第14話 鬼
もう、何をする気にもなれなかった。ただ家に向かって歩いている。早く帰りたい。それだけしか考えられなかった。
途中、誰かの家の塀にぶつかる。足元がおぼつかず、ふらふらと歩いていた結果だった。
「くそッ……くそッ……!」
自分が情けない。ナイフを首に押し付けられた程度で、あれほどの恐怖を感じるとは思わなかった。
そんな俺が、日本刀を持った人間と戦えるわけがない。まして、殺すなんて。
思い上がっていた。俺はただの、17歳のガキだ。警察じゃないんだから。
ごめん、剣菱。本当にごめん。俺には、何もできない。
その時だった。向こう側から、男が一人、ゆっくりと歩いている。
まあ、俺には関係ない。普通に横を通り過ぎてしまおう。男との距離が、どんどん縮まっていく。そして、すれ違う。
「うぅ、ううぅぅ」
男がうめき声をあげた。
おいおい、大丈夫かこの人。よく見たら、なんかふらついてるし。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
「ぁぁうぁ……」
「具合でも悪いんですか? だったら近くに診療所が――」
突然、男が俺に抱きつく。
「え、ちょ、ちょっと!」
その時、違和感を覚える。体温が感じられない。
むしろ冷たい。まるで氷を抱きかかえているかのようだ。
なんで、この人、こんなに――
その時、男が大きく口を開けた。そして――
俺の首に、噛み付いた。
刹那、激痛が走る。
「いっ……あああああ!?」
思わず叫び声をあげた。
痛い。
痛い痛い痛い。
咄嗟にナイフを取り出す。そして、男の脇腹に突き刺した。
だが――
「なんでっ……離れないんだよ!」
ナイフで刺したのに。まるできいていない様だった。
くっ……そ! 離れろよ! この野郎!」
両手で押し、なんとか振り払う。男はそのままその場に倒れた。
「くそッ……はぁ、ヤバイ……」
逃げようとするが、あまりの激痛に身体が自由に動かない。俺までその場に倒れてしまう。
意識が朦朧とする。傷口から、血がとめどなく溢れ出す。
立ち上がれない。這う様に逃げる。こいつが倒れてる内に、出来るだけ遠くへ行かなくては。
だが、そんな思いも虚しく、男はすぐに立ち上がった。
ヤバイ。
このままじゃ、今度こそ殺される。――喰い殺される。
その時、思い出す。剣菱の周りにあった四つの死体。光田は喰い殺されたと言っていた。
――こいつか? こいつなんじゃないのか、犯人は。
ああ、絶対にそうだ。こいつ意外に考えられない。人を喰うなんて真似、普通の人間がするはずが無い。
剣菱の死因は刺殺だが、今回たまたま日本刀を持っていないだけだろう。
そうか、こいつが――剣菱を殺したんだ!
「お前が殺したんだなっ!」
「あ、ぁぁぁぅ」
「唸ってないで答えろ! 犯人は、お前だな!?」
それでも、男は答えない。一歩ずつ、こちらに近寄ってくる。
「はぁ、くそッ……答えろよ!」
ああ、だめだ。激痛で、目の前が霞む。首が熱い。まるで焼かれている様だ。
「くそ……畜生」
俺は死ぬのか。こんなところで。
男がすぐ側までやって来る。
終わった――そう思った、その時。
男の頭が、無くなった。否。弾け飛んだ。
――え?
頭の無くなった男は、その場に膝から崩れ落ちる。脳という行き場を失った血液が、男の首から大量に溢れ出す。
一体、何が起こった?
「ふふ……。せっかく感染したんだ。無駄死にはさせないよ」
突然、声が聞こえた。そして現れる、一人の少女。
「え、あ……え?」
「情けない声を上げるな。みっともない」
少女はそう言って、倒れている俺の目の前に、小さくしゃがんだ。
幼い少女だった。たぶんまだ、10歳くらい。
眉上でパッツンに切り揃えられた前髪。足首に届くほどの長さの後ろ髪は、しゃがんでいる所為で地面に広がっている。
暗闇の中でも映える黒髪と、人形の様に白い肌が対照的だ。
両手には、己の身長と同じほどの、巨大な鎌が握られていた。
「明日はいつも通り学校に行くんだ。なあに、心配はいらない。傷は私が塞いでやろう」
――尤も、その後のことは知らないけどね。
意識が遠のく。目の前が真っ白になる。
――しっかりと役目を果たせよ? 鬼。
最後に、そんなことを言われた気がした。