第1話「死者の案内人カルミ」
ようやく1話と言うことで、始まりはここからです。
ゴールデンウイークが終わり、強い日差しが照り返すアスファルトの上を俺は無気力に進んでいた。
平日の大学病院。午前中の院内は予約客でいつも通り、混雑している様子だった。一階エレベーターの上昇ボタンを押し、病院指定のパジャマを着用していた女性とともにエレベーター内へ。
「何階ですか?」
女の人は親切に訊いてくれる。
「すいません、五階です」
俺の服装が珍しいのか、その人は随分と俺を観察していた。ブレザーの制服姿だからだろうな。
平日の昼間にこの姿で病院に見舞いに来ている人はあんまりいないだろう。女性を残して、俺は五階の脳神経外科病棟で降りる。
ナースステーションの前を通ると、看護師さんたちが軽く頭を下げてくれた。
503号室の個室の前に立ち、ドアをゆっくりと引き、中へ。
「ゆみ……」
ベッドに寝ている同級生で幼馴染の女の子は、今日も目を閉じたまま。栄養は点滴を使って行っていて、一カ月がたった今も意識が回復していなかった。
俺はベッドの隣にある丸椅子に腰かけ、彼女の手を握る。
「理久くん、今日も来てくれたんだ。あっ、そのまま握っていてあげて……五月なのに、暑いわね。下で飲み物でも買ってくるわね」
ゆみのお母さんは、引き返すように病室を出ていく。俺はゆみの手を握ったまま、変わらない彼女の容体に責任を感じて下を向いた。
「……」
ふと、病室内に誰かがいる気がして、顔を上げる。
床に着きそうなくらいの銀髪の長髪が、窓から入る微風で揺れていた。白のワンピースに黄色のカーディガンを来た同年代だろうか、とにかく女の子がゆみの顔に触れていた。
「誰? ゆみの友達か?」
俺はおかしなことに半透明なその子に声をかける。
「ほう、驚いたな。僕が見えるのか。種族識別能力を生まれつき持っているようだな。坊や……」
結ばれていた口が開く。キツネ顔のような美人だ。
「なにを言っているのか、さっぱりわからない」
「当然だな。見えるなら仕方ない。自己紹介しよう、カルミという。この子の友達ではないよ」
「病室を間違えたんなら、出て行ってくれないか?」
「いや、病室は間違っていない。僕は仕事でここに来ている」
「仕事……」
俺は女の子に警戒心を発動させる。どうみても医師や看護師には見えない。
「そうだ。僕の仕事は死者の案内人」
俺を見据えたカルミは、風が吹けば飛ばされそうな華奢な体つきだ。
「死者の案内人……」
俺は立ち上がって、彼女の言葉をリピートした。聞いたこともないその職種に体が小刻みに震えだす。俺をからかったり、嘘をついているようには思えないし、そんなことする意味も思いつかない。
「この子の生命力はもうすぐ……」
「言うな!」
俺は大声でカルミの言葉を遮る。
何事かと看護師さんが二人病室に来たのを、なんとか理由付けをして返らせた。どうやら看護師さんたちにはカルミの姿は見えないらしい。
「はあ、はあ……」
その場に倒れてしまいそうな精神状態だ。拳を握りしめ、なんとか意識を保つ。
「気持ちはわかる。だけど、人には寿命がある。それはなにも老衰だけじゃない、病死や事故死だって含まれるんだ」
「そんなのわかってる、わかってるよ。あんたの言葉の先も想像している……けど、ゆみが事故にあった原因を作ったのは俺だ。こうなっているのは俺じゃなきゃ……ゆみがこんなことになる必要なんて……」
「事情は見たよ。だが原因は坊やじゃない、この子だ。それにそこは関係ない。僕の仕事は彼女の……」
「なんとかしてくれ! お願いします!」
俺は頭をつけ土下座する。涙が頬を伝ってきた。
なんでもいいからすがる思いだ。
「そんなことされても僕に出来ることは……」
「なんかあるだろ! あんた、なんか普通じゃない感じだし……そうだ、俺の寿命をやるよ! それでゆみの寿命を延ばしてくれ!」
「おいおい、むちゃくちゃ言うな。出来たとして、坊やが死んでしまうぞ」
「それでもいいよ。俺が生きているより、ゆみが生きているほうが、世の中に利益がありそうだ」
「誰かの為を考えるのはおおいに結構だが、自分の命を粗末にするな! 精一杯生きようとしていない者に奇跡は起こせない」
「じゃあ今から精一杯生きるから、奇跡を起こさせてくれ!」
俺の言葉を聞いて、カルミは困った顔で頭を搔いた。
「そう来たか……命を賭ける覚悟が坊やにあるか?」
「ああ」
俺は顔を上げ、真っすぐにカルミを見つめる。
「本気か……僕が見えたのは運命かもな……彼女を戻す方法というか、死者にさせない方法は、今ならあるにはある」
「ほんとですか!」
俺は立ち上がり、彼女の消えそうな手に触れた。
「調子のいい奴だな。敬語を使わないでいい。ただし、それにはこの子の頑張りが必要だし、坊やの力も必要になってくる。時間もない。徒労に終わるかもしれない。成功したとしても、その代償はしばらく背負うことになるんだ。それでもやってみるか?」
「やる!」
「いいだろう。坊やがどうなっても責任は取らないぞ。少し待ってろ。この子の今の肉体の状態を正確に把握する」
カルミはゆみの手を取り、目を閉じる。
「思ったよりも時間がないな」
カルミは俺の前を通り、ゆみの足元に回り、足裏を触れた。
「これでいい。残された時間、どう転ぼうとも、この子にも精一杯生きてもらう……ここでこれ以上話すのは得策じゃない。母親が戻ってくるかもしれないからな。窓の外に見える木陰の傍にベンチがあるな。すぐそこに来い。簡単に僕のことと、坊やのすべきことを話してやる」
カルミはそれだけ言うと、完全に俺の視界からぱっと姿を消した。