第2話「モクモ都市へようこそ」
エレベーターを待っては居られなかった。階段を勢いよく降りはじめ、一階に到着して、ベンチの置いてある場所に近い出入り口から外に出る。
すでに彼女は腰を掛けていた。
「座るんだ。誰が聞いているかわからない。最小限の音量まで下げろよ。僕は耳がいいから、それで伝わる」
カルミの言葉を聞いて、俺は頷いて隣に着席。
「いいか、まず僕は神様じゃない。死者の案内人だ。だからその人の運命を僕一人の力では決して変えることは出来ない。あの子を助けたいなら、坊やがすべきことをやれ。僕はそのサポートしかできない」
「うん。ゆみを死なせないために、俺はどうすればいい?」
「慌てるんじゃない……まずあの子の寿命はもってあと二週間というところだ。最低だと十日くらいだろ……聞いただけで震えだすなよ……坊やには色々やってもらうことがある。まずは、僕が住んでいるモクモ都市についてきてもらうぞ」
「モクモ都市……聞いたことないな」
「当然だ。モクモは大きな移動都市で、部外者に発見されないようになっているし、加えてあるのは上空だ」
「……あの、俺は普通の人間で、空飛べないけど……」
「わかっている。それより、このまま連れて行くと、行方不明ということになってしまうな。もしも無事に戻ったときにそれだと面倒だ。もう一度確認するが、覚悟はあるな? 迷っているならそう言えよ」
「出来ることがあるんなら、やらせてくれ。絶対にゆみは俺が助ける」
「いい目をしている……他のことにも巻き込んでしまうかもしれないぞ。それでもいいのか?」
「ゆみが助かるなら、なんでも構わない」
「じゃあ、もう一度病院の入り口に戻れ。言っておくが、入ったらもう後戻りは出来ないからな」
「わかった」
俺は立ち上がり、病院の正面入口へと向かう。カルミも後ろからついてきた。
正面入り口には自動ドアが二つある。最初のを通ると、今日の予約患者数が書かれたボードがあり、その横には車いすが並んでいる。そして二つ目のドアを通ると、真正面に案内所があり、院内に踏み入れたことになる。
俺が二つ目のドアを通ったすぐあと、カルミは背後から俺に何かしたようだ。
スローモーションで再生されているかのように、俺の肉体はゆっくりと床に倒れた。周りにいた人たちは途端に声をあげて、俺に駆け寄る。異変に気が付いた看護師も駆け足で近づいてきていた。
「なっ、なにしてんだよ!」
俺は自分の体を見ながらつぶやいた。喋っている今の俺の体は、カルミみたいに半透明になっている。
「精神と肉体を一時的に分離させただけだ。ここは病院。意識のない坊やの肉体はしばらく預かってもらおう。さあ行くぞ」
カルミは俺の手を引き、自動ドアをすり抜け外にでる。
大丈夫なんだろうな、肉体は……
「じゃあ僕の体にしっかり捕まるんだ。移動する」
「……そんなこと言っても、女の子じゃないか。いいのかよ……」
俺はカルミの華奢な体をじろじろと眺めた。
「やれやれ、胸を締め付けようが、お尻を掴まれようが、僕はそんなこと気にしない。坊や、女の子の体に触れたことないのか?」
「どうでもいいじゃないか。俺の自己紹介がまだだった。上根理久、高校一年だ」
「よろしくな、坊や」
名前を教えても、呼び方は変わらないのか。
「あとからセクハラだとか言うなよな」
俺はカルミの半透明な体を後ろから抱きしめる格好で捕まる。
「おおっ、なんかいいぞこれは。坊やの温度が伝わってくる」
頬の辺りを赤くして、カルミはこちらを振り返った。
「口に出して言わなくていい。速く移動してくれ」
「そうだな。酔うかもしれないから、目を瞑って、そのまま楽にしていろ」
「了解」
俺は目を静かに閉じる。カルミは華奢な体つきのくせに胸は柔らかいな。
「行くぞ!」
カルミの言葉が聞こえたと同時に、頭からつま先までものすごい負荷が掛かったのがわかった。目は閉じているため、何が起きているのかは説明できない。
「よしっ、坊や。もう目を開けていいぞ」
どのくらいしがみついていただろ?
「……」
辺りは雲だけで、下も白い綿あめ状態。
「意外とスケベだな。胸を揉んでただろ」
カルミは半透明ではなく、きちんと存在感を示していた。俺は自分の状態を確認する。半透明でなく、きちんと肉体も存在してるように見える。
「気にしないんだろ……どうして俺……」
「僕がちょっと頑張って、坊やに肉体を与えている。大したことじゃない」
「へえ……なんだよ、ここ?」
「言ったじゃないか。空中移動都市、モクモだよ。上に行く。手は解いてくれてもいいぞ」
「えっ、ああ……」
「その格好では動きにくそうだな。とりあえず、普段着に変えておくか……装備はまた変わるが」
カルミが俺の肩に人差し指で触れると、服装がジーンズと白のシャツに代わった。
「そこから三歩だけ前に」
「うん」
俺は言われた歩数通り前に出る。カルミはその後に俺に並んだ。
薄い光が俺たちをゆっくり上昇させてくれた。見えないエレベーターなのだろうか?
光が消え、到着したようでカルミが俺の手を引く。
「ここで少し待っていてくれ」
それだけ言うと、カルミは女性が一人座っている受付のような場所へ向かった。俺は置かれた柔らかいソファに腰を下す。
ホテルのロビーのような印象だ。広さもさほど違いはないんじゃないかな。下に引かれているのは絨毯か? でもここ上空なんだよな? 蒸気を固めてその上に建造物を作っているのかな。
右側には掲示板が置かれていた。
『夫婦はどんな時も行動を共にせよ。
謝罪を忘れずに。
善悪の区別の徹底を、
……』
文字に目を走らせていたところで、
「坊や、こっちに来てくれ」
カルミに呼ばれたので、受付に出向く。
「これを貼ってくれないか」
カルミは手の甲に貼れる大きさのシールのようなものを俺によこした。柄もなくただ真っ白なシールに見える。
「どこに貼ればいい?」
「体ならどの部分でもOKです」
受付の可愛らしいピンクの髪をした女の子が答えてくれた。
俺がそれを右手の甲に張り付けると、いくつもの線を帯び、やがて飲み込まれるように消えて、目では見えなくなる。
「少し待っていてください……上根理久、男性で間違いないですか?」
「えっ、はい」
「では、こちらを装着してオプションメニューを開いてください」
今度はどう見ても腕時計を渡される。十二時二十分を指していた。
「指輪とかもあるけど、坊やは腕時計にしておいた。左利きだよな、なら右手に時計をして、メニューを開くんだ」
「えっ、えっ! どうやって?」
俺は軽い混乱状態に陥る。
「大まかに説明すると、その時計にはこの都市のデータなどが内蔵されている。さっきのシールはそのデータを閲覧でき、照合できるシステムが組み込まれてるんだ。それを埋め込んだから、その人の意志でメニュー画面も開ける。慣れると目だけで行けるが、最初のうちはこんなふうに呼び出せばいい」
カルミは人差し指を振る。
時計のバンドをして、カルミにならって、指を横に動かすと確かに何かウインドウが目の前に出てきた。
「下にスライドしていくと、オプションメニューがあるはずです」
「ありました」
「それを指で触れてください」
俺の個人情報が出てくる。身長、体重、家族構成……
「本人で間違いなければ、承認ボタンを押してください」
「わるいな、坊や。この先に行くには認証許可が必要なんだ」
カルミは出ているウインドウを見ながら、俺に言う。
「それはいいよ、別に……承認ボタン、押しました」
「確認しました。では、こちらで再起動させますから、一旦画面を閉じてください」
「……閉じました」
「ありがとうございます」
「坊やの認証許可が下りるのに、どのくらいかかる?」
「素行に問題がなければ、十分くらいです。認証許可を出すのが私なら、もう終わってますよ。結構タイプです」
受付の人は俺に笑顔を向けて、首をかしげる。
「やばっ、運命の出会いかも。何かわからないことがあったら、なんでも言ってくださいね」
「どうもです」
「お前、認証受ける男にはみんなそんなこと言ってるのか?」
「失礼ですよ、カルミさん。初めて口にしました。認証希望者は大体が弾かれます。私が担当時はまだ誰も認証許可おりてないはずです……喉乾いたでしょ。冷たい物何か持ってくるね」
「好かれたいアピールか……」
「ただの親切ですよ」
彼女は俺に笑顔を向けてから、席を立った。
「おい、彼女には気を付けろよ。ややこしいことになったら、坊やの負担が増すだけだからな」
「どこに気を付けんだよ。いい人じゃないか、可愛いし」
「可愛いねえ……否定しないが、坊やは根本的に考えが甘いな。大体の女は用意周到だぞ。警戒してないと、そのうちに痛い目を見ることになる」
カルミは先ほど女性が座っていた席に陣取り、何やら作業を始めたみたいだ。
俺はそれをぼっ~と眺めて時間をつぶす。
「お待たせ。下界では冷たい紅茶って言うのかな? どうぞ」
「ありがとうございます」
出されたそれを喉が渇いていたため、半分くらい一気に飲んだ。
「ここは地上よりも少し酸素が少ないからな、酸欠にならないように気を付けろよ。すぐ慣れるとは思うけどな」
俺の隣に戻ったカルミは、ストローを使わず紅茶を一気に飲み干した。
「坊やの情報は僕がすべて管理する」
「それって、職権乱用じゃありません?」
「うるさいな。最低限、お前には閲覧を許可してやるから、システムに異常があればすぐにブロックしろ。それと、個人的に情報を元にアプローチすることは許さない」
「……その子が私にアプローチしてくればいいんですよね?」
「ダメだ! 突っぱねろ。ただでさえ大変なんだ」
受付の女の子は、口を尖らせ頬を膨らませる。
「恋の邪魔、嫌だな、嫌いだなあ」
「文句を言うな。恋愛したければ、他にたくさんいるだろうが!」
「この子は居ません……僕、再起動したから、もう一度ウインドウを出してください」
「あっ、はい」
「しばらく、坊やの体調を監視して、異常があれば自動で回復させておいてくれ。特に頭痛に注意してな。FCSの初心者は稀に頭痛を引き起こすことが判明してる。まあ、すぐ適応できるが」
「わかってますよ。この子の体はわたしが面倒をみます」
「……変なことするなよ」
「失礼な。すべての情報を共有ですか? それとも部分的?」
「すべてで構わない。後から変更するのは面倒だからな。それから戦闘能力を自動感知にしておいてくれ」
「は~い……初期設定は終わりました」
「なんか認証完了って出てるけど」
俺はウインドウに表示されたメッセージを読む。
「よかったな。悪人扱いされてないようだ。OKを押すんだ」
「うん」
OKをタップする。
「モクモ都市へようこそ!」
受付のお姉さんが笑顔で挨拶した。