8、帰
現在、15時過ぎ。
予定より、1日早く帰国した。
NYでコンサート終了日は、いつも現地スタッフと朝まで打ち上げをするのが定例となっていたが。
もう、そんな定例なんざガン無視で、現地入りした途端俺は、コンサートが終わったら速攻帰国すると宣言した。
現地スタッフ達に、打ち上げをしないのを随分と残念がられたが、そんなこたぁ知ったこっちゃねぇ。
一刻も早く綾乃に会わねぇと、俺も限界に来ている。
本当は、サプライズを狙って予定より早い帰国としたのだが、良く考えてみれば今日は土曜日だ。
普通なら綾乃は休みなのだが、もう9月に入り綾乃の小学校受験対策用の塾は、受験にそなえて色々講習会が増えているはずだ。
もしかしたら、家にいないかもしれない。
すれ違う可能性大だ。
6日も離れていては、すれ違う時間も惜しい。
綾乃が出勤ならば、鎌倉へ直行した方が早く会える。
俺は、成田に迎えに来た、事務所のケイタの下についている若いスタッフが運転するワンボックスカーに乗りこむと、綾乃に電話を入れた。
って、何で・・・綾乃、『魚富士』にいんだよ?
連れてったことねぇのに、何でノリオとヤスオんちに上がり込んでんだよ?
しかも、綾乃のスマホなのに、ノリオが出やがった。
……まあ。
大体の、予想はつく。
あれだな。
原因は、魚富士のババアだろ。
ノリオとヤスオの母ちゃん。
すんげぇ、お人よしでお節介。
うちの母ちゃんが滅茶苦茶だったから、随分ガキの頃は世話になったんだけどよ。
人は良いんだが・・・。
何しろ、デケェ。
縦も横も。
んで。
スゲエ働きもんで、何故か1年中ジャージ姿。
髪形も、面倒癖ぇのか、パンチかっ!?つうほど短くて、ちりちりのパーマ当ててやがって、色気もなんもねぇ。
オッサンよりも、オッサンらしい。
だけど、働きもんで人の良いババアの性格を皆周りのもんは知ってから、店はスゲェはやっている。
なのに、あんま立派な店構えとはいえず、店とくっついている家も築40年はたっているボロだ。
なんで、そんなにはやっているのに店がボロいかっつうと、原因がある。
原因は、亭主だ。
つまり、ノリオとヤスオの父ちゃんが遊び人だからだ。
背もノリオと同じくらいの160センチたらずで、禿げた一見冴えねぇジジイなのによ。
まあ、若いころから女遊びが激しい。
店のレジから金を出しては、遊びに行く。
女なら手当たり次第だ。
もう、病気だ。
まあ、最近はヤスオが怖くて昔ほどじゃぁなくなったが、昔は酷かった。
俺達がガキの頃。
やっぱ、ババアも若くて。
店で使っている出刃を振り回して、浮気する亭主を追い回していた。
その度に、近所の連中が止めに入り、そんでも出刃もってからよ、止めきれねぇで。
大騒ぎの中、最後はいつも、クソジジイが来て。
ノリオとヤスオの父ちゃん殴って、終結。
カフェのマスター同様、若いころクソジジイの舎弟だったそうだ。
ノリオとヤスオの父ちゃんは顔面ボコボコで。
ババアは、出刃もったまま泣いていて。
それを見ているノリオはションベンちびりながら大泣きで。
ヤスオは、ノリオの肩を抱きながら唇をかみしめていた。
そんな事は、日常茶飯事で。
まあ、うちだって似たようなもん。
母ちゃんはアル中で、そこらの店で酔いつぶれたって連絡が入る度、じいちゃんから金もらって、俺が小学校の頃から飲み屋に母ちゃんを迎えに行っていた。
シュウの家も同じようなもんで。
ガキの頃から俺らを取りまく環境は、本当に最低最悪だった。
だから、俺ら早く大人になりてぇって、いつも思っていた。
無茶苦茶な父ちゃんをヤスオが初めて殴ったのは、髙1の時。
セイカ屋デパートの喫茶店の前のちょっとしたイベントホールで、俺がピアノ演奏のバイトをすることになって。
ヤスオとノリオとシュウが演奏を聴きに来てくれた。
そこで、女連れの父ちゃんと偶然会ってしまったヤスオがカッときて。
何故ならその女、ババアの友達の妹だったからで。
あれは、修羅場だった・・・。
そこまで、思いだしてハッ、と気がついた。
綾乃、『魚富士』にいんなら、あのスケベオヤジに変なことされてねぇよな!?
急に不安になり、運転している若いスタッフに、もっとスピードあげろ、と怒鳴った。
だけど、無理ですとかなんとか生意気なこといいやがるから。
ガンッ――
運転席のシートに後ろから、ケリをいれてやった。
すると変な声を出して、急にスピードが上がった。
やればできんじゃねーか。
勝手知ったるババアの家は。
1階は店があるから、奥の住居スペースは4畳半の台所と、6畳の居間。
それから、トイレと風呂。
それだけだ。
店は大体昼過ぎには品物が売り切れっから、もう閉まっていて。
「綾乃っ!」
愛しい名前を叫びながら、クソ狭ぇ玄関から勝手にあがりこんだ。
居間の戸を開ける前に、中から笑い声が聞こえた。
何だか、随分人がいるな・・・。
がらりと、戸を開けると。
料理が並ぶテーブルを囲んで、ヤスオ、ノリオ、2人の父ちゃん、んで何でかクソジジィもいやがって。
んで・・・。
「えっ、丈治っ!?」
と、俺の大好きな綾乃の可愛い声が聞こえたと思ったら・・・紫の塊が、俺の胸に飛び込んできた。
俺の鼻腔を大好きな香りがくすぐる。
だけど。
え?
紫?
ちょっと、嫌な予感がして、俺は腕の中の綾乃を見下ろした。
げっっ!
「おい、お前・・・なんつー格好してんだよっ!それババアんだろうがっ!!」
そう。
考えたくもねぇけど。
綾乃はババアのジャージを着ていた。
だけど、身長は同じくらいだが、横幅と手足の長さは全然ちげぇから、ズボンが裾の短けぇモンペみたいになっていて上もガバガバの七分丈になっている・・・。
しかも、すんげぇいやらしい紫色・・・ババアの着古したやつだし毛玉もでている。
かんべんしてくれよ・・・。
NYから帰国して、いきなりそれかよ。
パンチありすぎだろ・・・。
でも、綾乃は上機嫌で。
「あ、これ?ノリおばちゃんから借りたんです。さっき、スーツにお茶をこぼしてしまって。でも、これ。凄く楽です!!ゴムもつめてもらっておばちゃん下さるっていうから、部屋着にしようかと思ってますけど?」
耳を疑った・・・。
一刻も早く会いたかった愛しい綾乃は・・・ババアの着古した信じらんねぇくれぇダッさいジャージ姿で俺を出迎えた。
腐った紫のジャージからは、かすかにババア臭もする・・・。
固まる俺は。
滅多なことでは笑いもしねぇ、いつもはポーカーフェイスのクソジジイが、腹をかかえて大爆笑する姿を、舌打ちしながら睨みつけた――