child
君は元気にやってるだろうか。私はと言えば今日は屋上で空を見ている。君は暇そうだと笑うかもしれない。けれど、私はこう見えて忙しいんだ。何かをする前には、必ず何かに許しを得なきゃいけない。だから私は許して貰いに来た。ビルなら空に、電車なら人に(これは実際不可能だろうが)、自宅なら家族に。君はちゃんと許して貰えたのかな。もし君のその行動が衝動的なモノだったとするならば、やっぱり君は悪い子だ。昔から何も変わっちゃいなかったんだな。ああ、分かってるよ。君はそんな子じゃない。だから君もきっと見たんだろうね。不気味に輝くこの空を。雲ひとつ無い空には、私達とは違って限界なんて無く見える。モノ言わない人がいちばん怖いんだって、気付いたんだ。空は私達を叱ってはくれない。私が生きようと死んでようと、何も言ってはくれない。決断を否定しないし、行動も止めてくれない。ただ見てるだけ。でもさ、ああ、君も気付いていたんだね。誰だって皆そうだったな。誰も私達の言葉を聞き流して。でも、だから今ここに居られるんだなって思うんだ。それは多分悪い事じゃないよな。私は思うんだよ。初めからここには誰も居なかったんだって。まるで私達の姿が見えないみたいだったから。誰も私達に声を掛ける事なんて無かったから。そしたらさ、つまりこの世界は私達だけの世界だったんだね。……もしかして君はそれが嫌だったの?ああ、大丈夫だよ。分かっているから。
けど、それにしたってここは私ひとりには広すぎる。何も無い癖に狭くて、誰も居ない癖に誰かが生活していて。窮屈なんだ。あそこに見える道路、あそこから空を見ると、ここのせいで空は変形してしまう。小さくなった空を見るとさ、何か不安になってしまうんだ。私だけの世界なら、こんなモノ作らないのにって思って、そして誰かの存在を嫌なのに思い浮かべてしまう。私がやった事以外は誰かがやった事なんだって。やっぱり誰かが居るんだ。居るのに、居ないフリをしているだけなんだな。それで何処かから私を見て嘲り笑っているんだな。ほら、あのビルの窓、誰かがこっちを見て笑っている。通り過ぎた自動車の窓、知らない人がこっちを見て笑っている。談笑をしながら目の前を通る子供達も、きっと私の事を馬鹿にしている。君なら分かってくれるだろうか。誰も分かってくれなかった事だけど、君なら分かってくれるような気がしたんだ。そして皆が浮かべるような下卑た笑みじゃなくて、もっと綺麗な笑顔で、私を許してくれる。ああ、今だってそうして貰いたい。間違ってないと、オカシイ事じゃないと、許してほしい。……いや、いいよ。もう君の手は煩わせたくないんだ。せっかくこう思えるようになったんだ。電池が切れるまで、見守っていて欲しい。なんだか結局君に求めてしまっている気がするけど、最後だと思って許してほしい。
君と2人で過ごした日々は素晴らしい日々だったけれど、今はもう誰にも見られたくない、存在を認識されたくない。私は君が羨ましいのかもしれない。この世界で君を見据えているのは私だけ。その私だって存在しない君に話し掛けているだけにすぎない。私もそうなってしまいたい。例えばさ、私という存在がこの世界から消えたら、存在しない君に会えるのだろうか。こんな屋上よりも、もっと空に近い場所に行けるだろうか。また2人で過ごせるだろうか。ねぇ、分かって欲しい。私は君みたくなりたい。なりたかった。ずっと憧れていたんだ。君の笑みが見たかった。悲しみに暮れる姿も美しいと思えた。空を見上げていた姿も、きっと愛おしく見えたんだろう。君がその時どんな気持ちだったかなんて私には見当もつかないけど、何を思っていたにしても、私はそれを否定しないよ。君は自分で未来を選んだ。皆はそれを褒めてくれなかったけど、私は心の底から喜んだよ。だから、もしかしたら今ここに居るのは、君の真似事なのかもしれない。君のせいだって言いたい訳じゃない。君のおかげなんだ。1人でここに来れたのも、君が選んだ道が私の選択肢になってくれたんだと思う。私達の歩く道は決して一方通行では無いと教えてくれたんだ。自分で何かを選ぶ事なんて遂に私には出来なかった。だから、憧れてるんだ。最後まで憧れていさせてくれ。私は君の選んだ選択肢を否定しない。きっと正解だった。だから大丈夫だ。何も君が気に病む事なんて無い。元から2人の世界、誰に遠慮する事もないさ。
……。もしも、もしも。もっと早くこんな風に冗談を言って笑えていたら、何か変わっていたんだろうか。例えばさ、私達の葛藤が(ここに至るまでに考えた事を、もっともらしく精神の葛藤と呼ぶのなら私は少し報われるかもしれない。私でも人並みに悩めたって事だから)笑い合うだけで、消えてしまうようなモノだったのなら。例えば、あの日別れるより前に2人でもっと長い時間話していられていたら。もしかしたら別の未来だってあったんじゃないかと思ったんだ。未来を選択する事を君から学んだ私は、別の今と未来を想像せずにはいられない。夢想家だって笑うだろうか。確かにそうかもしれないけど、もしかしたら今この時を、もしも2人で過ごせていたらと思ってしまう事も確かにあるんだ。君の行動は正解に等しいモノだけど、もしも君が何かを間違えていたら、もう少し一緒に居られたのかな。間違いだらけの人生は嫌い?私だってしなくていい苦労はしたくない、誰だってそうだろうけど。でもさ、その1個の間違いのおかげで、一緒に居られたのなら、それは正しい事なんだと思うよ。正しく過ごす為に間違いを犯さなければいけないなんて、ひどく遠回りをしている気もしてしまうけど。ねえ、君はどう思う。別に何も言ってくれなくてもいいよ。最後だって君は黙ってた。沈黙が君なりの答えなら、それでもいいよ。あえて言葉にしないなら、私はそれを受け容れる。言葉に出来ないのなら、私はそれを理解する。
いや、こんな想像するべきじゃなかったね。君だって困ってしまうよ。間違いは無かった。未練は無かった。ここには誰も居なかった。それで良いじゃないか。きっと善い事だ。誰も損をしない。完璧な結末だ。誰も責めやしない。誰も喜びはしない。空虚。この空のように、際限なく続く。日々を生きる為の摩擦なんて存在しない。これが私達の幸福なんだね。
ほら、空が見ている。きっと幸福の履行を見届けに来たんだな。皆が私に向けた視線とも、君の視線とも違う、そこに瞳があって、見られている筈なのに、何も感じない視線。空虚。空虚が私を認識しているんだね。けど、これはちょっと不気味かもしれないな。君もそう思うよね。どうだろう、君から何か言って貰えないかな。きっと私がまだこの世界に存在しているから、だからその視線を持って、皆にしているのと同じように、不安や恐怖を覚えさせているんだと思うから。私もそっちに行くと、行って貰えないだろうか。もう不安なのは嫌なんだ。せっかくここまで来たのに、必要ない疑念に襲われるのは嫌だ。迷ってしまえば君に至れなくなる。引き返してしまえば、ここへの戸は永遠に閉ざされてしまう。だからさ、私に思い留まらせないで。永い生じゃ無かったけどさ、産まれて初めて自分で選んだ事なんだ。誰に言われた事じゃない。そりゃ選択肢を提示してくれたのは君だけど、選んだのは私なんだ。だから、もっと褒めてよ。なんで誰も褒めてくれないんだろう。頑張って決意して「できっこない」って笑う膝を抑えつけて階段を上がって来たのに。間違っているって思わせようとする視線も、間違ってるのかもしれないと思い始める弱い自分も、もう嫌だな。どうしたら許してもらえる?どうしたら認めてもらえる?君は?君は私以外に認められていたのか?君を肯定する私は今誰に肯定されていればいい?
……。ああ、私は認められたかったんだな。君に、多分皆にも。私が確かにここに居るんだって、誰かに確立してほしかったんだ。もう1回震える足で1歩踏み出せたら、君は褒めてくれるかな。頑張ったねって私に触れてくれるだろうか。
だから、そんな目で見ないで。今はもう疲れてるんだ。君だってそうなんだろう。私達の心には休息が必要なんだって思うんだ。だから、もう直ぐそっちへ行くよ。ほら、あと少しの場所まで歩けたよ。いや、今は褒めてくれなくてもいいよ。その代わり全て成し遂げる事が出来たら、めいっぱい褒めてほしい。
不安。恐怖。後悔。少しの未練。この未練は何に起因しているんだ?君はもういないのに、何を思い残す事があるだろうか。もし、もしも私がここに蹲ってしまったら、手を引いてくれないか。無いとは思うけれど、今、もしかしたらこのまま生きていたら何かがどうにかなるかもしれないと思ってしまった。それこそただの夢想だろうに。今まで無かったんだ、これからだってなんにも無いさ。分かっている筈なのに。
誰かが笑っている。屋上に至る扉の内から、誰かが笑っている。私という存在が消える瞬間を今かと待っている。誰だか分かってるよ。……彼女は私が産まれた時、幸せだったんだろうか。私は祝福されて産まれてきたのだろうか。笑ってばっかりで、何も言ってはくれない。
誰かが笑っている。誰かが笑っている。何をオカシイ事があるだろうか。誰かが生きて、死んでいく事の、何がオカシイ事なのか。
なんで、最後まで認めてもらえないんだろう。真剣に考えた今すらただ笑われるだけのモノなのなら、もう今を辞めてしまうしかないな。待ってて、直ぐそっちへ着くさ。そしたら私を愛してほしい。
膝は相変わらず震えている。左足を踏み出す。空虚が広がる。その先には何も無い。空は私を許してくれた。いつの間にか不安は消えて、私を優しく見守ってくれている。
愛されたい。愛されたかった。認めて欲しかった。出来る事なら、私の後ろで笑っているだけのあの人に。
ああ、感じた未練ってこれだったんだな。