第十三話 その力は彼の者のために
ダランと伸びた右腕の肩に空いた穴から血が流れて、石造りの床に落ちる。
右手に握った杖の感触は、もうない。
「もう終わりかしら? 大魔術師様?」
目の前で笑うベスドラに怒りを覚えるが、部屋に発生する重力を相殺するだけの魔法を発動するだけで手一杯だ。
『無制限の魔力』をチートに持つ真奈美だが、魔法の操作に関しては普通の人と変わりない。
魔法を発動しながら別の魔法を操作するのは、思った以上に神経を使う。
しかも、相手は伝説の魔物であるケルベロスと魔王軍の主力である魔族。
波状攻撃でこちらの隙を見つけ、正確に攻撃を繰り出してきた。
元々魔術師は中遠距離戦が得意であるため、距離を詰められると脆さを露呈する。
そしてとうとう、ベスドラの長く伸びた爪に右肩を貫かれた。
「あんたのそのムカつく顔を歪ませるまで、終わらないわ」
本当はこれ以上長く戦うことは難しい、それでも空人たちが逃げる時間を稼がなければならない。
一秒でも長く……
ケルベロスが距離を詰めきた、迎撃するために動かない右腕から左手に杖を持ち変える。
赤色の魔力を固めて、光線のようにしてケルベロスへと放った。
直撃した光線に身体を押し返され、ケルベロスが吹き飛ぶ。
神属性の魔法を使うことはまだ出来ないので、致命傷にはならない。
それでも一時的に退けることは出来た。
「しつこい女は嫌いなの!」
続いてベスドラが空から直線的に向かってくる。
赤い魔力を再び光線して放つが、ベスドラがヒラリと宙を舞って回避した。
迎撃は間に合わない、杖を前にして足に力を入れる。
「そんな杖で防げるわけないでしょ!」
ベスドラが爪を高く振り上げる、真奈美は来るであろう痛みに備えて、歯の奥にグッと力を入れる。
しかし、真奈美の視界に現れた影がベスドラを吹き飛ばした。
「あんた……」
勇者と呼ばれる滉一ではない、けれどその少年は力強く言い放った。
「あとは任せとけ」
剣を握った右手に力を入れる。
刀身は翡翠、柄と飾りは黄金。羽のように軽い剣はホルの新しい姿。
そして、右拳の上に白い色で浮かんだ『Ⅰ』の英数字。
この数字がどうゆう意味なのか、考えるのは後でいい。
この部屋に発生しているはずの重力の関与を一切受けていないのか、身体が驚くほど軽い。
何かしらの作用で重力を無効化しただけでなく、この軽さは間違いなく身体能力が桁違いに跳ね上がっている。
「なんで戻って来たの! 今すぐあの子たちを連れて逃げて!」
背中越しに真奈美さんの怒鳴り声が聞こえる。
ついさっきまでは俺もそのつもりだった、そうするため柄にもなく千佳ちゃんに怒鳴ったほどだ。
だけど、もうそんな選択肢は頭にない。
全員無事でこの迷宮を抜ける、そして千佳ちゃんとの約束を守る。それだけだった。
「千佳ちゃんと約束しちまったんだ。だから、その頼みは聞けない」
「約束?」
「真奈美さんを守るって」
自分で言って恥ずかしくなる。
うん。後で千佳ちゃんにフォローしてもらおう。
真奈美さんに一度吹き飛ばされたケルベロスが俺を見つめる。
そして、俺に真奈美さんへの一撃を防がれたベストラは、警戒心を抱いたのか、俺たちの攻撃が届かないと思われる距離で空を飛んでいた。
「この部屋のトラップが効いていない……あなたどんな魔法を使ったのかしら?」
「さぁね。種明かしは出来ないな」
剣先を宙に浮かぶベストラへと向ける。
一度、警戒心を抱いたあの魔族を倒すことは出来るだろうか……いや、この状況ではケルベロスを倒さないと隙が出来そうにない。
『ソラトさん。今ならケルベロスを倒せます』
ホルが俺の心中を察してか、そう教えてくれた。
この状態のホルには神属性が付加されているのか、それを知る由もない。
大事なのはケルベロスを殺せる、その事実だけだ。
「この子を倒す? 困るわねぇ……魔神様が精魂込めて生み出したのよ。だから、遠慮してほしいわ」
クスクスと笑うベストラにはまだ余裕が感じられる。
そりゃそうか、この部屋のトラップで滉一君を無力化、唯一動ける真奈美さんを追いつめ、今目の前にいるのは得体の知れない駆け出し冒険者のみ。
自分が勝つと思っている、それがあの魔族の本音。
その余裕を崩してやろうじゃないか。
「行くぞ。ホル」
右拳の上に浮かぶ『Ⅰ』の文字が輝く、身体が軽くなり全身に力が漲る。
これが今このとき、俺が望んだ力なのだろうか。
ホルが俺に与えてくれた、誰かを守るための力。
滾る力と高揚を足に乗せて、床を蹴った。
跳ね上がった身体能力は凄まじく、ケルベロスと離れていた五十メートル程の距離を一歩で埋める。
俺が懐に入り込んだことにまだ気が付いていないのか、ケルベロスはさっきまで俺が居た場所を見つめていた。
その隙にケルベロスの右前脚を切る。
先ほどまでとは違い、何の抵抗もなく足が切断される。
絶叫を上げるケルベロスに隙は与えない、続いて左前脚も同じように切断する。
両前脚を失ったケルベロスはバランスを崩し、三つの首から前のめりに倒れる、それと同時に後ろ脚の方から、ケルベロスの身体を通り過ぎてジャンプする。
十メートルほど上空で、少し飛びすぎたような気がするが、眼下に広がるケルベロスの三つの首に狙いを定めた。
「させないわ!」
目の前から空を走り、ベスドラが迫ってくる。
突きの形で繰り出された赤い爪に剣を入れると、あっけなく切り落とせた。
そして、彼女を足場にして真下のケルベロスへと急降下。
真ん中の頭に着地して、そのまま頭を切り落とす、そして左右に剣を振るって両サイドの頭も切り落とした。
胴と別れた三つの首が石造りの床に転がる。
これでケルベロスは無効化した。
あとは……
顔をあげて、残された魔族、ベストラと対峙する。
「そんな……ケルベロスを……強い、強いのねぇ! 坊やぁ!!」
「召喚した魔物がやられて、頭がおかしくなったのか」
「アハハ! 私はねぇ! 強い男が好きなの! だから、あなたは最高よ!!」
ベスドラが右手を高く上げる、何か攻撃が来るかもと身を構えるが、出てきたのは長方形で人ひとり分の大きさを持った空間だった。
ベスドラの背中越しに出てきたその穴に彼女は入っていく。
逃がすわけにはいかない。
足に力を込めて上空へ飛び上がり、ベストラとの距離を埋める。
「あなたはいつか私にモノにするから、それまで死なないでね♪」
ベストラの妖艶な笑みに向けて剣を振るった。
しかし、そこには何もない空間があるだけだった。
何もない感触に心の中で舌打ちをして、床に着地する。
おそらくベストラが入って行った穴は、魔物を召喚したものと同じ類のものだろう。
逃がしてしまった、けれど今は窮地を切り抜けたことにホッとした。
大きく息を吐いて、真奈美さんに近寄る。
右肩の傷は思ったよりも深く、千佳ちゃんのスキルで治せるのか不安だ。
「真奈美お姉ちゃん!」
「お姉ちゃん!」
ベストラが引いて部屋のトラップが解除されたのか、二人が軽い足取りで真奈美さんに駆け寄る。
千佳ちゃんはすぐに真奈美さんの肩に手を当てて、治療を開始した。
滉一君は色々と真奈美さんを質問攻めにしているが、それだけ心配だったんだろう。
「ホル。解除していいぞ」
『え? でも……』
「敵は引いて行ったし、一回休め」
『私は大丈夫です。むしろソラトさんが大丈夫ですか?』
「? 全然、大丈夫だぞ。とにかく解除していいから」
『ど、どうなっても知りませんからね!』
何故か俺の心配をするホルが武器化を解除し、元の姿へと戻る。
右手の甲を見ると『Ⅰ』の文字が、徐々に消えていく。
やっぱり、この数字はホルが関係するモノのようだ、街に帰った時にでもゆっくり……あれ?
文字が消えた瞬間襲ってきたのは、頭痛と眩暈。
ズキズキと痛みを発する頭のせいで徐々に足元が覚束なくなる。
やべ……意識が……
ホルはこのことを予見していたのか……もっとちゃんと言って欲しかった……
ホルへの少しの恨みを胸に俺は意識を手放した。
「ん……?」
「起きた?」
目を開けると真奈美さんの顔があった。
顔の近さに驚いて身体を動かそうとすると、もの凄い力で顔を上下に挟まれた。
後頭部からする柔らかい感触から、膝枕をしてもらっていることに気が付く。
「こっちも恥ずかしいんだから、動かないでっ」
「は、はい……」
有無を言わせない彼女の言い方に大人しく従う。
美少女の膝枕など、俺は夢見ているのかと錯覚してしまう。
微小な揺れは馬車が走っているからだろう、馬車の中に滉一君と千佳ちゃんの姿が見えないことから、あの二人が馬車を走らせているようだ。
「真奈美さん、怪我は?」
「千佳が治してくれた。それから……ありがと、助けてくれて」
思い頭から蘇る迷宮内での記憶。
かなり恥ずかしい発言をしていた気がする、しかしあえて触れない真奈美さんの優しさに少しだけ感謝した。
「あの時は勢いだった」
「え!? 私を守ってくれるって千佳との約束は嘘だったの!?」
「あえて触れなかったんじゃないのか!?」
自分で墓穴を掘った真奈美さんが顔を赤くして、コホンと咳払いをする。
むずがゆい沈黙が馬車に流れ、救いの手を誰かに求めたくなった。
ホルはどこにいる? なんで、こうゆう助けて欲しい時に限って、あいつは居ないんだ!?
「あ、あのさ……」
この沈黙を破ったのは真奈美さんだった。
馬車の外を眺める彼女は、俺と目を合わせてくれない。
「なに?」
「呼び名……なんで、『さん』づけなの?」
「いや……呼び捨てで名前は馴れ馴れしいかなって……」
「そう……なら、『真奈美』でいいわよ、特別に許してあげる」
どういう許しなのか、それに突っ込めば魔法で吹き飛ばされるかもしれない。
だから、短く返事をするしか選択肢がなかった。
「分かった……」
まだ身体が本調子ではないのか、瞼が重さを増していく。
馬車の揺れが子守唄のように頭に響いて、眠気を誘う。
まだ、この約得な状態を維持したかったため、息を深くはいて、眠気に身を委ねた。




