4、届
日曜日、綾乃はキャンプから帰宅した。
そう、『帰宅』だ。
もう、ここは、綾乃の家でもあるってことで――
「おかえり。」
俺の後ろについて部屋に入った綾乃を振り返り、そう声をかけた。
わざわざ、キャンプ解散場所の鎌倉駅に迎えに行って、一緒に帰宅した俺がそんな事を言ったので、綾乃がキョトンとした。
そして。
「・・・ただいま?」
と、不思議そうな顔で、だけど一応という感じで応えてくれた。
たった四文字の言葉なのに、 すげぇ嬉しくて。
じいさんが死んでから、そんな言葉聞いたことなかったし。
いや、言葉だけならあったかもしんねーけど。
そういう意味じゃなくて。
家族と・・・「おかえり」や「ただいま」を言いあえることが・・・こんなに嬉しいなんて。
「っっっ・・・・。」
不意に、何かがこみ上げそうになって。
ヤバい、と思って。
綾乃をとっさに、抱き寄せた。
自然と、俺の背中にまわる綾乃の華奢な腕。
もう、それだけで。
天にも昇るほど、幸せだと思った。
「丈治?」
綾乃の髪に顔をうずめる俺に、不思議そうな様子で声をかける綾乃。
「ああ・・・何か、俺達・・・もう、家族なんだなって思ってよ。ダセぇけど・・・ちょっと、感動・・・。」
素直に気持ちを伝えた。
綾乃も同じように思ってくれるかと思って。
だけど。
「え?違いますよ。私達家族じゃありません。」
思いもよらぬ、否定が返ってきた。
「ああっ!?」
カッときて、抱きしめていた綾乃を体から引き離した。
俺達結婚すんじゃねぇのかよっ!?
今更止めるなんて、ぜってぇ言わせねぇっっ!!
つうか、言ってみろ!
一生、監禁生活だっ!!
そんな勢いで。
正面から、綾乃を見据える。
いや、睨みつけた。
「ひっ・・・・!」
その、俺の剣幕に驚いた綾乃が、ぶるりと震え。
綾乃の瞳がジワリと、潤んだ。
ああっ、やべぇっ。
慌てて、また綾乃を抱き寄せる。
「ち、ちげぇっ・・・泣くなっ。別に怒ってねぇ・・・な?大丈夫だから・・・。」
本当は滅茶苦茶キレてっけど。
綾乃を泣かせたくはねぇ。
優しく、背中をさする。
すると。
「丈治、ちょっと・・・離して下さい。」
綾乃が、やっぱり引いたのか・・・俺を突き放すような事を言った。
「無理っ。今のは、俺が悪かった。けどよ、俺から離れるなんて言うなよ・・・な?俺、お前がいなくなったらどうすりゃいいんだっ!?こんなに惚れさせといて、お前、俺から離れられるなんて思うなよっ!!」
俺は、絶対離れるもんかと綾乃を、ぎゅうっと抱きしめた。
すると、綾乃は俺の背中に腕を回し、俺を仰いで。
チュ。
と、キスをした。
え・・・・。
ほんの、触れるだけの、キスなのに・・・全身が喜びで、沸騰した。
が。
「丈治・・・・私、離れません。というより、引っ越してしまったのに・・・物理的に考えても、無理じゃないですか?」
離れないと言ってくれた言葉は嬉しいんだけどよ、こう・・・もうちょっと言い方ねぇか?
なんか、それじゃ・・・引っ越しし直すのが面倒だからって意味の方が、強く聞こえるぞ。
沸騰した気持ちが、急にしぼむ。
つうか、拗ねた気持ちになる。
「お前、それじゃ、引っ越しし直すのが面倒だって意味にとれんぞ?」
「それも、あります。」
「何だとっ!?・・・・って、その前に、お前今回引っ越し何もしてねぇだろうがっ!!」
「はい。おかげさまで楽をさせてもらいました。それに、とても素敵な家具を選んでくれたんですね?・・・北欧のものですか?とても、素敵です。私のピアノとも、雰囲気が合いますね?・・・嬉しいです。ありがとうございました。」
俺が考えて選んだ事を、綾乃がそのまま喜んで口にした。
すげぇ、嬉しい。
実は、ネイビーブルーで統一していた部屋のインテリアを、今回がらりと変えた。
ちょっと、それなりに大変だったが、それだけでもう。
苦労なんて吹き飛んだ。
「じゃあ、気に入ったんだな?」
「はい、とても。こんなに素敵なところに、丈治と一緒に住めるなんて嬉しいです。丈治、本当にありがとうございました。」
素直にそう言ってくれた綾乃に、俺は安心した。
ホッとして、体から力が抜けた。
そんな俺の腕を優しくほどいて、俺の腕から綾乃が抜け出た。
途端に、不安になる。
だけど。
そんな俺の気持ちがわかるかのように、綾乃が俺の手を取った。
そのまま手を引かれ、綾乃の仕事用にあてた5畳の部屋に入っていく。
仕事用の部屋にすることはもう決めてあったことだ。
部屋に入り、綾乃がまわりを見回し、俺が片づけたことに再び礼を言った。
そして、仕事で持ち歩いている書類カバンを開けた。
中から出した封筒を俺に差し出す。
「何だ?」
「婚姻届を提出する際、必要な書類です。謄本とか・・・・あと、婚姻には保証人が2名必要なので、先に私の欄だけ埋めて、母に書いてもらいました。京都に郵便で出したものが返ってきました。父はイギリスなのでさすがに郵便を送るのが面倒だったので、母に頼みました。婚姻届出していないのですから、私達、まだ正式な家族ではありません。」
「・・・・・。」
驚いた・・・とんでもなく面倒くさがり屋の綾乃が。
こんなにテキパキと、結婚の準備をしていたなんて。
すげぇ、嬉しい。
それに、家族じゃないって意味、そういう事だったんだな。
「丈治、私・・・早く結婚したいです。」
そう言って、綾乃が俺の胸に飛び込んできた。
ぎゅうっと、俺にしがみつく。
はあぁ。
もう、心がドロドロに溶けそうだ・・・。
「お、おうっ。」
「私、明日代休でお休みなんです。早く書いて、それ出しに行きましょう?」
「お、おうっ。」
「それから、マリッジリングも欲しいです。」
「お、おうっ。」
究極の面倒くさがり屋だと思っていた綾乃が、こんなに積極的になるなんて、予想外だった。
「丈治・・・ちゃんと、聞いてます?」
「おう、聞いてるっ。だけど、面倒くさがりのお前が急に積極的になってるから、驚いたんだよっ。」
俺がそう言うと、綾乃がむっとした。
お、むっとした顔も可愛いじゃねぇか。
「当たり前です。丈治と結婚したいと思って、プロポーズをうけたんです。引っ越しは・・・まあ・・・丈治に、任せてしまいましたが。私は、結婚に関しては面倒とは思っていません。一生の事で、大切な事ですから。色々こだわりたいと思っています。」
真剣な表情でそう訴える、綾乃。
何か、ジン、と来たぞ。
「そっか、ありがとな、綾乃・・・じゃぁ、早速これ書いて、明日朝一番で指輪買いに行くか?どこの指輪がいいんだ?やっぱ、ダイアモンド・ティアラ本店か?あそこだったら品数もすげぇあるし、婚約指輪もいいのあんぞ?」
嬉しくなって、人気の高級宝石店の名前を出した。
だけど、何故か綾乃は首をふり、信じられない事を言った。
「そんな、銀座まで行くの面倒ですし、沢山の中から選ぶのも面倒です。私、良いお店を見つけたんです。駅裏に、『若山時計舗』ってありますよね?あそこ、貴金属全品40%オフの札が貼ってあって、数もそんなになさそうですし。あ、私ちょうど、時計の電池が切れていたんです。時計、5個持っているんですけど、4個電池切れていて・・・もう1つは自動巻きなので、ずっとそれを使っていて・・・でも、休み明け、時計を2日ぶりにする時は止まってしまっていて、一々ネジ巻くのが面倒で。ついでに電池交換もできますし、丁度良いと思って。近いし。」
「・・・・・・・。」
さすがの俺も、絶句だ。
『若山時計舗』って、80位のじいさんがやってる、ものすっごく古くせぇ店だぞ?
しかも、時計屋じゃねぇかっ。
貴金属って、もう10年以上売れねぇで、在庫処分するための40パーオフだろうがよっ。
そこ、未だに、磁気ネックレス売ってる店だぞっ!
時計の電池入れるついでに、結婚指輪や、婚約指輪買おうとしてんじゃねぇよっ。
「却下。あんな古くせぇ店で、一生もん買いたくねぇ。」
「えー、丁度、時計の電池入れるのにいいと思った――「ああっ、時計の電池なら俺がいれてきてやるからよっ。あそこの店のマリッジリングは、勘弁してくれっ!」
これ、マジで言ってるから、怖ぇよ。
はあ・・・やっぱ、綾乃だ。
俺が電池いれてくるって言って喜んでやがる。
つうか。
「お前・・・さっき、『一生の事で、大切な事だから、色々こだわりたい』って言ってなかったか?」
口だけかよ。
俺は、ため息をついた。
だけど、綾乃は真剣な顔になり。
首を横に振って、とんでもない事を言い出した。
「こだわりたいですよ。ただし、もの、にではなくて。心、に。丈治の方の保証人には、浜田さんになってもらって下さい。」
綾乃の、結婚についてのこだわりようは、本物だった。
すんげえ、俺が拒否ったにもかかわらず。
あの、クソジジイに頼まなければ、絶対に『若山時計舗』で指輪を買うと言い張り。
平行線のまま。
で、結局。
マリッジリングをダイアモンドティアラで買うことと、あのクソジジイが結婚の保証人になる事が、お互いの交換条件となった。
何か・・・綾乃に。
うまく嵌められた感があるが。
あのクソジジイの、憎たらしいポーカフェイスを崩壊させた事は。
ちょっと。
ほんの、少しだけ。
満足だったが。
そうして、俺と綾乃は。
家族になった――