12、猫
「お、丈治!まだ帰ってなかったのか?」
ムカつく声に、舌打ちが出た。
喫茶店を出て綾乃の手を引きながら、地下鉄へ向かって歩いていたら。
打合せを終えてさっき別れたばかりの3人と、ばったり会ってしまった。
無駄とはわかっていても、背中に綾乃を素早く隠す。
「丈治?」
綾乃にしたら、意味不明な俺の行動を訝しく思ったのだろう。
だけど、ケイタには見せたくねぇ。
思わず眉間にシワがより、ケイタを睨みつける。
だけど、ケイタは面白そうな顔して、綾乃を覗き込もうとしやがるから。
腹にケリを入れてやった。
まさか、急にそんなことをするなんて思っていなかったんだろう。
綺麗に入った。
腹を押さえてうずくまるケイタ。
ざまぁ見やがれ。
「なんでもねぇ、帰るぞ?」
俺は綾乃をビビらせねぇように優しくそう言うと、固まる綾乃の肩を抱き寄せた。
手の位置を肩から頭に移動し、綾乃の頭を俺の方へ寄せ、顔を極力見られねぇようにする。
仕方がねぇから、社長と船津五郎には軽く会釈をして前を通り過ぎた。
だけど。
「丁度よかった。これから昼食を食べに行くところだったんだ。君の所属事務所の社長としては、奥さんも紹介してもらいたいし、ぜひ付き合ってくれ。」
「そうだなー。せっかくだから、ゆっくり話ができる『久萬が野』へでも行くか?」
社長と、船津五郎が絶妙なあうんの呼吸で、俺が断れないような空気をつくりやがった。
「・・・・・・・。」
さっきの印象は、撤回だ。
船津五郎は温和なおっさんなんかじゃねぇ。
喰えねぇ、クソジジイだ!
「え・・・丈治の、所属事務所の社長・・・ええっ!?」
しまった。
仕事関係に関しては、一気に常識人になる綾乃という事を忘れていた・・・。
はあ。
くっそ。
何でこうなるんだよっ!
俺は高級料亭『久萬が野』の一室で、綾乃と並んで座っていた。
向かいには、社長と船津五郎とケイタ。
3人とも、綾乃に興味深々といった様子だ。
ウゼェ。
だけど、『ザ・女取締役モード』になっている綾乃は、俺に。
「丈治、紹介して下さい。」
有無を言わせねぇ口調でそう言った。
はあ・・・しょうがねぇなぁ。
「左から、船津社長、真中が社長の兄さんで事務所の先輩の船津五郎さん。んで、そっちの、アホは気にするな。」
一気にそう言うと。
社長と船津五郎は噴き出し、ケイタはオイッ!と俺を睨んだ。
って、うるせぇな。
「・・・失礼しました。改めまして、紺野と7月に結婚致しました、綾乃と申します。どうぞ、よろしくお願い致します。いつも紺野がお世話になって・・・というより、この様子ではご迷惑をおかけしているかもしれません。いつも、ありがとうございます。」
す、すげぇ。
何かが乗り移ったバージョンの綾乃だ・・・。
完璧な挨拶をしやがる。
向いに座る3人も驚きの表情だ。
「え、と・・・紺野君が選んだ女性ということで、是非お目にかかりたかったのだが・・・いや、少し・・・驚いた・・・。」
社長が、完璧な対応の綾乃に吃驚した様子だ。
俺だって、びっくりだ。
1週間弱で部屋を嵐が通過した後のようにさせた綾乃と、この完璧綾乃が同一人物だとは。
しかも、食事を注文する前に店側のサービスで女将自ら点てる抹茶を、綺麗な所作で飲んでいる。
つうか。
綾乃、こういう店、慣れてんな・・・。
「綾乃さんは、お仕事をされているようですが・・・失礼ですが、どんなご職業ですか?」
まあ、この綾乃の対応じゃ、専業主婦には見えねぇよな。
って、あの家事能力じゃ専業主婦は向いてねえけど。
綾乃が、流れるような動作で名刺を3人に差し出した。
「氷室綾乃さん?」
名刺を見ながら、船津五郎が問いかけた。
「はい、仕事の方では『氷室』が浸透しておりますので、旧姓を使っていますが、本名は浜田綾乃です。」
なんでも、『氷室綾乃』つったら、小学校受験塾業界では有名なんだそうで。
ここ5年位は、全員受けもちの子供を志望校に合格させているらしい。
だから、名字を氷室からかえると塾の知名度が下がると会社から言われ、仕事では旧姓を使っている。
まあ、俺も『紺野』だしな。
綾乃の場合はオンとオフの差が激しいから、その方がいいかもしれないと思っている。
今は完全にオン状態だ。
綾乃の仕事の話から、何故か社長が今の子供の教育論に話を変え・・・まあ、社長んとこは小3の双子がいるからな、気になるんだろう。
だけど、さすがだ。
綾乃すげぇな、こりゃ随分勉強してるな・・・知識が半端ねぇ。
どんな質問でも、わかりやすく答えてやがる。
しかも、飯が運ばれてきて、それを上品に食いながら、よどみなく話をしている。
あっと言う間にデザートまで進んだ。
つうか、俺殆んど喋ってねぇし。
酒も勧められたが、何故か綾乃が酒を飲まねぇから俺もウーロン茶だし。
まだ話し足りない様子の社長が、次の話題に移ろうとしたが、そこで綾乃が腕時計を見た。
「申しわけありません。今日はこの後、予定がございまして、そろそろおいとましないと約束に間に合わないので、そろそろ・・・。」
突然、綾乃がそんなことを言い出した。
って、聞いてねぇし!!
まあ、これから受験に向けていそがしくなるらしいから、仕方がねぇのかもしんねぇが。
何だよっ。
これだったら、綾乃は家に置いてくりゃあよかった。
丁寧に綾乃が3人に挨拶をして、2人で先に退室した。
綾乃が店を出る前に、トイレに行くと言うので玄関で待っていると。
「丈治。」
うるせえ男が、来た。
「あ?」
「お前・・・あんな、上品で育ちのいい人で大丈夫なのかよ・・・お前とは全く違うタイプだろ?無理してねぇか?」
「は?」
「お前、あんなにテキパキしたタイプ好きだったか?どっちかと言えば、のんびりした女の方が好きだろ?いや、顔立ちも可愛くて綺麗だけど・・・完璧すぎて、息詰まったりしねえか?・・・家事とかも完璧にこなしそうだけど、お前あんま世話焼かれるの好きじゃねぇだろ?・・・本当に、大丈夫か?」
やっぱ。
ケイタ、俺と好みカブってるだけあんな。
ケイタの言ったような女じゃ、確かに息詰まって・・・つうか、完全に俺のタイプじゃねぇ。
でもよ。
このまま勘違いさせておいた方が、この場合は良いな。
俺は心の中で、ほくそ笑んだ。
「趣味が変わったんだよ。」
嘘だけど。
その嘘を真に受けて、驚くケイタがウケるし。
アホだよな。
「丈治。お待たせしました。」
それでも何か言おうとしたケイタだったが、綾乃が戻ってきたので口を閉じた。
丁寧に、完璧に挨拶する綾乃に、微妙な笑みで応えるケイタ。
最後まで綾乃は、見事に猫をかぶり続けた。
「はあぁぁっっ・・・・。」
店を出て、綾乃が大きくため息をついた。
顔は素の綾乃に戻っていた。
「疲れたか?悪かったな。つき合わせて。」
「いえ、やはり丈治の事務所の方には、一度きちんとご挨拶をしたかったので、かえってよかったです。でも・・・。」
「でも?」
「社長さん、話がくどいです。」
思わず、噴き出してしまった。
あんないい対応で話していたくせに、猫をかぶりながらそう思っていたんだな。
まあ、仕事柄いろんな人間に会うからな、さすがだ。
あ。
つうか、仕事って言ったら・・・。
「おい、この後予定があるって言ってたな?仕事が急に入ったのか?」
さっきの綾乃の言葉を思い出し、時間が心配になった。
だけど、そんな俺の言葉に綾乃はムッとした。
え?
「どうした?」
「・・・忘れたのですか?」
「何だ?」
「・・・今日は1日ゆっくりできると思っていたのに、事務所の打合せが急にはいって・・・だけど、丈治は午前中に打合せ終わらせるから、帰ったら早い時間から久しぶりにゆっくり2人で飲もうって私に言ったじゃないですか・・・。」
え・・・。
予定って、そのことかっ。
だから、さっき酒のまなかったんだな?
「・・・・・・・。」
む
む
む
むっ
無茶苦茶っ。
嬉しいじゃねぇかっ!!!
やべぇ、顔がニヤけやがる・・・。
しまりのねぇ顔になってるぞ。
ダセェ。
そう思って顔を引き締めようとしたが、そんな俺を見て綾乃が嬉しそうにほほ笑むもんだから。
俺は、ますますニヤけ顔になった。
早く帰ろうと、綾乃の手をとった。
「・・・・・。」
「・・・・・。」
「おい。」
「はい。」
「ハンカチは、どうした?」
「・・・最近、エコを目指してまして。自然乾燥を・・・。」
俺は、大きくため息をつくと、ポケットからハンカチを取り出し、自分の手を拭いて、綾乃に渡した。
「忘れたなら、忘れたと言え。」
綾乃は黙って受け取った俺のハンカチで、手を拭いた。
そして、俺に返しながら可愛い顔で俺を見上げた。
「・・・せっかく『完璧』と、高評価をいただいたので、そこでハンカチ忘れたとは流石に言い出せなくて。」
「ケイタとの話、聞いてたのか。」
「はい・・・すみません。立ち聞きみたいなことをして・・・でも、安心しました。」
「あ?」
「私・・・いつも、世話ばかり丈治にかけてしまって。疲れて帰国したのに、部屋を掃除させてしまって・・・家事も全部丈治に甘えているし・・・。」
そういうことか。
綾乃、結構気にしてたんだな。
「いや、気にするな。俺はテキパキした女はどうも合わねぇんだよ。つうか、綾乃がいいんだ。綾乃が楽しそうにしてたらなんでもいい。お前が家事をできねぇのなんて、百も承知で結婚したんだからな。」
そう言って、綾乃の髪をくしゃりと撫でると。
綾乃はのどを鳴らすように、嬉しそうな顔をした。
ぷ。
こいつ、猫みてぇだな・・・って、さっきまで大きな猫かぶってたか。
思わず笑みが漏れる。
すると、綾乃も俺に笑顔を向けて。
「嬉しいです。丈治がそう思ってくれて。安心しました。」
「そうか。」
嬉しそうに俺の腕をとり、顔をこすりつける。
うう・・・ダメだ、顔がニヤける。
顔を引き締めねぇとダセぇぞ・・・と心の中で渇を入れようとしたが。
すぐに、そんな必要はなくなった。
綾乃の爆弾発言で――
「安心しました。これで丈治が留守中、部屋が散らっていても気にしないでいられます。」
はっ!?
おい、ちょっと。
待て!
って、ことは・・・・。
俺は、海外行って帰国するたびに大掃除なのかっ!?
綾乃。
勘弁してくれ・・・。
少しは。
気にしろーーーーーーーー!!!




