能性は、限りなく零に近い。やはり、それは変わらないのです」
へ?
「何でだよ?」
まただよ。意味分からん。お前、これも認めたじゃんか。すると、シビアナは、優雅に満ちた自信を持っているかのようにして、私を見据える。そして、
「ふふ。残念ですが無理でしたから」
そう断言してきた。おいおい。
「無理? 何故だ? どうしてそう言い切れる?」
全く納得がいかん。どんな些細な可能性も否定しないお前らしくもない。って、いや違うわ。ちょっと待て待て。
「無理でした?」
そう言ったよな? 今のは断言じゃなくて、過去形だった。私が首を傾げると、シビアナは指摘された事を嬉しそうにしてから答えた。
「私たちの周りにいらっしゃる方々へ、この箱を開けれるかどうか。事前にそれを試して頂いたからですよ、殿下」
…………。
「えええ……」
もう既に試しとるんかい……。薬の調査とも相まって、その用意周到さに呆れて溜息でも吐きたくなる。
ホントにこいつはもう……。面倒くさがりなくせして、こういう時は、いっつも徹底的にやりやがるよな! なあ!?
「ちなみに、一番最初にお願いしたのは、陛下です」
「ああそう……」
「ふふふっ」
シビアナは、私のげんなりとしたこの様を楽しんだからだろう。面白そうに、口元の歪めてからその口を開く。
「当初、陛下には、この箱をご覧になって頂くためだけ。この箱の事をご存知かどうか、それをお尋ねするためだけに持参したのです。そして、事情をお伝えしていく中で、実際にこの箱を開けてみる事となり、いざその開封をとなった時。陛下ご自身が、開けようと試みられたのですが……」
そう言い淀みながら首を振る。
「陛下は、正解の手順を何度試されても、どうやっても開ける事ができませんでした。その場にいた私であれば、開ける事が可能であったのにも関わらず、です」
…………。
「はい?」
「これは他の方々も同様でした。この箱の開錠は、私以外、誰一人一度たりとも叶わなかったのです」
なんじゃそりゃ……。今度はもう、全然意味が分からん。
「どういう事だよ……」
どんどん妙な事を言い出してきている。正しい手順で開けられないって、何だよそれ?
「つまりです、殿下」
おう。
「この完成品には、仕掛けがもう一つあるのです。まだ誰も知らない未知の仕掛けが」
「え!?」
まじで!? まだあったの!?
「はい。この箱を開けるには、手順と方法だけでは足りないと判明致しました。それが、条件です」
「じょ、条件……」
どうやら、仕掛けは三つあった模様。えええ、そんなの知らんがな。あ、でも――。そう言えば、さっきそう言ってたな……。手順と方法。そして、条件って。なるほど、だから三つ。手順と方法は、詰み木とサイコロ落としの事だけだったのね。
「では、その条件とは――」
「あ、ああ」
何だろ?
「それは、お願いした方々だけの限定にはなりますが――。少なくとも、この箱は私たち以外に開ける事は不可能、というものです。これが条件ですね」
「そうか……。他は、開けられなかったわけだもんな?」
「はい。そして、恐らくあの方も、この箱を開ける事ができたのでしょう」
「…………」
シビアナと私だけでなく、もう一人増えた。でも、確かにそうなるだろう。それが、あの方――。嬉しそうに言いおってからに。ただそうなると、あの方とは誰の事だか分かるが確認は避ける。
やはり、何が藪蛇になるか分からない。シビアナは、その名を一言も口に出してないのだ。だから、これも取り敢えず聞き流しておく。いやまあ、それ以前に、
「しっかし……。何だ、その仕掛けは……。どういう仕組み?」
今はこっちの方が俄然興味があった。これこそホントに意味が分からん。特定の人物以外、その開錠を不可能にせしめるって、どんな絡繰りよ……。そんな引っ掛け箱があるだなんて、そんな物、私は聞いた事もなかった。
とは言え、それ以外なら一つ思い付けた。それは、とある力だ。こういう事も可能とする特異な能力。シビアナは該当していないけどね。こいつは、その力を持っていない。
逆に、父様は持っていて、その能力を用いた絡繰りもあるのよ。だから、思い付けた。
「仕組みは分かりません。依然として未知です。解析不能でした」
シビアナは、分からないと言うのに、今度は何故だか嬉しそうに首を振った。
「あの子でさえ、その仕掛けは作れません。まず、その構造を思い付けないと、愕然としていましたね」
「おいおい。まじかい……」
シビアナとあの子でも、駄目って……。相当だぞそれは……。やっぱり、この箱は飛んでもないようだ。しかし、なるほど。確かにこれなら、開錠は限りなく零となるな。特定の人物以外は、どうやっても開けられない。まず、それが条件で前提なんだ。
それでも、先程とは違い。こういう手合いの話で、絶対不可能と言わなかった辺り、シビアナらしいと言えるが。やはり、否定しきれない。それこそ、世界中の人間に試してもらわんとな。と、私は思う。
「さて。この箱の説明は以上になります」
終わりか。しかし、何とも不可思議な箱だったんだな。まさか、そんな大層な仕掛けまで、施されていようとは。まあ――。物が物だけに、そうしたのかも。
「では、殿下」
「ん?」
「この箱を開けられたのは、一体誰なのか――。もうお分かりですね?」
「うっ!?」
やっば。すっかり、この箱の事に気を取られていた。だが、こいつの言う通りであれば、確かに犯人はもう私しかいない。え!? 嘘!? こ、これは、やばい! まじで、やばいよね!? やばばばばばば! 何気に窮地に立たされていると気付き、焦りまくる私。
「…………」
いやいや!? ちょっと待て私! 窮地になんて立たされてないぞ!?
「もうお分かりですか、だって? いや、分からないな? だから、どうしたと言うのだ? 今の話。それと私の記憶の箱と、どう言った関係がある?」
この話とは違い、さっきは断言していた事で気付けた。話がすげ変わっている。こいつは、私が思い出した箱は、たった一つだけ。子供頃に遊んだあの箱だけで、だから今、目の前にあるこの箱を開けれたのだと断言した。
だが、それがどうしてなのか。その関係を一切説明していない。目の前にあるその箱についての説明をしただけだ。
「それに、誰だと言われてもな。結局、箱の開封は、私たちの周りにいる者たちだけにしか試してないじゃないか」
これもそう。断言出来てない。さらに、シビアナからすれば、私だって出来るかどうか分かってないのだ。
「おや? お気付きになられましたか」
ほらね! やっぱり! 超危ねー!! これはシビアナお得意の論点ずらし。で、こっちは負い目があるから、その論点で打ち負かされて、そのまま負けを認めてしまう。自白をするよう仕向けてくるのだ。おお、怖! また引っ掛かるところだったよ!
だが、残念だったな! 成長しているのだよ私は! 決めつけたきゃあ、ほらとっとと世界中、旅してこいやああああ! 私が開けれるかどうかは教えたくないから、やるなら最後にしろ!
「では、茶番はここまでと致しましょう」
「へ?」
ちゃ、茶番?
「殿下」
「な、何だよ……」
シビアナは、優雅に満ちた自信を持っているかのようにして。ゆっくりと笑みを浮かべた。
「裏は、もう取れているのですよ?」
「…………」
は? 思考が止まった。裏が取れている? それはどういう――。
「この小瓶の底で薄らと残っていた薬に、殿下のお使いになっている口紅が、付着しておりましたので」
へ?
「瓶の外側とその口辺りは、綺麗に拭き取っておられたようですが、まだまだですね?」
…………。
「なあああああ!? 何だとおおおおおおおー!?」
驚きすぎて、思いっきり叫んでしまう。同時に、椅子を勢いよく倒し立ち上がった。
「と言う訳で。特に言質も必要ないですね。お使いのその口紅は、特別な銀粉を混ぜ込んだ特注品です。この条件下で、その銀粉と紅色を使っている者は、他におりませんから」
「なっ――! なあっ――!?」
「ああ、そうなりますと――。今の髪色や思い出話云々も、特に必要ありませんでしたね?」
はーああああああああ!?
「ちなみに、あの子に作らせた箱についてですが。あれは、開け方の順序を覚えておられるか、その確認さえ取れれば良かったのです。しかし、あれも念のため。その程度。そもそもこの件は、今お伝えした証拠すら必要と致しません」
え!?
「あの部屋に、他に側付を伴わずたった一人だけで入れるのは、ほんの数人のみですよ? 賊が侵入した形跡もありませんでした」
な、なかっただと!?
「そして、何よりこの薬の効用――。それが知れた時点で、飲んだ日が最近であれば、簡単ではありませんか」
そう言いながら、シビアナは、懐から黒い手帳を取り出した。その手帳を開き、挟んであった紙切れを一枚手に取る。そして、折り畳まれたそれを広げながら、私に見えるように机に置いた。
見覚えがあった。そう、注意書きだ。紛失したと言っていたはずの、薬の注意書だった。
「はああああああああああああ!?」
一体、今までのやり取りは何だったのか。自分の努力その全てを否定され、ようやく気付いた。
そう――! こいつは、私から言質を取ろうとしていたんじゃない! こいつは! このアホは! ぐぐっと拳を握りしめる。その拳がわなわなと震え出す。
私を弄ぼうとしていたんだ――!
どうして、この事実に気付けなかった――! まさか、尋問をした目的が違っていただなんて。全てが無意味。だが、何故気付けなかったのかは、今思えば分かる。分かり過ぎる。
こいつ、私をおちょくり続けるために――! 敢えて言わない様、気付けない様、ずっと誘導してやがったんだよ! 逃げ道があると、ちらつかせてなああ! ちくしょうめ!
だから、賊の侵入を疑っていると、嘘も吐いた。本当はもう、その可能性はないのに。おかげで、犯人が私に絞り込めていないと錯覚した。
私の言い分も突っぱねなかった。箱の開封も迫らなかった。どんどん分かってくる。
そして、薬の注意書をも出さなかった。紛失したと嘘を吐いた。それも、私が言質を取るためと考えていたもんだから、見破れやしない。
だが、最初に犯人が分かってないよう、仄めかしてきた。これだ。これが全ての元凶だ。おかげで私は、すっかりその気になった。この場を切り抜ける事だけに全集中。でも、それこそが、奴の狙い――! きいいいいいい!
いやまあしかし。そもそも口紅が付いてたらしいから、もうそれで、どうしようもなかったんだけどねぐしゃあっと、私は膝から崩れ落ちて、両手を床に突いた。
本当に最早これまで。終了である。だが、納得がいかない。「きっ!」と睨んでシビアナを見上げる。
「じゃあ、何でこんな尋問したんだよ!? 一切、意味ないだろうが! あれだけ必死に考えて頑張ったのに、私一人だけで空回りか!」
何のために、弄んだんだお前は!? 超悔しい。ホント何なのこいつ。今日は、随分と私を翻弄してくれるな。その姿は、見ていて楽しかったかね。そういう気分なのかね。そうかそうか。
「最初に、嘘なんて吐かれるから」
「……………………」
これも、その罰だったって事かーい……。止めの一撃。どっと疲れた。見上げていた顔が、がくりと垂れ落ちる。
もういい、私が悪かった。降参です。嘘を吐いて申し訳ございませんでした。でも、悔しいから口に出して謝らないからな。そう思いながら、もう一度顔を上げて、むっと睨むとシビアナが優しそうに笑う。
「ふふふふっ。ああ、それから――」
んだよ。
「今のを尋問と思われていたようですが、それは違います」
「え?」
「私は茶番と申し上げました」
は? どういう事? 首を傾げると、シビアナは目を瞑る。すると、辺りの雰囲気が変わる。どんどん、どんどん冷え込んでいく。蝋燭の火も小さくなって、どんどん、どんどん暗くなる。凍える暗い夜の帳が、その身だけでなく辺りにも降りるかように。そして、
「その尋問は――」
そのどす黒い何かを纏ったようなシビアナが、両目をゆっくりと暗く見開いた。
「これから――、ですよ……?」
それは、愉悦を孕んだあまりにも残酷な声。今までどんな事をされてきたか、体験以上の想像を過らせる。眼光にもその気配が宿り、剣呑にぎらついて私を突き刺す。この身を恐怖で凍らせていった。
「う゛っ!?」
「うふふふふふ――!」
思わず怯んで、びくりと仰け反ると、シビアナはその眼光を灯したまま妖しく笑う。だが、先程のものとは全くの異質。
「ふふふふふ――!」
狂気――。まさにその一言に尽きる。ひええええええ! あれやばい奴! やばい時の笑い方! シビアナを怒らせてからのお仕置きとかは、大抵こんな感じになるのだ。つまり、容赦がなくなるの! それに気付いて、ぞぞぞと身の毛もよだつ。
あと、もう一つ気付いたんだが、暗い顔って俯けるより、上に向けた方が怖いんだね! 下から見ると、それがよく分かるよ! だから、私は扉の前まで飛び退いたよ! そして、「ダン!ダン!」と扉を叩き付ける。
「イージャン! 聞こえているだろ、イージャン! ここを開けろ! 開けて、お前の妻を何とかしろおおおおおお!!」
逃げないから! 逃げたいけど! でも、一人じゃ無理! 絶対無理! 味方が欲しいの、味方が! さっき、相談乗ったでしょ! 助けたでしょ! だから、私も助けておくれよおおおおー!
少し離れてはいたが、扉の向こうにイージャンの気配がする。だから、私の声が届いているはずなのに。でも、返事はいつまで経っても返ってこなかった。
「おい、無視すんな! 聞こえてるだろうがああああ!」
どういうつもりだ!? くそ! こうなったら、もう鍵を壊してでも、強引にあいつを中に引き込んで――!
「無駄です、殿下」
全てを見透かしたような声。もちろんイージャンではない。その声は背後からだった。私は、反射的に振り返る。
「何だと!?」
「あの人は、何も答えられないのです。動くこともできません。そして、例え、中に引き込んだとしても、それは同じ事――」
「なっ!? それは、どういう意味だ!?」
シビアナはその言葉を聞いて、面白そうに目を細めてから言った。
「殿下が、どれだけ泣き叫ぼうが、助けを請おうが。私の許可がない限り、一切何も答えてはならない、一切何も応じてはならない――。さっき、そう命を受けたばかりですから――」
「命令っ!?」
そんなのいつ――!?
「――あ!?」
まさか!? ここを閉める前に渡した、あの封筒――! あの中身は、命令状だったのか!? 私がそう答えに行き着いたのを察してか、シビアナは「ふふふふ――」と再び笑い出す。そして、椅子からゆらりと立ち上がった。
「扉や壁を壊してでも、逃げようとしなかったのは良い判断です。逃げれば、今より状況は酷くなりますからね?」
「う!?」
怯むと、体が後ろに下がった。すると、「カツン」と足音を鳴らして、シビアナがこちらに向かって一歩ずつ、ゆっくりと前に出始める。
「鍵を壊そうとしてまで、あの人に助けを求めるその心情、よく分かります。ですが、この話。あの人にも、聞かせてよろしいのですか?」
「あ!?」
言われて気付く。そうか! 入れちゃあ駄目なんだ! 秘密を知られたくないから! シビアナは、足音を「カツン、カツン」と鳴らして、立ち止まる。
「逃げる事も許されず、この部屋からも出れない。助けも呼べない。そして、何かを欲するなら、その代価を――。これも勿論使えません」
「ぐぐっ!」
「この状況下で、他に何か打つ手はございますか? ないですね」
「おい!」
勝手に決めんな!
「ふふっ。あるのですか?」
「――くっ!」
ない! 思い浮かばない!
「であれば、最早、逃げ場はございません」
「ひい!?」
シビアナは足音もさせず、ずいっとその顔が目の前まで、いきなり詰め寄ってきた。私は、しがみ付くようにして扉に貼り付く。
「さあ、殿下……。あの日あの部屋で、一体何をやっていらしたのか。洗いざらい吐いて頂きましょうか? じっ・く・り・と――」
「い、いやああああああー!」
これ以上の抵抗は無駄。いや、やはり最初からそうだったのだと悟りながら。髪色も、恐怖の深緑に染め上がり、目の前を覆い尽くすその顔を見て、私は絶叫を上げる。
こうして、シビアナによる容赦のない拷問のような尋問が、開始されるのだった。




