32、ヒーロー
「え、何で?お、俺に?お金っ!?」
ボソボソと話していた木島に、ノリオが叫んだ。
声がでけぇから、まる聞こえだ。
綾乃の眉間にしわが寄った。
「木島さんっ、ノリオ君にお金でなんてっ――「俺、か、金なんていらないぞっ!かーちゃんに言われてるっ。は、働かないで手に入る金なんてっ、ロ、ロ、ロクな金じゃねぇっ、って。そんな金でっ、メシ食っても、ううう、うまくねぇっって。」
ノリオ・・・。
「いえ、そう事ではないのです・・・あなたに怪我を負わせてしまった、慰謝料的なお金です。あなたは受け取る権利があるのです。」
慌てて、木島が交渉する。
だけど、相手はノリオだ。
「い、い、いしゃっ!?か、かか、金っ、払ってもらっても、お、俺っ、いいい、医者は行きたくねぇッ!!」
慰謝料と、医者代を勘違いしてやがる。
「いえ、そうではなくて・・・慰謝料とは医者へかかる料金のことではなくて・・・ご迷惑をかけたお詫びの気持ちのことです。」
必死に慰謝料の説明をする、木島。
きっと、心の中で、ノリオのことバカにしてんだろうな。
「ゴ、ゴメイワク?・・・ああ、お、俺の事殴った事か?メ、メメメイワクっていうより、ボ、ボーリョクだろ?あれは・・・。あ、あんたっ、頭よさそうなのにっ、こ、こと、言葉間違えてんぞっ!?」
広瀬のジジイと森村が、噴き出した。
確かに、間違ってるよな。
故意に、だけどな・・・。
ノリオの言葉に、木島が顔を真っ赤にしている。
「・・・ええ、ですから、その事に関してのお詫びの気持ちで――「あ、あんたにっ、わびてもらう事は、な、ないぞっ!?わ、悪いことしたの、あいつらだしっ!と、特にっ、あのっ、茶色い、か、髪の男っ!綾乃ちゃんに抱きついて、チュ、チューしようとしたし!!」
そう言って、米本をノリオは指さした。
オイ、ちょっと待て・・・。
チューだぁ!?抱きついただぁ!?
「ああっ!?何だとっ!?」
もう、我慢なんねぇっ。
よくも、俺の綾乃にっ!!
俺は、米本に向かおうとした、が。
「丈治、待て。話がややこしくなる、ノリオの話が先だ。」
冷静な声で、クソジジイが止めやがった。
いや、冷静じゃねぇな・・・。
舌打ちをして、クソジジイを睨みつけたら、こめかみにぶっとい青筋がたっていた。
「いや、ですから、あーちゃんは警察沙汰にしないという事を言いましたから・・・それより、ノリオさんですか?ノリオさんの慰謝料についてお話しをしたいのですが・・・。」
ノリオの話を必死で軌道修正し、警察沙汰にしないように話をもっていこうとする木島。
だけど、相手はノリオだ。
「か、かーちゃんがいつも、い、い、言ってるぞ?わ、悪い事したら、け、警察に捕まるんだっ。」
「いえっ、ですからっ。警察沙汰にはしないと――「ちがーーうっ!!あ、あんたっ、俺よりバカかっ!?」
「はっ!?」
ノリオにバカ呼ばわりされて、固まる木島。
広瀬のジジイと森村が、ゲラゲラ笑っている。
「な、何でっ、金の話しすんだっ!?わ、悪い事したんだからっ、まず、こころからっ、ご、ごめんなさい、じゃないのかっ?それにっ、あ、あんたが悪い事したんじゃないだろっ?あんたっ、は、話がややこしくなるからっ、だ、だ、黙っててくれよっ!」
「いや、私は、交渉するのが仕事でして・・・。」
「し、仕事?仕事って、わ、悪い事したやつの代わりに謝るのが仕事かっ!?そんなの仕事じゃねぇッ、か、代わりに謝られたって、お、俺っいいよ、なんていう気ねぇからなっ。だって、そうだろっ。わ、悪いことした奴が、反省してごめんなさいしねぇと、な、何もならないじゃねぇかっ。お、俺っ、あんた気にいらねぇッ。俺は、あ、あんたと話す気はねぇっ。」
確かに、悪い事したやつが謝るべきだよな・・・ノリオは弁護士が理解できねぇだろうし。
だけど、シンプルにノリオが言っている事が正しい。
「い、いやっ、ノリオさんっ、ちょっとまってくだ――「本当に、ああ、あ、あんたの話はきかねぇっ!あーーー、あーーー、あーーーっ、なんも、きこえねぇっ。あーー、あーー・・・」
ノリオが木島の話を聞かないように耳を押さえ、声を張り上げている。
もう、広瀬のジジイと森村は爆笑だ。
ノリオが、耳を押さえながら声を張り上げ続ける。
もともと声がデケェから、うるさくってかなわねぇ。
皆、顔を顰めているが、木島は自分の仕事を遂行しなければと必死でくいさがる。
ノリオに必死で話しかけるが、その度に拒否るノリオの声はますますデカくなり・・・。
俺の、我慢の限界が来た。
「ノリオッ、うるせぇんだよっ!」
そう言って、俺はノリオの頭を叩いた。
嘘のように、ピタリとノリオの声が止まる。
それと同時に、皆、一斉にホッとした顔をした。
耳がまだキンキンしてっから、皆もそうなんだろう。
ヤスオがゲラゲラと笑い出した。
「スゲー。やっぱ、ジョージだなー。興奮したノリオは、ジョージ以外誰も止めらんねぇ。双子の俺だって、かえって興奮させちまうしなぁ。」
よくわかんねぇけど。
昔から、ノリオは感情的になると止まらなくなる。
ババアが泣いて止めたって、ヤスオが押さえつけて止めたって、止まんねぇで喚き続け、酷いと時は暴れ続ける。
だけど、俺が止めるっつうより・・・いい加減鬱陶しくなったり、うるさくて我慢できなくなったら、頭をはたいたりケリを入れたりすると、ノリオはピタリと止まる。
何でかわかんねぇけど。
だから、ガキの頃は、変な夢をみてノリオが興奮したりするとヤスオが俺ん家に飛んできた。
真夜中に何度もノリオの頭を叩きに行ったな。
最近は・・・つうか、ここ何年もなかったのに、久しぶりにノリオが興奮した。
俺は、ため息をついた。
俺が、横須賀の街を嫌だと思っても離れられないのは、実はこういうノリオの事もある。
別に、ノリオの所為だとか、ノリオの為を思ってとか、そんな恩着せがましいことなんか思っちゃいねぇ。
ただ、ノリオは俺にとっても兄弟のようなもんだ。
もちろんヤスオも。
だから、気にかかる。
それだけだ。
ま、もちろん。
綾乃か双子か、って聞かれたら。
考えるまでもなく綾乃!って、即答だけどよ。
綾乃と双子が溺れていたら、いや、ヤスオは泳げっからな・・・綾乃とノリオが溺れていたら、ノリオの事は完全に無視で綾乃を全力で助けるし。
それは、間違いねぇ。
そんなバカなことを考えていたら、思っても居なかったヤツが口を開いた。
「おいっ、おまえっ。ノリオ君にきちんと謝れっ。」
デカい声を出して、米本達に指をさして命令したのは。
アサヒヤマンションのオヤジだった。
俺はあんまこのオヤジの事は知らねぇけど。
戸田のジジイのところへ連れてこられたりすると、アサヒヤマンションっていう白いロゴが入ったダセぇ蛍光オレンジのウインドブレーカーを着て、自転車で走っている姿をたまに見かけたくれぇで。
まぁ、友則の親父だから、180くれえあってガタイもいいが、見たところ人の良さそうなおとなしいオヤジって印象だったが、目の前で米本にデカい声をだしているアサヒヤのオヤジはえらく、迫力があった。
だけど、親が金持ちの米本は、ガキの頃から身に着いた悪い習性っつうか。
あくまでも、金や地位を中心に考えてやがるようで。
「あっ、何だと?おっさん、何だって?俺は、このマンションで一番いい部屋借りてやってるんだぞ?あんな高い部屋かりてやってんのに、俺にそんなデカい口叩いていいんですかー?」
と、まあ。
こんな調子で。
親の金でマンション借りてもらってんのに、この言い草。
とんでもねぇ、野郎だ。
綾乃が、ため息をついた。
そして、疲れた様子で、米本をただした。
「光君、私前にも言いましたけど。目上の方にそういう言い方はないです。それに、マンションを借りているのは光君ではなくて、光君のお父様です。お父様が働いたお金で、家賃を払って下さっているのです。」
本当にその通りだ。
だけど、米本は。
「えー、あーちゃん。だけど、親父のものは俺のものだしー。親父が死んだら全部俺のものになるんだよ?でも、あーちゃんがそういうなら気をつけるけど?そのかわり、また勉強おしえてよ。俺、大学の授業わかんないところあるんだよね。仕事先、鎌倉だし・・・仕事帰りにでも家へきて、教えてよ?ご飯食べに行ってもいいしー。」
信じられねぇことを言い出した。
体中の血液が沸騰するって、こういうことを言うんだろうな。
俺は、頭に血が上って米本をぶん殴るために、掴みかかろうとしたが。
その前に。
バキッ――
「ぎゃあっ!」
ノリオが、米本を殴っていた。
ウソだろ?
ノリオが人を殴るなんて・・・。
ノリオはバカだけど、スゲェ心の優しいヤツで。
自分がやられて嫌なことは絶対に、人にしない。
だから、ノリオをいじめたヤツらにも仕返しなんかしようと思わなかった。
その、ノリオが・・・まさか、人を殴るなんて。
ヤスオも、ババアも、双子の親父も。
クソジジイも、広瀬のジジイも・・・タローも・・・いや、ノリオを知っているヤツ全員が、ぶったまげた。
でも、一番たまげたのはノリオらしく。
慌てて、米本に頭を下げた。
「ご、ごめんなさいっ。ご、ごめんなさいっ。殴ってしまって、ご、ごめんなさいっ。」
すげぇ勢いで謝りだした。
バカだよな・・・ノリオの方が、ずっと酷く殴られてるじゃねぇか。
だけど、すかさず。
「ではっ、ノリオさんも暴力を働いたので、ノリオさんが受けた件も相殺ということでよろしいでしょうか?」
木島が、これ幸いとノリオを米本が殴った件を持ち出した。
どんだけ、汚ぇんだ・・・。
ほんと、許せねぇ。
「お、俺っ、警察に捕まるのかっ!?」
普段ババアから、厳しく躾られているせいか、こんなことぐれぇでも警察沙汰だと思ってやがる。
可哀想なのでとりあえず、大丈夫だと言ってやった。
「こんなことぐれぇじゃ、掴まんねぇよ。」
だけど、生意気にもこいつは俺の言葉が信用できねェらしく。
「だ、だけどっ、ジョージ、ちゅ、中学とかっ、こ、高校の頃っ、殴り合いのけ、喧嘩してっ、警察に、つ、つ、つかまったぞっ!!な、な、何度もっ!!」
俺の優しい気遣いをあだにしやがって、ノリオは綾乃の祖母さんや両親の前でとんでもねぇことを言いやがった。
腹が立って、頭をはたいてやった。
「うるせぇよっ。あれは、捕まったんじゃねぇ!ちょっと、補導されただけだっ!」
怒りがおさまらないので、もう一発叩く。
その様子を見て、ゲラゲラ笑いながら広瀬のジジイが口をはさんできやがった。
「あー、俺。よく丈治を引き取りに横須賀署へ行ったよなー。」
腹が立つから、完全にスルーだ。
「すみません、話を戻しますが。ノリオさんも暴力を働いたので、ノリオさんが受けた件も相殺ということでよろしいでしょうか?」
話が途切れたところで、また木島が話をふってきやがった。
必死だな、こいつも・・・。
だけど、やっぱ許せねェ。
だから。
「おい、あんた。ノリオに相殺って言ったって意味わかんねぇよ・・・おいっ、ノリオこの人がなぁ、ノリオがあいつ殴ったことと、あいつが綾乃を襲う目的で攫ったこととお前を殴ったことを警察に行かない代わりに、お互いなかったことにしようって言ってんだけど、それでいいのか?」
まあ、生まれたときからの付き合いだ。
ノリオの性格なんて、百も承知だ。
こう言えば、絶対に――
「ええっ、な、なかったこと!?・・・ダ、ダメだっ!!それはっ。綾乃ちゃんあいつに、エエエ、エ、エッチなことされそうになったんだぞっ!なかったことになんか、で、できるかっ・・・わ、わかった、おれっ警察行くっ!け、警察行って、お、俺、あいつなぐったこと、ご、ご、ごめんなさいしてくるぞっ。だ、だから、綾乃ちゃん!あいつが悪いことしたのを、な、なかったことにするのはダメだっ!!」
そう言い放ったノリオは、俺の思った通りのノリオで。
でも、米本側からしたら、訴えないって答えを出した綾乃まで覆されるなんてこと、思ってもいなかったようで。
だから、焦って米本が。
「あーちゃんは、俺がやったこと訴えないって言ったんだぞっ。今更お前が変なことを言うなよっ。俺もお前を殴ったけど、お前も俺を殴ったんだからなっ。」
ノリオが米本を殴ったことで、バカな米本は幾分か余裕が出たようだ。
本当に米本はバカだ。
ノリオに余裕なんか関係ねぇのに。
ノリオには正しいか、間違っているかの2つだけなのに。
「へ、変なことじゃねぇっ。お、お前はっ。親のものはっ、自分のものっていうけどなぁっ。違うっ。お、親のものは親が働いたものだっ。お、おまえはっ、親にく、食わせてもらってるんだっ。え、偉そうなこと言う資格はねぇ。か、かーちゃんがいってるっ。『働かざる者くうべからずっ。』くうためには、働かなくちゃいけないんだっ。お、親の金っ、あてにするなんてっ、ま、まちがってるっ。お、おまえっ、お、俺の事っわ、笑いながらっ、コーラーのボトルで殴ったけどっ、そ、そんなに楽しいのかっ?人が痛くて、叫んでるのみてっ、そんなに嬉しいのかっ?それっ、まちがってるぞっ。本当に楽しいのはっ、ひ、人からありがとう、って言われることだっ。おれっ、魚配達してっ、お客さんに『新鮮で旨い魚有難う』って、いわれるのが、楽しいっ。う、嬉しいのはっ。自分のっ大切な人がっ笑っているのが、嬉しいっておもうっ。か、かーちゃんが魚屋の水仕事でっあかぎれがひどいからっ、なるべくっ俺がかわってやったら、あかぎれが治って、かーちゃんが笑ってるの見て、俺っ、嬉しいしっ。さびしいくせにっ、意地ばっかり張ってるジョージがっ、やさしい綾乃ちゃんをっ、お嫁さんにもらってデレデレしてるの見るのも嬉しいっ。そ、そういうもんだろっ?楽しいこととかっ、う、嬉しいことって!」
ノリオの吃音交じりの絶叫には、誰も、何も言えなかった。
ヒーローは、俺じゃねぇ。
ノリオはバカだけど、ヒーローは、お前だ!
そう言って、ほめてやろうと思ったのによ。
絶叫したノリオは、そのまま崩れ落ちた――




