悪役令嬢に転生した少年と悪役令嬢の兄に転生した少女の逃避行
「エルフィメラ・アルバーク! 私セリアス・リームラントは貴様との婚約を破棄する!!」
リームラント王国の第一王子、セリアス・リームラントはそう高らかに宣言した。
彼の指はまっすぐ俺――エルフィメラ・アルバーク公爵令嬢――をさしている。
場所は王立学院の卒業パーティー会場。
学院の卒業生とその両親、教職員。
色とりどりのドレスと礼服で着飾った彼らでごった返している会場のど真ん中で、セリアス殿下は金髪碧眼の、まるで絵本から抜け出した王子様のようだと評されるその顔を、憤怒の表情に歪めていた。
セリアス殿下の脇には蜂蜜色の髪を持つ少女が寄り添い、桃花色の瞳に涙をためつつこちらの様子をチラチラ窺っている。
そして彼女を守るように騎士団長子息と魔導師団長子息、それに留学生である隣国の第三王子が彼女の周りを取り囲んでいた。
――ついに、この時がきたか。
俺は隣にいる双子の兄、ランディール・アルバークに視線を移す。
目と目が合う。
ランディールは俺の視線を受け止め、ゆっくり頷いた。
――ここが正念場だ。失敗は許されない。
これから始まる俺の断罪イベント。そして降りかかる身の破滅。
その破滅の未来を回避すべく、俺たち二人は前世の記憶を取り戻したあの日から、ずっと動いてきたのだ。
そう、あの日から――
◇◇◇◇◇
「エルフィ、貴方って転生者だよね?」
双子の兄、ランディールが聞いてきたのは、セリアスとかいうガキをチョークスリーパーで絞め落としている時だった。
「僕は将来、国王になる男だ」とか「お前は僕の許嫁なのだから黙って命令を聞け」とか生意気な事言うので黙らせたのだ。
エルフィというのは俺、エルフィメラ・アルバークの愛称だ。
「……てんせーしゃって何だ、ランディ?」
完全に落ちた糞ガキをそこらに転がした俺は、聞きなれない言葉に首を傾げる。
ランディは、双子の兄ランディールの愛称。
彼は手鏡を片手に持ち、しきりに自分の顔を色んな角度で眺めながら答えた。
「前世の記憶を持ってるかって事。今朝までのエルフィと今のエルフィ、全然性格違うよ。前世の記憶、取り戻したんじゃない?」
前世の記憶なら……ある。
というか、あれは前世だったのか。
今朝、5歳になった俺はリームラント王国の宰相である父に連れられ城に行き、そこで婚約者としてセリアス王子と引き合わされた。
その瞬間、怒涛のように押し寄せた記憶の奔流。
日本に生まれ成長し男子高校生になり、そして高2の夏。必死に貯めたバイト代で買ったバイクに跨った俺は、峠道でスピードを出し過ぎ曲がりきれず――
「……俺は死んだのか」
前世の記憶はとても鮮明で、もしかしたらここは高校生の俺が見ている夢なのでは? と思っていた。
でも、ガードレールに激突した衝撃で投げ出された自分の身体が、谷底に落ちて行ったのも覚えている。あの高さじゃ助かりようもないか……。
「俺ってことは前世はやっぱり男の子なんだ。びっくりしちゃったよ。殿下と一緒に中庭に行ったと思ったら、急にプロレス技かけて気絶させちゃうんだもん。女の子ならそうそう出来ないよねー」
セリアスと出会い、記憶を取り戻した衝撃で呆然としていた俺。
それを見た父が「急に許嫁と言われ、緊張しているのか? 中庭に出て、子供同士仲良く遊んできなさい」と俺たちを送り出した。
中庭にきて大人の目がなくなると、それまで礼儀正しくしていたセリアスの態度が豹変する。
蘇った男子高校生の記憶と、今までエルフィメラとして生きてきた記憶。
ごっちゃになった二つの記憶を整理しようと考え込んでいた俺に「僕は国で一番偉い人間になるんだぞ」とか五月蠅く喚いてきた。
なのでチョークスリーパーで黙らせた。それが先ほどの出来事だった。
「因みに私は現役JKだったよ。徹ゲーして寝不足でふらふらしてたら、家の階段から足を滑らしてポックリ行っちゃったみたい」
「俺も高校生。バイクの自損事故で死んだみたいだ」
「あー、盗んだバイクで走りだしちゃった的な?」
「ちゃんとバイト代で買ったわ!」
「そっか、真面目にバイトしたんだね。ごめん、ごめん。えへへ……」
ランディの口調が気になる。
艶やかな黒髪、澄んだ青い瞳はバッサバッサの長い睫に囲まれている。それに抜けるような白い肌と、艶やかな赤い唇。
ぶっちゃけ、めっちゃ美少年だ。服さえ女ものなら誰でも美少女だと思うだろう。
俺、エルフィメラとランディは双子の兄妹で二卵性のはずだが、髪型以外は瓜二つだった。
だから女口調でも、変ではない筈だが……。
でもやっぱりエルフィメラの兄として5年、共に過ごしてきた記憶がある彼の口からオネェ言葉が出ると違和感半端ない。
あと、気になるといえば――
「なあ、ランディ。何でお前さっきから手鏡ばっか見てんだ?」
ランディは俺に声を掛けたときからずっと手鏡を見ている。
目にゴミが入った訳ではなさそうだが……?
「ほら、ランディ様って私の推しだし? 城のメイドさんに頼んで鏡借りたんだ。……やーん、子供時代のランディ様、超可愛い〜!」
ランディは「……愛しのリリィ、君は誰にも渡さない。君の瞳に私だけを映してくれ……」「きゃ〜! ランディ様素敵〜!!」と鏡を見ながら決め台詞らしきものを吐き、一人で悶絶している。
……推し?
きょとんとしている俺に一瞬目をやり、また手鏡に視線を戻しつつランディが言った。
「そっか、君は男の子だから乙女ゲーには詳しくないんだね。ここは18禁乙女ゲームの世界だよ」
なん……だと?
「よくある中世ヨーロッパ風ファンタジーの世界じゃないのか……」
「魔法はあるよ。王立の魔法学院がこのゲームの舞台だもん」
学院の存在は、エルフィの常識として知っていた。
この国の貴族は皆、魔力を持っている。そして王立学院で魔法を学ぶのが義務なのだ。
エルフィは公爵令嬢だ。魔法を使えるは嬉しい。
前世では剣と魔法の世界を舞台にしたゲームもやっていた。
それと同じように魔法を使えるというのは心が躍る。
でも――
「も、もしかして俺って、そのゲームのヒロインだったり……する……?」
乙女ゲームなんてやった事はないが、テレビCMは見たことある。
イケメン達が甘いセリフを言いながらヒロインに迫ってくる内容だろう。
しかもよりにもよって18禁らしい。
今は女の身体だが、前世の記憶が強く影響している今、心は完全に男だ。
いくらイケメンだろうが、男相手にあーんな事やこーんな事など真っ平御免である。
「ううん、ヒロインではないよ」
ランディの言葉にほっと胸を撫でおろ……
「嫉妬でヒロインを虐めた悪役令嬢として断罪されて、国外追放になった挙句、身ひとつで街道を歩いているところを野盗に襲われ、慰み者にされたあと殺されるけどね」
……せなかった!
何その展開!?
乙女ゲームの世界って、当て馬に容赦ないのな!!
こえーよ!!
「最悪だ……」
俺はがっくり項垂れた。
「最悪なのは私もだよ。私、攻略対象だよ? 心は女なのに、ヒロインとやるとか無理。それって精神的GLじゃない……」
ランディも項垂れている。
「ヒロインが他のキャラ選んだとしても、その時は当て馬の婚約者と結婚しなきゃだし、そもそも逆ハー推奨の18禁ゲーだから、ルート分岐の前にヒロインとやるイベントあるし……」
「そういえば随分この乙女ゲーに詳しいな。腐女子って奴か?」
「はああああああっ!? 私が腐女子!? ……はぁ〜〜〜っ、女のオタクを見るとすぐ腐女子認定する奴いるよね〜。オメー腐女子の意味知ってんのか? 腐女子言いたいだけだろ! って奴。私はNL至上主義なの! 腐女子と一緒にしないで! 男同士とか意味不明だし! ヒーローってのはね、ヒロインだけをぐずくずに愛してこそヒーローなのよ!! 推しの名前で検索してホモ絵とか腐った呟きがヒットするの、滅茶苦茶不快なんだから!! あとGLもダメだからね! 私はNL一筋なの! そこのとこ間違えないでくれる?!!」
めっちゃ早口だった。
どうやら彼女の逆鱗に触れてしまったらしい。
「お、おう……悪い。ランディは女オタクだったんだな」
俺が言い直すと、ランディは落ち着いてくれた。
「そーなの。高3でようやく18歳になって、念願の18禁ゲームが出来る! って寝る間を惜しんでゲームをしてて。……それでその後、寝不足でふらついた拍子に階段で足を滑らせて死んじゃうとはねぇ」
ランディはしんみりと言った。
「このゲーム、すごい人気の絵師様がデザイン手掛けていて、私の推し声優さんが声を担当しているランディが大好きだったの。もし死んだらランディ様のお顔を毎日堪能できる存在になりたいって願うくらい。まさかランディ様そのものに転生するとは思わなかったけど……」
「……俺は死ぬ時、残した両親に申し訳ないと思った。俺がバイクに乗らなければ、バイクの無い世界だったら、親を悲しませる事はなかったのに。……って思って死んだら、このザマだ」
「この世界の神様か、地球の神様か分からないけど、転生させてくれた神様って意地悪だよね」
「……だな」
願いを叶えているようで、決して幸せじゃない転生先。
俺たちを転生させた神様はたぶん性格悪いと思う。
「ま、愚痴を吐いてても仕方ない。どうやって俺が将来死なないようするか考えないと」
「殿下との婚約を解消して、当て馬じゃなくなるってのは無理よね。我が家から正当な理由なく、婚約解消なんて出来ないわ」
王家との婚約を解消するなんて、公爵家でもこちらから持ち掛けられるものじゃない。
俺がわざと王家の婚約者に相応しくない行動を取り、婚約を解消させられるというのも、公爵家へのダメージがデカすぎる。
5年とはいえ、俺を生み育ててくれた家だ。家族に迷惑は掛けられない。
「そもそも俺がヒロイン虐めなきゃオッケーじゃね?」
「転生もののネット小説だと、虐めてなくても断罪イベントが発生するみたい。ヒロインも転生者だったり、物語を進行させる強制力が働いたりするっぽいよ」
うーむ、俺がどうあがこうと断罪イベントは不可避なのか?
「なら身体を鍛えまくって、国外追放後襲ってくる野盗を返り討ちってのはどうだ?」
この国では高位貴族ほど魔力の高い者が多い。
公爵令嬢の俺も、鍛えれば野盗くらい倒せるはず。
「で、返り討ちした後は、そのまま冒険者になって第二の人生を歩む。いい案だろ!」
「うーん、その案も悪くないけど……」
いい案だと思ったのに、ランディはそうではないようだ。
これなら死ぬ事も、いけ好かない王子と結婚することもなく、貴族の娘の宿命である政略結婚を回避し、しがらみのない自由人になれるというのに。
因みに貴族に対する未練は俺にはない。
元が超庶民な男子高校生だからな。綺麗なドレスを纏って社交界デビューとか、罰ゲーム以外の何ものでもない。
「その案だとエルフィは自由に暮らせるのに、私はアルバーク家の跡取りとして女の子と結婚しなきゃらならくて、何か釈然としない」
「そんな理由かよ!」
「いいなー。私も国外追放されたーい」
ランディも貴族の身分に未練はないらしい。
「心は女なのに女の子と結婚なんて、心理的GLだよ!? だからと言って男の子と付き合ったら肉体的BLだし、そもそもアルバーク家はエルフィと私しかいないから、エルフィがいなくなったら私がお嫁さん貰って子供作らなきゃだし、NL至上主義の私には無理ゲーだって……」
気持ちは分からなくもない。
俺だって身体は女になったとはいえ、男に抱かれるなんて論外だ。
だが貴族に生まれたからには、家にとって有益な婚姻を結んで子供を作らなくてはならない。
それが貴族に生まれた者の義務だから。
例え俺がセリアス王子との婚約を解消したとしても、誰か別の男と婚約する事になるだろう。
そう考えると断罪され国外追放となるのは、案外俺にとってメリットがあるかもしれない。
「私も一緒に国外追放になるいい案はないかな?」
「難しくないか? そもそも俺もランディも追放されたら、アルバーク家の跡を継ぐ者がいなくなるぞ」
親戚とか跡を継げる人はいるだろうが、自分の代で直系の血を絶やしてしまうのは、少々気が引ける。
しかしランディが教えてくれなきゃ、俺は破滅の未来を歩んでいただろう。
それで俺だけ自由の身になるってのも、ランディに申し訳ない。
出来れば二人で国外脱出を目指したいな。
「跡継ぎは両親に頑張ってもらおうよ」
「その問題をクリアしたとしても、一緒に国外追放なんてどうやれば……」
「二人でヒロインを虐めるのは却下だよね」
「下手すりゃ次期王妃だもんな」
「そんな人間をアルバーク家の者が二人掛かりで虐めたなんて、お家取り潰しにされそう」
「もっと穏便に、家に迷惑を掛けずに、国を出る方法……か」
「うーん……」
俺たちはしばらく、どう二人して国から脱出するか相談していた。
しかし国からの脱出法も大事だが、それより気になる事が一つある。
「……お前さ、いつまで鏡見てんの?」
ランディは相談している最中もずっと鏡を眺めていた。
髪を掻き上げたり、笑ってみたり、ポーズを取ったりしながら。
「……え? ダメかな?」
「ナルシストっぽくて正直キモい」
「えぇーっ、そんなにダメ!?」
俺のダメ出しにランディはショックを受けている。
だが、本当の事だ。
俺にはエルフィとしてランディと共に過ごした、5年分の記憶がある。
生まれたときから一緒の兄が、鏡を見つめてニヤけている姿は正直見たくない。
「ランディ様のイメージ壊すような事はしたくないのよね。でもランディ様のお顔を堪能出来ないのも辛い……」
でもしょぼくれたランディを見るのも、居たたまれないな。
「……じゃあ、俺を見ればいいんじゃないか? ほら、俺たち同じ顔してるし」
俺たちは二卵性双生児なのに、そっくりな顔をしている。
ランディはスッキリした短い髪、俺は背中まで長く伸びた髪。
二人の違いは髪と服装だけだった。
鏡見てニヤつくより、双子の妹を見て笑っているほうが、傍から見てマシだろう。
「言われてみればランディ様と同じ顔してるわね!」
ランディが鏡を持っていないほうの手を、俺の頬に添えながら感心している。
バサバサの睫を瞬かせ、俺の顔に見入っていた。
「ちょ、おまっ。近いって!」
いきなり美少女顔な美少年が、間近に迫ってきてちょっとビビる。
俺は妙に焦りながら腕をつっぱね、ランディを押し返した。
……あー、びっくりした。
ランディとは兄妹で、同じ顔なんだけど。
でも今のエルフィは前世の記憶を取り戻し、人格の主体が男子高校生だった俺にシフトしている。
そんな状態だと見慣れた筈のランディのドアップが心臓に悪い。
「……ふふっ、エルフィ。これから宜しくね」
「お、おう……」
にっこりと美少女スマイルを見せるランディに、俺は妙にどぎまぎしながら答えたのだった。
◇◇◇◇◇
「貴様の悪行は全てばれているぞ、エルフィメラ!」
「悪行とはどのような事でしょう、殿下?」
指を突きつけ、唾を飛ばしながら声を張り上げるセリアス第一王子に、俺は尋ねた。
今にも「異議あり!」と叫びだしそうな勢いだな、おい。
因みに脳内では男言葉の俺だが、転生者仲間のランディ以外の人間の前では、貴族の令嬢らしい言葉遣いをしている。
なにせ前世は空気が読める日本人。TPOをわきまえた行動をするのは朝飯前だ。
「しらを切るつもりか! 嫉妬にかられた貴様がリリィにした非道の数々、知らぬとは言わせんぞ!」
リリィとは、さっきからセリアスにぴったり引っ付いている男爵令嬢リリアンヌのことだ。
彼女は愛らしい顔に涙を溜めて、生まれたての小鹿のようにぷるぷるしている。
その様子はぱっと見可憐で、保護欲を掻き立てられる小動物のようだった。
しかし、婚約者の目の前で詫びれもせずその男に抱きついているところを見ると、随分と図太い神経の持ち主のようだ。
そうでなくては彼女が学院に編入してからの一年で、王子を筆頭に学院内のイケメン有力貴族複数を籠絡など出来ない。
「とぼけるのなら、貴様の悪行を証拠と共に白日の下に晒してやろう!」
そして読み上げられる俺の罪状。
曰く、俺の取り巻きと共に男爵令嬢を無視した。
曰く、男爵令嬢の教科書をビリビリに破り捨てた。
曰く、男爵令嬢に泥水を掛け、服を駄目にした。
曰く、男爵令嬢を階段から突き落とし、怪我を負わそうとした。
しょぼっ!
異議あり! 俺の罪しょぼ過ぎだろ! やってないけど!
階段から突き落とすの以外は、小学生レベルの嫌がらせだぞ。
というか小学生の虐めのほうが、もっとエグイ気がする。幼稚園児以下だな。
「父上。……いえ、国王陛下!」
セリアスはキリリと国王陛下のほうに向きなおった。
「エルフィメラ・アルバークは醜い嫉妬の元、公爵家の権力を笠に着て取り巻きたちと共に、リリアンヌを苛め抜いてきました。このような卑劣な輩は我が妃に、そして我が国の貴族に相応しくありません。本日私セリアス・リームラントはエルフィメラ・アルバークとの婚約を解消し、新たにリリアンヌ・ワイズマンを婚約者と致します!」
セリアスの宣言に会場がどよめいた。
国王陛下は頭を抱えている。
「そしてエルフィメラ・アルバーク! 貴様は貴族の風上にも置けぬ。貴族の身分は剥奪し、国外追放としてくれよう!」
幼稚園レベルの虐めで国外追放って、刑が重すぎだろ。
暴行とか普通の犯罪やったら、一族皆殺しされる勢いの重刑になるんじゃないか、これ?
「あの、殿下。わたくし全く身に覚えが……」
「エルフィメラ! 貴様はまた私に口答えをするのか! 貴様はいつもそうだ。男を立てる事を知らず私に楯突き、可愛げの欠片もない。それに引き替え、リリィの可愛さといったら……」
人の台詞を遮って、セリアスが惚気だした。
もしかするとガキの頃、横柄な態度を取る度にプロレス技で矯正してやった事を根に持っているのかもしれない。
男爵令嬢が侍らしている取り巻きのうちの、騎士団長子息と魔導師団長子息もうんうん頷いている。
こいつらともガキの頃からの知り合いなんで、生意気な態度を都度矯正してやってたからな。
身体が大きくなってからはプロレス技は掛けないが(胸が当たったらご褒美になるからな)、剣でのしてる。
俺の剣技は学園一だった。
前世の記憶を取り戻してからの十数年、打倒野盗とその後冒険者として身を立てるべく、死にもの狂いで特訓してきた。
貴族のぼっちゃん達とは覚悟が違う。
そんな俺に彼らは入学当初、男尊女卑の思想を隠すことなく、上から目線で接してきた。
それを一つ一つ丁寧に、奴らのプライドごと剣で叩きのめしてやると、最近はもう俺に近寄らなくなっていた。
ついでに他の男子生徒も近づかなくなった。
俺の心は男のままなので、特に困る事はなかったが。
女子生徒にはやたらモテるようになった。
こちらは結構嬉しい。自分の身体が女なのが恨めしかった。
「セリアス殿下、宜しいでしょうか?」
俺の隣にいたランディが口を開いた。
ランディも俺と二人きりの時だけカマ口調だ。
他に人がいる際は、普通の男口調で喋っている。
「どうした、ランディール。いかに貴公の妹とはいえ、庇いだては許さんぞ」
「我が妹が為したという証拠はあるのでしょうか?」
「もちろんだとも。階段から突き落とされかけた場所に、ハンカチが落ちていた。この、エルフィメラ・アルバークのイニシャルが刺繍されたハンカチがな!」
ドヤァっとでも言いたそうな顔で、セリアスがハンカチを懐から取り出した。
何処にでもありそうな白いハンカチに、拙い刺繍が施されている。
こんな安っちそうなの持ってたっけ?
俺は自分のハンカチを取り出し、見比べてみた。
白く光沢のある、しっとりとした手触りのそれには、繊細な刺繍が至る所に施されている。
紛うことなき一級品だ。
やっぱりあれは俺のじゃなさそうだな。
公爵令嬢の俺は、常に身の回りの物を一級品で固められているのだから。
「これが我が妹の物だという証拠は?」
「あいつのイニシャルが入っているではないか! それに奴の後姿を見たとリリィが言っている! それが一番の証拠だ!!」
「……話になりませんね」
ランディは一つため息をついた。
「リリアンヌ嬢」
「……え?あ、はいっ」
「階段から突き落とされそうになったのは、いつですか?」
ランディに急に話を振られて、リリアンヌ男爵令嬢は上擦った返事をした。
「ちょうど一週間前の昼頃です。何とか手摺につかまって踏み留まれましたが、すごく怖かったですぅ……」
リリアンヌは目に涙を溜め、上目遣いにランディを見ている。
……馬鹿め。ランディに媚を売っても無駄だぞ。
奴の最萌えはランディだ。女など端から眼中にない。
「一週間前といえば……アリシア」
「……はい、ランディ様」
ランディの呼びかけに、野次馬の人だかりの中から一人の少女が歩み出てきた。
ランディの婚約者である侯爵令嬢だ。
「一週間前と言えばアリシア、君の家でお茶会を開いていたね」
「ええ、ランディ様から珍しい茶葉を頂きましたので。友人と共にエルフィ様もお呼びしましたわ」
アリシアがチラリと野次馬のほうを振り返ると、何人かの女子生徒が頷き返した。
紅い髪にアメジスト色の瞳。釣り目気味で気の強そうな印象を与える少女アリシア。
彼女は原作ではヒロインがランディルートに入ると、ブラコンなエルフィと一緒にヒロインを虐める当て馬になる。
それ以外のルートだと出番は少ないが、ブラコンのエルフィに虐められていた。
そんな彼女だが、ヒロインを虐める気もなくブラコンでもない俺とは良好な関係を保っている。
俺がセリアスと婚約して間もなく、ランディと婚約した彼女とは十年来の友人だ。
キツイ見た目とは裏腹に話してみるととても気さくで、心根が庶民な俺やランディとも話がよく合った。
「馬鹿な! 婚約者の妹だから庇いだてしているのだろ! 他の生徒達も公爵家が怖くて、真実を言えないだけだ!」
セリアスが喚いている。
「エルフィ達はお茶会の後、そのままアリシアの家に泊まっています」
バサリと、ランディは紙の束をセリアスに渡した。
「これは学生寮の外泊申請書と、入出館管理表です。学院から許可を得て借りてきました。当日お茶会に参加した者全員分あります」
「お招きした友人の中には、殿下の妹君もおられますわ」
「王女様はお茶会の後お帰りになったようです。が、エルフィが当時学院内にいなかったことは証明してくださるかと」
確かな物証と、信頼おける証人。
これで俺のアリバイは証明された。
手渡された資料を握りしめ、セリアスがぷるぷるしている。
「これが『証拠』というものですよ、殿下」
――ドヤァ。
見事なドヤ顔である。
原作ではドS枠な宰相の子息役であったランディ。ドSな表情がよく似合う。
彼の青い瞳が侮蔑の色を湛えスッと細められると、ギャラリーから女の子達の黄色い歓声が上がった。
「リリアンヌ嬢」
ランディの冷たい眼差しが、男爵令嬢を捉える。
「……な、何よ」
形勢の悪くなった男爵令嬢は、演技抜きで青い顔をしていた。
「エルフィに教科書を破られた日と、泥水を掛けられた日はいつかな?」
「……こ、細かい日にちなんて覚えてないわよ!」
これ以上追及されたくないのか、男爵令嬢はヒステリックに叫んだ。
「なら、私が教えてあげよう」
ランディはそう言うと、手のひらに収まる程度の小さい水晶球を取り出した。
水晶球は淡く光り、一条の光を壁に向けて放つ。
光の軌道上にいた野次馬がそれを避けるように移動すると、壁に大きな映像が映し出された。
前世でいうところのプロジェクターだ。
壁に投射された映像を見て、会場のざわめきが大きくなる。
「――四の月、十一日。放課後の教室での映像だ」
ランディは映像の端に表示された数字を見ながら言った。
映像の中の男爵令嬢は、誰もいない放課後の教室の中、鋏で自身の教科書を切り刻んでいる。
「――四の月、二十日。裏庭にある泉のほとりだ」
映像が切り替わる。
男爵令嬢はバケツに水を汲み、土を混ぜたそれを頭から被っていた。
「どちらの件も、エルフィは関わっていないようだが?」
ランディは獲物を追い詰める捕食者の顔をして、男爵令嬢に問いかけた。
「……あんた、転生者ね」
ギリっと歯が軋む音がした。
男爵令嬢がランディを睨み返している。
「道理で宰相子息のイベントだけ、全く起きないわけか」
忌々しげに男爵令嬢は吐き捨てた。
王子と取り巻きたちはというと、壁に映された映像と豹変した彼女の態度に、目を白黒させている。
――そう。
ランディは記憶が戻り帰宅したらすぐ、ゲームの情報を忘れないよう書き留めていた。
そしてゲームのヒロインが学院に編入してからずっと監視していたのだ。
ヒロインが悪意なく、攻略者と恋に落ちるなら構わなかった。
元から王子と結婚する意志は、俺にはない。
二人が自然と恋に落ち共に歩むことを選ぶなら。
その時は別の方法で国外脱出するつもりだった。
だが虐めイベントの起きる日、何も行動を起こさない俺に痺れを切らした男爵令嬢は、自ら虐めイベントを工作した。
ゲームだと虐めイベントを切っ掛けに、攻略者との関係が進展する。
男爵令嬢がここがゲームの世界だと知る転生者なのは明白だ。
ゲームのシナリオ通りに物事を進め、俺を踏み台にして攻略対象者たちとの恋愛を楽しんでいたのだから。
それなら俺たちも容赦する事はない。
「――殿下」
「……なっ、何だ?」
急にランディに呼び掛けられ、呆然としていたセリアスは上擦った声を上げた。
「エルフィの罪状に、取り巻きと共にリリアンヌ嬢を無視したとありますが……」
ランディは構わず言葉を続ける。
「……そ、そうだ! リリィは学院の女生徒が誰も自分に親しくしてくれないと泣いていたぞ! リリィに嫉妬したエルフィメラが皆を扇動したのだろ!!」
俺に攻撃する切っ掛けが出来て、セリアスは元気を取り戻し叫んだ。
「そもそもリリアンヌ嬢に、他の女生徒と親交を深める時間など無かったのです」
ランディの手にある水晶球が明滅すると、壁に投射されていた映像が切り替わる。
周囲から息を飲む音が聞こえた。
「――四の月、一日。殿下と薔薇の庭園にて」
薔薇で彩られた庭園のなか、男爵令嬢とセリアスが口づけをしている映像が映し出された。
王立学院、最終学年の新学期。
庶民ながら高い魔力を保有していたヒロインは、男爵家の養女となり学院に編入してくる。
四月一日は、その初日だ。
乙女ゲーの世界とはいえ婚約者がある身でありながら、出会った女と出会った初日にキスするセリアス王子は人としてどうなんだ?
手が早すぎだろ。
「――翌、二日。騎士団長子息と訓練場にて」
映像が切り替わる。
映像の中の男爵令嬢と騎士団長子息は熱いキスを交わしていた。
男爵令嬢は騎士団長子息の首に腕を回している。
無理やりされている様子には見えない。
「ちょっと! 何よこれ!? こんなの聞いてないわ! 止めなさいよ!!」
「リリィ、これはどういう事だ?」
ランディに掴みかかろうとした男爵令嬢は、セリアスと取り巻きたちによって動きを封じられた。
あれだけいつも男爵令嬢は男を侍らせていたのに、自分以外とは清いお付き合いだと思っていたのだろうか。
おめでたい奴らだ。
「――翌、三日。魔導師団長子息と図書館にて。その翌四日、第三王子と音楽堂にて」
男爵令嬢たちが揉めている間にも、映像は切り替わっていった。
第三王子は芸術を愛する設定らしいので、現場が音楽堂なんだそうだ。
「授業が終わればすぐ男と共に消えていくリリアンヌ嬢。女生徒たちがどうすれば彼女と親交を深められるのか、私には分かりかねますね」
ランディが肩をすくめた。
女生徒たちはうんうん頷いている。
「リリアンヌ嬢の孤立は、彼女自身が引き起こしたものです。エルフィは関係ない。今提示した証拠が、それを示しているでしょう」
男爵令嬢が編入してきた当初、爵位の低い令嬢のなかには彼女を気にかけている者もいた。
しかしモブには興味ないとばかりにそれを無視し、彼女はイケメンの攻略にいそしんでいたのだ。
友達など出来るはずがない。
証拠は出揃った。
これで断罪イベントの罪状は、全て潰したことになる。
この世界を舞台にしたゲームをそれこそ死ぬほどやり込んだランディにとって、イベントスチル画像を回収するのは造作もないことだった。
――だが、これで終わりではない。
むしろ、これからが本番だ。
俺とランディがこの国を出ていく流れにするには、もう一波乱必要だからな。
「リリアンヌ嬢が特定の男とばかり行動を共にしていた証拠は、他にもあります」
ランディが水晶球を操作する。
切り替わった映像に、会場が大きくどよめいた。
「――四の月、二十日。放課後の教室にて、殿下と服を着たまま」
四月二十日。
泥水ぶっ掛け事件の日だ。
ゲームだとエルフィメラによってずぶ濡れにされたヒロインは学院内を彷徨って、セリアス王子と遭遇する。
王子はびしょ濡れのブレザーを脱がせ自分の上着を掛けようとするが、濡れたブラウスによって強調された肢体に目を奪われ、襲ってしまうのだ。
映像内の彼女はぶっ掛けイベントを回避した俺に代わり自ら泥水を被り、ゲームのシナリオ通り王子攻略イベントをこなしていた。
「――翌、二十一日。訓練場更衣室にて、騎士団長子息を口で」
映像が切り替わった。
会場のざわめきが大きくなる。
他の攻略対象者も大筋は、当て馬な俺に虐められ傷心したヒロインの姿に心を動かされ、いたしてしまう。というストーリーラインだ。
虐められ心が傷ついているところでその仕打ちって、どうなの? と思うが、そこは18禁乙女ゲーだもんな。
心を慰める為に、身体を慰めるのが定石なのだろう。
「――翌、二十二日。魔道具準備室にて、魔導師団長子息に縛られたまま」
「――翌、二十三日。美術室にて、第三王子が手で」
彼女は4日連続で手籠めにされていた。
学院に編入してから一か月も経っていない。
この学院の治安が少し心配になってくる。
それにしても騎士団長子息と魔導師団長子息は酷いな。
虐められ、落ち込んでいる少女にする仕打ちじゃないだろ。
手だけの第三王子が紳士に見えてくるぞ。
会場の人々は切り替わる映像に、顔を赤くしたり青くしたりと忙しかった。
彼らの様子など気に掛けることなく、ランディは水晶球の操作を続ける。
「――四の月、三十日。裏庭の泉のほとりにて、殿下と立ったまま」
二度目で外とはなかなかアグレッシブだな、王子。
相手が俺じゃなくて良かった。
「――五の月、二日。訓練場更衣室にて、騎士団長子息と後ろから」
「――五の月、六日。魔術実験室にて、魔導師団長子息の杖で」
「――五の月、十日。講堂にて、第三王子に乗って」
四月の怒涛の連続イベントとは違い、イベントの間隔が空いてくる。
その間もやっていたかもしれないが、ゲームで発生していたもの以外はランディも回収出来なかった。
にしても魔導師団長子息よ。杖って何だ、杖って。
杖はそうやって使うものじゃないだろ!
杖をどう使ったか、ランディは言っていない。
この卒業パーティー会場にいる者は全て18歳以上だ。
だが貴族の令嬢は、結婚するまで純潔を守るのを良しとされている。
令息にしたって、下手な相手といたして跡継ぎ問題を発生たせたら大問題だ。
学院生徒のほとんどは清らかな乙女であり、清らかなチェリー君だった。
なので15歳位の少年少女が聞いても問題ない言葉しか、ランディは発しない。
……映像は無修正だけどな!
下手に暈しとか入れると、映像の信ぴょう性を疑われるから仕方がない。
刺激が強いかもしれないが我慢してくれ。
「――五の月、十五日。薔薇の庭園にて、殿下と後ろで」
映像はまだ続いていた。
また外かよ! しかもそっち使うの!?
自分の婚約者が正直怖い。
相手が俺じゃなくて本当に良かった。
「――五の月、十六日。訓練場更衣室にて、騎士団長子息と互いに口で」
騎士団長子息、お前は訓練場ばかりだな。
スタッフが背景のリソースをケチったのだろうか?
「――五の月、十九日。授業中、魔導師団長子息の魔道具を身に着けたまま」
……魔導師団長子息君。
お前、何やってるんだ?
俺は君の嗜好が心配になってきたよ。
「――五の月、二十三日。音楽堂にて、第三王子と普通に」
第三王子は芸術好きって以外、キャラが立っていないのだろうか?
他の攻略対象者と比べて、内容が薄い。
ランディの説明も雑だった。
――と、どこかで誰かが倒れる音がした。
騎士団長子息の婚約者だ。
彼女は彼女の両親に連れられ、会場を後にした。
騎士団長の夫人はさめざめと泣いており、彼女の肩を騎士団長が抱き寄せている。
魔導師団長子息の婚約者は、唇を噛み拳をきつく握りしめ、その身を震わせていた。
……魔導師団長子息の婚約者にとっては、良かったんじゃないかな?
結婚した後、彼の特殊な趣味嗜好が判明したら、堪ったもんじゃないだろう。
この世界じゃ、貴族の女性は気軽に離婚できない。
結婚する前にヤバい奴だと知れて何よりだと思ってくれ。
「――六の月、五日。物見塔にて……」
その後もランディによって、男爵令嬢の淫行の数々が明らかにされていった。
初めはざわついていた会場も静まり返り、バカ息子を持った夫人たちのすすり泣く声が時おり聞こえくる。
男爵令嬢はというと「違うの! こんなシナリオあり得ない!」と叫んでいたが、衛兵に引きずられてどこかに行ってしまった。
魔導師団長子息の婚約者は、魔導師団長子息がリードの付いた犬用の首輪としっぽのアクセサリーだけを身に着けた男爵令嬢と、夜の裏庭をお散歩している映像が流れたあたりで両親と共に退出していった。
立ち去り際、彼女が婚約者に向けたゴミを見るような眼差しが印象的だった。
他の女生徒たちも似たような目を、攻略対象者に向けている。
彼らが一人の男爵令嬢に熱を上げていたのは、誰もが知ることであった。
だが優秀で将来有望な彼らが、まさかここま爛れた生活をしているとは思わなかったのだろう。
男爵令嬢が現れる一年前まで女生徒の憧れの眼差しをを一身に浴びていた彼らが、今では侮蔑の視線を一身に浴びていた。
男子生徒はというと――
…………。
彼らの名誉の為、細かい描写はやめておこう。
彼らは悪くない。健全な男子なだけだ。
前傾姿勢な男子生徒たちから、俺はそっと視線を外した。
「――以上がリリアンヌ嬢の放課後の行動です。四股を維持するには、他の生徒との交友を制限する必要があったと推測されます」
ランディがそう締めくくったとき、反論する者は誰もいなかった。
うん。いい感じだ。
これならきっとあの計画も上手く。
「父上」
ランディは会場をぐるりと見回し、俺たちの父親の姿を見とめると、彼に呼びかけた。
断罪イベントが始まって以来、超絶空気だった親父。
母と一緒に青ざめた顔で棒立ちしていた彼は、ランディに話を振られ「な、なんだ」と頼りなさげな返事をした。
「セリアス殿下からの婚約破棄の話は承りましょう」
「ああ……そうだな」
散々婚約者の破廉恥映像を観たあとだ、親父はすんなり受け入れた。
「……なっ、待ってくれ! 私はリリアンヌに騙されていただけで……!」
「散々不貞行為を行ってきた貴方の意見は聞いておりません」
セリアスは反論し掛けたが、ランディにひと睨みされると押し黙ってしまった。
最初の威勢はどこいったんだ? 根性ないな。
「一方的な婚約破棄に不貞行為、そして公の場で事実無根の誹謗中傷。これらの慰謝料を王家に対し請求してください、父上」
ランディの提案に頷く親父。
国王陛下からも反論は返ってこない。
よし、第一関門クリアだ。
ここで資金をゲットしておかないと、後の作戦に支障をきたす。
「――そして国外追放処分も承ります」
「エルフィは悪くないのに、何故そのような事を!?」
流石にこっちは簡単には頷いてくれないか。
「多くの貴族が集まるこのような場所で貶められたのです。エルフィに非がなくとも、この国にいれば好奇の目に晒され続ける。愛する妹がこれ以上辱められるのは耐えられません」
「だからといって、国外追放など……」
頼りなさそうな親父だが、ランディに丸め込まれることはなかった。
「――もういいのです、お父様」
鈴の音のような透き通った声。
静まり返った会場に、悲しみに満ちた美しい声が響き渡る。
もちろん俺の声だ。
「五つの時、セリアス殿下の婚約者に選ばれてから、わたくしは未来の王妃として殿下を支えられるよう、ずっと努力して参りました。殿下の為、国の為、血の滲むような努力をずっと……」
俺は目に涙を溜めていた。
さっきから瞬きを我慢しているので、目が痛い。
王妃教育は厳しいものだった。
でもそれは5歳の子供に要求するには高度ってだけで、前世で17年生きた俺にとっては、そこまで苦痛ではなかったが。
知力ブーストの切れる十台半ば頃には、それまでの努力とエルフィメラ自身の高スペック能力のお陰で、いい感じの淑女に成長できた。
「殿下に裏切られた今、この国の思い出の全てが……わたくしには辛いのです……」
俺はゆっくり目を閉じた。
はらり、と一粒の涙が頬を伝う。
あー……目が痛かった。目がヒリヒリするな。
「エルフィ……」
親父が悲痛な面持ちで、俺を見ている。
周りの人間、誰もが大体似たような表情を浮かべていた。
何せ俺は、濡れ羽のような艶やかな黒髪に、深海のような深い青の瞳をもつ色白美少女ちゃんだ。
そんな可愛い子ちゃんが悲劇の令嬢よろしく涙を流せば、同情しない奴などいない。
どんな奴でもイチコロだ。
「――だが、エルフィ。愛しい君を一人にはしないよ」
ランディが俺をひしと掻き抱いた。
「お兄様……」
ランディの腕の中、俺はランディを見上げた。
「私も一緒に国を出よう」
「お兄様……!」
傷心の妹を守るため、貴族の身分を捨て、共に国を出る兄。
――美しい兄弟愛だ。
これが俺たちが練った、穏便な国外逃亡のシナリオだった。
名付けて「ビッチヒロインの衝撃映像で混乱している隙に、何だかいい話っぽい雰囲気を醸し出し、ノリと勢いで逃げ出してしまおう大作戦」である。
長いな。
ランディの片手が、俺の頬に添えられた。
俺の顔をじっと見てくる。
子供の頃からの癖だ。
まだ幼く瓜二つの容姿をしていた子供時代、ランディは鏡代わりに俺の顔をよく覗き込んでた。
今ではランディはスラリとした知的イケメン。俺は人形のように繊細な美少女と成長し、別々の容姿になっている。
でも幼少期の癖が抜けないのか、ランディはこうやって俺を時折見つめてきた。
そうまじまじ見られると、リアクションに困るのだが……。
どうしたものかとそのまま自分の顔を見つめさせていると、ランディの顔が近づいてきた。
…………?
ランディの熱っぽい目が間近に迫る。
………………。
ふぁっ!!!!????
い、今、口に発生した柔らかい感触は……!?
「愛しているよ、エルフィ」
ランディは嫣然と微笑んでいる。
え? え? 何今の?
こんな作戦聞いてないぞ??
「……ほら、エルフィも話を合わせないと」
ビクッ。
耳元で囁かれ、背筋がぞわっとした。
ひいぃぃぃ、耳がこそばゆい。
え……えっと、何だっけ?
話を合わせればいいのか。
「……わっ、わたくしも愛しておりますわ、お兄様!」
突然のことに混乱した俺は、取りあえずランディに抱きつき返した。
当初の予定と違うシナリオのせいで、心臓がバクバク言ってる。
アドリブに弱いのかな、俺。
何か変な汗が出てきた。
ランディは顔を真っ赤にしている俺とは対照的に、涼しい顔をして話を進めていく。
「父上、家督は弟に譲ります。私が内政チートで手に入れた特許の名義は全て父上に変更しました。これを私とエルフィに掛けた養育費としてください」
原作では二人兄妹だった俺たちだが、今は弟がいる。
前世の記憶が蘇ったあとすぐ、弟か妹が欲しいと親に強請った結果だ。
「すまない、アリシア。君とは結婚できそうにない。ご覧の通り私は妹にしか反応しないタチでね。君との子は為せそうにないんだ、申し訳ない」
ランディは自身の婚約者アリシアに向きなおると、心苦しそうに言った。
そして婚約解消の慰謝料として、俺の婚約破棄で王国から貰う慰謝料を渡すよう、親父に指示を出す。
あとは正気に戻った彼らに「盗撮がー」「プライバシーの侵害がー」などと難癖つけられる前にトンズラするだけだ。
「じゃ、そういう事で」と俺をお姫様抱っこしたランディが会場を立ち去ろうとしたとき――
「そんな……」
アリシアがへたりとその場に崩れ落ちた。
「……ランディ様の私に向ける愛情が、恋愛ではなく友愛なのは薄々察しておりました」
アリシアはおそらくこの騒ぎの一番の被害者だ。
何の非もなく、こんな形で婚約解消を言い渡されるのだから。
「誰かほかに想い人が……とも思いましたが、特定の女性と親しくすることはなくて……だから……」
何かに耐えるように、アリシアは自身のドレスをぎゅっと掴んでいる。
十年来の友人の、打ちひしがれた姿が痛々しい。
悲しみに暮れる彼女の姿に、胸が痛む。
ごめんね、アリシア。
自分たちの幸せのためにしてきた行為が、果たして正しかったのか分からなくなる。
「だから、ガチホモキタコレ! と思っていたのに!! 学院入ったらイケメン攻め様がより取り見取りで、妙に仕草が女っぽいランディ様総受けのBL学園美味しいです! してたのに!! 来世は禁断の愛に悶えるイケメンを間近で見たいと思って死んだ私の願いを、神様が叶えてくれたと喜んでいたのに!! なのに攻めはぽっと出の女が掻っ攫っていくし、受けは禁断の愛とはいっても近親相姦に走るし! 近親相姦でも兄弟なら大好物なのに、何で妹なの!? 何の罰ゲームよ!? 私を転生させた神様、性格悪過ぎでしょ!!」
…………お、おう。
アリシアは泣きながら叫んでいた。
めっちゃ早口だった。
これが腐女子か。初めて見た。
攻めとか受けとかよく分からんが、腐女子用語だろうか?
というかアリシアも転生者だったんだな。
俺やランディと話が合うのも納得だ。
「……これからは、この思い出を胸に生きていきます」
ひとしきり泣いたアリシアは立ち上がると、涙をぬぐい笑顔を向けてくれた。
彼女の手には、はがきサイズの紙が何枚か握られていた。
魔道具で撮影された、前世で言うところの写真だ。
そこにはテラスで優雅に紅茶を飲む殿下とランディや、剣の稽古後、上半身裸で汗をタオルで拭く騎士団長子息とランディ、顔を寄せて一つの魔導書を読む魔導師団長子息とランディや、仲良くピアノを連弾している第三王子とランディ等が写っていた。
いつの間に盗撮してんたんだ!?
ていうか、婚約者を盗撮するか普通!?
……と突っ込める雰囲気ではなかったので、心の中で突っ込むだけに留めておく。
「ランディ様、今まで素敵な萌えをありがとうございました!」
彼女は45度の綺麗なお辞儀で、俺たちを見送ってくれた。
地雷を踏んで暴れるタイプのオタクじゃなくて良かった。
「……う、うん。アリシア、今までありがとね」
腐女子嫌いのランディも彼女をなじる気はないのか、ドン引きしつつも笑顔を返した。
「じゃ、そういう事で!」
ランディにお姫様抱っこされている俺がしゅたっと片手を上げ、ランディが風の魔法を発動させる。
後から「アリシア様、同性愛に興味がありましたのね」「でしたら男同士より女同士のほうがいいですわよ」「え、え? 私GLは地雷なんだけど……」「アリシア様はわたくし達に身を任せて下されば、それでいいのです」「やっ、ちょっと待ってみんな! どこ触ってるの!?」とか聞こえてきた気がするが無視だ。
魔法の風が俺たちを包み、高速飛行で俺たちはその場を立ち去った。
かくして俺たちは無事、断罪イベントを消化する事が出来たのだった。
◇◇◇◇◇
王国と隣国を繋ぐ街道から、少し外れた森の中。
森の開けた場所に、俺たちは高速飛行の魔法で降り立った。
そこにはあらかじめ、国を出た俺たちが冒険者になるための装備と道具類を置いてある。
「はあ〜、これで自由の身だな」
一大イベントの緊張感から解放され、俺は大きなため息をついた。
「突っ込みどころの多い作戦だったけど、案外上手くいったね」
ランディも先程までの冷たい雰囲気はなく、和らいだ表情を見せていた。
確かに俺たちの立てた作戦は、ノリと勢いで押し通した雑なものだった。
この作戦が成功したのは、ひとえに糞ビッチヒロインの衝撃映像のお陰だろう。
主演女優賞ものだな。
あ、作戦といえば……
「おい、ランディ。さっきのあれは何だよ、あれは!?」
「……ん? あれって?」
睨みつける俺に、ランディが首を傾げた。
「あれだよ! あんな作戦聞いてないぞ。お、俺の口に……ちゅー……なんて……」
言ってる内に、さっきの感触を思い出し恥ずかしくなってくる。
尻すぼみに声が小さくなっていく俺に、ランディは飄々として言った。
「ああ、あれね。アリシアと婚約解消のとき普通にするより、相手が近親相姦のド変態野郎だった。としたほうがアリシアへのダメージが少なくて済むかと思って、つい」
てへぺろ。
ランディがいたずらっ子のような顔で笑っている。
18の男がそんな顔をしても可愛くないぞ、コラ。
「そんなに怖い顔しないでよ。……あ、もしかしてファーストキスだったの?」
うるせー。
前世の記憶合わせても初めてだよ。悪かったな。
俺が無言のまま睨みつけていると、沈黙を肯定とみなしたのかランディはニヤニヤした。
「へぇ……初めてか。ねーねー、ファーストキスの感触どうだった?」
お前はセクハラ親父か。
「……か、感触なんて覚えてねーよ」
突然もたらされた柔らかさも、熱っぽさも覚えていたけど。
そんな事いちいち説明するつもりもなく、俺はそう答えた。
「ふーん、覚えてないんだ」
気まずくて目を逸らした俺の顎に、何かが触れた。
ランディの指だ。
無理やり上を向かされた俺の目の前に、ランディの顔が迫る。
………………あ。
「どう? 思い出した?」
ランディが悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「……な、な、なっ」
何すんだ、コノヤロー!
と叫びたかったのに、あまりの事態に言葉が出てこない。
「まだ思い出せない? なら思い出すまで何度でもやってあげるね」
くすくすと笑いながら、ランディがまた顔を近づけてくる。
いつの間にか俺の腰に腕を回され、抱きすくめられていた。
体格差もあり、この体勢からだと押し返せない。
ひいいいいいい。
何なんだよ、この展開!?
心臓がバクバクし過ぎて胸が痛い。
俺はランディの顔が直視できず、ぎゅっと目を瞑った。
「おい、おい。見せつけてくれるじゃねーか」
背後から複数の人間が草木をかき分ける音と、下卑た男の声が聞こえる。
目を開けると薄汚れた身なりの男たちが十数名、武器を手にし俺たちを取り囲んでいた。
野盗だ。
原作で国外追放されたエルフィを慰み者にした末に、殺す役の奴らだった。
「へへ……こいつは上玉じゃねーか。お嬢ちゃん、俺たちと愉しいこと……」
ドゴォッ。と鈍い音がして、男の台詞は途中で遮られた。
男の横にあった木が、ランディの放った光弾で木端微塵になっている。
ランディの周りには、木を粉砕したものと同じ光弾が十数個、空中を漂っていた。
「次、邪魔したら殺す」
ランディが底冷えするような冷たい声で言い放つと、野盗はひぃと情けない声を出して逃げて行った。
前世の記憶を取り戻してから、打倒野盗と冒険者として身を立てる事を目標に修練を積んでいたランディは、学院一の魔法の使い手となっている。
野盗ごときが太刀打ちできる相手じゃなかった。
「……さて、邪魔者もいなくなったし、続きをしよっか」
ランディはにこやかに言うと、俺の腰に回している手に力を込める。
野盗襲来というピンチは去ったものの、俺のピンチはまだ続いていた。
「ま、待て、ランディ! お前って女は精神的GLとかいうやつでダメだったんじゃないのか!?」
何とかランディを押しのけようと藻掻きつつ、俺は叫んだ。
「ああ、あれね」
ランディはクスリと笑い、俺の頬に片手を添える。
「いつもこうやって君の顔を見ていたら、ランディの面影がある君となら……と、思えてきてね……」
子供の頃から繰り返しされた仕草。
ランディが俺を愛おしげに見つめていた。
ランディの深い海のような青い瞳に、俺が映っているのが見える。
「……ん」
「こうやってキスをして実感したよ。エルフィ、私は君が好き」
ゆっくり唇を離し、俺に語りかけてきた。
「エルフィ。君はどう?」
…………俺は。
どうなんだろう?
ランディは転生の秘密を共有した仲間で、国外脱出の計画を企てた共犯者で、相棒で。
前世の記憶があるからかあまり兄妹って感じはなくて、十数年いつも一緒にいた友達で……。
最初は同じ目線で、少しずつ高くなって、今では見上げるほどに成長したランディ。
大きくなった今でもかわらず優しい笑みを投げかけて、俺の一番の理解者で、大切な親友だ。
嫌いじゃないけど……でも……。
自分の気持ちが分からない。
ちらりとランディの顔を盗み見ると、何故か胸がきゅうっと痛んだ。
……おかしい。
俺の心は男で、男を好きになる筈ないのに。
何でこんなにドキドキするんだろう。
あ、でもランディの心は女だからオッケーか。オッケーなのか?
この組み合わせなら精神的ホモじゃない?
俺の心が男で、あいつの心は女。
俺の体は女で、あいつの体は男。
いける気がする。
……いや、そもそも肉体的に兄妹だからアウトだ。
この気持ちは自覚しちゃマズイやつだろ。
「すぐに答えは出さなくていいよ」
押し黙っている俺に、ランディが言葉を掛けた。
「これからはずっと一緒だもん。エルフィが答えてくれるの何時までも待つよ」
ランディはそう言うとスゥっと目を細めた。
「エルフィの帰る場所はもう無いからね」
あれだけの騒ぎを起こしたんだ。俺たちはもう国に帰れない。
ランディの言う事は尤もだ。
それはそうなんだけど……何か怖いぞ、ランディ。
「……愛しのエルフィ、君は誰にも渡さない。君の瞳に私だけを映してくれ……」
原作のランディがヒロインに言う決め台詞だ。
鏡の前でランディが言っている姿を、何度も目にしたことがある。
聞きなれた台詞なのに。
そんな熱い目で見詰められながら言われたら……。
俺は断罪イベントを利用し、破滅の未来から逃れた筈だった。
筈だったのに。
でも…………。
もしかしたら俺は一番タチの悪い奴に、捕まってしまったのかもしれない。