第38話 真実
圦観と海堂の戦闘が始まった。
互いに殴り合い、抉り合っていく。僕はそれをただ見ていることしかできなかった。
紅葉が式神になっている。彼女は僕に恨みを持って、死ねばいいと吐き出した。
そんな、そんなどうしてだ。なんで僕がこんな思いをしなくちゃならない。どうして僕が恨まれなくてはならない――
「海堂おおおお!!」
僕は結界を海堂に向け闇雲に放った。圦観を巻き込んでしまうかも、という配慮はしている余裕がなかった。
海堂の体を僕の結界が砕く。彼は僕を睨み、ふっと笑った。
「やる気だな京司! いいぞ、かかってこい! だが――二対一は卑怯だろう?」
海堂が言って、瞬間、また闇が歪む。そして、数多の死体がなにもなかった空間から出現した。
「こいつらは俺が築き上げた死体たちだ。有効利用してやるさ!」
そして、死体に紅葉が乗り移る。協力な力を得た死体が僕に向かって突撃してきた。
僕はもう冷静ではいられなかった。迫り来る死体たちを殺して殺して殺していく。それでも新たな死体が僕に向かってやってくる。そしてそいつらは、明確な殺意と悪意をもっていた。
死体の山を築き上げ、しかし止まることなく襲いくる死体たち。
海堂と圦観は打ち合っているが、しかし、このままでは圦観は負ける。それは確実だ。
ただの接近戦なら入観に分があるだろう、だがいまの海堂は「夜影家」の妖術を繰る。海堂は僕らのことをよく知っているが、僕らはいまの海堂の力をなにもしらない。
案の定、入観が押され始めていた。再生が追いつかないスピードで肉体を削られ続け、疲弊の色が表情に滲みだす。
「入観……!」
「いかせないよ、きょうじ――」
助太刀しようにも、紅葉がそれを許さない。
死体たちは一体一体が化け物レベルにまで強化されている。そんなのが殺しても殺しても湧き上がってくる。どうすればここまで強力な式神ができあがるというのだ。恨みか。僕に対する恨みなのか。
僕の妖力は次第にすり減っていった。もともと妖気の塊を放つことになる結界術は妖力の消費が激しい。もうガス欠寸前だ。
しかし紅葉は衰えることなく向かってくる。式神は使役者の妖力に応じてその力を発揮する。つまり、海堂が元気であるかぎり、紅葉は半永久的に活動し続けるのだ。
死体の刀に懐を切裂かれる。再生――間に合わない。
また斬られる。再生しない。斬られる。再生しない――!
「っ――」
力が抜けて、地面に膝をつく。
見ると、圦観もまた同じく地面に突っ伏していた。
動かない。体が動かない。死ぬ、死ぬ、死ぬ。そんな馬鹿な。僕は心鬼だぞ。たかが式神に負けるなんて、こんな……!
「存外あっけなかったな。もういい、戻れ紅葉」
何食わぬ顔で立っている海堂。彼の一声で紅葉の妖気が消え去っていく。
「なんだったかな、たしか俺じゃ、お前に勝てないんだったか……」
動けにない僕のもとへと、海堂が近づいてくる。
「い、入観は……入観……!」
「残念だが、あいつもそろそろ死ぬよ」
「…………」
僕の目の前に立つ海堂。
残った力をふりしぼって睨みつける。
「許さない、海堂、おまえ、だけは……」
「なあ京司――いや、京太郎。お前も、もう楽になっていいんじゃないのか」
楽に――?
なにを言うんだ、海堂。死が楽だとでもいうのか?
違う、そんなのは、違う。
「お前は充分がんばったさ。だからもう、あとは任せて眠るんだ。俺たちはもう三百年も生きた。いくらなんでも長すぎた。だから……永遠の怠惰に身を任せるのもそう悪くはないだろう」
海堂が僕の頭を鷲掴みにする。
瞬間理解する、死。殺される。いまの僕では、抵抗も再生もままならず死んでしまう。
「紅葉を見捨てたお前は、それを悔いて、そんな自分を断ち切るために名前を変えた。与えられたその新たな名で戦いつづけて。実際、爆発的にお前は強くなった。凄いよ。俺はお前を尊敬しているんだ。だからせめて、最期は俺の手でって。そう思ってるんだ」
頭がみしみしと音を立てて軋んでいく。脳が圧迫されていますぐにでも破裂しそうだと悲鳴をあげる。
ああ、いまから僕は死ぬのだ。いやだ、まだ、だって、なんにも……
「じゃあな。俺にはもう、これしかないんだ――」
「させません」
しかし。そんな海堂を呼び止める声が、彼の背後から発せられる。
「京太郎さんは殺させない。私が、守ります」
それは懐かしい声だった。
いや、いままでずっと聞こえていた。ずっとそばでその声は発せられていた。けど、それは僕の求めていたものとは違って、僕はずっとあなたを取り戻そうと戦っていた。そのあなたが、いま、海堂に向けて語りかけている。
「……入観?」
そう、入観が――失われたはずの入観が、そこにいた。
「まだ立ち上がるのか。愛の力ってか? 正直、よく分からないな」
海堂はそう言いながらも、しかしまた、ふっと笑って、
「だが、そういうのは嫌いじゃない。ああ、負けたよ。どうせ放っておいても両方死ぬんだ。最期くらい語らえよ」
そのまま、闇に紛れて消えていった。
でもそんなことどうでもよかった。
入観の記憶が戻っている。少し声を聞いただけで、確信することができた。
自然と力が取り戻される。すぐそばに、三百年求めていたものがある。心臓が暴れる。血潮が濁流のように全身をめぐる。
「どうして、記憶が? いや、違うんだ、言いたいことはそんなことじゃない。会えた、また君に会うことができた。夢が、取り戻したかったものが、ようやく……」
ふらふらと立ち上がり、入観を抱きしめた。頬に触れて、頭をなでる。温かい。毎日のように抱いた体なのに、この感覚は本当に久しぶりだ。
なぜ記憶が戻ったのか、理由なんてどうでもいい。僕は喜びのまま彼女を抱きしめ続ける。
「私は、あなたに謝らなければいけません……」
「謝るなんて、どうして」
しかしとつぜん、胸のなかで暗い表情のまま、入観がそんなことを言った。
せっかくまた会えたのに、そんな顔をされたら悲しいじゃないか。僕は言う。
「謝られることなんてなにもないよ? むしろ、君を取り戻すのにこんな長い時間が掛かってしまって、そのことを僕のほうが謝りたいくらいだ」
「ちがうんです。私、私は――」
入観が、その重たい口を開く。
「私の記憶は、消えてなんかいなかったんです」
「……は?」
しかし発せられたのは意味のわからない言葉だった。困惑して、僕は彼女の肩を放す。
「なにを言うんだ入観。そんなわけないだろう。記憶は消えていて、だから君は、あんな……」
申し訳なさそうに俯いたまま、入観は続ける。真実を――語る。
「私は……、京太郎に、私だけを見ていてほしかった。だけど知っていたんです。いやでも、分かっちゃったんです。あなたは私じゃなくて、私のなかに妹を重ねているって。亡くなったあの子を、あなたはずっと引きずって。あの子が死んで、それからあなたは、私を求めるようになったから。だから……」
言葉がでない。
そんな、そんなつもりはなかった。入観に妹を、京華を重ねていた?
違う、と言い切れるか? 過去の僕が、あの弱い僕が、自覚はなかったとして、それが入観には伝わっていたのだとしたら?
「……それでもよかったんです。あなたに求められること。それだけで充分幸せだったから。だけどお屋敷であなたに抱きしめられたとき。心鬼になって、間違いを犯して、それをあなたが許してくれたとき――私はもう、それだけじゃ耐えられなくなった。あなたが欲しかった。私だけを見て欲しかった。だから私は、記憶をうしなったふりをして、以来ずっと京華ちゃんの真似をつづけてきたんです。……最低だって分かっていたけど、それが一番、あなたへの当てつけになるんだって、そう思ったから」
「いや、でも、待ってくれよ。だって君の記憶が消えたのは春斗の術のせいだ。あれがあったから、君は」
「そのことに関しても、言わなきゃってずっと思っていました。春斗さんはあなたが思っているようなひとじゃありません。あの人はただ、私に協力してくれていただけなんです。心鬼としての力を貸す、その交換条件として、京太郎さんを騙して欲しいって、私が頼んだんです。記憶を操る術――それ自体は確かに存在していました。でもそれを使うのは禁忌だから……、私が記憶を操られたなんてことは、ないんです」
「…………」
「軽蔑、しましたよね。わかっています。私は許されないことした。あろうことか三百年も。あなたが苦しんでいるのをしっていながら。でも、妹の面影を私に重ねていたことが、それがどれだけ残酷なことか知ってもらいたかった。それだけで、それだけなんです。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……!」
軽蔑?
そう聞いて、僕は笑う。
ひどく怯えた様子の入観が、びくりとして目をつぶった。その彼女を、僕は――
「――もういいんだ。謝らないでくれ、入観」
また、抱きしめる。
「謝りたいなんて言うから、どんなことかと思ったけど……。そんなことか」
信じられないといった表情で固まる入観。まあそうだろう。実際、君のしたことはひどいことだと思う。それは否定しない。だけど。
「私、私は……だって、こんな、ずっと、傷つけて……!」
「いつか言ったじゃないか。僕は君を受け入れるって。だから、もういいんだ」
だけど、怒りなんて湧くはずがなかった。
むしろ嬉しい。ほんとうに、救われた。だって、記憶が消えた入観なんて存在しなかったということだろう? ずっとずっと、君はそばにいてくれたんだろう?
その真実が、救いじゃなくてなんだというのだ。
声を上げて、入観が泣きじゃくる。
そうだろう。君だって、つらかったはずだ。
僕のせいで、それこそ三百年も傷つき続けた。自分で自分を、傷つけ続けた。
お互い傷ついて、ぼろぼろで、たぶんもう助からないだろうけど。
それでも――僕らはいま、世界で一番幸せなふたりだ。
それだけは、間違いのない真実だった。
□
戦闘によってつけられた、蓬莱の妖術でも治せない傷は、確実に僕らの命を削っていった。
たぶんもう長くはない。お互い、あと数分というところだろう。
だが不思議と後悔はなかった。それに、海堂に対する恨みもなかった。
僕は気がついていた。あえて聞くことはなかったけど、たぶん、圦観がこうして本心を語ってくれたのは海堂のおかげだ。おそらく戦闘中、紅葉が僕を引きつけている間に、海堂は入観を説得していたのだ。裏切って、本気で殺そうとしながらも、それでもきっと、あいつは最後まで僕らのことを考えてくれていた。
こうなることも予想していたんじゃないかと思われる。だから、僕らを見逃した。ああ、ほんとうに食えないやつだ――。
「入観、怖い?」
地面に寝そべり、僕らは夜空を仰いでいる。
尋ねると、彼女は笑って、
「いえ、まったく」
原っぱに血だまりが広がっていく。しかしそれは、僕らの死に場所を鮮やかに彩る色でしかなかった。
僕と、そして入観の血が混ざり合い、より濃い匂いを発するようになる。とてもいい匂いだった。落ち着く、心地のいい匂いだ。
僕らは口づけをして目をつぶる。
鬼狩りも、鬼使いも、世界も。もうぜんぶどうでもよかった。
だから――僕らふたりを冷たい瞳で見下ろす「黒い男」も、やっぱりどうでもよかった。
「喜ぶがいい。お前たちは余すところなくこの私の血肉となり、神の一部となる。恐れることはない。言うなれば、これはただの帰宅だ。お前たちは偉大なる父のもとへと帰結するのだ」
夜影健太郎――彼がなにを考えているのか。そんなことは、これからの僕らには、何ら関係のないことだ。