根堀保振 3
「保振、まさかお前、とどめを自分で刺そうってんじゃないだろうな」
「はい?」
「たっく、これだから”旧”第一部隊の人間は……」
坂口はわざとらしくため息を吐き、呆れたように言う。
「敵の幹部や心鬼、危険人物を殲滅した人間には特例章が送られる。それは普通よぉ、上司に譲るモンだろうが。違うか?」
――特例章。
めざましい功績を残した鬼狩りに送られる、特別な章である。
この章を持つということ。
それは自身の並ならぬ実力の証明であり、同時に、絶大な権力を持つことの証であった。
本来ならば、未成年の就任は不可能である部隊長に当時15歳の葉掘が選ばれたのは、彼女がこの”特例章”を持つが故だろう。
兎に角、それを持つ者に絶大な権力を与える特例章は、鬼狩り全員の憧れだったのだ。
そして、東京拠点第一部隊隊長・坂口吉朝。
貪欲に権力を欲する彼にとって、特例章は”憧れ”などという言葉では済まされない、人生の目標といっても過言ではないものであった。
「……私の所属していた隊には、そんな常識ありませんでしたよ?」
「だから異動させられたんだよ」
「それは関係ありませんよ。だって――」
「うるさいっ! いいから黙って言うことを聞け無所属がっ!!」
坂口は怒声をあげ、保振の前へと割り込む。
そして自身の武器を、満身創痍で屈している心鬼へと向けて構えた。
「は、はは……これで俺も幹部精進間違いなしだ。待ちわびたぞこの瞬間! くたばれ心鬼! 死して俺の礎となれ!」
武器が心鬼に振り下ろされる。
その瞬間。
「ち、がう」
どこからともなく聞こえる小さな声。
坂口がその声を認識したのは、自身の脇腹に穴が空いた直後の事だった。
「あ――?」
一瞬、何が起きたのか理解出来ず、間抜けな声をあげる坂口。
それを冷たい目で見下ろしながら、心鬼は呟いた。
「僕は心鬼じゃない。そんな風に呼ばないでよ」
「心鬼じゃない?」
保振が腑に落ちないような表情を浮かべながら尋ねる。
「僕は”造心鬼”――神崎隼人だ」
造心鬼――
初めて聞くその単語に、保振の顔は多少なりとも曇っていた。
「交渉をしない? 鬼狩りのお姉さん」
造心鬼――神崎は、保振に言う。
「交渉?」
「君を見逃す代わりに、僕のことも見逃してほしい」
「……」
ふざけているのか。
保振は最初そう思った。
だが、神崎の目は真剣そのもの。
冗談や酔狂で言っているのではないことは確かだった。
「僕の体はもうボロボロだ。君だって、そろそろ手首を治療しなきゃまずい頃だろう」
神崎の言うとおり、保振の体は限界を迎える寸前であった。
本来、あのような形で手首を失い生きていられるような人間はいない。
そう、保振はあくまで人間――
妖力が強いだけになんとか持ちこたえてはいるものの、相当な痛みが彼女を襲っていた。
「僕だって、まだこんなところで死ぬわけにはいかないんだ。まあ、君がどうしても戦いたいって言うならそれでも構わないけれど……その時は多分、お互い生きてはいられないだろうね」
「う~ん、確かにカンザキ君の言うことにも一理あります」
「でしょ? だったら――」
「でも、やです」
保振がそう言い放ったと同時に、神崎は後方に大きく吹き飛ばされる。
彼女の妖術を至近距離で受けた結果だった。
「逃がすわけないじゃありませんかぁ。そんなことをしなくとも、私が死ぬよりはやくあなたを殺せばいいだけです」
神崎はふらふらと立ち上がる。
「ああもう……何で分かってくれないんだよぉ……頭の堅いオンナだなァ!!」
「わはっ、ま~た怒った」
「僕はなぁ、死ぬわけにはいかないんだよ。こ、こんなところで……こんなところでぇ!!」
絶叫。
神崎は叫ぶように言葉を口走る。
そして、くるりと保振に背を向け、そのまま全速力で走り出した。
――全力逃走
それが神崎の選んだ方法だった。
そして勿論、保振はそれを見逃したりはしない。
「追いかけっこですかぁ? うふふ。いいですねやりましょう」
そう言って、踏みだそうとした足。
その足首を、突然、何者かに掴まれる。
「ま、待ってくれ……」
「……何ですか坂口さん。今から駆逐対象を追うので、手を放してはいただけないでしょうか」
保振は軽く足を振り、その手を振りほどこうとする。
しかし、火事場の馬鹿力とでもいうのか。
坂口の握力は凄まじく、なかなか離れない。
「た、頼む、助けてくれ。このままじゃ……」
坂口は、目に涙をためながら懇願する。
しかし。
「無理ですよ。私、蓬莱系の妖術は使えませんから」
「な、なんだよ、見捨てるってのか!? この俺を!」
「めんどくさい人ですね。あ~あ、ほら、逃げられちゃった」
保振と坂口がもみ合っている数秒の合間で、既に神崎は行方をくらませていた。
彼の足は速い。
今更追いかけたところで、もう追いつける距離ではないだろう。
保振はそう考え、深くため息をついた。
「そんなのどうだっていいだろう! 早く俺を助けろ! これは隊長命令だっ……!」
「だから無理ですって。諦めてください」
「隊長命令に逆らう意味が分かっているのか……? 第三部隊がここにやって来れば、お前の命令違反はすぐに明らかになるだろう。そのとき、処刑されて死ぬのはお前なんだぞ……!」
血が溢れ続ける脇腹の傷を押さえながら、坂口は必死に叫ぶ。
「どうでしょうねぇ、私これでも”章持ち”なので。一応、それなりの権限は持っているんですよ?」
「ぐッ……黙れ黙れぇ! クソ、大体なぁ、俺は前々からお前ら姉妹が大嫌いだったんだよ……俺より10も20も年下の癖しやがって……」
今にも途切れそうな意識を保ちながら、なんとか声を絞り出す。
しかしその声はあまりに小さく、保振には届かない。
「……ねえ坂口さん。今、ここには誰がいますか?」
「……?」
保振の唐突な問の意味が分からず、坂口は押し黙る。
「答えは『私とあなた』です。つまり二人きりってことですよね」
「お、おい……? お前、まさか……」
「あなたはとても勇敢な方でした。突如出現した”何者”かの襲撃に屈することなく、仲間を守って戦い続け、最期は私を命懸けで逃がしてくださいました。結果、第一部隊は全滅してしまいましたが……あなた方の意思は、私が責任を持って引き継いでいく所存です――と、上にはそう伝えておきますね」
□
「さて、そろそろ行かなきゃですね。ここにいても良いことなさそうだし」
足下に転がる死体から、自らの長刀を引き抜いて、保振はそう呟いた。
「カンザキハヤト……あなたのことは黙っておいてあげます。あなたは、私の獲物ですから」
言って。
保振は喰われた手首を見つめる。
それは、自身初となる”大怪我”――自分に深手を負わせるほどの実力者と邂逅したという、決定的な証拠であった。
その”証拠”をみるだけで、体が震え、心が躍る。
彼女は、強敵との遭遇を心から喜んでいたのだ。
「うふ、うふふふふふ。それだけじゃないですね。三日後、木野辺村からやって来るという、苅部の当主に新入りの心鬼――ああ、なにかとっても楽しそうなことが起こる気がします……!」
それは、絶対的予感。
否、確定的な未来に違いない。
保振はそう思い、無邪気に笑った。